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歴史は物語る

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小栗源忠高 墳墓 小栗源忠高 墳墓
曹洞宗 法音寺には江戸時代の奉行の墓があります。

水野忠邦が提案した、三方領知替えは失敗におわりました。
川越藩→庄内藩→長岡藩→川越藩

海岸防備と幕府の財政上の理由から新潟・酒田・敦賀・銚子の
「上知」を計画しましたが成功したのは新潟だけでした。

天保十四年(1843)初代奉行が江戸から新潟町へ赴任
その後、明治になるまで八人の奉行が赴任しました。

「小栗忠高」は三代目の奉行で、この地で客死。子息「小栗上野介」
は葬儀に江戸より参列

後に「小栗上野介」は幕閣に加わり、海外視察後、横須賀の造船所建設を推進
幕閣を退いた後、上野(前橋近辺)で当時の官軍兵士により斬首
後年、露西亜バルチック艦隊を撃破した東郷元帥は、「小栗上野介」の子孫に
感謝状を授与しました。
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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Toshiaki Nomura
Toshiaki Nomuraさんからコメント
投稿日 2013-02-16 08:57

小栗上野介は悲劇の宰相でした。

父親のことは初めて知りました。

ワオ!と言っているユーザー

wahootaste
wahootasteさんからコメント
投稿日 2013-02-16 21:08

歴史の一齣には、知られざるエピソードがあります

語弊のある言い方ですが、それらを調べて書き記す事が
面白く、後世の人の二次史料となる可能性があります

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