ちょっと難しいお話ですが、
仏教・禅の世界で「坐亡(ざぼう)」と呼ばれる言葉があります。
修行を積んだ僧侶が、座ったままで逝くことを言います。
己を知り、自らを無の状態にし、静かに逝く。
とても凡人では出来ないことです。鎌倉の、否、日本の生活環境・歴史的環境保全の原点、
鎌倉鶴岡八幡宮裏の「御谷」と呼ばれるそこが、原点です。
仔細は、下記HPをみていただくとして、その御谷を、
命がけで守った代表者に天野 久弥氏がおられた。
禅を修行した在家修行者で、禅の世界で、
最上の逝き方とされる「坐亡」を見せてくれた御仁です。
氏の夫人は、開発反対運動を影で支えた賢婦の手本でした。
共に禅の思想を学び・修行をされながら、生涯をまっとうされた。20年も前に久弥氏は逝去されたが、
夫人は、去る12月23日夜半に静かに逝かれた。人間としての生き方を、僕たちに見せてくださった御仁。
僕にとっては、「心の師」と言わせて頂きたいご夫妻でした。
淋しい・・寂しい。
生き様・・・この世とは、死出に向かう旅路。
悲しむ以上に、活力を頂いた。ありがとう、と申し上げたい。暗雲あるとき、きっと後光の如く見守ってくださる事だろう。荘子(そうじ)の言葉に
坐忘(ざぼう)がある。
「坐忘」とは、五体から力を抜き去り、
いっさいの感覚をなくし、
身も心も虚になりきった状態、虚心・無心の境地。禅の境地を表わしている。合掌拙い我がHP、関心あらば見ていただきたい「御谷」の文面を。http://www12.plala.or.jp/redhupa/tc/onegai11.html
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