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昭和36年からの第二次長期計画は、車両の増備を中心に輸送力増強に努めたのであるがそれでも経済の発展に追いつけず、慢性的な輸送力不足を呈しており、複線化が急がれていたのですが、昭和37年5月に、国鉄にとっては悪夢のような事故が起こりました。 死者160人、重軽傷者296人を出す大惨事、三河島事故でした...
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第二次長期計画は、主に車両の増備等がメインであったと昨日は書かせていただきました。 特に電車や気動車の投資効率が高かったため、国鉄は積極的にそうした車両を投入していったわけですが、YouTubeを検索してみますと昭和35年の高崎線の列車通勤風景が写った動画がありました。 調べてみますと、高崎6:05...
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昭和36年度を初年度とする第2次5カ年計画は、当初の投資総額が9,750億円という巨額であり、その概要は下記の通りとなっていました。 第2次5箇年計画の内容は,次のとおりです。 (1) 東海道線に広軌鉄道を増設すること。 (2) 主要幹線区約1100キロを複線化し,150キロの複線化に着手するこ...
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本日から、国有鉄私見として第2次5カ年計画についてお話をさせていただこうともいます。 高度経済成長と輸送力増強 第3話 第2次5か年計画と国鉄 http://jp.bloguru.com/jnrerablackcat/311526/5 も併せて参照していただければ幸いです。 昭和32年から始まっ...
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キハ55の成功は、無煙化と高速化を同時に達成する手段として各管理局からの配置要望も多かったそうです。 準急気動車が気動車化されても、急行は客車列車の場合も多く、気動車化は喫緊の課題でした。 ただ、キハ55は気動車としては優秀でも、車内設備は貧弱であったことから、特急列車並みの車体幅とした、急行気動車...
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今回から、新しい取り組みと思ったのですが、新年から新しい話題にするのが良いかと思いましたのでもうしばらく続けさせていただきます。 液体式気動車の系譜 戦後の液体式気動車(昭和35年頃までは液圧式)は、キハ44500(称号改正後はキハ15)からスタートしました。 液体式気動車の歴史を簡単に振り返ってみ...
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アジア鉄道首脳者会議 がきっかけで始まった特急気動車開発 特急気動車の開発は、昭和34年から開発がスタートしました。 昭和31年キハ55により、2エンジン車体と軽量車体により高速の優等列車の可能性が高まったことから、以前から構想はあったようです。当時、日本国有鉄道総裁であった十河信二の提唱で始まった...
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今回は、キハ55の後に試作された高出力気動車、キハ60のお話をさせていただきます。 昭和31年、キハ55形気動車が試作されましたが、昭和34年には、DD13形機関車に使われているエンジン(500 PS)を横型にした上で出力を低下させ400 PSとした気動車が3両試作されました。 形式はキハ60とキロ...
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少し間が開いてしまいました。 本日も、国鉄時代の内燃気動車の発達史をアップさせていただきます。 今回は、キハ55のお話をさせていただこうと思います。 国鉄では、戦後石油事情が好転したことから、戦後はディーゼル機関搭載の車両が試作され、電気式キハ44000に始まる戦後気動車が幕を開けたことは既に書きま...
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軽量化された。キハ45000 概要 液体式気動車として、キハ44500形に試作車をベースにして、前面を貫通構造にしたキハ45000形が、昭和28年10月上旬から随時完成したと記録が残っています。 当初の車両は客車をそのまま気動車に置き換えたような配置でドアのすぐ横まで4人ボックスが並ぶ全クロスシート...