神嘗祭;1947(昭和22)年までの祭日。天皇が、その年の新穀を伊勢神宮に奉納する祭。
1871年に定められた時点では9月17日であったが、1879年にこの日に改められた。
鎮魂祭や献上米のお供え、天神地祇へのご奉告や神々との共食が行われるのが新嘗祭。
神嘗祭・大嘗祭、新嘗祭とはどのような行事で何処が違うのか?仔細は、略。
勤労感謝の日が、新嘗祭の日なのだが由来や歴史を学んで見ると日本を思える事柄。
「神嘗祭」「大嘗祭」という祭祀を今年は、思いを寄せた(自分的)。
神嘗祭(かんなめさい)とは、宮中祭祀のひとつにあたる大祭。
新嘗祭と同じように五穀豊穣を神々に感謝するために毎年10月17日に行われ祭り。
神嘗祭は、もともと天照大御神を祀る伊勢神宮で持統天皇が始めた祭祀に由。
新嘗祭と神嘗祭の違いは、 新嘗祭が、収穫した五穀を天神地祇といわれる神々に供え、
それを天神地祇と天皇自身に食べてもらう儀式。
対し神嘗祭の五穀は、天照大御神のみに供える事らしい。
神嘗祭のときに、天皇は五穀を口にしない。新嘗祭は宮中と全国の神社で行われるが、
神嘗祭は神宮で行われる祭事。
大嘗祭(だいじょうさい)も宮中祭祀の重要な祭だが毎年行われる祭事ではない。
新天皇「即位の礼」の後に初めて行う新嘗祭のことを意味する。
大嘗祭は11月にくる2回目、もしくは3回目の卯(う)の日に行うことが慣例。
大嘗祭では「大嘗宮(だいじょうきゅう)」という祭場を大嘗祭の為だけに新設される。
多くの参列者と盛大に行う会食「大響の儀」を開く等、祭りの規模はかなり大きい。
宗教性が強く国事行為とはされないが、天皇陛下の皇位継承、一世に一度だけの祭事。
食を大切にするという日本古来からある伝統行事であり、根底は、国民すべてに及ぶ。
収穫の秋、食に感謝と敬意を持つ而して”米”は、日本の大切な伝統的文化に他ならない。
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---以下、伊勢志摩経済新聞HPより転載---
伊勢神宮125社で執り行われている「神嘗祭(かんなめさい)」で2017年10月15日~17日の3日間、天皇皇后両陛下の長女・黒田清子さんが神宮祭主となって初の祭典奉仕を行った。
五穀豊穣(ほうじょう)、国家繁栄、世界平和を願う神嘗祭は、今年の初穂(新穀)を神にささげ感謝する祭典で「神嘗正月」「神宮の正月」とも呼ばれ、伊勢神宮で執り行われる年間1600余りの祭典の中で最も重要とされる。10月15日から25日までに正宮、別宮、摂社、末社125社で執り行われる。
6月19日付で伊勢神宮祭主となった黒田さんは、内宮(ないくう)で15日17時から無事に祭典が行われるようにと「興玉神祭(おきたましんさい)」、神職が祭典奉仕をしてもいいかどうかを占う「御卜(みうら)」、同日外宮(げくう)で22時から、アワビや伊勢エビなど約30品目の神饌(しんせん)が並ぶ「由貴夕大御饌祭(ゆきのゆうべのおおみけさい)」を。16日2時からは「由貴朝大御饌祭(ゆきのあしたのおおみけさい)」、12時から天皇陛下からの幣帛(へいはく)を奉納する「奉幣(ほうへい)」、18時から「御神楽(みかぐら)」、続いて16日~17日にも内宮で一連の同じ祭典が執り行われる。
黒田祭主が3日間奉仕した祭典は、3日とも雨だった。日本文化を伝え実践するセミナーなどを企画・開催するNPO法人五十鈴塾(伊勢市宇治浦田)の橋爪貴子さんは「3日間とも雨だったことはこれまで記憶にない。新祭主となってのお清めの雨、恵みの雨」と笑みを浮かべる。
神嘗祭を奉拝するために訪れたという東京都江戸川区在住の尾澤かほるさんは「黒田祭主のお姿を拝見して感動して涙が出た。故郷に帰ってきたような感覚で、ホテルに帰ってからも涙が出続けた」と感想を話した。
黒田さんは、2012年4月26日から2013年10月6日まで臨時祭主に就任し、当時祭主だった天皇陛下の姉・池田厚子さん(祭主就任期間=1988年10月28日~2017年6月19日)の下、第62回神宮式年遷宮に関連する祭典奉仕などを補佐された。
「令和肆年(皇紀2682年)10月19日、記」