ドラマ「転職の魔王様」の最終回。
魔王様が本当に、前の職場の先輩と重なった。
自分にも他人にも厳しくて、
彼の言葉は時にナイフのようだった。
言ってることは正しいけれど、
求めるレベルが高いから、
周りはなかなかついていけなくて、
時に疲弊したり委縮したりしてしまう。
でも彼自身はしっかりとこなせているから、
誰もまともに反論ができない。
自分や同僚が鋭い言葉を浴びる度に、
私は何度も心の中で鬼だと叫んでた。
だけど。
あの人は本当に鬼だったのか。
彼が異動し、
彼の仕事を引き継いでみて思った。
あの人は周りが言うほどには、
完璧なわけじゃない。
でも、それでも、
私なんかよりはずっと先を歩いている。
追いかけても追いかけても
追い付けない場所にいて、
真似をしてもしきれない。
彼との差を思い知る度に、
昔見たドラマのセリフを思い出した。
――なりたいと思ってもなれないよ。
越えようと思わなきゃ――
この言葉の意味がようやくわかった。
追いかけるだけじゃ追い付けない。
追い越そうとしないと追い付けない。
だって相手は、自分が追いかけているその時も、
必死に足跡を踏んでいるその時も、
立ち止まることなんてなくて、
どんどん先へと進んでいるんだから。
そんなことに気づかせてくれた人だった。
言葉は厳しかったけど、時に厳しすぎたけど、
でもとても優しい人だった。
ものすごく優しい人だった。
鬼の仮面を被った、心根の優しい人だった。
いつかまた一緒に働けたらと、
そんなことを思うけれど、
お互いの希望する勤務地が違いすぎるから、
環境が違いすぎるから、おそらく無理だと思う。
3年間の支部での勤務はまるで、
地獄のような日々だったけど、
彼はその地獄にいる番人みたいな人だったけど、
けれど同時に、彼と同職できたことは、
私にとっての希望でもあり、奇跡でもあった。
彼はまるで、迷える羊に光を灯す、
シェパードのような人だった。
魔王様のツンデレ炸裂に悶えたのはもちろんだけど。
落ち込む千春にかけた魔王様の言葉が胸に沁みた。
今回のクライアントが抱える問題も、
前の職場の上司とのやりとりを彷彿とさせた。
仕事から帰って、子どもの寝顔を見るという、その意味。
男性が見落としがちな、けれど女性には見過ごせない、
まるで溝のように横たわる現実。
その現実に、打ちのめされた私にとって、
「止まない雨はない」という言葉が、
とても無力に思えた私にとって、
魔王様の言葉はとても、胸に響いた。
――たった一度や二度、雨が降ったくらいで、向かい風を浴びたくらいで、
明日は晴れと信じないなんて、笑わせないでください――
主題歌を歌うのがこの人であることにも、
運命的なものを感じてしまって。
最終回まであと一話。
最後まで見届けたいと思います。
ドラマ「転職の魔王様」が本当におもしろい。
魔王様のツンデレ具合を見てると、
ガラカメの紫のバラの人を思い出すし、
恋愛要素を抜きにすれば、
前の職場の先輩を思い出す。
魔王様ならぬ、
鬼のように怖くて厳しかった先輩。
めちゃくちゃ厳しくて、
時には言葉がナイフみたいだったけど、
でも、きちんと行動が伴っていた。
行動が伴っていたからこそ余計に、
反発もろくにできなくて、
だからこそ余計に、
言葉が怖かったし痛かった。
だけど。
上っ面の優しさを振り撒く人よりも、
人当たりが良いだけの人よりも、
本当ははるかに優しかった。
本当の優しさとは何なのかを
考えさせてくれる人だった。
まさに魔王様みたいな人だった。
基本的にコミカルだから見やすいのだけど、
昔、似たような仕事をしたことがあるし、
つい最近までは、個々の生活に密接に関係する仕事もしていたから、
3話はいろいろと胸に来て、泣いてしまった。。。
施設に来る犬や猫がどんな環境からやってくるのかも、
身をもって知ってしまったし。
実際に今日、施設に保護され、
譲渡先を探している犬や猫と会ってきたことも相まって、
余計にぐっと来てしまった。。。
ほんと、人間って何なんだろう。
保護って何なんだろう。
わからない問いが胸にあふれて、
書かずにはいられなかった。
久しぶりの投稿は、今期夢中になったドラマ、
「勝利の法廷式」のレビューからスタート。
この作品、ちゃんと最初から一貫している。
最終回見た後で1話と2話見たら、
ああ、そうかって思って、鳥肌が立った。
全部つながってるって思った。
脚本家 黒澤 仁と弁護士 神楽 蘭との
まるで因縁みたいなつながり。
2話の依頼人が、夫からのDV被害に遭っている元アイドルを、
あそこまでして救おうとした訳。
そして、この作品を通して描かれる、
連続殺人事件の真相。
真犯人の生い立ちと動機、行動原理。
ちゃんと、最初から考えられて作られている。
ちゃんと、つながっている。
ところどころ、細部の設定が緩いのは否めないけど、
でも、たぶんそれはあえて捨てた部分なんだ。
あえて捨てた上で、キャストにかけたんだ。
まさに、「脚本」を託したんだ。
黒澤 仁が神楽 蘭に対して、そうしたように――。
なぜこんなに夢中になるの? “怪盗”少女漫画の魅力を人気3作品からひもとく! | ダ・ヴィンチWeb
ジャンヌには都がいるよ!!
都の存在を無視しないで〜。゚(゚´Д`゚)゚。
セイントテールとアスカJrの追いかけっこは好きだけど、
ジャンヌとシンドバッドのライバル関係は
別に何とも思わなかった勢なんで笑
それより都との追いかけっこや友情の方が好きだったし、
何よりもフィンが大好き。
これは私が新海誠監督の作品全般に思うことなのだけど。
なんかもう、いろいろと、
詰めが甘くありませんか?っていう。
本人にとっては、
いろいろと細かい設定があるのかもしれないけれど、
それをろくに描きもせずに、
勢いと画力でなんとかしてしまおうとすることが多い気がする。
その上で、映画では描ききれなかったことや、
視聴者に知っておいてほしいことを、「小説」に託そうとする。
「小説」に正解や告知を託そうとする。
正直、いい加減にしてほしい。
映画は映画の中だけで完結させてほしいし、
小説は小説として、個別の作品として仕上げてほしい。
それが作品というものだから。
すずめの戸締まりについての監督への
インタビュー記事で、
震災を描くことで誰かを傷つけてしまうのは
本意ではないとして、
「映画の前に小説を出版して物語を明らかにするなど、
事前告知に注意を払うよう努めた」と書かれたものがあったけど。
そんなん知るかっ!!・・・・・・と思ってしまいました。
今回はよりによって、「答え合わせ」だけでなく、
「重要な事前告知」までも小説でやろうだなんて。
いい加減、この監督を嫌いになってきました・・・・・・。
いろいろ拝見した感想の中に、
被災者でなければ、悼んではいけないのか、
悲しんではいけないのか、といった趣旨のものがありました。
自分は被災者ではないけど、
3.11で辛い思いをしたのは事実だから。
被災者へ、被災地へ、祈りを捧げたいのは事実だから。
そんな想いに寄り添ってくれたのが「すずめの戸締まり」だから。
傍観者が傍観者のために
作った映画なのかもしれないけれど、
でもせめて、この作品を通じて、
悲しむのを許してほしい、祈りを捧げることを許してほしい。
そのような趣旨のものを見かけたのだけど。
感想をよく読めば、そのような方の多くは関東在住で、
目の前で照明器具が割れて降り注ぎ、命の危険を感じたり、
帰宅難民となったりといった経験をされていて。
私からしてみれば、そのような方々も、
立派な被災者なのでは?と思ってしまう。
もちろん、程度には雲泥の差があって、
決して一括りにはできないのだけど、
必要以上に、自分を「ダメージを受けていない人」に
分類しなくても良いのでは?って思ってしまった。
怖かったね、辛かったね、って自分に言ってあげて良いのでは?
悲しんで良いし、悼んでも良い。
だけど、それと事前告知無し(あるいは不十分)で公開することを
良しとするのは、違うんじゃないかと。
ましてや、「いつまでタブーでなきゃいけないのか」とか、
「自己責任だろ」とか、「10年も経っているのに、いつまで引きずっているのか」とか、
そんな心ない言葉をぶつけるのは違うのではないかと。
あとはやはり、
実際に起きた災害をファンタジーで描くことの是非。
ここからは、自分が実際に映画を見たのではなく、
ネタバレしている方のブログやツイートを見た上での感想なので、
違っている部分があれば申し訳ないのですが。
過疎化が進めば、風化が進めば、
扉が開いてミミズが出てきて、地震が起きるの?
だからその扉を封じることで、地震を防げる?
なんてファンタジックな。
いや、別に良いんだよ、
そういう設定で起きる災害があっても。
でも、あえて地震にする必要はありましたか?
それも、3.11という実際に起きた未曾有の大震災と
絡める必要はありましたか?
どうしてもこの不思議な設定のせいで、
「震災が後付けに見える」という感想もあったのですが。
どうやら監督は、何が何でも震災を、
とりわけ3.11を描きたかった模様。
だとしたら、発生のメカニズムや防ぐ手立てを、
ファンタジーに頼っちゃいけなかった。
頼るならせめて、
人知の及ばない神様の仕業にすれば良かった。
防ぐ手立てのない天災にすれば良かった。
事実、そうなのだから。
挙げ句に、後の災害は扉を閉めることで回避できるものの、
3.11だけは防げない。
どうして防げなかったのかの描写もしない。
実際に家や家族や友人を失った方がどう思うのかなんて、
想像するまでもないような気がするのですが。
もっとも、一言で被災者と言っても、
状況や考え方は様々なので、
これまた一括りにはできないのですが、
それでも、大いに傷つく人がいるというのは、
想像に難くない。
「被災者ではないけれど、祈りを捧げたいから、
この作品を愛することを許してほしい」という方は、
大事な人や物を失った人を傷つけてまで、
祈りを捧げたいのだろうか。
ある意味、そのような状況に自分が置かれることを
わかって視聴したわけではないでしょうから、
このように思った方が悪いというよりは、
このように思わせた制作スタッフや広報スタッフに責任があると思う。
東北沿岸で被災した方の中には、
この作品を絶賛する方もいるので、
全ての被災者が
傷つくわけではないのかもしれないし、
誰一人傷つかない作品なんて、
無理なのかもしれないけれど。
それでも、これだけ影響力のある制作陣・媒体・上映回数なのだから、
少なからぬ人が傷つく可能性にきちんと向き合い、
できる限りそれを回避しなければいけなかった。
大義名分があれば、覚悟があれば、
辛い思いをした方の傷口を無理矢理こじ開けて、
塩を塗りつけることが正当化されるのはおかしいと思う。
それを「鎮魂」や「弔い」と称するのはおかしいと思う。
覚悟を持って向き合うのであれば、
そこにきちんと向き合ってほしかった。
作品そのもののレビューというよりは、
映画のあり方や広報のあり方。
そして、「あの日」に対する様々な想いについて少々。
作品はまだ見ていないし、
今後見るかどうかもわからないけど、
広報のあり方や、
実在の災害をファンタジーとして描いているということに、
思うところがありまして。
ツイッターでは散々呟いているのですが、
さすがに煩すぎるだろうから、そろそろこちらで。
いろいろ眺めていると、本当に、いろいろな意見があるな、
というのが正直なところで。
でも、それでもやっぱり、
事前告知はしっかりしておくべきだったというのが私の意見。
「公式が異例の告知をしているのだから、
それを見て劇場に行ったのであれば自己責任」との意見も目にしましたが。
公式の告知は異例でも何でもないし、
不十分がすぎると思う。
最も注意喚起すべきポイントは
「アラートや震災描写があること」じゃない。
「3.11を直接的に描いている」こと。
そこには何一つふれず、
異例も自己責任もあったもんじゃない。
上記2つがどれほど差があることなのか、
3.11当時、西日本の安全な場所にいた私ですらわかるのに、
どうして私よりも被災地に近い場所にいた首都圏の人間が、
公式が、気づかなかったのか。
あるいは、気づいててもなお、
あえて告知しないことを選んだのか。
映画のメインターゲットである、
3.11を知らない世代に、幅広く届けたかったから。
なのだとは思うけど。
知らない世代に届けることができれば、
知っている世代を傷つけても良いのか。
それも、金縛りにして真正面から突き刺すようなことをしていいのか。
それは、「覚悟」があればしていいことなのか。
甚だ疑問です。
Silentで一番好きなキャラは、メイン3人の誰かじゃなくて、
春尾先生や萌ちゃんだったりする笑
あと、萌ちゃんと想くんのお姉ちゃんも好きです。
個人的に、5話で一番ストレートにぶっささったのは、
お姉ちゃんのセリフでした。
想の人間関係がうまくいかないのって、
萌のせいなの?ってセリフが一番響いた。
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