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投稿日 2018-03-15 07:47
つれづれなるままに
by
高橋京太
秀吉の帝王学 秀吉が甥の秀次に関白職を譲る際、 支配者の心がけについてじゅんじゅんとその理を解いている。 新関白となる秀次に与えた教訓は 次のようなものであった ⑴ 家臣に対しては柔和、愛情、憐憫を持って臨むよう心がけよ。 ⑵人を遇するにあたっては、 真実と誠意をもってし、 己に対しては実直、精錬、...
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投稿日 2018-03-13 09:13
神戸:ファルコンの散歩メモ
by
ファルコン
本日は、新撰組副長の<土方歳三>や六番隊長の<井上源三郎>の出身地である東京都日野市が制定した「新撰組の日」です。 1863(文久3)年のこの日、京都・壬生に詰めていた新選組の前身「壬生浪士組」に、会津藩主で京都守護職の<松平容保>から会津藩預りとする連絡が入り、新選組が正式に発足しました。 元々壬...
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東海道新幹線は、東海道線の別線として計画され、また国鉄部内でもあくまでも東海道本線の線増部分であるという認識をなされていたようで、新幹線開業前の昭和39年4月までは新幹線局という一部局に過ぎなかったようですが、4月に入って、東海道新幹線支局が誕生しています、その理由について、昭和39年6月の交通技術...
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新幹線1000系は2種類が試作されました。 これは、すれ違い試験の確認を行うためのものであり、最小編成として2+4両で計画されました。 本日は、この2両が製造され前に検討された仕様書について当時の資料を参照しながら説明を加えていこうと思います。 新幹線車両の概要 なお、車両の製作には下記のような条件...
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モデル線の建設 東海道新幹線の建設に際しては、初めてのケースであり十分な安全性や問題点を洗い出すために、一部区間を早期に完成させる必要がありました。 モデル線区とされた区間は、神奈川県綾瀬市~小田原市鴨宮の間であり、昭和35年4月に路盤工事に着手し、鋭意工事が進められたそうで、一部家屋の移転が遅れた...
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長らく、更新が滞ってしまいました。 申し訳ございませんでした。 本日も、新幹線建設に関するお話を少しだけさせていただこうと思います。 古い資料などを参照していますと、面白い記事を発見することが出来ます。 複数の停車駅候補があった東京 新幹線の始終着駅について、もちろん検討されているのですが、当時の資...
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新幹線の技術開発 昭和35年交通技術に資料を参照しますと、新幹線開発に際して色々な技術開発が行われたようです。 その中で、個人的には知らなかった試験等がありましたので、少し書きだしてみたいと思います。 1)猫耳実験が新幹線開発で行われていた。 猫耳新幹線と言えば、E954形電車(愛称・ASTECH ...
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はじめに 連日、踏切事故などの硬い話題ばかり続いていましたので。今回から新幹線開業までのお話をさせていただこうと思います。 今回は、新幹線の貨物輸送ということでお話をさせていただこうと思います。 現在の新幹線は、0:00から6:00までは原則的に新幹線は走行せず、その時間帯は線路の保守に充てられるこ...
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増える自動車登録台数と踏切事故 昭和30年代の経済成長は、旅客並びに貨物輸送の増大に伴う輸送力増強や。投資不足に伴う数々の事故を発生させたほか、経済の発展は自家用車の登録を増加させていきました。 踏切事故件数および自動車台数を見ていただくとわかるのですが、昭和31年以降急激に伸びていることがわかりま...
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高度経済成長と輸送力増強 第5話 鶴見事故 一昨日は、三河島事故のお話をさせていただきました。 三河島事故の場合、国鉄の事故報告書では本線への合流前に信号を無視したことで機関車が安全側線に進入、本線を支障した、となっています。 当時の部内誌などを見ますと、出発信号並びに場内信号のいずれも無視したと言...