① イザヤIsaiah 51:1
義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。“Listen to Me, you who follow after righteousness, You who seek the Lord: Look to the rock from which you were hewn, And to the hole of the pit from which you were dug.
惰性や習慣ではなく、神に新しく出会い、神の義を求めるもの、神を求めるものは、自分の出てきた所、どこから救われたのかを見なさいと言われます。
② 黙示Rev. 2:4
しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。Nevertheless I have this against you, that you have left your first love.
次の節では、だから「悔い改めなさい」と書いてあります。私たちは、悔い改める時に、いつでも初めのあの愛に帰ることができるのです。
① 恥…自分の過去を振り返れない時、そこには、恥の問題があります。もうあれは終わったことだから。過去のことを思い出して嫌な気持ちを再体験したくない。暗い気持ちになりたくない。何て思う方も多いです。私も、クリスチャン生活が浅い時はそうでした。けれども、何回もその思い出に空気を入れるのです。恥は、自分から自分の感情をも隠そうとし、癒しを遅らせるのです。何回も訪れて、何回もイエス様がここに来てくださったということを確認するところに癒しがあり、恥の思いが小さくなります。恥の思いが小さくなれば、自分から、また人から隠れなくてもよくなり、また、それも証しとなるのです。時々、本当につらかった思いや、自分の黒歴史について全く証しできない方もいますが、もしかしたら、恥にふたをしてしまっているのかも知れませんね。
② 宗教
過去を振り返り、自分を省みれない理由の一つに宗教の霊があります。または、み言葉の未熟な適用と言ってもいいかもしれません。聖書では、後ろのものを振り切って前を向いて、何て言葉もあり、私はもうイエス様の十字架と一緒に死んだのだから、ポジティブしかない、なんて思ったり、または、イエス様はどんな罪だって赦してくれる、だから、今日の罪も赦されるから向き合わなくてもいい。というような間違った適用もすることがあるでしょう。
① 肉の弱さ、精神の弱さ、過去のトラウマ、心の傷、過ち、罪に対する脆弱性
---- いつ気づくか、人との関わりの中で。コリントの人たちは注意されて気がつくチャンスをもらいましたね。
----- 聖書の言葉を通して。聖書は、従った見たときに、自分の弱さを実感させられます。けれども、それと同時に神の力を経験させてもらえます。
② 弱さの力
キリストの愛は、雄弁eloquenceさや能力を通して伝わるのではなく、むしろ弱さを通して伝わる。このコリント人たちがまさについていることですが、この世の霊に私たちは気を付けましょう。この世は、見た目が強いほど良いと思われるのです。ですから、私のように、言葉が遅い、もじもじしていると、馬鹿に思われたり、能力がない、知性がないと思われるのです。
しかし、神の福音や、神の愛というものは、能力や雄弁さを通しては伝わらないことを覚えていてください。
弱さは、世の人の心をつかんだり、効率よく人を集めないかも知れません、しかし、不思議な方法で神の愛が伝わるのです。これは、人の業ではなく神の業だからです。私たちの側ですることがあったら、祈りと愛することです。