昭和初期に建てられた建物には御影石の柱が設えてある
イオニア式かコリント式かドリス式かは浅学で判断できないが
いずれにしても重厚感を与え、美しい
日本の職人の手わざは大したものであった
昭和初期に建てられた銀行の支店は道路の拡幅に伴い
取り壊される運命となった
一部の市民の運動と行政当局の計らいで郷土資料館の敷地に
その生を存える事ができた
慶賀の至りである同じ昭和の初期に建てられた県の庁舎は歴史的価値なしと
判断され取り壊され、その跡地に醜悪な市の本庁舎が建設された昭和初期には化成品やベニヤ板、石膏ボードはなく細工も
殆んど手による時代である本物は時代とともに輝きが増すが、果たして化成品やベニヤ板は
輝きを増すであろうか?
昨日アップした白鳥の泳いでいる潟の対岸にはこの地区で
古くからの名家として知られている「N家」の庭園が遠望できる
この潟や周りの松林を借景として、さぞ庭園からの眺めは
素晴らしいことであろう
春の日が西に落ち始めた
コンクリートの護岸に影を落とし、まるで「あしながおじさん」
短足をこれだけ長く見せてくれる春の日に感謝
自然石をその造形を生かしたままで設置するのも芸術であるが
材質により加工することで芸術作品となる果たしてこれは評価されるであろうか
河岸を整備し、コンベンションホールが建てられた
高名な建築家のコンペで採用された建築物である
周りは整備され散策には快適である広場には大きな自然石が据えられ、その脇には高層な人工の造作がある見事な対比を見せてくれる
陶製の焼き物の人形がお店のショーウインドウに飾られていた創作雛にもいろいろあるが、最近はヨーロッパの磁器メーカーが
お雛様を製作している
顔はちょっと洋風でご愛嬌
汽水湖である加茂湖の岸に放置された廃船
痛々しい姿を晒し、老残を物語る
小さな白い教会が目に入った
立て看板には次のように書いてあったフランス人宣教師ドルワール神父が明治12年に創建
明治16年焼失後明治20年ド・ノアイ宣教師により
再建され、今日に至る。当時多くの教会建築を手がけた
パピノ神父の設計による
両津には加茂湖がある
この湖と港に水路があり、汐の干満により海水が出入りし
汽水のために、牡蠣の養殖が行なわれている
この水路に架かる短い橋に四季を表現した彫塑が立っていた
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