《時節感慨・・呟記・・蒲鉾!?!”》
2018年も通り過ぎる。楽しいこと、辛いこと、色々あった。当たり前の事か。
僕の記憶の中で今年ほど日本の政治に関心を持ったことはなかった。今後が楽しみ。
日本のお人好し加減もそろそろ終わり。平成の終わりでもある。さぁ~~来年は!?!
そんな感覚を思っていて、来年への期待も込めて、まずは腹ごしらえって^^)。
例年、年末は小田原の蒲鉾を身内が届けてくれていた。今年は、自分で探し求めに・・。
久しぶりに小田原へ蒲鉾探訪に出掛けた。小雨の中だが買い物には好都合(混雑しない)。
まずは、お米を求めた。神奈川には、美味しくもっちりとした「はるみ」があるのだが。。
今回は、「さとじまん」を買うことにした。粒が大きくモチモチッとした食感が特徴的。
お米を求めて、一路、小田原へ。最近は、観光的で蒲鉾探訪が人気だとか。。。!
今様の板蒸し蒲鉾は、江戸時代後期に小田原で「蒸しかまぼこ」として誕生した。
『杉板に魚肉を推し蒸す』関西では蒸したるままをしらいたといい、多くは蒸した後、焼いて売った。
が、江戸では焼いて売ることは無く、すべて蒸したものを売っていた由(蒸し板)。
小田原式の白かまぼこは江戸の代表的製法だった(小田原蒲鉾協同組合資料より)。
小田原蒲鉾は、地場産業。それ故、誇りと企業としてのあり方を厳しく問い品質保持に努力してる。
蒲鉾に含有される必須アミノ酸の量を測定し、基準を保ったものを小田原蒲鉾として認定している。
小田原蒲鉾で最も古い老舗が、「田代吉右衛門本店」通称「うろこき」である。
うろこき、とちょっと変わった名前だが、漢字で「鱗吉」。
鱗とは、三角形を鱗に見立てた北条氏の家紋(三つ鱗または北条鱗)のこと。
魚の原料が由来ではない。うろこきの先祖が北条氏から家紋の一部の三角形を賜ったことから。
田代家では代々、鱗紋を許されていた。蒲鉾屋を立ち上げた際、初代の吉右衛門が自分の名前、
吉の字を中に入れたことから、うろこきの屋号を名乗るようになった由。
元々、現在店舗の本町付近で魚問屋を営んでいた田代家は、天明元年(1781)に蒲鉾屋に転身。
当時の小田原は宿場町、活気に溢れ、腕のいい職人や料理人が多く集まっていたらしい。
蒲鉾作り技術にしても調理職人達によって小田原に持ち込まれたと思われる。
最初は、魚のすり身を練って丸めて蒸すだけで、すり身を板に乗せることを始めたのが初代吉右衛門。
「小田原式板付蒸し蒲鉾」の元祖が、田代吉右衛門だった由。
板に蒲鉾を乗せるのは、画期的、すり身の形は整えやすさ、蒸し器の中で安定性。
更には、板が適度に湿度調整をしてくれ、蒸しあがった蒲鉾は丁度良い保湿加減になる。
蒲鉾造りに際して、伝統的作業にこだわっているのが、「うろこき」の職人達である。
すり身の攪拌(かくはん)がそうである。ミキサーを使うのではなく大きな石臼で挽いている。
そして殆どが手作業で蒲鉾を作っている。古き製法ではない理にかなった丁寧な製法である。
それ故「大量生産」は、無理で「全国区」ではない。小田原蒲鉾店として余り知られていないだろう。
このような、職人気質が好きで我が家は、贔屓にしている。
蒲鉾は一般的に二層になっているのを知っていますか!?!
本体部分は白グチを使用し、味に重きをおく、対して上塗りの化粧部分はあくまで表面的な外観が大事。
上層部の原料は船で運んでくるグチではなく、地元小田原産のオキギスを使用している。
キスは、今でこそ天ぷらなどで人気ネタだが、かつては小田原沖で大量に獲れ、雑魚扱いされていた。
身が白くて柔らかい蒲鉾の上塗り用に向いている。何度も漉し汚れを取りきめ細かく練って本体に上塗りする。
「汚れ」と一緒に旨みも一緒に落としてしまうため、蒲鉾の味は、内側の本体部分だと言われている。
僕は、「うろこきしんじょ」がお気に入りだ。板に乗せない蒲鉾、身が引き締まり濃厚な魚の味が活きている。
他にもてこね揚げ、きんぴら揚げ、いわし揚げがある。店脇の囲炉裏休憩室^^)で頂いた。
蒲鉾は、身内が届けてくれるので、五色しんじょと自然薯棒を土産にした。
「じねんじょ棒」とは、白身の魚6割と大山産の自然薯4割を石臼で丹念に摺り上げたふっくらした揚げもの
実に美味しい揚げ物。小田原に出向かれた折には、土産としてお薦めの蒲鉾屋さん。
ワオ!と言っているユーザー
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