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"#歴史"の検索結果
  • チェスト〜 西郷どん

    投稿日 2018-04-09 07:31
    つれづれなるままに by 高橋京太
    大河史上初の試み。先週日曜の大河ドラマ西郷どんは通常のドラマでなくスペシャルとして俳優2人の対談番組となりました。これまでのドラマの流れがぷっつり切れてしまうようで多くのファンにとってはむしろ興ざめだったのではないかと訝ってしまいます。NHKがそんな賭けに出たのは低迷する視聴率を盛り返したいとの意図...
  • 秀吉の帝王学

    投稿日 2018-03-15 07:47
    つれづれなるままに by 高橋京太
    秀吉の帝王学秀吉が甥の秀次に関白職を譲る際、支配者の心がけについてじゅんじゅんとその理を解いている。新関白となる秀次に与えた教訓は次のようなものであった⑴ 家臣に対しては柔和、愛情、憐憫を持って臨むよう心がけよ。⑵人を遇するにあたっては、真実と誠意をもってし、己に対しては実直、精錬、潔白を目指すべき。⑶職務の重大さと権威に鑑み円熟さと威厳を保つべき身の面目を損なうような軽率を戒むべきこと。⑷武芸に励み、かる精通し一旦緩急あれば勇猛果敢な大将として臨み勇気あり大胆な戦士として畏敬されるように心がけよ。秀吉さん、まさに第一級の帝王学を甥っ子に伝授しているといえます。このような立派な教訓を甥っ子に与...
  • 本日は「新選組の日」

    本日は、新撰組副長の<土方歳三>や六番隊長の<井上源三郎>の出身地である東京都日野市が制定した「新撰組の日」です。1863(文久3)年のこの日、京都・壬生に詰めていた新選組の前身「壬生浪士組」に、会津藩主で京都守護職の<松平容保>から会津藩預りとする連絡が入り、新選組が正式に発足しました。元々壬生浪...
  • 東海道新幹線開業前、東海道新幹線支局誕生

    東海道新幹線は、東海道線の別線として計画され、また国鉄部内でもあくまでも東海道本線の線増部分であるという認識をなされていたようで、新幹線開業前の昭和39年4月までは新幹線局という一部局に過ぎなかったようですが、4月に入って、東海道新幹線支局が誕生しています、その理由について、昭和39年6月の交通技術を参照しますと、新幹線支社は、従来の支社と同様の権限を持つ組織として誕生させる事としたとされています。少し長いですが、引用させていただきます。東海道本線(新幹線〉を管理運営する支社東海道本線(新幹線〉を管理運営するための組織として、東海道線新幹線支社が、本年4月1日をもって設置された。新幹線は、10...
  • 新幹線開業前 試作車1000形のお話

    新幹線1000系は2種類が試作されました。これは、すれ違い試験の確認を行うためのものであり、最小編成として2+4両で計画されました。本日は、この2両が製造され前に検討された仕様書について当時の資料を参照しながら説明を加えていこうと思います。新幹線車両の概要なお、車両の製作には下記のような条件が定められました。当時の1961-08_交通技術を参照しますと概ね下記のようになっています。抜粋しますと。1)車体幅 約3,350mm2)高さ  レール面上3、950mm3)車体長さ 自連間長さ25m 「車体長さについては特に規定はないが定員乗車時の車両重量を60tにおさえることになっているため、おのずから...
  • 新幹線開業前 モデル線の建設

    モデル線の建設東海道新幹線の建設に際しては、初めてのケースであり十分な安全性や問題点を洗い出すために、一部区間を早期に完成させる必要がありました。モデル線区とされた区間は、神奈川県綾瀬市~小田原市鴨宮の間であり、昭和35年4月に路盤工事に着手し、鋭意工事が進められたそうで、一部家屋の移転が遅れたという記述もありますが、昭和37年37年3月までに路盤工事が完成、3月15日からは新幹線の軌道及び電気工事の起工式が鴨宮軌道基地で挙行されました。また、4月20日には、新幹線用の試作電車第1号の試験調査及び乗務員の養成を行なう目的で、鴨宮にモデル線管理区が設置されて、5.23 には、モデル線での試験計画...
  • 新幹線建設と国鉄 新幹線駅の建設こぼれ話

    長らく、更新が滞ってしまいました。申し訳ございませんでした。本日も、新幹線建設に関するお話を少しだけさせていただこうと思います。古い資料などを参照していますと、面白い記事を発見することが出来ます。複数の停車駅候補があった東京新幹線の始終着駅について、もちろん検討されているのですが、当時の資料を参照しますと、東京側の終点は、停車駅の候補に挙がったのは、新宿・原宿・市ヶ谷・品川・汐留・東京など約10カ所が候補地として挙がったそうです。最終的に旅客の乗り換えの便を考えて東京駅になったとのことですが、八重洲口駅に関しても書かれていて、次のように書かれています。鉄道技術昭和35年8月号を参照しますと、「...
  • 新幹線建設と国鉄 新たなる技術開発

    新幹線の技術開発昭和35年交通技術に資料を参照しますと、新幹線開発に際して色々な技術開発が行われたようです。その中で、個人的には知らなかった試験等がありましたので、少し書きだしてみたいと思います。1)猫耳実験が新幹線開発で行われていた。猫耳新幹線と言えば、E954形電車(愛称・ASTECH 360 S)が有名ですが、東海道新幹線開発に際して、模型実験ですが、風洞実験を行ったそうです。概要としては、車両限界内で車体断面積の25%にあたる 抵抗板を取り付け、空気抵抗の増加や車体に付加される縦揺れモーメント、車体の、周りの流れの状態を調べたと書かれています。ここでの実験結果は今後資料を探してみたいと...
  • 新幹線建設と国鉄 新幹線で貨物輸送

    はじめに連日、踏切事故などの硬い話題ばかり続いていましたので。今回から新幹線開業までのお話をさせていただこうと思います。今回は、新幹線の貨物輸送ということでお話をさせていただこうと思います。現在の新幹線は、0:00から6:00までは原則的に新幹線は走行せず、その時間帯は線路の保守に充てられることになっていますが、計画段階では貨物列車の一部も新幹線で夜間に運んでしまおうと言う計画がありました。最近の資料では、夜間の貨物輸送は世界銀行から借款を得るための口実だったとか、実際には貨物輸送を実施する気が無かったのではないかという記述もありますが、当時の交通技術と言う雑誌を読む限りでは、本気で新幹線によ...
  • 高度経済成長と輸送力増強 第6話 踏切事故増加と踏切道改良促進法

    増える自動車登録台数と踏切事故昭和30年代の経済成長は、旅客並びに貨物輸送の増大に伴う輸送力増強や。投資不足に伴う数々の事故を発生させたほか、経済の発展は自家用車の登録を増加させていきました。踏切事故件数および自動車台数を見ていただくとわかるのですが、昭和31年以降急激に伸びていることがわかります。弊サイトでは、当時の事件事故を年表にしていますが、昭和30年代は無謀運転のトラックや乗用車の他、バスとの接触事故などが後を絶ちません。特に踏切事故では自動車の乗員が死亡する等悲惨な事故になる場合が多く、その対策は急務とされましたが、踏切対策以前に輸送力の増強に追われていたため。その整備は後手に回るの...
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