12月
24日,
2021年
日本人の視点や感じ方は、外国人とは「出発点」が違うかも!
昨日たまたま遭遇して、そして気が付いた事柄を、今日はお伝えします。内容はタイトルから想像されるように
『どうも日本人のものの見方や考え方は、外国人と比べて「出発点」が違うのかも?』
1.ことの顛末
「今日は、とっても楽しそうだったね?」
そんな問い掛けを私は妻に投げた。
「そうなのよ!久しぶりにキャサリンに会って、とっても楽しかった!」
キャサリンとは妻の友人で、フィリピン出身。日本に長く住んでいて仕事もしていることもあって、外国人としては流ちょうな日本語を話す。
外国人向けの日本語の教師をしているうちの妻は、こう続ける。
「やっぱり外国人相手の方が、何か気が楽なのよね、色々と話をするのが。」
「何故そう感じるのかな?」
私なりの答えは直ぐに頭に浮かんだが、こう尋ねてみた。
「何故だろう?余計な気を使わなくて良いし。それから、個人的な話をする時に、この話題はこの人に話して大丈夫か、大丈夫じゃないか?を余り考えなくても良いからかも?」
「え、そうなの?外国人の友人には、日本人の友人には話さないプライベートなこともべらべら話すってこと?」
「うーむ、それは違うわね!べらべらと色々話すのではなく、この話題を話し相手がどのように捉えるかを、深く考えなくとも大丈夫、自己開示の程度というか、開放の度合が日本人と異なる、と私は感じているように思う。」
「ということは、外国人相手に話をする時には自己開示度を上げて、例えば自慢話を話しても、相手から必要以上に羨ましがられたり、妬まれたりして不快になる可能性が低い、って直感的に思う、という感じかな?」
2.私の考察
この会話を妻としながら私は、娘のある言葉を思い出していた。
以前、海外(ニュージーランド)に住み始めて3年くらい経過した頃だった。7歳から日本を離れ、現地の小学校に通学していた末娘を連れて、久しぶりに日本へ一時的に「戻って」いた時のこと。
東京都内をJR山手線に乗って移動していた。そして駅で降りた直後にその末娘は、私にこう呟いた。
「お父さん、日本人って、みんな髪の毛が黒いんだね!」
我々にとっては当たり前の光景や周りの人の風貌が、彼女にとっては一種、驚きに感じたのだろう。小学校を初め、日本での生活の記憶がほとんど無い娘にとって、私にとっては日本への「一時帰国」は、異文化に触れるれっきとした「海外旅行」だったのだ。
私は再度、妻に向き直ってこう伝えた。
「『日本人』と十把一絡げの表現は適切ではないけれど、一般的な日本人は周りの人との関わりにおいて、一般的な外国人とは異なる捉え方をしているように感じるね。
つまり、目の前の相手は自分と視点や考え方が『同質である』ということを出発点、前提にしているような気がする。一方、外国人は恐らく『異質である』ということを出発点、前提にしているような印象を受ける。」
妻は私の見解に直ちに反応して、
「確かに!外国人と言っても色々な出身国・人種の人がいて、人それぞれ性格だって異なっているはず。だけど総じて感じるのは、外国人は『人はそもそも個人個人、異なっているものだ』という発想を基本的に持ち合わせているような気がするわね!
だから、ある程度、プライベートなことを話しても、それは自慢話や突飛な話ではなく、単にその人の『個性』の一つと捉えてもらえるのではないか、という安心感を感じるのだと思う。」
3.それで、これからどうなる?今後どうするのか?
これで妻との会話は終了したのだが、モヤモヤはまだ晴れなかった。なぜなら、この会話を受けて、
「これから日本人は、どういう視点を持つように心がけることが必要なのか?」
という問いが頭の中をぐるぐると回っていたからだ。残念ながら今直ぐに、答えは持ち合わせていない。
ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお
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