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ロマ書15章 One mind 思いを一つに

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沖縄からホームステイで来ている... 沖縄からホームステイで来ているお兄ちゃんと。お兄ちゃん大好物のねずみちゃんでした。。。。あーーーーしあわせ! 朝の英語の礼拝中。子供たちは、... 朝の英語の礼拝中。子供たちは、三人で音楽に合わせてくるくるまわって踊っています。こどもたちのようにならなければ、天の御国に入ることができません、と聖書にあります。。。。
子供たちを見てると幸せな気持ちになりました。。。

2017年3月12日日曜日礼拝メッセージ音声



今週で、ローマ書は15章です。みなさん、一章からの流れ、覚えていますか? まず、一章でロマ書のテーマである、1:16 「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」For I am not ashamed of the gospel of Christ, for it is the power of God to salvation for everyone who believes, for the Jew first and also for the Greek. からはじまりました。そして、罪について、救いについて、ユダヤ人の誇りとしてした律法や習慣について、また信仰によって義とされることについて、信仰によって誰でも義とされること、真の礼拝について、キリスト身体について、クリスチャン生活についてと続きました。そして、16章は終わりの挨拶ですから、実質15章がパウロのローマ人への最終メッセージになります。さて、パウロは、何を言うのでしょうか。一章のテーマ聖句を頭において読んでいきましょう。
★ 力のない人の弱さを担う
ロマ15:1-6  私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、あなたの上にふりかかった」と書いてあるとおりです。4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。

 パウロは、いかに私たちが弱い位置にある者たちの助けになることが大切かと言っています。この場合の「弱さ」は、信仰によって自由に行動ができない人々をさしています。それは、最終的に、すべての人が主、イエス・キリストにあって、父なる神をほめたたえ、礼拝するためであります。そのためには、自分を喜ばせることばかりを考えるのではなく、どうすれば他者の益となることができるかと心を配る必要があります。一章を思い出しましょう。それは、キリストによって、ユダヤ人同志のことだけでも、異邦人同志のことだけでもなくなりました。すべての人が心を一つに礼拝することができるように、というパウロの願い。神様からのメッセージが込められています。

★ 宣教について

ロマ15:16-20 

それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。17 それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。18 私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行いにより、19 また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。20 このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。

パウロは、神様から直接に召され、異邦人に遣わされる器となりました。イエス様の救いの福音を伝えることで神と人とをつなぐ祭司の役割をしています。異邦人たちを救いに導くために、神様はパウロをいろいろなところを通して、実現させてくださいました。詳しいことは、使徒の働きを読んでみてください。たくさん細かいエピソードが書かれています。イエス様にしたがって神の働きをするパウロは、そのことばに、行いにキリストを宿しました。キリストとともに働きました。インカーネイション。また、しるしと奇跡をおこないました。使徒1:8にあるとおりに、聖霊に満たされてエルサレムからイルリコ(ギリシャの北、現・アルバニア)まで福音を伝えました。クリスチャンのいないところ、いないところへパウロは宣教していきました。

★ 宣教のために捧げること

ロマ15:26, 27 

それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金(きょきん)することにしたからです。27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですが、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

エルサレムには、物資のたりない貧しい状態のクリスチャンたちがいました。また、パウロは元キリスト者迫害者であり、今は、使徒となり、今度は異邦人にイエス様を熱心に伝えているというので、あるユダヤ人指導者たちからはすこし変な目で見られているということもありました。そんな中、ギリシャ地方の異邦人クリスチャンたちは、困っているエルサレムの人たちにお金を募りパウロに託けることにしたのです。いつもなら、こういうことを献金と呼びますが、この聖書の箇所では「醵金」と書いてあります。ギリシャ語では、コイノニアという言葉がつかわれています。この言葉は、一般的には、「交わり」を指して使われる言葉です。が、交わりの証しとして捧げられる捧げものにも使われています。キリスト者の交わりというものは、ただ、ともに時間を共有するのではなく、「何かを互いに分け与え合うということ」にほかなりません。一節から六節のところで話した通り、本当の交わりがあるなら、心が一つであるなら、互いに支え合い、与えあい、そして、神をともにほめたたえることができるのです。

★ 宣教のために祈ること

ロマ15:30 

兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。Now I beg you, brethren, through the Lord Jesus Christ, and through the love of the Spirit, that you strive together with me in prayers to God for me,

パウロは、福音を恥としない。と一章から初めて、そして、最後に福音宣教に焦点を当てています。パウロがどんなに宣教のために未開地へ未開地へと進んでいったのか。そして、またキリスト者のネットワーク、人種を越えて結んでいく。そして、今からエルサレムに行くので、ぜひ、お祈りしてほしいとやがて会いに行きたいと願ってやまないローマ人たちにお願いしているのです。
冒頭の「弱い」もののために重荷を担う、ということは、物質的なことだけでなく、霊的なことにも及びます。パウロは、宣教のために、弱さを支えて欲しいとお願いしてます。

★ 思いを一つに

私たちの教会は、アメリカにある、日本とアメリカの文化両方、両方の言語がいるユニークな教会です。私たちは、日本とアメリカをいろろいな意味でつなぐ、ハブのような教会に思います。すでに、もう数十人の方が日本に帰国されています。つづけて彼らのために祈っていきたいと思います。ますます、互いに与えあい、支え合い、そして、祈りのあふれる教会にならせていただきたいものです。


#ロマ書 #子供 #教会 #日曜日 #礼拝 #礼拝メッセージ

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ロマ書14章 キリスト者の姿勢

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ボーイズ、僕と貴子先生のギター... ボーイズ、僕と貴子先生のギターどっちが背が高いか比べてみたい。とのこと。。。
あーーー。弟君は、ちょうど、びったし同じみたいだね。笑。。。
もうすぐ、ギタークラスできるかなーーって思っています。成長したもんだ。
木曜日の風景。女子は、今ピンク... 木曜日の風景。女子は、今ピンク色が大好きなお年頃のようです。ピンクの話しと、エルサとアナの話しをよくしております。。。。
2017年3月5日日曜日礼拝音声は、こちらからどぞ



ロマ14章 Romnas 14

★姿勢[1] 裁かない Attitude 1) Non-judgemental

1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。Receive one who is weak in the faith, but not to disputes over doubtful things.

仲間か? 敵か? Us or not us?

聖書は、その人の信仰を受け入れなさいと言っているのではなく、信仰の弱い、その人を受け入れなさい、と言っています。

私たちは、自分と違うものを排斥しようとする思いにかられるあまりに、その考え方に迎合しないようにと思うばかりに、他者を交わりから締め出す傾向にある。
つばは、体の中にあっては良いもの、自分の身体の一部であって汚いとは、普段思わないが、いったん体の外にでると、汚いものとなってしまう。
調度そのように、自分の内か外か、自分の側か、味方か敵かのようになってしまう。

先の大統領選もそうだった。互いの支持者をデーモナイズしてしまう傾向にあった。トランプ支持者を見つけると、じゃ、あなたもセクシストか、レイシストかと言われてしまうので、支持者は隠れていたのだ。

キリスト教界でさえも、少しの違いだけで、相手をデーモナイズしてしまうことがある。私も聖霊派というだけで、貴子さんの教会にはいかないように、とふれられたことがあった。

これらの分裂は、すべて私たちの心の中の「裁き」から来ているのです。気を付けてください。レッテル貼りも裁きの一種です。あの人は、こういう人だから、などというものも同じです。自分の心を吟味したいものです。

そして、拒絶し、分裂をもたらすものではなく、受け入れるものでありたいものです。

パウロは、具体的な例をもってどんなことで互いを受け入れられなかったか、ということを上げています。2-3節

〇 肉食 Eating meat…当時は、肉といえば、偶像に捧げられていた。買うものとしては、どの肉が捧げられたものかがわからないので、もういっそ肉を食べないことにしていた人もいた。

日本でも、偶像、仏壇にお供えしてから、食べ物を食べる仏教的な風習があります。一度、お寺さんに夕食に招かれた時、冷や汗がでました。大きな仏像の前に備えた大量のお肉をお坊さんが持ってきたのです。けれども、「口から入るもので人を汚すものはない」と聖書に書いてあるので、食べ物を祝福し、家庭を祝福する祈りをさせていただいて、彼らも、仏式のお祈りをされて、ともに、おいしくすき焼きをいただきました。そのおかげて、今でも親しくさせてもらっています。
あの時、裁きの心から、そんなものは食べれません、と言っていたらどうなっていたでしょうか。

〇 日 A Day… また、ユダヤ人たちは、もともとの安息日の風習に従って集まっていました。が、新しいクリスチャンたちは、毎日集まってパンをさき、交わっていました。人々のあいだでは、ある日が、ほかの日よりも勝っているというような論議があったようです。

今の時代に聖書を読めば、こんなくだらないことで。。。と思うかもしれませんが、今の私たちの中にも、形を変えてそういったことがあるはずです。

★ あなたも私も、みな贖われたしもべ、主のもの You and me are redeemed servant of the Lord.

4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。Who are you to judge another’s servant? To his own master he stands or falls. Indeed, he will be made to stand, for God is able to make him stand.

7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。7 For none of us lives to himself, and no one dies to himself. 8 For if we live, we live to the Lord; and if we die, we die to the Lord. Therefore, whether we live or die, we are the Lord’s.

私たちは、生きても死んでも主のものとなりました。何をするにも主のためとなったのです。ただ、裁くことだけは、間違っています。

パウロは続けて、私たちは皆、キリストに贖われた者たちだ。罪の奴隷だったところから、買い取られたものだ。だから、キリストに属するものになったと言います。大昔、日本でも、おしんの話が分かりやすいですね。借金のためにおしんが働きに行かされる、おしんは売られてはないと思いますが、うられたとしまょう。そこに、イエス様が現れて、その借金を全部おしんのつかえている主人に支払いました。そうすると、おしんはイエス様のものになります。おしんは、前の主人に属するものでなく、イエス様ものになりました。

パウロは、私たちはみんな、そのようなものだと言います。ですから、誰かを裁くことは、誰かのしもべを裁くことで、あなたの仕事ではないというのです。その人が裁かれるときは、その主人がちゃんと裁くからです。

★姿勢[2] つまづきを与えない Attitude 2) don’t stumble others

Be considerate to others. 他人への配慮

13 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。13 Therefore let us not judge one another anymore, but rather resolve this, not to put a stumbling block or a cause to fall in our brother’s way.
14 主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。I know and am convinced by the Lord Jesus that there is nothing unclean of itself; but to him who considers anything to be unclean, to him it is unclean. 15 Yet if your brother is grieved because of your food, you are no longer walking in love. Do not destroy with your food the one for whom Christ died.

例example;

 聖書の中に、はっきりと書かれていない事柄があります。例えば、お酒やたばこなどといったことが、時々、クリスチャンになる前の方から質問を受けることがあります。パウロは、まず、他者に配慮をしてやりなさいと言っています。

例えば、お酒の中毒で苦しんで、教会に癒しを求めてきた人があって、兄弟がお酒の話ばかりし、お酒を飲みに行こうと誘うならば、その人の人生にとって躓きとなります。また、愛にねざしていないら、益とはなりません。ある人が、信仰に従ってしないことは、尊重するべきです。愛によって行動しましょう。せっかく、神様に導かれている人を、飲み食いのことでキリストから遠ざけるようなことがないように、配慮しましょう。

★ 神の国は、義と平和と聖霊の喜び The Kingdom is righteousness and peace and joy.

17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。for the kingdom of God is not eating and drinking, but righteousness and peace and joy in the Holy Spirit.

それよりも、私たちは、義と平和と、聖霊の喜びを重視するべきです。
義は、イエス様との関係。日々、赦さているか、イエス様と関係を保っているか。平和、隣人を赦しているか。和解しているか。和解に努めているか。喜び。毎日喜びがあるか。困難を乗り越えるとき、神様に一歩一歩従うときに喜びが増し加えれます。喜びは天の報酬だからです。毎日、助け主聖霊様に頼って、喜びが増し加わっているでしょうか。このようなことにこそ、心を傾けるべきです。

★ 罪かどうかは、あなたの心の問題 Your heart will decide if that is a sin.

23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。But he who doubts is condemned if he eats, because he does not eat from faith; for whatever is not from faith is sin.

結局のところ、聖書ではっきりと示していない事柄対しては、自分の心がそれを罪に定めているのです。もしも、これは、してはいけないけど、今日はやってしまおう。。。ということでこそこそやるなら、もうその時点でそれは、罪です。本当は、聖書によると罪ではなくても、罪です。それは、あなたの心が罪を犯す心になっているからです。ですから、信仰から出ていないものは、みな罪だとパウロが言っている通りです。

#子供 #教会 #日曜日 #礼拝 #礼拝メッセージ

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礼拝中、ワーシップをしていたら... 礼拝中、ワーシップをしていたら、子供たちが前に自然に集合。しずかに一緒にワーシップリードをしました。笑。。。。
子供は、大人の真似をしながら育つんですね。。。
神様の臨在も肌で感じてきたかなー?
礼拝後、今週から、クリスマス会... 礼拝後、今週から、クリスマス会の歌の練習をしています。
みんな上手に振り付けできました。
小さいちゃんは、さすがにすぐうろうろして、写真からいなくなってます。まだ二歳にもなってないですからねーーー。クリスマスが楽しみですーー

今週は、ケニーさんがメッセージをしたので、ノートがありません。

#ブログ #子供 #教会 #日曜日 #礼拝

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