フェレット装甲車のクラッチが動作するようになった。 横浜の整備工場では、この連休中も晴れ間を狙って作業が進められた。 クラッチペダルからトランスミッションまでは、以下のようにリンケージされていた。 クラッチペダル → ロッド&リンケージ → GEAR BOX内ロッド&カム → BUSBER OPERATING SLEEVE → BUSBER → T/M ↑ ↑ BUSBER SPRINGによってクラッチリターンスプリングの役目 やはり、想像を絶するメカで駆動している。 現在T/Mオイルが入っていない為、エンジンは始動していないが、おそらくフェレット装甲車は日本国内を走り始めるのではないだろうか? ただし、1950年代のロールスのATを触ったときに、”くじらの油”の成分が入ったオイルじゃないとシールがダメになるという事例があったそうで、そのあたりの調査が終わらないとオイルも入れれないらしい。 明日は、英国オイルメーカーや自衛隊関係者にも問い合わせを入れるとか。。。 しかし、大きく前進! 全ての問題は、解決されるためにある。 幸いなことに、このクラッチを踏むパワーを僕は持ち合わせている。
輸入代行業者の岩手代表の蜂谷氏が、奥様と共にBMWのサイドカーに乗って、僕の隠れ家を訪問してくれた。 蜂谷氏は、今回のフェレット装甲車の車両提案及び輸入代行業務を行った方だ。 フェレット装甲車(Ferret scout car)が日本でナンバーを取った形跡は、ネット上では見つける事は出来ない。 これが実現できれば、非常に貴重な事例となることは確実だ。 待ちに待って横浜に入港したフェレットは、当初の現地からの報告とは違い、ミッションが入らないというトラブルがあった。 現在、予備検査を専門にしている整備工場にて、故障個所の特定と修理を行っている。 入手した図面によると、フェレット装甲車は一般の乗用車からは全く想像がつかないメカでて駆動している。 だれも経験したことのない作業は、困難の連続だ。 しかし、僕が横浜の整備工場を視察した結果、担当工場の実績は充分でその腕前は信頼できると判断している。 なにはともあれ、全ての人の協力もあり、フェレット装甲車は自動車としての通関を無事に完了し、堂々と日本国内に上陸している。 後はナンバーを取得する作業が残っているが、こちらは既に難しいことではない。 蜂谷氏と初めてお会いすることができ、ネット上での付き合いから、現実に顔を突き合わせて会話する信頼と安心を得る事が出来た。 出発地イギリスでの改善作業と積み込みは、戦車を扱える人物が行っているため、今回の故障が取り扱いのミスが原因だとすると、横浜入港後の荷降ろし時だと考えられる。 いずれにしても、説明した状態のものを届けるのが基本であり、「ご迷惑をおかけしています。もうしばらくお待ちください。」という言葉を頂いている。 蜂谷氏自身も、車・バイクを含め相当な趣味人。 僕と同じカテゴリーに属する人間だ。 東北訛りの彼に親しみやすさを感じながら、この問題が早急に解決され、彼と握手ができる日が来ることを信じている。 想像できる事は何だって実現できる。 それを証明して見せる。
先週の維新の会政治塾のテーマは「外交・防衛」でした。 そこでのお話。 僕の母は、樺太(サハリン)の生まれです。 樺太の面積は76,400km²であり、北海道の面積(77,981.87km²)に匹敵する。 当時、国境以南の南樺太には40万人の日本人が生活しており、祖父は王子製紙の工場の寮の食事を作り、祖母は豆腐屋をやっていたと聞いています。 母が12歳の時、海が真っ黒になるほどの軍艦が押し寄せ、砲撃が始まったそうです。 人々は防空壕へ避難しましたが、ロシア軍はその一つ一つの防空壕の入り口から機関銃の銃口を差し込み、多くの人がその中で倒れました。 母の防空壕は、扉が開いていたため「無人」と判断され生き延びたようです。 母の姉は、真岡郵便電信局の電話交換手。 後に「氷雪の門」という映画になった悲劇の場所です。 幸い、その日は非番だったのでしょう。今も存命です。 ロシアの侵攻後、何日の何時何分までに住居を明け渡せと命令があり、着の身着のままで、引き上げ船に乗ったのだと言います。 先日の講義後のディスカッションの中で、竹島や尖閣を指して「日本に領土問題はない」という受講生の発言を聞きました。 歴史上、日本が所有している事が明らかであり、竹島は不法に占拠されているだけ、尖閣は中国の言いがかりという「政府の見解」のような発言でした。 その方は見識も高く、しっかりとした考えをお持ちなのだと思います。 しかし、その時僕は声を荒げ、こう言いました。 「領土問題は、歴史問題ではない。それを言うならば、北海道はアイヌのものだろうし、アメリカはインディアンのものだ。それを話し合いで返還できるはずもない。 領土とは、いま誰が持っているのか、実効支配しているのかだけが問題なのだ。 歴史上どうかという問題は全く関係が無く、取られたらそれまで。 だから、明確に権利を主張し、なりふり構わず防衛する事が必要なのだ。」 日本人が近づく事の出来ない日本の領土など、有っていいはずもありません。 「日本に領土問題は無い」という発言は、自分の任期中に難問を構えたくない政治家や役人の原稿を鵜呑みにしているように感じたのです。 専門の原子力や自然エネルギー問題以外のところで、久々に熱くなってしまいました。 まだまだ未熟です。 それにしても、樺太がどのようなところなのか見に行きたい。 今年、母を連れて行ってみようと思います。
昨日、社員から「あんなハズレの装甲車買ってはダメですよ」なんて話しかけられました。 僕としては、「ああ、そんなふうに物を考えるのだな」なんて思うわけです。 もちろん、ブログ記事は、全く何の取り留めもない事を書くこともあります。 しかし、「不良のアウトドア」は各業界から非常にアクセス数が多く、同時に注目度が高いブログです。 これは、社員向けに記載しているのではなく、多くは何らかの目的の基に作成されています。 さて、検索エンジン対策(SEO対策)は、少し前までは、バックリンク数という物が重要な役割を果たしていました。 昨今、YahooにしてもGoogleにしても、検索エンジンで上位に表示されるためには、ブログでの記事という物が、非常に重要なウェイトを占めています。(Facebookを除く) ブログルは、広告を持たないブログです。 それだけでも、検索エンジンからは一目置かれているようです。 ブログル自体の構造も、SEOをかなり意識したものになっています。 特に2005年から書き溜めている僕のブログは、表面的にも内部的にも膨大なページ数があり、各検索エンジンからの信頼度・評価は非常に高い事が分かっています。 さて、装甲車の話題ですが、今回は輸入代行業者の提案により話が始まりました。 個人輸入の場合、現物に保証などついていません。 到着した品物がどのような状態でも、現状渡しが原則です。 ただし、今回は現地エージェント撮影のビデオに費用を支払い、現状の報告を受けた上で購入を決定しているため、この状態で届ける事に関して、一定の責任が発生するわけです。 そこで、今回「会社名 + トラブル」という文章をブログに挿入しました。 その結果、「会社名 + トラブル」というキーワードは、その日のうちに検索エンジンの1ページ目に複数表示される結果となりました。 当然ながら、その業者もこのブログを注目せざるを得ません。 この問題解決のプライオリティは上がり、おそらく迅速かつ適切な判断での解決がなされる事と思います。 ただしこれは、その業者に対する営業妨害を目的とはしていません。 逆に問題解決のストーリーは、大きな宣伝効果になるのです。 この手の個人輸入で、トラブルが全く無い事は考えられません。 今回は、このトラブルが迅速かつ適切に対応されるものと予測しています。 今後、ネットユーザーは、トラブルはあったが、そのトラブルが解決されたことを検索できるようになります。 これは、その業者にとってリアリティのある大きな宣伝効果となります。 最終的にこのストーリーは両者にとって最高の結末が訪れます。 僕自身は車を趣味としているため、自動車業界に対して素人でもありません。 僕と関係するすべての業者のビジネスがプラスになる事を願っていますし、そうすることによって、今もこの「趣味の車」の業界には多くの協力者が存在します。 記事がどのような意味で作成されているのかを推理するのも、面白いかもしれません。 僕の1つの記事は数万リンクの力を持ちます。 公平な視点で扱わないと危険な、諸刃の剣でもあります。
横浜の作業現場から追加の報告です。 ----------- 先日、お送りいたしました図面の22番の ”BUSBER OPARATING SLEEVE” が、ボトム側でフリーの状態になってます。 構造上、クラッチペダルを踏み込んだときに、この ”BUSBER OPARATING SLEEVE” が、図面11番の ”BUSBER”を持ち上げ、 その際に、図面17の ”BUSBER SPRING” が縮むことによってクラッチスプリングの役目をしてると思われます。 しかし、現車は、クラッチペダルを踏み込んだときに、アッパー側はきちんと作動してるにもかかわらず、ロアー側は、22の ”BUSBER OPARATING SLEEVE” の 最下端にあるボールジョイント形状のものが上下に動いてません。スリーブ状のものがボールジョイントを残してスライドするだけです。 この辺は、オイルに浸かってるので手の感触での判断ですが、22の ”BUSBER OPARATING SLEEVE” は、”SLEEVE” の名の通り、パイプの両端にボールジョイント状の 金属が取り付けてある感じです。(おそらく溶接ではないかと思います。) この部品の名称に ”SLEEVE” という言葉が使ってありますが、山崎様から送っていただいた資料には”ROD”という言葉が使ってあります。 そのことから考えても、この ”BUSBER OPARATING SLEEVE” は、1本のスリーブ、上下2個のボールジョイントという3つからなる構成部品というより1本の棒ではないかと考えてます。 その仮定が正しければ、3つの構成部品から1本の棒に加修することで、クラッチが作動しないトラブルは解決するのではないかと考えてます。 文章にすると、短時間でできるような作業ですが、添付しました写真の ”2 SPRING COVER” の下側奥のボルト(1本だけ緩めてるやつです。)が、いまにも折れそうなくらい固く、 緩むところまで緩めては、潤滑剤を塗って閉めこんで、また緩めて潤滑剤を・・という作業を4時間かけてやっと外れたしだいです。 また、使われてるボルト&ナットも、イギリスインチ、USインチ、ミリと混在してるので、そのへんでもスムーズに作業が進んでおりません。その辺はご理解ください。 この後、GEAR BOX オイルを抜いて作業を進める予定です。GEAR BOXにはオイルを抜くためのドレンが付いてますが、ドレンから抜くためには、車体底面にある12本のボルトで取り付けられてる サービスホールを外すんですが、この部分を外すと、塗装を剥がしそうなので ”SPRING COVER”から吸い出そうと思います。 作業の過程で判ったことですが、山崎様からお預かりしてますマニュアルの図面と、現車は多少違ってます。図面では、”BUSBER OPARATING SLEEVE” の位置が ”BUSBER SPRING” の 前方になってますが、現車では、後方に位置します。おそらく、年式違いかタイプ違いではないでしょうか。 本日、横浜は曇天、気温20度前後ですが、FERRETの室内はサウナです。真夏の都会を走るには(真夏じゃなくても)クーラーボックスとキンキンに冷えた水が必要かと思います。 ---------- 【フェレット装甲車】
Ferret装甲車不動の件で、予備検担当の工場から連絡が入った。 色々な種類のクルマを担当してきた所だけに、かなり調査が進んだようだ。 --------- 1の”OPERETING LEVER” はクラッチペダルとロッド&リンケージで繋がってます。ここまではクラッチペダルに連動して正常に動いてます。 これが23の ”SLEEVE RETAINING PLATE” を介して 22の ”BUSBAR OPERATING SLEEVE” を動かしてます。このあたりか、 もしくは、そこから繋がる 11 12 13 14 あたりが、外れてるか、損傷してるかという感じです。このあたりが1の ”LEVER” にまったく連動、反応しません。 それを確認するには、19の ”SPRING COVER” を外す必要があるんですが、その中に入ってる17 ”BUSBAR SPRING”のテンションがかなりあるので、 19 ”SPRING COVER” を外すところで手を休めました。17のスプリングは、線径が6㎜くらい、巻数7、自由長200㎜くらい、バイクのモノサスのリアショックのスプリング以上の バネレートはありそうです。 外したはいいが付かない事も考えられますので、そこは慎重に進めます。 ---------- 僕の勘では、このマシンはかなり丈夫にできているため、ここ以外に大きなトラブルは少ないのではないかと感じている。 しかしながら、このギヤ関係のトラブルがなぜ発生したかも気になるところだ。 現地エージェントが車両の構造を理解しないまま陸送したため、メモ書き等の指示が充分でなく、積み下ろしの際にトラブルが発生したものと考えられる。 今回は輸入代行業者が、車両の提案、車両の状態の報告を行っている以上、やはり無関係ではない。 この修理費用をだれが負担するかなど、最終的に問題解決までは道のりがあるが、今のところみんな一生懸命に問題解決に向かっているように感じる。 →5/3 輸入代行業者がわざわざ岩手から隠れ家に訪問して、状況の説明をしていただいた。 ネット上の付き合いから、一気に親近感が持てた瞬間だった。 おそらく、問題解決は近い! 【フェレット装甲車】
この名前、凄いインパクトだと思う。 僕にはそう感じた。 今から20年以上も前の事、僕が東京でフリーのエンジニアをしていたころ、群馬県館林市の大西飛行場(館林飛行場)をベースに、スカイダイビングをしていた時期があった。 大西飛行場は、個人が建設した非公共用飛行場で、滑走路中央付近を道路が横切り、飛行機が離着陸するときには遮断機が下りて車両を通行させないようにしていた、非常に珍しい空港だ。 (2004年に閉鎖になったそうだ) その頃、同じようにスカイダイビングを始めた仲間の一人が、天明勲だった。 僕より少しだけ先輩、バリバリの営業マンで気さくな人柄の彼とは、当時バカ話で盛り上がったものだ。 僕が短期間で東京を離れた事もあり、実は彼とはそれっきりお会いしていない。 2000年ころ、彼は東京から伊豆大島に引っ越したという。 後から聞いたのだが、その時彼はストレスなどから、ひどく心理的にダメージを受け、転地療法のためその地へ向かったのだという。 それから2年ほどしてから、彼はまた東京に戻ってきた。 その時の厳しい経験、そしてその解決の道筋を実体験した彼は、一つの使命感を感じ、産業カウンセラーとしての勉強を始めたそうだ。 現在は、東京都大田区で心理カウンセラーとして活躍されている。 それを知ったのは、そんな彼から連絡があったからだ。 自作したホームページでの相談だった。 僕の事を探し出してくれたのだからありがたい。 低予算で効果を上げたいという事だったので、ドメインも取得せず、SEO構造だけを修正することにした。 それでも、「池上線 カウンセリング」では、上位に来てくれるはずだ。 もちろん、それ以外のいかなるメニューも用意できるが、まずは1つ1つ結果を見ながら、提案してあげようと思う。 バリバリの営業マンから紆余曲折を経験し、心理カウンセラーとなった彼の話は、学問上のものではなく実体験に基づく親身なアドバイスなのだと思う。 僕と共に小さなセスナ機から大空へEXITしていた天明勲は、厳しさも優しさも知っている。 きっと今もそんな男だと思う。 うつ でお悩みなら 大田区池上線 カウンセリングのライトハウス