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サウスベイ マネジメント セミナー( Southbay management seminar )は月一回のセミナーを中心に勉強し、時々に親睦をする、乃ち「よく学び、よく交友する」そのような会です。

2013年度 3月「2013年を風水で改運!サウスベイ弥生風水寄席」

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2013年度 3月「2013年... 2013年度 3月「2013年... 2013年度 3月「2013年... 2013年度 3月「2013年...
日時: 2013年3月13日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師正野篤史(しょうの あつし)氏



講師略歴:
東京浅草生まれ。明治大学 政治経済学部(落語研究会)卒。 先輩に三宅祐二、立川志の輔、コント赤信号(渡辺、小宮)、SUSHIBOY横田社長。 風水では、5大風水師の師匠にあたると言われる、盧恆立老師等に師事。
1987年まで、日本交通公社(現在のJTB) 東京赤坂支店 団体課営業グループ勤務。
2000年まで、NYマンハッタンにて、特殊な航空運賃契約でナイアガラ1日観光を主催する旅行会社を経営。全ての日系旅行社へのホールセールで年商7ミリオンドル。
2001年、旅行業界が落ち込む911テロの直前に旅行会社を売却。(*風水のお陰!?) (*テロを四柱推命で予測できた????)
2002年-2012年、地球の歩き方 北米大陸、中南米カリブ、東南アジア地区タイトルの広告総代理店経営、2013年から、JTBるるぶの広告代理を開始。
現在、マルカイ本店横、ガッテン寿司裏のアーテシアスクエア内で、 風水と高級ストーンの店、DragonGodを経営の他、浅草、お台場、銀座、 東京駅大丸デパート内、広州、ニューヨークに系列各社も。 社団法人・国際風水協会 米国支局長

講演資料:
ここをクリックして講演資料をご覧ください。
2013年3月 講演資料
#SBMS過去のセミナー

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2013年度 2月 「がんの診断を受けたら。。。 」

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2013年度 2月 「がんの診... 2013年度 2月 「がんの診... 2013年度 2月 「がんの診... 2013年度 2月 「がんの診...
日時: 2013年2月13日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師: 新原 豊氏(にいはら ゆたか)氏  
講師略歴:
エマウスメディカル株式会社最高経営責任者
UCLA医学部教授
1959年、東京生まれ。
13歳の時に渡米。
ハワイで高校を卒業し、カリフォルニア州のロマリンダ大学宗教学部を卒業。
同大学医学部卒業。
ハーバード大学公衆衛生学修士課程終了。
2000年、UCLA医学部准教授に就任。
同年12月にエマウスメディカル社を設立。
2005年、医学部教授。

現在、これまで治療法がないとされてきた、鎌形赤血球病の治療薬を開発するエマウスメディカル社の最高経営責任者であり、今、アメリカの医学界で最も注目されている一人である。

講演内容
ここをクリックして講演資料をご覧ください。:
2013年2月講演資料 
#SBMS過去のセミナー

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2013年度 新年会

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2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会 2013年度 新年会
2013年1月16日 新年会の写真集

エンターテイメントの紹介

Gaia string quartet
Hana Hwon Kim,violin
Most recently holding the position of Assistant Principal Second Violin of the Charleston Symphony Orchestra, Hana Hwon Kim has performance and educational experiences around the world. Originally from South Korea, she moved to London, England to study with Simon Fischer and Yfrah Neaman at The Purcell School of Music at the age of thirteen. From London she continued her professional education at The Juilliard School in New York City where she earned both her Bachelor of Music and her Master of Music under the guidance of Ron Copes, Earl Carlyss and Robert Mann. Hana has also studied with Robert Lipsett earning a Professional Studies Certificate from the Colburn Conservatory. She has participated in music festivals including Aspen Music Festival, Music Academy of the West, Tanglewood Music Festival, Spoleto Festival in Italy, and has performed with many prominent musicians and conductors. Hana is a member of Strada Piano Trio based in Los Angeles, California.

Mie Oh, violin
Mie Oh was born in Ashiya, a city in the Hyogo prefecture of Japan. She studied at Nishinomya Music High School and earned her bachelor’s degree from Osaka Music University. In Japan she studied with Hirohide Kosugi, Noriko Murata, and Tomotada Soh, and toured Austria, Germany, Italy, and Korea as a youth orchestra member. Following the Kobe earthquake in 1995, Oh worked with the Pasona Corporation as a music coordinator and violinist for many concerts in the affected areas. In 2002, she moved to Los Angeles, where she continued her violin performance studies under Alice Shoenfeld and Linda Wang. Oh currently lives in Orange County, California, where she has performed in a variety of chamber orchestras, quartets, and a variety of concerts.

Hanna Jinnouchi, viola
Originally from Japan, Hanna has performance and educational experiences around the world. She earned her musical degrees from Doshisha Women’s College of Liberal Arts in Japan, Conservatoire National de Boulogne de Region and Conservatoire National Superieur de Paris in France. Her viola studies were with Simonne Fayrabond, Christophe Gauge, Heinrich Koll, Werner Hink, Christian Ivaldi, Philippe Muller and world renowned Bruno Pasquier. Hanna has won prizes from music festivals such as International Academy of Maurice Ravel and Festival Pablo Casals de Prades. She has also performed under the great Leonard Bernstein with the Pacific Music Festival. Hanna was a violist of Nagaokakyo Chamber Ensemble which won awards from Exxon Mobile Music and Music Critic Club.

Masahiro Miyagawa, cello
Masahiro began his cello studies at age 11, later switching his primary instrument to tuba. While studying the tuba at The Juilliard School in New York, nerve damage in his lower lip put a halt to his tuba career. He then reverted to the cello and was readmitted to the prestigious school. Masahiro’s musical studies were with Lorne Munroe, Barbara Stein Mallow, Peter Stumpf, Warren Deck and Abe Torchinsky. He has participated in Tanglewood and Aspen Music Festivals.

#SBMSご報告

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2012年度 12月 - 有意義な人生を送るためのアドバイス / 食の改善・生活習慣病発生を防ぐには!

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2012年度 12月 - 有意... 2012年度 12月 - 有意... 2012年度 12月 - 有意... 2012年度 12月 - 有意... 2012年度 12月 - 有意...
日時: 2012年12月12日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師: 東 敬子(あずま けいこ)氏 
講演録担当:藤原 勝
講師略歴:
大学で様々な栄養学を学び、その専門家の視点をいかし、Sake & Sushiなどのフードライターとして活動。そのほか、レストランや食関連のコンサルタントとして、会社設立や店舗開業などにも多く携わり、食を通して日本文化を広く世界に広げる活動を行っている。また翻訳や食文化以外のライター業もこなすなど、マルチな才能と感性を持つ。

講演内容:
本日の講演は満席の会場で以下の点を基本に健康的な食事に関してお話して頂きました。 
1.栄養素とは?
基本知識:たんぱく質、脂質、炭水化物、無機質、ビタミン、繊維、水分
カロリー計算方法(基本)
2.アメリカでの食に関する法律や制約の機関と栄養を管轄している機関について
     ホリスティックアプローチ

心身の健康
質の高い日常生活
3.間違えだらけのダイエット
4.コレステロール値をしっかり把握しよう
5.サプリメントについて
6.日本人が偏ってしまう栄養素と注意すること
7.塩分の計算のしかた
8.抗酸化作用とは?
     種類   A, E, B12 、葉酸、ファイトケミカル、赤ワイン(他のアルコールは?)、レズベラトロール
           クルミン(ボケ予防)
9.食事、献立
     食事例:
10.食事の量
11.運動の薦め
詳しくは、ここのリンクでご覧ください。


Media:PPT Dec 12 th Keiko Azuma  SBMS.pdf


以上。

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2012年度 11月 - 日本人が世界を救う

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2012年度 11月 - 日本... 2012年度 11月 - 日本... 2012年度 11月 - 日本... 2012年度 11月 - 日本...
日時: 2012年11月14日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師: 佐藤康行(さとう やすゆき)氏 
講演録担当:内藤喬夫
講師略歴:
心の学校グループ創立者。
http://www.santasales.jp/
http://www.shinga.com/
1951年北海道美唄市生まれ。
15歳で単身上京。
自ら鍛えるために飛び込んだ営業の世界では化粧品、宝飾品のトップセールスとして活躍し世界一の業績を上げる。
その後レストラン・ステーキのくいしんぼを創立し、8年で70店舗を展開。
その傍ら教育教材販売では世界一の実績を上げた。
現在、レストラン経営の全てを人に譲り、日本全国、世界各地でのセミナー・講演活動を精力的に展開。
最近では参議院議員会館にて講演活動を行うなど、幅広い実績を持つ。
研修内容:真我開発講座、トップセールス研修、営業トーク研修、経営者研修、モチベーション研修などを手がける。
『ダイヤモンド・セルフ』『「本当の自分」があなたを救う』など著書は70冊を超える。

講演内容:
記録者の感想を少し交えながら講演を再現する。
村上和雄氏との共著は注目に値する。内藤は村上氏の講演をロスの天理教北米本部で聴いている。ノーベル賞に近い人として、また彼の言ったサムシング・グレートは有名である。
村上氏は笑いがDNAに変化をもたらすのではないかと、吉本興業と連携して、笑いのメカニズムを研究している。そういえば、村上氏と佐藤氏はどこか顔つきが似ている。
講演の始まる前、まだ誰もほとんど会場に来ていない段階で、佐藤氏と氏の奥さん、それに付き添いの人が4、5人ホテルのロビーに現れた。聞くところによると、ロス空港から直接ホテルに来られたとか。体は小さいが、オーラが体から発していた。少し歩行が不自由である。10年前(9年前かな?)、脳溢血に倒れ、半身不随になられたという。
氏は現在の活動、「真我の開発講座」を開かれる前、宝石の販売日本一、教育教材の販売世界一、8年間にステーキハウスの店舗を70軒までもつほどの、辣腕セールスマン、実業家であった。
これまでに成功を収めるようになるには、氏の壮絶な歴史があった。
氏が14歳のとき母親が46歳という若さで脳溢血であの世に行ってしまった。即死であった(前述したように、氏は母親と同じ病気を受け継いだ)。少年であった氏は、母親の写真を見ながら、三日三晩泣き続けた。近所の人は少年に同情した。
その後、北海道の美唄の片田舎にいても面白くないので、一大決心をして上京した。15歳のときであった。東京では皿洗いをしながら夜学に通った。毎日400人分の皿を洗った。氏は述べている。「母親の死が、私の自立心、独立心を養ってくれた」と。
氏がかくもセールスマン、そして実業家として成功するに至ったのは、母親の死に加えて、主に二つの理由があった。

実家の火事  (その1)
氏が23歳の時、実家が火事になった。その報を受け、氏は飛行機に乗って美唄の実家に帰った。
家はただの炭になっていた。パチパチと火が少し残っていた。父親は髪の毛は縮れていた。
「俺はとり返しのないことをしてしまった」と呆然としていた。氏の祖母はこの火事で死んでしまった。
父親は文字通りパンツいっちょうになり、火災保険に入っていなかったので、氏の帰る家がなくなってしまった。祖母の葬式のとき、氏の脳裡に忽然と熱いものを感じた。「康行、お前が佐藤家を守るんだよ」と、母親の声が聞こえてきた。氏は全身に火のようなものを感じた。
「そうか、俺が、佐藤家を盛り上げて行くんだ」と末っ子であったが、熱い心が沸き立った。そして、しっかり貯めてきた金すべてを父親に渡し東京に帰ろうとした。慌てていたため、帰りの飛行機代まで渡してしまった。少し返してもらった。
それからである、狂ったように働きだした。氏の口癖は、「今にみておれ。今にみておれ」であった。一日に20キロ、30キロ歩いた。家が火事になったので毎日進むしかなかったのである。

宝石を売るのを邪魔したトヨタのセールスマン (その2)
23歳か24歳のとき、宝石のセールスを始めた。客は100%佐藤を疑った。だれも青年を信用してくれなかった。ところが、あるとき中華料理屋の女将が今にも買ってくれそうになった。そのとき、ドアのチャイムが鳴った。そして、トヨタのセールスマンが店の中に入ってきた。
「吉田さん、よくいらっしゃいました」
女将はこの吉田なるセールスマンと懇意のようである。
吉田は佐藤を見て、「名刺を見せてくれ」と言った。そして、吉田は女将に向かって言った。
「OO宝石・・・聞いたことのない名前だな。奥さん、宝石などというものは、デパートなどの信用のあるところから買うものなのです。こんな、どこの馬の骨とも石ころとも分からない人間から買うべきでないです」
その途端、彼女からす~と引くのが分かった。
「そうね、またの機会にするわ」
「この野郎、邪魔をしやがって。それに俺のことを馬の骨、石ころと言いやがって」
佐藤は今にも吉田をふっ飛ばしそうになった。しかし、
「まてまて、自分が営業の道を選んだのは、いくらかの金を貯めて、経営者になるためで、そのための人格を養うためであった」
そしてとっさに思った。
「責任をとってもらおう。俺のことを馬の骨と言った、こいつに」 責任をとらすということは、吉田に宝石を買ってもらうことであった。
そこで頭を下げてニコっと笑って、言った。
「同行させてください。私は未熟者です。色々と営業について教えてください」
タバコに火をつけた。車のドアをさっと開けた。靴も揃えた。そして、彼にずーと付き添った。吉田が家まで帰っても後をついていった。
吉田は奥さんと一人の娘さんがいた。
そこで奥さんに宝石のセールを始めた。
「奥 さん、可愛いお嬢さんに、何を残せますか。金などすぐになくなってしまいます。着物や洋服はすぐに時代遅れになります。宝石はいくらたっても古くはなりま せん。だって、もともと何億年もかかってできた古いものですから。お母さんが指にはめて、そのあとお嬢さんに形見として遺せます。お嬢さんは宝石をつける 度に、お母さんとの色々の出来事を思い出します。お母さんの愛情をいつも思いだします。そして、子孫に代々残っていくものです」
佐藤は全知全霊をかけて営業を続けた。奥さんが興味を失いかけると、娘さんの話をぶり返した。娘さんのことは可愛いので、また聴いてくれた。営業のノウハウなどない。同じことを繰り返しながら説得した。
夜の11時になって佐藤の目の前で布団を敷きだした。佐藤はたとえ寝られても、枕元で喋るつもりであった。不思議と罪悪感がなかった。というのはぶっ飛ばすよりはましであったと思ったからである。
それから、まだ一時間セールスをした。頭はおかしくなるほどであった。そうすると、40万円のダイヤモンドを買ってくれることになった。
契約書を書き終え、玄関で靴を履こうとしたとき、上から吉田が言った。
「あんたには、勉強になったよ」
酒を飲んだようにフラフラしながら夜道を歩いた。神経をこれほど使ったことはなかった。そして、「アレッ」と思った。
「40万円の宝石を買ってくれたんだ。もっと安い、2万や3万のものがあったはずなのに・・・そうか信用してくれたんだ。馬の骨と言っていた俺を信用してくれたんだ」
そこで佐藤は思った。
「営業は、商売は、街を開拓するのではない、己の心を開拓するのだ」と。そして、気づいた。吉田や吉田の奥さんにセールスしている時、いつしか、彼たちが良い人に思えてきたことを。好き嫌いでものごとを見ていた自分が変わり、だれもが良い人に思えてきたことを。
もっとも難しい人に売ったことになる。そうなると、あとは簡単である。50キロのバーベルを持ち上げることが出来るようになると、40キロも30キロも簡単である。
そ のあとは、100発100中売れる自信がついた。セールスは相手ではなく、どこまでも自分を変えることであるので、簡単であった。「この男は信用できるか ら」と、客が客を呼んでくれるようになった。客がボス的な人であれば、目下の人にどんどん薦めてくれた。客が営業をしてくれたのである。そして面白いほど 売れるようになった。
そして、レストランを経営することになった。レストランを開いた場所は、「もと捨て横丁」と言われる所であった。立地条件としてまったくふさわしくない所であった。
そ のような悪い場所であったが、佐藤は一人ひとりの客を徹底して大事にした。客が店に入ってくれば、抱きかかえんばかりに歓迎した。客が愚痴をこぼせば、何 時間でもその愚痴につきあった。店の名前はドミンゴと言ったが、客が「ドミンゴ会」なるものを作ってくれ、「何周年記念」なるような行事もしてくれた。
2店目を持ちたいと思ったとき、資金がなかった。ところが、客の一人が銀行の理事長に会わしてくれ、「この男に金を貸してくれ。もし何かがあったら、俺が責任をとる」と言ってくれた。そして何千万円もの金を貸してもらった。
そのあとチェン店をもつようになり、8年間で、70店舗まで展開するようになった。当時、本気でマクドナルドほどになろうと考えたこともあった。

真我とは
真 我とはどういうことであろうか。我々は自分という者と生まれてから付き合っている。しかし、本当の自分は何かと問われると、すぐに答えられない。他人は自 分のことを色々評価する。貶す人もいれば褒める人もいる。しかも、100人いればみな違う。それらは他人から見たものであり、本当の自分ではない。何十年 も自分というものと付き合っていて、自分だと信じている自分は本当の自分ではない。本当の自分が分からず、あの世に旅立つとするなら、これほど悲しいこと はない。
佐藤氏は9年前あの世に行きそうになり、奇跡的に生還し、今は左半身麻痺している。麻痺する前、8年間で70店舗まで拡張したステーキハウス、「食いしん坊」を整理して、真我を開発する心の学校を開設し、これ一本に絞って頑張っている。
氏の言葉によれば、うつ病など、あっという間になくなる。それも瞬時にである。またアルコール依存症も、「飲んでもよいよ、死んでも良かったら」と言うと、もう飲めなくなる。薬物依存症はうつ病とかアルコール依存症ほど、即効性はないが、真我に目覚めると治る。
「真我」は何の迷いもない完全で完璧な自己である。それに対して「偽我」がある。偽の自分であり、こんな人間だと思い込んでいる自分であり、親や他人が評価している自分である。
本当の自分を知る、真我を知ると、まったく世界が違って見える。氏は言う。「真我に目覚めると、営業、経済、医療、政治、教育の世界が変わる」。これらすべては人間の行いであり、同じ機能をもっている。真我から見るとまったく新しい世界が展開する。
食べたものは体の中で吸収され、老廃物は前と後ろから出る。前からOOOが出ることなどないし、後ろから△△△が出ることもない。つまり真我とは当たり前のことに気づくことである。
本当の自分を知るとは自分の本当の心を知ることである。頭で考えるのではない。頭と心は別と考えた方が便利である。
上司にペコペコしている自分、焼き鳥屋で上司の愚痴を言う自分、それは本音ではあるが、これを本当の自分だとするとなさけない。人は愛してもらいたい、認めてもらいたいという共通の気持ちがある。本当の自分に気づくと、究極的に満足する。
真我は教えるのではなく、引き出すのである。教えると、教える者と教えられる者との間に上下関係がなりたつ。仕事の世界ではそれでもよいが、人生についてであれば、教えられた人は教えてもらった人の人生を歩むことになる。
最終的に自分の中に最高の自分があることを引き出してあげるだけである。
真 我開発講座をもつようになってから、感謝の手紙をもらうことが多くなった。そこで氏は、「これは俺の本職だ、天職だと確信するに至った」。講座を設けて も、受講生、これは氏のお客さんになるのだが、彼たちが人を集めてくれる。北海道から九州まで300人ぐらいならすぐに集まる。なんの苦労もなく集まる。
講演などでは氏の前に列をつくり、礼と感謝を言ってくれる。写真をもってきて、「家族がこんなに幸せになりました」と報告してくれる。中には子供を連れてき て、「こんな良い子を授かりました。今では夫婦仲良くやっています」と感謝の言葉を述べてくれる。氏はそのことに対して「これほど嬉しいことはない」と言 う。

真我の仕組み
人間は何でできているのであろうか。粘土でできている人形が壊れれば、粘土で直す必要がある。人間は肉体でできているのだろうか。タンパク質でできているのだろうか、DNAなのだろうか、水分なのだろうか、原子の素粒子で出できいるのであろうか。
佐 藤氏は人間は「記憶」でできていると言う。顔立ちは記憶の表れである。仏教でいう因縁とは記憶のことである。トラウマは記憶である。心は過去の記憶を思い 出す。記憶を基にして判断する。子供のシマウマがライオンが現れると逃げる。殺されたことがないのに逃げる。それは子供シマウマにDNAの記憶として、「ライオンはシマウマを食べる」ことがインプットされているためである。
オスがメスと交尾して子供を生む。そして愛情深く育てる。動物の世界では、愛と恐怖の記憶によって種の絶滅を防いでいる。
生命体が存続することは記憶によってであると言い切りことができる。
人間の記憶にはプラスのものとマイナスのものがある。頭の中では忘れていても、潜在意識の中では全部覚えている。強姦された女性は、男性を見ると、いつしか緊張してしまう。これは業、カルマとも言える。仏教の言葉では阿頼耶識である。
同 じことに対して、人それぞれ感じ方が違う。それぞれの人の潜在識における記憶が違うからである。潜在識において、マイナスの方が力が強い。思おうとするよ り、思っている方が強い。謂わばマイナスの記憶はゴミのようなものである。このゴミの潜在識の奥に真我がある。その光輝く真我を発見することが人生の目的 である。

『日本人が世界をつくる』、『福島が世界を変える』
これらの本について佐藤氏が触れた。東日本大震災で福島の人は一番苦しんだ。日本は苦しんだ。
氏は言う。
「もっとも苦しんでいる者は、もっとも意識が高い。次元が高くなれば考えが深くなり、視野が広がる。心が変われば仕事も変わる。仕事の大半は人間関係である。好き嫌いで仕事をしていては効率はよくないし、楽しくない」。
ここで、佐藤氏の講座を受けて、仕事や家庭において見違えるほどの変化を遂げた、岡田氏の証言があった。

岡田氏の証言(岡田氏が話しているように内藤が脚色した)
私 は岡田と申します。3年前にアメリカで研修と講演のために来たとき、ミズルネームが必要であるということになり、ビルという名前をつけました。そのことを 佐藤先生に言うと、いい名前だが、もっといい名前がある。「ハゲがよい」と言われるのです。そこで「ハーゲン」にしました。アメリカに度々くるわけではな いので、忘れられない名前がよいということと、新しいことをすると妬みや嫉妬がつきも、だから、格好の悪い名前がよいというのだそうです。見ての通りです ので、ハーゲンは私に相応しい名前です。
私はYSコンサルタントをやっております。
真我、神の心、仏の心、すべての人を愛する心で、ビジネスを行う。真我を開発し、現実に対応する真我の実践を、サンタの営業として行なっております。全日空をはじめ色々は企業で講演などをし、好評を得ております。
サンタメソードを導入して、全従業員が2倍を越える実績をあげた不動産会社もあります。一人や二人が2倍、3倍と実績を急に伸ばすことは時にはありますが、全員が2倍、3倍となると奇跡のようです。
と ころが、奇跡などというものではないのです。もともとあるものをメソードで引き出すだけなのです。もともとあるものですから、すぐに結果、即効性がでるの です。それに教え込まれるものでなく、自分そのものから発するものですから、継続性があります。そして、人に教えることが出来る、再現性もあるのです。
私自身『トップビジネスのDNA』という本を出しています。アマゾンで#1にランクされています。
サンタの心、神の心、仏の心を味わってもらうために、40分間のCDを 今日出席なされた方にプレゼントしたいと思います。また登録なされば、55日間、毎朝メルマガとしてお送りします。これをプリントアウトするなら、一冊の 本ほどの量になり、従業員教育に使っている企業もあります。その他経営者用のメルマガもあります。一日二通両方聞くこともできます。これらは無料です。
20 年前、29歳のとき、佐藤先生の真我開発講座を受けました。私は特に親不孝をしていたわけではなかったのですが、親に申し訳ないことをしたことがどんどん 思い出されてきたのです。コップ一杯ほどの涙がでてきました。これほどの涙があるのかと思うほどでした。また妻にすまないという思いも出てきました。講座 は二日間でしたが、途中で家に帰り謝りたい気持ちになりました。それでも講座を続けて家に帰り、謝ろうと思ったのですが、言葉として出てこないのです。な さけなく思いながら、妻の肩にポンと触れたとき、彼女はワーと泣きだしたのです。何が起きたのかと驚きました。私は講座を通して、全身に感謝の気持ちが一 杯になったのですが、彼女は一瞬にして感じるものがあったようです。
そ れから夫婦関係がよくなり、職場の人間関係もよくなったのです。私は安田生命で働いていて30人ほどの部下がいました。講座を受ける前は最下位の成績でし た。ところが一ヶ月後売上が大阪で一位になったのです。そのことが書かれた新聞をもって佐藤先生に伺うと、「大阪で一位か、日本一にならないとね」と言わ れ、日本一になるように邁進しました。そして、一年後に本当に日本一になったのです。この知らせのファックスを受け取ったときに致した子供が、いま高校3 年生になっております。そしてそののち13年間日本一を続けました。
愛と感謝で仕事も家庭もうまくいくようになったのです。ご静聴ありがとうございました。

佐藤氏の講演に戻る
2 万人の従業員がいる安田生命で岡田氏は13年間トップであった。そして退社して、佐藤氏の仕事に合流した。岡田氏が退社してから、安田生命は不払い問題で マスコミに叩かれ、一時危ない時があった。その時佐藤氏は岡田氏に「安田生命を助けていらっしい」と言った。そうすると、岡田氏は安田生命の会長に会って 話をしてきた。普通退社した社員が退社した会社に助けにいくなど考えられないことである。そのことが信用となり、その後日本生命や他の会社からも声がかか るようになった。
真我とは、神の心であり、仏の心である。だから教える必要はない。誰もが具わっている心である。
釈迦、キリスト、孔子、ソクラテスのことを四大聖人と言われている。彼らが言った共通の言葉がある。それは「己を知る」ということである。
南無阿弥陀仏、南妙法蓮華経と言い方は違っても、「真我に芽生えよ」、「内なる神の心に芽生えよ」と言っている。
低空で飛ぶ飛行機は家と衝突する。より上を飛べばビルに衝突する、そしてその上は山である。もっと上にいけば大気圏に到達し、何一つ衝突するものがなくなる。エンジンさえいらない。
低 次元のことをカルマという。低次元では人と衝突する。次元の低い者同士が接触すると、問題ばかり起こす。泥棒が次元を上げて、泥棒をしなくなると、泥棒仲 間と縁を切ることになり、一時寂しい思いをする。しかし、それより次元の高い、サンタの人と付け合うようになり、その方がよい。
佐藤氏によると、どの次元にいるかなど問題ではない。一瞬に次元を越えて真我に到達できる。なぜなら、人間は仏、神の心そのものだからである。
佐藤氏の母親は46歳で亡くなった。佐藤氏も母親のDNAをもっているためか、以前手相を見ると生命線が切れていた。だから手相を見るのが嫌であった。でも今は両方とも繋がっている。真我に芽生えれば、運命も宿命も変えることができる。
真我は誰もがもっているので、教える必要などない。あえて言うなら、「あなたは素晴らしいものをもともと持っているのですよ」と教えるだけである。
佐 藤氏の手法は最初に答えを教える。問題から答えを引き出そうとしても、いつまでたっても問題に引きずられる。解答用紙を見て、その後問題をみれば、問題そ のものがなくなる。「人間は自然と人を愛するようでできている」という真我の答えを誰もがもっている。だから、問題など持ち出す必要などない。
問題をみると、問題の中で迷う。それより、答えを最初に知れば問題などない。人間は神の心、仏の心をもっている素晴らしい存在であると分かれば、なんら問題などないことに気づく。

質疑応答
記録者内藤の質問
佐藤先生の話を聴いていると、劣等生は真我がよく分かると思うのですが。佐藤先生自身苦労なされ、また、岡田氏も安田生命で一番成績の悪かった劣等生であったと思うのですが、劣等生の方が真我がよく分かるのでしょうか?
佐藤氏の反応
その通りだと思います。分かるとは頭で分かることではないので、劣等生、悩んでいる人が方が早く分かるようです。
私 はアルコール依存症の人と薬物依存症の人とを同時に指導したことがあります。絶対に「やめなさい」などとは言いません。「飲みたければ飲んでもよいです よ。でも、死にますよ」と言うと、アルコール依存症の人は、それからアルコールを飲まないというより、飲めなくなります。ほとんど瞬時に治ります。ところ が、薬物依存症の人は「死ぬとわかっていても、飲んでしまうかもしれません」という反応が返ってきました。これは時間がかかると思いました。実は薬物依存 症の人は学校の先生だったのです。ハタ先生と言い、教室では後ろから物が投げられるような状態でした。奥さんは主人が薬物に手をだしているのを知っている ので、キツい目つきで主人にあたりました。
と ころが、私が彼を指導してから、というより彼への接し方そのものをハタ先生が子供に向けました。薬に頼らなくとも生きることが満たされていることが分かるようになりますと、自然に薬から離れていきました。そして、彼が教室に入ると黒板に、「ハタ先生大好き」と書かれるようにまでなりました。他の職員から、 「どのようなマジックをつかったのか」と不思議がられました。
夫婦間もよくなり、それまで接触がながったのが、子供ができました。本人がよくなり、家庭がよくなり、生徒がよくなり、学校がよくなったのです。
ゲイの人も女性と結婚しました。

内藤の質問:ゲイは病気なのですか。
佐藤氏の反応:これについては複雑で説明するのに時間がかかりますので、これ以上話しませんが。
医者のなかでも手を挙げる人が現れています。また何十年もお坊さんをしている人が悩んでいます。本当はこのようなことはお坊さんの仕事なのですが。政治家のなかでも真我を中心にしようと支援者を募っている人もいます。
真我に目ざめると、仕事や家庭が同時によくなるのです。
こ のようなことが、日本国中のいたるところでどんどん起きているのです。「真我の開発講座」を始めた頃は、私の勘違いだろうか、思い込みだろうかと思った時 もありました。しかし、あまりにも多くの実証があるものですから、現在は確信をもっているわけです。そのことを証明するために、この度ロスにもやってきた というわけです。
今尖閣問題が起きていますが、これは過去を思い出しているのです。つまり記憶の問題なのです。そのことを理解しますと、手の打ち方も違ってくるのです。

質問:哲学、宗教、科学、芸術が未来に結合するなら、心の問題は解決するのでしょうか。
佐藤氏の反応脳 で宗教を考えると本当の宗教ではありません。脳を人間がつくれるでしょうか。人間はゴキブリひとつくれないのです。地球には2000万種類の生命体がある と言われています。それらすべては一つの生命体です。口に食べ物を運ぶのは自分の意思ですが、それからあとは、人間の意思から離れて、自然に食べ物は食道 に入り、消化され、老廃物を外に出してくれるのです。地震とはプレートのズレを修復していることなのです。
人間の認識能力には、まず「知る世界」があります。勉強して誰かが考えたことを知るわけです。つぎに「信じる世界」があります。これは早いです。知ってから結婚するとなると、一生結婚などできないでしょう。信じると早いですが、欠点は盲目、メクラであることです。
次に「見える世界」。肉眼で見える、心眼で見える。心眼で見えるとは、霊能力者の世界です。私は霊能力者ではありません。真我で相手を見ているのです。相手を神として見ているのです。
私 はかかることは一度もありません。かかるとは、巻き込まれるということです。次は「無、空の世界」です。千倍の顕微鏡で見るのと、一億倍の顕微鏡で見るの と、まったく違うように見えます。つまり、実態がない、空なのです。そして最後に「在(あ)る世界」です。つまり神の存在する世界です。
さて、質問に答えたことになったでしょうか。

質問:講演タイトルは「日本人が世界を救う」とありますが、なぜ日本人は世界を救うことができるのでしょうか。
佐藤氏の反応:たまたま『日本は世界を救う』という本を書きました。そのとき、東日本大震災が起きたのです。震災が起きてから一ヶ月目に福島に行きました。
テ レビを観ていると、お母さんが泣いているのです。津波が押し寄せたとき、娘にあちらに逃げろと指差したのです。そうすると、娘は津波にさらわれてしまったのです。お母さんは上に逃れて助かったのです。自分が娘を殺したと泣いているのです。指を上の方向に向ければよかったと嘆いているのです。
普通カウンセリングが考えられますが、この場合娘さんを思い出すことは、自分が殺したということになり、これは真我でしか解決しないと思ったのです。
は やる気持ちで福島に到着しました。空を見上げました。空には何も見えませんでした。東京にいても怖かったことを思いだしました。体育館に入ると、ダンボー ルの生活をしている被災者の姿がありました。ホームレスのようでした。私は話すことになっていたのですが、何の準備をしていませんでした。ただ涙が出て仕方がなかったのです。号泣したのです。そして、どういうわけか、腹がたって仕方がなかったのです。
人々に言いました。「私はただ涙が出て仕方がないのです。それにどのようなことを話してよいか分からないのです。そこで、これから私の頭に浮かぶことをそのまま話すことにします。不安です、どのような話になるかまったくわかりません」。
そ うすると、総理大臣と東電の社長が謝っている映像が浮かんできました。彼達に腹が立っているのだろうか。そうではない、個人攻撃などするはずがない。で は、人間の愚かさに怒っているのでしょうか。人々をホームレスのようにしたまま放ったらかしているのに腹がたっていることが分かりました。
そこで私は言いました。もし私がリーダーであれば、金(かね)をトラック一杯に積んで、一人500万を与えて、「逃げろ」と言います。ホテルや旅館は儲かるようになるでしょう。映像ですから何でも言えるのです。
次に、被災者が合掌造りの家を建てるのなら援助するという法律をつくります。そして被災地を京都以上の日本的な所にするのです。
福島のことと見るのか、日本のことと見るのか、それとも世界のことと見るのかによって、全く観点が変わってきます。福島のことと見ると、ただの災難になってしまいます。ところが世界の人類のこととなると、違った知恵が出てきます。
被災地の人々は秩序正しく行動しました。たとえお腹がすいていても、先に人に譲りました。
「日本人は素晴らしい」と世界の人々は思いました。中国にいた日本人は、中国人が「日本人は素晴らしい、素晴らしい」と褒めていたのを聞いて、気味が悪くなるくらいだったそうです。
これからのリーダーは喧嘩の強い人ではありません。織田信長や豊臣秀吉や徳川家康、それにヒットラーのような喧嘩の強い人ではありません。
日本は世界で唯一の原爆を経験した国です。これからは人格や人間性で勝負する時代です。そういう世の中にすべきです。その意味でも福島の人はこれからの世界に貢献されることになります。
体育館にいる被災地の人々に三つの言葉を贈りました。一つは、過去は全てよかった、全て良かったということ。二つ目は現在は、ありがとう、ありがとう、ありがとう。そして、未来は、だからすべてよくなる、すべてよくなる、と。
壇 上を降りたとき、少し心配になりました。「反感をもたれのではないだろうか」と。そして、「どうでしたか、みなさん、どう思いましたか」と尋ねました。そ うすると、リーダーの人が、「あの人は何者なんだ。あの人は凄い人だ。あの人についていけばよい」と言ってくれました。
嬉しかったです。分かってくれたのです。山のようにもっていった本はすぐになくなりました。
このことが、『福島が世界を救う』という本を書くきっかけとなったのです。
ガンジーは私が尊敬する非暴力主義でインドを救った人です。ああいう人が本当のリーダーなのです。ああいう人が本当に強い人なのです。
新しい世紀に入り、新しいリーダーが必要なのです。これからは日本が世界を救うのです。
親 鸞は「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言っております。悪人とはカルマに囚われた人のことを言います。苦しんでいる人、悩んでいる人こそ救われ るのです。頭で分かるということではないのです。会社ででかい声をだして威張っている人は尊敬などされません。本物の人が、これから求められているので す。
以上。
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2012年度 10月 - Matcha and Its Strength

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2012年度 10月 - Ma... 2012年度 10月 - Ma... 2012年度 10月 - Ma... 2012年度 10月 - Ma... 2012年度 10月 - Ma... 4-2. 抹茶の効能: 4-2. 抹茶の効能: 4-3. 抹茶の効能: 4-3. 抹茶の効能: 4-4. 抹茶の効能: カフェ... 4-4. 抹茶の効能:
カフェインの覚醒効果が、緑茶やコーヒーよりも、緩く起ち上がり長時間持続する。
4-5. 抹茶の効能: CAP... 4-5. 抹茶の効能:
CAP-e test結果 ・Aiyaの抹茶は、グラム当たりブルーベリーの68倍の抗酸化作用 ・1サーブ当たりでも、ブルーベリーよりも強い抗酸化作用
日時: 2012年10月10日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師: 杉田文弘(すぎた ふみひろ)氏
講演録担当:武藤 秀毅

講師略歴:
愛知県西尾市生まれ
家業の抹茶メーカーあいやは日本一の製造規模を持つ抹茶メーカー。
あいやが北米進出にあたりAiya America社に入社し、現在はGeneral Managerとして地元特産の抹茶を北米市場に展開中。
http://aiya-america.com/

講演内容:
番号は資料に準拠。一部省略

1-1. Aiyaについて:
・創業1888年、120年以上家業として営まれている会社。
・愛知県西尾市が本拠。西尾市は、日本一の抹茶生産を誇る市。
・世界最大の抹茶製造メーカー。

1-2. 西尾地方:
・1271年、禅僧により抹茶が西尾に持ち込まれた。
・日本全体の30%の抹茶生産量。宇治と西尾が日本の二大生産地。
・周りが工業化されておらず、抹茶生産に適した環境
2-1. 抹茶生産量:
・日本の緑茶の生産量: 95,500トン
・碾茶(抹茶の原料)の生産量: 1,780トン
抹茶の生産量は、緑茶の2%弱に過ぎない。

2-2. 抹茶生産量順位:
1位 京都府宇治 44%
2位 愛知県西尾 28%
3位 静岡    12%
4位 岐阜    4%
5位 奈良    2%

3-1. 抹茶生産の流れ:
1) Pre-harvest
2) Harvest
3) Basic refining 以上農家
4) Refining
5) Blending
6) Grinding
7) Shifting
8) Packing

3-2. Pre-harvest:
・土壌の準備。2〜3m 掘り起こし。
・栽培
5年間は、トリミング、雑草除去などのメンテナンス期間
2年間 Test Harvest
・葉を収穫するが、使用しない
・収穫されることに慣れさせる期間

3-3. Harvest:
・収穫前に3〜4層のシェードを掛ける。
・葉が広く、薄くなる
・アミノ酸を多く含み、カテチンとのベストなバランスを保つための措置
・手摘みで、若い葉を選別して収穫

3-5. Basic Refining:
Steam Treatment
・酵素の働きを停止させる
・緑を保つために発酵を停止させる
・栄養素を茶葉に閉じ込める
Dry Process
・工場のドライヤーで乾燥させる
・本工程で、粗茶になる

3-6.Refining:
Cut (抹茶独自の工程)
・挽くのに適切なサイズにカットする
Separarte ・茎や葉脈を除去
・切断された葉が、ブロワーにより抽出、収集される。
Heat
・水分を除去するため加熱。
本工程により、粗茶から碾茶になる。

3-8. 碾茶の状態で試飲:
3-9. Blending:
3-10. Grinding:
石臼で甜茶を粉にして抹茶にする。
工場で機械化された現在も、石臼で挽いている。

3-11. Sift and Pack:
ふるいにかけて、パッキング。

2-1. 抹茶生産量:
・日本の緑茶の生産量: 95,500トン
・碾茶(抹茶の原料)の生産量: 1,780トン
抹茶の生産量は、緑茶の2%弱に過ぎない。

2-2. 抹茶生産量順位:
1位 京都府宇治 44%
2位 愛知県西尾 28%
3位 静岡    12%
4位 岐阜    4%
5位 奈良    2%

3-1. 抹茶生産の流れ:
1) Pre-harvest
2) Harvest
3) Basic refining 以上農家
4) Refining
5) Blending
6) Grinding
7) Shifting
8) Packing

3-2. Pre-harvest:
・土壌の準備。2〜3m 掘り起こし。
・栽培
5年間は、トリミング、雑草除去などのメンテナンス期間
2年間 Test Harvest
・葉を収穫するが、使用しない
・収穫されることに慣れさせる期間

3-3. Harvest:
・収穫前に3〜4層のシェードを掛ける。
・葉が広く、薄くなる
・アミノ酸を多く含み、カテチンとのベストなバランスを保つための措置
・手摘みで、若い葉を選別して収穫

3-5. Basic Refining:
Steam Treatment
・酵素の働きを停止させる
・緑を保つために発酵を停止させる
・栄養素を茶葉に閉じ込める
Dry Process
・工場のドライヤーで乾燥させる
・本工程で、粗茶になる

3-6.Refining:
Cut (抹茶独自の工程)
・挽くのに適切なサイズにカットする
Separarte ・茎や葉脈を除去
・切断された葉が、ブロワーにより抽出、収集される。
Heat
・水分を除去するため加熱。
本工程により、粗茶から碾茶になる。

3-8. 碾茶の状態で試飲:
3-9. Blending:
3-10. Grinding:
石臼で甜茶を粉にして抹茶にする。
工場で機械化された現在も、石臼で挽いている。

3-11. Sift and Pack:
ふるいにかけて、パッキング。

4-5. 抹茶の効能:
CAP-e test結果 ・Aiyaの抹茶は、グラム当たりブルーベリーの68倍の抗酸化作用 ・1サーブ当たりでも、ブルーベリーよりも強い抗酸化作用

5-1. 抹茶の作り方:
1. 抹茶をふるいにかける。
2. 竹さじ2杯使用する。(ティースプーン半カップ)
3. 180F/80C のお湯を2oz 注ぐ
4. かき混ぜる。
お好みにより、更にお湯を加える場合はかき混ぜた後にお湯を加える。

5-3. 抹茶の量:
竹さじ2杯(ティースプーン半カップ)、サーブ当たり2g
2gより少ないと、泡立ちが悪くなる。

5-4. お湯:
・180F/80C のお湯を2oz
・軟水を使用する。軟水により甘さが引き立つ。Crystal Geyserがお薦め。
・かき混ぜる前に、2o以上のお湯を注いではいけない。

5-5. かき混ぜ方:
1. MまたはW字状にかき混ぜる。茶筅を底に若干当てる程度。
2. 泡立てて、酸素をお茶に混ぜる。
3. 茶筅を軽く持ち上げ、表面を撫でで泡を取り除く。

3つのキーポイント
1. 竹さじ2杯(ティースプーン半カップ)、サーブ当たり2g
2. お湯の量:2oz
3. お湯の温度:180F/80C

6. 新しい抹茶の飲み方:
・ 抹茶スムージー
・ 抹茶ラテ
・アイス抹茶シロップ入り
・抹茶グリーンティー・アーノルドパーマ−(レモネイド)


最後に、抹茶ラテ作りの実演と、参加者全員に試飲が提供された。 簡単に作れて、とてもおいしいと評判であった。


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2012年度 - 10月7日 第34回親睦ゴルフ大会

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2012年度 - 10月7日 ...
皆様お待ちかね秋のゴルフ大会を下記の通り開催いたします。今回の募集人数は40名となっております。どうか、ご家族、ご友人をお誘いの上、奮ってご参加ください。

目次
1 日時
2 場所
3 募集人員
4 参加費
5 申し込み方法
6 問い合わせ

日時
2012年10月7日(日)
10時 ティーオフ 午前 9 時までにチェック・インをお済ませ下さい。
場所
Los Verdes Golf Course
電話:(310)377-7888
Address: 7000 West Los Verdes Drive, Rancho Palos Verdes, CA 90275

Google Map: 7000 West Los Verdes Drive, Rancho Palos Verdes, CA 90275
募集人員
40名
参加費
$75.00(グリーン・フィー、カート代・賞金ほか)
申し込み方法
9 月 14 日(金)までに申込書を印刷して小切手を添えてお申込みください。
ゴルフ場には開催日の10日前までに全額プレー代を支払いすることになっていますことご理解下さい。
先着順 40 名様に出場権がありますので、お早めに!


なお申し込みはまずは E-mail で, 参加費は後日郵送でも OK です。
E-mail: yoshiumeda#gmail.com 梅田宛 (スパム防止のため#を@に置き換えてください)


また、参加者にはドネーション(ドアプライズ用)の持参をお願いしております。
ご持参いただく品物にできるだけ名刺などを貼っていただければ助かります。


小切手の支払い先は Payable to: South Bay Management Seminar
郵送先は: YOSHI UMEDA, 2300 MAPLE AVE. APT. 159, TORRANCE, CA 90503
問い合わせ
梅田義元
Tel: 310-618-9358
E-mail: yoshiumeda#gmail.com (スパム防止のため#を@に置き換えてください)
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2012年度 9月 - Appleとスティーブ・ジョブズ

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2012年度 9月 - App... 2012年度 9月 - App... 2012年度 9月 - App... 2012年度 9月 - App... 2012年度 9月 - App... 2012年度 9月 - App... 2012年度 9月 - App...
日時: 2012年9月12日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師:武藤秀毅(むとう ひでき)氏
講演録担当:藤原 勝





講師略歴:
Apple/Macのエキスパートとして、パーツ・アクセサリを販売する Vintage Computer社 CEO。毎日コミュニケーションズ社 Mac Fan誌へテクニカルライターとしての記事執筆多数。
Macworld、アップルスペシャルイベントの現地取材経験多数。
1986年 九州大学 電気工学科卒
1986年  トヨタ自動車(株)入社 エンジン開発、車両評価、CAMRYの開発に携わる
1997年 TOYOTA TECHNICAL CENTER, LA OFFICE に赴任
1999年 トヨタ自動車(株)退社
1999年 Vintage Computer 社設立CEO

講演内容:

A. はじめに:
5年ほど前からアップルに関するニュースが良く取り上げられる事が増えました。アップルと言えばステーブ ジョブスですが、本日の講演では彼の歴史や歩み振り返り現在のアップルがいかに育まれて来たのかをお話しさせて頂きます。

B. iPhone5 本日発表:
今日,iPhone5の発表がApple社からありました。今日の講演はiPhoneに関する事ではないのですが、少し触れてみます。
4 inch Retina Display
以前は3.5inch
20% Lighter, 18% Thinner
世界で最も薄いスマートフォン
2x faster A6 Processor
従来のものよりも2倍速いA6プロセッサーを搭載
LTE, Wi-Fi 2.4GHZ/5GHZ
外でのインタネーットのスピードがLTEで速くなり、Wi-Fi が2.4GHZ/5GHZとなるので、家での使用も今までより速くなる。
$199~ 9/14予約受付、9/21発売
Appleの株価が発表会の後でも上昇している事から判断して、商品は期待通りあるいはそれ以上のものであったとの評価の表れ。

C. Apple Inc.:
今日の演題であるApple社とはどのような会社であるかについてお話を始めます。
時価総額世界一の企業
2011年8月に世界一の企業になった。
カリスマ創業者スティーブ・ジョブス
iPhone,iPad, iPod, Mac, iTunes Store
H/Wと、音楽などソフト分野の製品にも手を広げている
デザインとUIが優れた製品群
デザインが優れ、UI(ユーザーインターフェース)も優れているので、使いやすく、使用マニュアルがなくても、触っていれば自然に使い方が分かってしまうほどです。
Innovationで市場開発
iPoneの前にはiPhoneのような製品は無かった。MACの登場でコンピュータの世界は一変したと言われている
垂直統合のビジネスモデル
市場調査を行わない、なんでも自社で行う、ハード、OS, ソフト、音楽や電子ブックの販売、直営の販売店を持っている

D. Apple社、過去30年間の歩み:
1984年、MAC発売
1985年、スティーブ ジョブス氏Appleから追放(辞任)
1995~7年、Apple倒産の危機
1997年、経営危機の最中にジョブス氏帰任
1998年、iMac発売、大ヒット、経営危機脱出
2001年、iPod発売
2004年、ジョブス氏膵臓手術
2007年、iPhone発売
2009年、ジョブス氏肝臓移植
2010年、iPad発売
2010年、4月、MS社の売り上げを抜く
2011年、4月、MS社の利益を抜く
2011年、8月、時価総額世界一
2011年、8月、ジョブス氏CEO辞任
2011年、10月、ジョブス氏死去
2012年、8月、時価総額歴代世界一

E. Steve Jpbs, 1955-2011, Apple Co-founder:
SFの一般家庭に養子
生まれて間もなく労働者階級の家庭に養子として引き取られている。その後シリコンバレーに引越して育った。このシリコンバレーの環境がその後の彼に大きく影響したと考える。
ヒッピー、リード大学中退、インドでの放浪、禅の修業
ヒッピー文化に影響を受け、大学は僅か半年で中退し、インドへ放浪の旅に出る。その後北カルフォルニアで禅の修業をしている。
完璧主義、ビジョナリー
高い目標を掲げ細部にまでこだわる完璧主義。その結果、完成度の高い製品が出来上がった。そして、先を見通すビジョナリーに長けていて、製品のアイデアや方向性を示す力が優れていた。
プレゼンの神様、現実歪曲空間
ジョブス氏のプレゼンテーションは現実歪曲空間と表現され、彼が製品をを紹介するといかなる製品もすばらしい製品に思えてしまうと言われるほどでプレゼンの神様と評価された。また、その手法は社員の新製品開発への説得にもその威力を発揮し、不可能を可能にしてきたと言われている。
2004年以来、癌闘病の中、経営

F. Steve Wozniak, Co-founder:
`ジョブス氏ほどではないがコンピュータ業界では有名人。彼はAppleの初期製品であるApple1、Apple2をほぼ独自で開発した事で天才的なエンジニアー。彼がいなければ現在のAppleはなかったとされている。

G. Starting from Garage Company:
ジョブス氏自宅のガレージでAppleはスタートした。創業者は3名いた。その内の一人はRonald Wayne氏で当時既に40代で、主に経理の担当をしていて、Appleの初期のロゴ(リンゴのマークではない)を作成したのも彼であった。しかし、ジョブス氏など他の二人の若者の経営方針についていけず、持ち株であった10%の株を当時の$800で売り戻し、創業間もなく退社している。現在その株の価値は5~6兆円とされ、彼の決断は世紀のミスジャッジと言われている。彼はその後コインやスタンプの収集販売会社を経営し現在も健在である。

H. 1976 Apple 1, $666.66:
世界最初のパソコンと言われるApple 1が200台製造され$666.66で発売された。 現在はスミソニアン博物館にも展示されており、オークションで$5万以上の評価価値があると言われている。その後、富豪で投資家のマイク マークラ氏の目に留まり、Appleへの投資の決断をする。それによってAppleの次の製品の大々的な開発が進められた。

I. 1977 Apple II, $1298:
Steve WozniakがApple 1を独力で大幅に改良したApple IIを発表。Apple 1は基盤だけの製品でキーボードは無かったが、Apple IIはキーボードもありケースに入ったコンピュータでTVに接続して使用できる(カラーで)画期的な製品だった。しかも大量生産で全米に爆発的に販売された。

J. 2nd CEO John Sculley:
Appleの経営規模が大きくなるに従い、専門的な経営手腕を必要とし,ペプシCEOのJohn Sculley氏を新たなCEOとして迎え入れる。当初、Appleへの移籍に消極的だったSculley氏に対しジョブス氏はDo you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?とのセリフで説得した事は有名。

K. 1983 Lisa, 1984 Macintosh:
1983年に新機種Lisaを、1984年にMacintoshを発売。当時のコンピュータの操作には専門的な知識が必要であったが、Lisaは現在のPCとほぼ変わらない使い易さの製品であった。しかし、販売価格が$9996と高価であったため、商業的には失敗製品であった。当初Lisaの開発にはジョブス氏も参画していたが、途中で外された。その後、Lisaの対抗製品としてジョブス氏が開発したのが、Lisaよりも小型で小売価格が$2500と比較的安価なMacintoshであった。しかし、Sculley氏とジョブス氏での2頭体制での経営はやり難く、ジョブス氏はApple社を追放されてしまった。

L. 3rd CEO, Mike Spindler:
Appleは新しいCEO, Mike Spindler氏の方針の下、初心者からプロ向けまでの多機種のコンピュータ製品と低価格路線を打ち出した。その結果、マーケットシェアーは拡大するも、利益は上がらず大赤字となった。この間、マーケティングに重点を置き過ぎ、製品開発がおろそかになっていた事も災いし、Appleは経営危機に陥る。その責任を負わされたMike Splindlerは退任となった。

M. 4th CEO, Gibert Amelio:
Gilbert Amelio氏は再建屋と呼ばれる人物で、Appleを再建する目的で雇われた。彼は先ず大幅なリストラを行った。

N. 1988 Next Cube $6,500:

一方、Appleを追放されたジョブス氏はNext Cube Computerを設立し、主に大学向けなどのハイエンドユーザー向けの技術的には高いレベルの製品を開発し販売した。しかし、先進的でハイレベルなOSを搭載した製品は価格も高く、販売は伸びなかったので、赤字経営であった。また、ジョブス氏はコンピュータグラフィックアニメーション製作会社PIXARをルーカスより買収し、CEOとなるが、当時はコンピュータグラフィックのアニメーションの完成度は低かった。そこでもコンピュータでの技術革新に莫大な個人資産をつぎ込み、彼の資産はほぼ底をついた状態にまでになってしまう。

O. Mac OSからModern OSへ:
Gilbert Amello氏率いるAppleの製品MACのOSは老朽化が進みバグなど問題が多発していたため、取替えのモダーンOSとしてジョブス氏が経営するNext 社のOSを使う事になった。AppleはNext社を買収しジョブス氏も同時にAppleに復帰した。その後、Gilbert Amello氏はApple社から追放された。 Appleの主導権を握ったジョブス氏は新製品としてiMacを開発発売した。当時のデスクトップコンピュータのデザインと言えば黒で四角い形が主流であったがiMacはカラフルで丸みをおびたデザインで、しかも、性能的にも優れていたので大ヒット商品となった。Appleはこの大ヒットのお陰で経営危機から脱出しジョブス氏は正式にAppleのCEOとなる。この時点から亡くなるまでの間ジョブス氏は年俸$1でAppleの経営指揮を執り続けた。

P. 2001 iPod発売:
この時点までAppleはコンピュータ会社であったが、iPodの発表でMusic界にも入り込み大躍進を始めた。

Q. 2004 膵臓癌から復帰:
ジョブス氏は癌の種類でも最も致死率の高い膵臓癌の宣告を受ける。その後の精密検査で膵臓癌の中でも比較的生存率の高い種類の癌である事が判明し、即、手術後を勧められたが、彼はそれを拒み続け、癌は更に進行してしまった。ようやく手術を受け入れ復帰を果たしたのは癌の発見から約9ヶ月後であった。

R. スタンフォード卒業式:
膵臓癌からの復帰後、スタンフォード大学の卒業式でConnecting the Dotsや Stay Hungry, Stay Foolishなどの言葉で感動的な演説を行った。そのスピーチの動画はこちらでご覧になれます。http://www.bing.com/videos/search?q=Steve+Jobs%2c+Stanford+speach&mid=6109E1A65267C4C6A1EF6109E1A65267C4C6A1EF&view=detail&FORM=VIRE1

S. 2007 iPhone発売:
電話の再発明と言われるiPhoneの発売でAppleの躍進が加速した。2009年には一旦治まったかと思われた癌が再発し、肝臓移植を受ける。

T. 2010 iPad $499~:
発表当初はiPadに対するアナリストの商品評価はあまり高くなく、上下いろいろであったが、発売を開始してみると、好意的な販売予測の約10倍程の売り上げがあった。また、従来のコンピュータやiPhoneとは異なる商品分野として他メーカーも進出を図るが不成功に終わり殆どのメーカーは撤退した。

U. テクノロジーとリベラルアーツの交差点:
Appleはテクノロジーとリベラルアーツの交差点に位置する。単なる技術の詰め込みだけではなく、機能的に優れ、使い易さやデザイン的にも優れた製品で作品にまで昇華させる事をジョブス氏は目指していたと思われる。

V. 最後のKeynote 2011/6:
Appleのイベント、WWDCで約2時間をかけて最後の基調講演を最後まで行った。その2ヵ月後の8月末にAppleのCEOを退任した。

W. 最後のKeynote直後:
妻のLaurenceの頭にうなだれるように自分の頭を重ねるジョブス氏の姿から、これが最後のKeynoteであった事を彼自身が自覚していた事が伺われる。

X. 2011/10/5 Jobs永眠:
2011年 10月 5日にジョブス氏は永眠したが、その前日の4日に行われたiPhone 4Sの発表会は自宅のTVで見ていて満足そうであったと伝えられている。

Y. Appleのキーパーソン:
Tim Cook, CEO、 ジョブス氏が療養中の時からCEO代理を努めていた人物でその表情とは裏腹に非常に厳しい人物として知られている。
Jonathan Ive, デザイナーとして製品デザインの分野を統括している。ジョブス氏同様に美しさと使い易さを厳しく追求するタイプ。
Scott Forstall, iPhoneや iPadの OSの製品開発部門を統括していて、次期CEO候補として期待されている。

ジョブス氏亡き後のApple経営継続に関する危惧もあったが、本日の講演者である武藤氏の私見として、Apple と言う組織自体がジョブス氏の作品であり、少なくとも後数年は成長し続けるであろうと述べられた。
本日の講演資料はここでご覧頂けます。画像:Muto Applejobs 91212.pdf

以上。
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2012年度 8月 - 【集客&ほめ育成】 セミナー 日米の”ほめる”文化を融合~

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日時: 2012年8月8日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師:原 邦雄(はら くにお)氏
講演録担当:藤原 勝

講師略歴
人材育成と販促を絡ませた、独自の業績アップ手法を活用し、3年で92社の売上アップを実現。 NHKおはよう日本や、読売新聞などに取材される。 商工会議所や商業界を始め、年間100回以上のセミナー開催。商業界が選ぶコンサルタントには3年連続選出。 2012年は、定期的に渡米する予定。38歳、2児の父。趣味はNBA観戦。 レイカーズの大ファン。

講演内容
本日の講演では先ず日本のNHKで放映された原氏のコンサルティング業務の一部である“ほめる覆面調査”の様子をビデオで紹介された。
通常、覆面調査と言えば職場の悪い所を指摘するのであるが、この“ほめる覆面調査”ではその逆で従業員の行動のほめるべき点を探し出し、それを経営者側に伝えるものである事が注目点である。
ほめる事は働く人を積極的にし、その能力を引き出す事に繋がる。

このビデオではある飲食店での調査の様子が従業員には分からぬように撮影されていて、経営者が気付かない陰でがんばってる従業員の様子が映し出されていた。“ほめる覆面調査”ではこのような従業員の行動からほめる点を見付け、経営者側に伝えるのである。ほめる事を始めてから半年、この店では売り上げが2割アップしたと伝えていた。
また、大阪府などの自治体も覆面調査の依頼を始めていて、普段ほめられる事の少ない公務員の労働意欲が高まった事を始め、図書館では利用者への高圧的な表示などが改善され、困っている利用者には積極的に声を掛けるなどを行った結果、利用者には好感が持たれるようになった事や、更に学校教育の場からは子供たちへのほめ方を指導してほしいと言う依頼もあったと事などがこのNHKの番組で紹介されていた。
この “ほめる覆面調査”がNHKで5回も放映されたのは異例中の異例であり、原氏はこれは彼が行っている事に対する何かのメッセージではないかと感じた。
彼が今日の講演で一番伝えたい事は焦点(Focus)と言う熟語の意味であり、どこに焦点を当てるかである事を強調し、講演は進められた。

彼の自己紹介の延長として、何故彼は船井総研を辞めてラーメン屋の皿洗いになったかの理由の説明があった。
飲食店のコンサルタントになる事を焦点とした前提を基に、現場スタッフの気持ちを理解した上で、経営者側が現場に伝えたい事が旨く伝わるためのパイプ作りやパイプの掃除役になりたいと思った。
講演の話しには以前聞いた事があると思われる話が出て来るかも知れないが、ここで、自問すべき事は“知っている、知らない”ではなく、“実践しているかどうか”である。
自分で気付いた事や、習った事は48時間以内に実践する事で自分のものになる。

ほめる点を見付けたにも拘らず、旨く伝える事が出来たかが注目点である。伝わっていなければ、何も無かった事と同じである。
成功事例のひとつとして、NY Timesが特集として伝えたニューヨークのネールサロンでは、ほめるべく従業員の行為を経営者側が言いそびれ従業員には旨く伝わっていなかったが、原氏の提案した“ほめシート”に書き込み、従業員に伝える事で、従業員の労働意欲が向上し、店の売り上げも飛躍的に上がった事が紹介された。その他の成功事例として、整骨院、エステサロン、ハワイの焼き鳥店の話があった。一年で36社の業績向上を実現したとの事である。
 
原氏が伝えたい事として以下の3点を挙げられた。

1 ほめ経営の考え方 (ほめ経営とは)
  *目的は? 売り上げアップ、成長, など
  *ほめる、叱る、定義や基準はあるのか?
  *現場スタッフの本音の数々。ほめる、ほめられる行動を探し焦点を合わす
  *ほめきる、叱りきる
  *躾は厳しく、妥協なし
  *育成と採用は両輪
2 業績が上がるほめ方 3Steps
  *見方、考え方を変える
   -焦点、ラベルング
   全スタッフ、お客様満足に繋がる行動をしている
  *プラスの効果検証(何故出来たのか?)を3つのポイントに絞り聴く、振り返る
   -成長グラフ、業績アップコミュニケーション
  *店スタッフに発表(記入&読む)してもらう
   -会議、朝礼、終礼、ノート、張り出し

3 ほめシート活用法 (今日から使えるほめシート)
  *自尊心の3大欲求を埋める
   -自己重要感、自己有能感、自己好感
  *返報性(施しに対するお返しの心理)の活用
  *期待している方向性が合っているか
   -経営者と従業員間で期待されている事の方向性が合っているか。間違っていると成長無しとみられる。
  *具体的の何を期待しているか、50文字以上で書く
講演の最後に、原氏はある大学総長の漢詩“雪埋梅花 不能埋香”を紹介し、「雪梅花を埋るも、香を埋るを能わず」と言う事は、即ち、一面の雪で美しい梅の花が埋まり見えないが、香りまでは埋めることは出来ないと言う事である、この詩は本日の講演参加者の心に通じる言葉だと思っていると話された。雪を不況や外的要因だとすると、その下に埋まっている梅の花は会社の商品やスタッフとして置き換える事が出来る、そして原氏はその雪の下に埋まっている美しい梅の花、即ちスタッフや商品価値を掘り出す沢山のツールを知っているので、多くの人に伝えたいとして、講演を締め括られた。
本日の原氏の講演では正しいほめ方を習得し、実践する事により、職場や家庭などの人間関係が向上し、より和やかで生産的な職場や家庭環境が実現できる事を知り、ほめる事の大切さを学んだ。

    当日使用された講演資料はここをクリックしてをご覧ください。Media:Homeru.pdf 原氏のホームページはこちらです。http://spiral-up.jp/
以上。
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2012年度 7月 - 絵描き、母親、物書きそして活動家 芥川賞作家・米谷ふみ子が語る「地球が滅びる前に何とか。。。。」

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2012年度 7月 - 絵描き... 2012年度 7月 - 絵描き... 2012年度 7月 - 絵描き... 2012年度 7月 - 絵描き... 2012年度 7月 - 絵描き... 2012年度 7月 - 絵描き... 2012年度 7月 - 絵描き... 2012年度 7月 - 絵描き... 2012年度 7月 - 絵描き... 2012年度 7月 - 絵描き...
日時: 2012年7月11日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師:米谷ふみ子(こめたに ふみこ)氏
講演録担当:藤原勝


講師略歴
1930年     大阪に生まれる。
1953年 3   大坂女子大学 国文科卒業 BA
1957年     二科会 油絵入選
1958年     二科会 油絵入選
1959年     関西女流美術会の賞を受ける
1960年 5   米国ニュウハンプシャー州のマックドウエル・コロニーの絵のフェローシップを受け絵描きとして渡米
1960年 9   ジョシュ・グリーンフェルド(作家)と結婚、アメリカに永住。二男をもうけ、その一人(ノア)が脳障害、それで絵が描けなくなりエッセイを書き始める。それから小説に移った。
1985年 5   「遠来の客」で文学界新人賞を受ける
1985年 6   「過越しの祭」で新潮新人賞を受ける
1986年 2   「過越しの祭」で1985年度の芥川賞を受賞
1998年 10  「ファミリー・ビジネス」で女流文学賞を受賞

出版著書    
1985年  「過越しの祭」新潮社
1986年  「タンブルウイード(風転草)」 新潮社
1989年  「海の彼方の空遠く」      文芸春秋
1992年  「プロフェッサー・デイア」   文芸春秋
1994年  「ゼロ線に向かって」      新潮社
1998年  「ファミリー・ビジネス」    新潮社
2003年  「サンデー・ドライブ」     集英社
エッセイ
1992年  「マダム・キャタピラーのわめき」文芸春秋
1993年  「ちょっと聴いてください アメリカよ日本よ」朝日新聞社
1996年  「老いるには覚悟がいる」    海竜社
2000年  「けったいなアメリカ人」    集英社
2001年  「なんや、これ?アメリカと日本」岩波書店
2004年  「なんもかもわやですわ、アメリカはん」岩波書店
2006年  「ええ加減にしなはれ!アメリカはん」 岩波書店
2009年  「年寄りはだまっとれ!?」  岩波書店
2011年  「だから、言ったでしょっ!」 かもがわ書店
翻訳
1989年  ジョシュ・グリーンフェルド著「我が子ノア」「ノアの場所」  
「依頼人ノア」文芸春秋 三部全部
   
講演内容

反核、反原発活動を続けておられる米谷氏は常々核や原発の恐怖が一般市民に正しく伝えられていない、あるいは理解されていない事を憂慮されており、その原因は一部の企業家や政治家によって意図的に隠蔽されている事にある事を訴え続けてこられた。今回は核や原発事情を正しく世間一般の人々に伝え、理解して頂く事を目標にした講演内容であった。
以下はその要点の抜粋である。

*米谷氏の反核反原発活動の根源は戦時中の経験である。女学校の時、爆撃された大阪の川西航空の工場跡で多くの死体を見た事や、疎開先の島根県に広島で原爆の被害を受けて逃げて来たケロイドだらけになった同世代の女性の姿を目撃した経験で、その恐ろしさを知った。

*1954年に米軍によるビキニ環礁での水爆実験で近くにいた日本漁船員、久保田愛吉氏が被爆し、その後死亡したが、彼の死によって初めて一般日本人はアメリカ、イギリス、フランスなどが南太平洋で、中国やロシアは大陸で核実験を行っている事を知った。戦争は終わった筈なのにまだ核実験が行われていた事に驚き、強い恐怖を感じた。また、母親が空から降ってくる死の灰から身を守るようにといつも傘を差すようにと言っていた事も核に対する恐怖感を根強いものにした。

*当時は政治家であれ、宗教家であれ、核実験に反対の声を上げる者は皆無であった中、ライナス ポーリン(?)氏とバートランド ラッセル氏の二人はネバダ州での核実験に反対していて、その二人を米谷氏は神様とまで尊敬するようになった。

*ネバダ州での核実験は当時の一般アメリカ人にはあまり知られてなかった。しかし、その核実験の結果、ネバダの北側の州、モンタナ、ユタ、アイダホ、コロラド、サウスダコダ、即ち風下の州の住民に多数の癌患者が出た。その時、風下でなかったカルフルニア住民には被害は無かった。

*バートランド ラッセル氏が唱えた3つの言葉:①核を無くすのは、その怖さを庶民に知らせる事。②正直は親切なり。(隠さないで事実を知らせる)③過去に起きた事を覚えておかないと同じ過ちを繰り返す。

*1950年代は米谷氏の反核活動への出発点であった。

*1960年に結婚して渡米したが、次男が自閉症のため、絵描きから物書きへと転身した。自閉症の子供を育てる苦労の過程で、人を見る目、社会を見る目が育ち、社会の裏が見えるようになった。それは結果的に作家としては良い事に繋がった。

*活動家になった切っ掛けは、2001年の9・11事件後、当時のアメリカ大統領ブッシュがアフガニスタンに派兵した事を受けて、近所の92歳になる老人が自分で$500を出し、ある教会で反戦反核の集会を開いた事にある。元々、サルトルが説いたアンガージュマン(自分の信念を行動に起こす事)に強く影響を受けていたので、直ぐに活動家としての行動を起こした。核の恐怖を人に伝えたい、そして、それを外国語が話せる日本人を通じて世界中の人々に伝えてもらいたいと本を書いた。東北大震災が起きる以前の事であった。しかし、当時の出版社は、一般の人は誰も核には興味を持たないと言う理由でその本を出版しようとしなかった。後日、ようやく角川書店から出版する事になり、そのゲラが手元に届いたのは5月に出版予定日の1ヶ月半前で大地震の直前だった。結局、この大地震で起きた福島原発の事故で核の恐ろしさが一般に知れ渡る事になったが、米谷氏としてはその前に伝えたかったので残念な思いをした。

*世界の指導者となるべき人は理知的で人類愛に満ち、人の命を守る事を政治の一番大切なものとし、それを教育に取り入れようとする人でなければならない。

*現在世界で431基の原始炉がある。一番多いのはアメリカで104基、次がフランスで59基、日本は3番目に多い54基を持っているが、世界で随一の原爆の被爆経験国である日本が54基も原発を造ったのが理解できない。

*1954年半ば頃からアメリカのアイゼンハワー大統領が核の平和利用を唱え、当時の正力松太郎氏や中曽根康弘氏によって、または、学者や企業家、政治家が私腹を肥やそうと国民には何の説明もなく、日本に売り付けられた。

*しかし、実際は原発から出る電力の20%しか使用されていなかった。

*今までに掛かった原発一基あたりの経費は約一兆円とされているが、日本にある原発54基分、54兆円を政府の援助金として使えば他の発電装置が作れた筈である。1960年代の日本の田舎では太陽パネルが付けられていたが、原発の方が優れているとされ、なくなってきた。

*2001年に出版し、その後、絶版になった本があるが、その経験から新聞社協会と政府の間で、原発に関しては批判を書かないと言う約束があった事を知った。

*1988年頃の経緯として、息子が日本の中高生に英語を教えに行く事になり、赴任先が福島県とされた。しかし、その県の観光パンフレットに原発の絵が描かれていた事に驚き、他の県への変更依頼の手紙を出したが長い間返事が来なかった。息子の依頼で代わりに電話連絡すると「ああ、あの原発の人」とのコメントを残して、直ぐに他県に換えてくれた。あの時、大人しくしていて息子がそのまま場所を変えずにいて、今回のような事故に遭ったとしたらと思うとぞっとした。情報を掴み、行動を起こす事の大切さを知った。

*上記の件をアメリカ在住の二人の日本人に話したら、その両方から我儘だと批判されたが、カナダ人の反応は、言下に、誰が何んと言おうと自分の命が一番大切、との返事が返ってきた。その時の日本人の反応にショックを受け、この事をエッセイに書き、知識人向けと言われる朝日ジャーナルに渡したら、編集長から原始炉の周りには放射能が漏れると雄しべの色が変わる紫露草が植えてあるので、そんな心配は要らない、と言われた。日本では人間の命が露草の反応に懸かっているのかと、強い衝撃を受けた。

*メディアの幹部、主にテレビ局の会長とか社長であるが、原子力産業の参与とか理事をしている事が最近分かった。道理で言論の統率が出来た訳である。

*1995年11月末の事である。日本からアメリカに帰る飛行機内で三菱重工から派遣されニューメキシコのロスアラモに行く医師団と乗り合わせたが、その目的が放射能障害の対処方法を学ぶ事だと知り、日本は核の経験をした随一の国であり、そのような事は熟知した上での原始炉の導入ではなかったのかと驚いた。医師の一人にそれでは泥縄ではないかと口を滑らすと、医師から、我々が学ぼうとしているのは、治る見込みのない人のための対処法ではなく、治る見込みのある人の治療法なのだと聞き、死にかけの人は見捨てるのかと更に驚かされた。

*放射能を扱う人には2種類の人がいるようだ。放射能の危険性を知っているが故に、危険だと訴える人と、危険性を知っていても、それを言うと政府のひも付き研究所では金が出ないので無視し、たいした事はないと訴える人である。

*もんじゅ原発の建設時には事故は250年に一度しか起きないと言われていたのに、チェルノーブルの原発事故の10年後の1996年に日本のもんじゅ原発のナトリューム漏れ事故が起きた。その後フランスや米国のアリゾナ州でも原発事故が起きている。偶然にしては事故の数が多い。

*1999年9月30日に起きた東海村JCO臨海事故に関し、LA Timesに南カルフォルニア大学の環境土木工学科准教授ナジメジン メシュカティ氏が記載した記事によると、1996年から1995年の間に起きた日本の原発事故は863回発生し、しかも、人的ミスは199件もあったのにも拘わらず、その事が一般に知らされていない事が問題である。しかし、これはJCOのみの責任とするにはあまりにも短絡過ぎであり、責任はむしろ親会社である住友金属鉱山の安全第一を優先しない無責任な運営を行う企業文化にあるとしている。

*現在も横行する問題点として、原発の責任者達は国民の安全を守ろうとしない。日本政府は面子を重んじ、アメリカ政府との情報の共有化をしない。原発側から高額の広告費を受けているメディアは原発を批判しない、などが挙げられた。また米谷氏は原発側とメディアの関係に関し、自分の経験談として、ネバダ州の核実験で人間モルモットになった人の話をある女性誌に書いたら、編集長から東電の広告を断る事になったとの報告があったが、その直後に東北大地震があり、その編集長は上司に褒められた事を述べられた。

*東北大震災時には原発がメルトダウンした事実をアメリカのメディアは逸早く報道していたのにも拘わらず、日本の場合は全て隠されていた。

*その他、原発に携わる知識人や日本やアメリカ政府の無責任さを数例挙げられたが、その抜粋を以下に記す。

―福島原発事故、アメリカのスリーマイル原発事故など、全てが人的ミスである。

―アメリカが開発した無人戦闘機が核武装した時の懸念。これを後押しする政治家の信じ難い無責任さ。

―福島原発事故の一大危機の時、日本の政治家達は党を超え、一丸となってその対応に向わなければならないのに、政権争いに明け暮れる毎日の無責任さに呆れた。

―メディアは原発側から高額の広告費を得るため、正確な報道をしない。

―日系アメリカ人の理論物理学者、ミチオ カク(加来 道雄)教授が福島原発事故処理の方法として、セメント、砂、硼酸を混合させた物を5000トン原発の上からの撒けばよいと言った事を、ある日本の新聞記者に言うと、そんな事をすると、その原発の再使用が不可能になるのでダメだとの返事が返ってきたのは驚かされた。

―ロシアやアメリカからのアドバイスに関して、ある東工大の物理学者は、他国からのアドバイスは聞かない、自分達で解決しなければ日本の顔にかかわると発言した事も驚きである。

―アメリカ政府の原発事故隠蔽事実もある。1959年にロス近郊のサンタスザーナで原発事故が起きていたが、一般には知らされず、1990年代になって近辺の住民に癌や白血病患者が多発した事で発覚した。しかし、未だ廃棄物処理がされておらず、その量は日本のそれよりも多いので危険である。

以上。
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