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サウスベイ マネジメント セミナー( Southbay management seminar )は月一回のセミナーを中心に勉強し、時々に親睦をする、乃ち「よく学び、よく交友する」そのような会です。

2005年度 5月 「ロサンゼルス市港湾局見学会」

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2005年度 5月 「ロサンゼ...
講師 - 森本政司氏

日本通運(総合物流)、アトラス(伊藤忠の運輸部)、ハパックロイド(西ドイツの船社)、鈴与アメリカ(乙仲)を経て、1984年に港湾局に入り、現在にいたる。

講義内容

【今月のセミナーは、ロサンゼルス港湾局を訪問させていただき、講師の森本氏から現地でお話を伺いました。その後ボートに乗船させていただき、実際にロサンゼルス港の見学もさせていただきました。】

ロサンゼルス港湾局は1907年に設立され、公的資金に頼らずに独立採算制で運営している。また開発に必要な資金はすべて公債の発行で調達しており、赤字になっていない。このような米国型の港湾経営には、日本が参考にするべき点が多いだろう。

ロサンゼルス港湾局では、「12%の投資リターンが見込めない開発プロジェクトは実施しない」など、経営判断の基準が明確になっている。一方で日本の港湾局では、採算や経営基準が不明確のまま開発が行われてしまうので、赤字経営に陥りやすい。

港湾局でCEO、CFOなどのイグゼキュティブ・レベルを採用する際には、広く世界から最適な人材を探すという人事努力がなされる。数年にわたる契約ベースの雇用となり、日本のように天下りや持ち回りによって、イグゼキュティブのポジションが埋められることはない。

本日使用しているこの会議室では、当港湾局のボード・ミーティングも行われるので、テーブルと座席もそのように設置されている。一番前の席が、LA市長に選出されたコミッショナー(5名)が座る席である。そしてコミッショナー席に向かい合う形で配置された席は、港湾局のCEO、CFO、そしてロサンゼルス市当局の弁護士など、イグゼキュティブ・レベルのメンバー6名ほどが座る席である。残りの席は、港湾局職員やミーティングの議題に関与する関係者などが座る席である。

ボード・ミーティングは、公正な形式に則って開催され、市民に対して意見を述べる権利が与えられている。ただし会議の効率を図るため、一人の意見陳述の時間は3分以内に制限されている。会議の進行状態は、すべて公式な録音記録に収められる。またコミッショナーは議決権を持つ重要な立場にあるため、仕事場以外の場所でコミッショナー同士が会うことは禁止されている。

ロサンゼルス港のもともとの土地はカリフォルニア州のTideland で、港湾局はこのTideland を州法の下に開発し、船舶会社や業者に賃貸して、賃貸料や施設使用料などとして徴収し収入源としている。賃貸契約の内容は、契約先や使用目的によって様々であり、可能な限り臨機応変に対応している。

現在 IT 導入が一番進んでいるコンテナー ターミナルは、商船三井の運営するTRAPAC社のターミナルである。何年か前に失業を恐れた港湾の労働者が、IT導入に反対していたが、船荷取扱量はずっと増加傾向にあり、労働者過剰の心配は出ていない。また昨年秋頃にロサンゼルス港で船荷が滞ったことがあったが、もともとの原因は米国内の鉄道会社のボトルネック現象にあり、港が根源だったわけではない。


<データで見るロサンゼルス港湾局>      (配布された同港湾局の資料より)
港湾面積
地上4,200エーカー、海上3,300エーカー
主要ターミナル数
27ターミナル
入港船舶数 (2004年度)
2,813隻
年間船荷取扱量(2004年)
米国で1位、世界で8位(7.3Mil. TEUs)
輸入品目トップ3 (2004年)
家具、衣類、電化製品
輸出品目トップ3 (2004年)
古紙、綿を含む生地、人工樹脂
貿易国トップ3 (2004年)
中国、日本、台湾
港湾局のウェブサイト・アドレス
www.portoflosanegles.org


(作成者: セミナー副委員長 矢部) 
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2005年度 4月 「 高峰譲吉が日米に掛けた夢の橋を追う 」

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2005年度 4月 「 高峰譲...
講師 - 飯沼信子氏

静岡県沼津出身。日本ベンクラブ会員。日本エッセイクラブ会員。国際(英国)女性伝記作家協会会員。裏千家支部元幹事長。現在、講演歴として内外のロータリー、ライオンズクラブを始め、NHK,民放などのメディアにも米国在住を強みとするユニークな伝記作家として登壇することが多くなっている。

また、作家としての本領は1987以来続く羅府新報「木曜随想」欄の常連として筆力を顕し、既に著書「野口英雄とその妻」を始め、上梓した他の六冊の伝記小説はいずれも圧巻である。

飯沼信子氏WEBサイト

講義内容

総括
幕末に生まれ明治時代に育った高峰譲吉は、アメリカに渡り科学者として、またビジネスマンとして数々の業績を残す。ウィスキーの醸造、胃腸薬タカ・ジアスアスターゼの開発、アドレナリン製法の発明など数々の業績を残し、ノーベル賞級の業績であったと伝えられる。同時期にアメリカで活躍した野口英世と比べ、科学者として遙かに大きな業績を残している。
科学者として業績を残しただけでなく、数々の特許を取得し、 その収益は膨大なものとなりビジネスマンとしても大成功した。
また、ニューヨークで日本倶楽部を設立。米国における日本人の地位向上に尽力した。

高峰譲吉の主な業績
・ウィスキーの醸造
高峰式日本酒醸造法を、ウィスキーの製造に応用した。従来、ウィスキーの醸造には大量の大麦が必用で、わずかな麦の「ふすま」で製造することが可能となり、大幅なコストダウンを可能とした。生産初日に火災があり、反対派の放火の噂もあったが、当時の状況を見る限り、スパークによる事故と思われる。
・タカ・ジアスターゼの開発
「ふすま」を使った麹かび に、大量のジアスターゼが含まれることを発見。タカ・ジアスターゼと名付け、胃腸薬として製品化した。パーク・ディービス社により全世界販売されることとなったが、日本での販売権は除外することを条件とした。日本が化学工業が立ち後れていることを痛感しており、その一助とするためである。
タカ・ジアスターゼ は三共製薬から 販売され、高峰譲吉は同社の初代社長に就任している。 タカ・ジアスターゼ は、数々の改良を経て、 現在でも同社から販売されている。
・アドレナリンの製法の発明
副腎ホルモンの純粋培養に成功し、特に外科手術での救命率が飛躍的に高まった。ノーベル賞級の発見と言われ、この特許による高峰譲吉の収益は膨大なものとなった。

妻のキャロライン
高峰譲吉が、1884年ニューオリンズでの万国博覧会で、日本の事務官の一人として渡米。そこで、キャロラインと出会い、婚約。結婚後日本での暮らしが始まるが、ウィスキー製造の件により渡米。以後、譲吉を支え続ける。
譲吉の没後は、若い再婚相手とアリゾナで全く異なる生活を送る。

高峰ファミリーのその後
長男ジョウは、40歳で不慮の死を遂げる。次男エーベンは、ビジネス上の失敗が多く高峰財閥にかげりが見え始める。現在、高峰姓を名乗る直系のファミリーは、ロス在住の譲吉三世のみ。

日本倶楽部の設立
1907年、日本倶楽部をニューヨークに設立。日本人排斥の気運が高まる中、ニューヨークの日本人のよりどころとして大きな役割を果たした。日本倶楽部での高峰譲吉と野口英世が一枚の写真に写っている写真も残っている。

以上
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2005年度 3月 「Japan's Back」

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2005年度 3月 「Japa...
講師 - 土屋敬三氏

73年 立教大学経済学部卒業後、JETROに入る
76年より2年間、マレーシアのマラヤ大学留学
83年 スリランカ・コロンボ事務所長
91年 JETRO労働組合委員長
95年 JETROサンフランシスコ次長
98年 対日投資課長、03年投資交流部次長を経て、
    03年10月にロサンゼルス所長 として赴任、現在に至る

『米国浮かぶ船上デパート』、コスコクラブ、ギャップなどの米国企業の対日進出支援、日本の47都道府県の英語版『投資環境ガイドブック』の刊行、『対日投資ワンストップセンター』の設立など、数々のプロジェクトを手がける。月刊エコノミストや経済産業ジャーナルにも執筆。

講義内容

経歴紹介
立教大学で理論経済学、貿易論を学び73年に卒業後、JETRO入会。76年にマレーシアのマラヤ大学に留学。1日7-8時間マレー語漬けの生活が1年続いたら、ある日突然先生の言うことがすべて理解できた。楽しい時代だった。

日米関係とJETROの機能の転機
50年代から70年代後半までは輸出振興政策一辺倒。70年代後半に日米貿易摩擦がおこり、米政府より日本の市場開放要求が強まり、79年に通産省の貿易政策は、輸出促進から輸入促進に方向転換。当時の米商務長官訪日デレゲーションに協力して、「新さくら丸」に米国製品をつんで日本中を巡回PRしたりもした。当時一番日本人に人気があった米国製品は、「オレンジ」と「牛肉」だった。
政策転換は、別の言い方をすると輸出のための輸入振興を進める政策ともいえる。一人勝ちが許されない時代となった。

円高を乗り越えバブル経済に
戦後ずっと1ドル360円が続いて輸出振興ができたが、為替自由化で200円、150円と円高が進んだ。そのつど、これ以上の円高では日本は死ぬ、と騒いだが結果はハードシップを超える研究と努力がみのり、製造業や流通業を中心に、80年代半ばまで、どんどん日本は強くなっていった。ところが80年後半に不必要な投資をした日本はバブル経済に突入して、90年はじめにそれがはじけた。

バブルを繰り返さない3つのポイント

政策は国際ビジネスをベースにしたグローバルなものであること。それを国民に知らしめること。
コーポレート・ガバナンスの強化(企業のむやみな投資の防止、株主重視、利益の擁護)
ベンチャー支援(税制、ファイナンス)の強化

「Japan Is Back」キャンペーン
03年ごろから日本経済回復の兆し。市場環境も改善されてきた。投資対象市場として日本の魅力をPRするため、JETROは、04年10月にBiltmore Hotelで「Japan Is Back」という題目でセミナー実施。目標の500名を大きく超えて、638名の参加者があった。

バブルの後遺症としてみられた「90年代の3つの過剰」

失業
設備
不良債権
バブル崩壊後、日本経済はデフレスパイラルに落ち込み、企業化心理の冷え込み、縮小、がんじがらめの状態に陥った。これをどう克服するかが、95年以降の日本政府の最大の課題だった。


96年以降の規制緩和・改革の成果
  1-3つの金融ビッグバン
  外貨決済の自由化、ノンバンクの金融参入、株式手数料の自由化
  2-会計ビッグバン
会計基準のグローバル化。連結会計、減損会計、税効果会計の導入。
   企業の情報開示、透明化の促進。
  3-企業関係法制(商法など)の改正

外資には追い風だった「想像以上に痛みを伴った」日本の構造改革
規制緩和・改革で、日本に投資をする外資は、企業価値を下げることなく売却でき、債権譲渡も可能になった。また、Cash Mergerが06年より可能になる。対日投資額は97年6700億円から04年上期だけで2.3兆円に拡大。内外比率(対日投資:対外投資)が1対10だったのが、04年上期に初めて1:1になった。ルップルウッドによる新生銀行買収にみられる産業の淘汰と外資によるリストラクチャリング。建設、小売、ホテルなどあらゆる分野における対日投資と日本企業同士によるM&Aが促進された。

(その後、プロジェクターを使って、日本が投資対象として魅力的な市場である「10のメリット」について簡単に説明。)

経済の回復は大都市圏では進んだが、地方都市ではまだまだ遅れている。その間隙をぬって、中国の投資家が地方の優良中小企業を狙い撃ちで買収している。中国の狙いは設備(技術)と人(エンジニア)のお持ち帰りで、これを問題視する人たちもいるが、外資の対日投資促進のためには、多少の副産物が出てもしかたがないという考えが、今のところ主流を占めている。

空洞化したあとの新産業は何か?JETROは、企業化が育つ海外での事例の紹介を目標としている。

少子高齢化社会について
少子高齢化社会は必ずしも問題ではない。労働生産性を向上させれば、人口が減っても、一人当たりの可処分所得は増える。生産性向上のために、女性(主婦)の雇用促進、外国人労働者の受け入れ、体が不自由な人たちが快適に買い物ができるような環境整備をめざす。外国の企業文化から学ぶことは多い。

以上
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2005年度 2月 「 サルでもわかるリスクマネージメント 」

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2005年度 2月 「 サルで...
講師 - 諸橋義弘 氏

2004年はイラク戦争、異常気象、大地震、スマトラ沖大津波など
大災害が続いた1年でした。
  今年は、穏やかな年となることを願わざるを得ませんが、現在そのような事故や災害から会社や身を守る手段として、リスクマネージメントの必要性が叫ばれています。しかし、一口にリスクマネージメントと言っても、何をどのようにすることがリスクマネージメントなのか良く分からない面があります。
  そこで、今回はリスクマネージメントの専門家であり、会員でもある
諸橋義弘さんに「サルでも分かるリスクマネージメント」と題して、リスクマネージメントって何なのか、会社経営者にとって、リスクマネージメントという手法を経営にどう生かせばよいのか説いてもらいます。

〔 諸橋義弘 氏プロフィール〕
  日米の保険会社およびブローカー業界で40年間活動。人身事故
査定管理を経て、日本最初の保険金詐欺調査専門職となる。その後
保険ブローカーとなり、現在に至る。専門は、企業の損害保険プランニングおよびリスクマネージメント・サービス。
  現在、Trisure Insurance Serviceを設立し、保険ブローカーおよび
リスクマネージメントコンサルティングの他、Frenkel & Coと提携して、
中規模企業の保険サービスの充実を図っている。1995年に?Associate in Risk Management(ARM)の称号を取得。

講義内容

近年、事故や災害その他の事件が発生すると、危機管理が十分でなかったという批判が
大きく取り上げられるようになった。危機管理とはリスクマネージメントの日本語訳だが、
企業の経営には次のようないろんなリスクがつきまとう。

自然災害: 地震、噴火、津波、風害 など
人的要因: 火災、爆発、汚染、横領、詐欺、暴動、キーパーソンの死亡 など
経済的要因: 消費者の嗜好の変化、通貨変動、不景気、株価下落、技術変化 など
政治的要因: 戦争、課税強化、規制基準厳格化、輸出入禁止 など

リスクマネージメントとは、具体的には 上記のような①突発的な出来事を想定し、その経済的損失を最小限化することであり、②そのための予防処置、事後対策、組織化、指導および処理方法を確立しておくことである。

従って、経営者は常に防災意識と当事者意識が必要であり、具体的対策は現場担当者、外部コンサルタントなどその方面の専門家に検討させることが肝要である。

リスク・マネージメントの具体的方法とは、次のようなステップを言う

Ⅰ.リスクの発見と分析
Ⅱ.リスクへの対応策の検討
Ⅲ.最適と思われる手段の選択
Ⅳ.選択した手段の実行と監視
Ⅵ.その結果の評価と見直し

リスクへの対応策としては次の方法がある。

リスク・コントロール(事故などの予防、軽減するための方法)
                      《例》

事故などの原因の削減: 危険品などを置かない。呑んだら乗らない
予防対策:安全器具購入、不燃物構造の建物にする  
損害の軽減化:スプリンクラーの設置   
リスクの分割化:防火壁   
契約によるリスクの移転:危険作業のアウトソーシング
卑近な例でいうと、呑み会に1.酒癖の悪い人を呼ばない 1.あまり飲まさない 3.酒癖の悪い人の苦手なひとを呼ぶ 4.相性の悪い人を隣同士にしない 5.飲酒後、タクシーを呼ぶ、など

リスク・ファイナンシング(リスクに対する資金的な手配)
リスクの保有

その都度、現金払い
非積み立て準備金
積み立て準備金
ローン
キャプティブ保険(自家保険)
リスク移転

保険の購入
契約による他社からの支払い保証
以上のように、企業存続を危うくする事態を想定して、事故が起きないように予防処置を
講じ、万一発生した場合、その損害を軽微に留め、その損害を補填する手段を考えて
おくことが経営者の務めである。

但し、これらの手法の活用については、企業目的、組織形態などによって多岐に分かれる。例えば新聞社はコストの如何に拘わらず新聞を発行することを目的としたプランを作成
すべきであり、食品会社は安全性に関することを目的としたプランを作ることである。

適切なリスク・マネージメント・プログラムを実施している企業は、事故の軽減だけでなく、
保険料も安くなる。労災保険などは良い例で、保険料の軽減だけでなく、社員の勤労意欲を増し、また労使間の問題も少なくなる。
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2004年度 12月 - 日系アメリカ人に学ぶビジネス観-社会学的考察

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2004年度 12月 - 日系...
講師 山本剛郎氏
講師紹介と略歴
カリフォルニア州では、19世紀末に日本人移民が農業労働者として入植、その中には、自ら農業経営に乗り出し、大きな成功を収めた例がある。その中で、安孫子久太郎(あびこ・きゅうたろう)の主導による農業コミュニティー「ヤマト・コロニー」「クレッシー・コロニー」「コーテス・コロニー」は、1906年から1919年にかけて北カリフォルニアに作られ、現在でも形を変えて、そのコミュニティーは存続している。日系アメリカ人の生き方、事業の進め方、子供(次世代)との関わり方から、現代の日本人が学ぶものは、何か。2004年4月からロサンゼルスで、調査をしている関西学院大学社会学部教授の山本剛郎氏が、社会学とは何かを説明し、安孫子久太郎の足跡、コーテス・コロニーの現状および最近入手した資料などを報告・紹介する。


〔山本剛郎氏プロフィール〕
  関西学院大学社会学部教授。担当分野は、人間社会で生じるもろもろのできごとを、村落や都市との関連で考察・分析する地域社会学。京都大学文学部(地理学)、大阪大学大学院を卒業。大阪大学文学部助手、天理大学教養部講師を経て、関西学院大学社会学部へ。おもな著作に、『都市コミュニティーとエスニシティ』(ミネルヴァ書房)、『阪神・淡路大震災の社会学』(昭和堂)、『地域生活の社会学』(関学出版会)。1985年5月から1986年9月、UCLA社会学科客員研究員としてロサンゼルスに滞在し、日系アメリカ人コミュニティーの成立と展開過程を研究。2004年4月から2005年3月まで、UCLAアジア系アメリカ人スタディー・センターの客員研究員としてロサンゼルスに滞在中。今回は、日系アメリカ人コミュニティーを、農業の観点から、その変動を調査している。


講義内容
社会学とは何か
 明治になって、Society ということばが日本に入ってきて、「会社」「社交」「社会」という訳語が候補になり、その中から「社会」に決まった。明治以前の日本では、Societyに相当することばは、「世間」であった。人間関係は、何かしてあげた
いな、と思うことから始まる。期待しあうことから、関係が生まれる。そして、役割が生じて、組織が生まれる。人間の組織は、「家族」という集団から、「制度」へと、組織が大きくなるにつれて、発展していく。

社会学と日本人移民史
 カリフォルニア州では、19世紀末に日本人移民が農業労働者として入植、その中には自ら農業経営に乗り出し、大きな成功を収めた例がある。その中で、安孫子久太郎(あびこ・きゅうたろう)の主導による農業コミュニティー「ヤマト・コロニー」
「クレッシー・コロニー」「コーテス・コロニー」は、1906年から1919年にかけて北カリフォルニアに作られ、現在でも、形を変えて、そのコミュニティーは存在している。わたし(山本)は2004年4月からカリフォルニアに来て、現存するこうしたコミュニティーで生きるひとたちのインタビューをしている。今日は、わたしの研究経過を報告する。

事業家、安孫子久太郎
 新潟県出身。生まれてすぐ母親が亡くなり、母親の実家で育てられる。14、15歳の時東京は出て洗礼を受ける。津田米子と結婚。米子の姉、津田梅子は、津田塾大学の創設者。安孫子は、日本人が差別を受けるのは、出稼ぎ根性でいるからだと、アメリカへの定住を訴える。そのため、新聞社、銀行、労働者斡旋会社(日米勧業社)、殖産会社を作った。

ヤマト・コロニー
 サンフランシスコから車で、1時間ほどの距離にある、マーセッド・カウンティーに、安孫子は、1906年にヤマト・コロニーを作った。ヤマト・コロニーは、高学歴、クリスチャンの集団だった。その後、近くに仏教徒とクリスチャンが混じり合ったクレッシー、コーテス・コロニーができるが、身近な距離であったにもかかわらず、協力関係がなかった。
 コロニーの日本人は、地元の白人と対立することを避けるため、商店などはあえて開かなかった。しかし、白人と仲良くしていれば、差別はなくなるという理想は崩れ、日米開戦、日本人の強制収容が行われる。

コーテス・コロニー
 わたし(山本)は、20年前と今回と2回、コーテスの調査を行っている。この間の変化は、インターマリッジ(異人種間結婚)が増え、離婚率も上がっている。学歴が高くなるにつれて、農業に従事しなくなっている。また、農業規模も、80年前は、20から40エーカーで生産が成り立っていたが、現在は最低100エーカーが必要。コーテ
スの農業は企業化し、白人が経営するコーポレーションが多い。

創意工夫の国府田敬三郎
 国府田米で、有名。福島県出身。元武士だった父は精米業を営んでいた。敬三郎は教師をやっていた。敬三郎は、労働者としてはアメリカへに入国許可が、出なかったので、視察という名目で1907年、25歳の時、アメリカに入った。飛行機でモミを蒔く方法を考案し、カリフォルニアでは米ができる南限のサリナスで、戦前、米を作った。日本人の土地所有権を認めさせるために「民権擁護協会」を作たり、日本人の米国帰化権を認めさせるためのロビー活動に潤沢に資金を出した。日本から農村青年
の、カリフォルニアへの受け入れの先頭に立った。(非買品、『国府田敬三郎伝』が福島の新聞社から出版されている)

日本人移民の実業家から学ぶこと
● 事業の絶頂期に次ぎの方策を考える。いいことは長く続くはずがない。
● 密かに考え、大胆に勇気を持って行動する。
● スケールの大きな発想
● 徹底した調査・研究。他人がやったことで、マネできないことはない。
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2004年度 11月 - 投票日直前、大統領選挙のゆくえとその後について語る

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2004年度 11月 - 投票...
講師 加賀崎雅子氏
講師紹介と略歴
「この11月2日、いよいよ第44代アメリカ合衆国大統領選挙の 一般投票が行われます。その日は事実上“世界で最も強大な権力を持つ”男が決まる日であります。
そこで次回のセミナーは日程を変更し、11月1日(月)の投票日前日にブリッジUSA編集長の加賀崎雅子氏を迎え「投票日直前、大統領選挙のゆくえとそ の後について語る」と題してお話しを伺いたいと思います。はたして次期大統領はブッシュかケリーいずれか?その結果アメリカはどうなるのか?日米関係は どうなるのか?等について熱く語っていただきたいと思います。ふるって御参加下さい。


〔加賀崎雅子氏プロフィール〕(ご本人の原文のまま)
親の転勤で小学校を名古屋、中・高校を札幌で育つ。聖心女子小等部⇒中等部⇒大学卒と、完全無欠の女子校育ち。1986年渡米しネバダ大学へ留学。修学 後、ネバダでギャンブラーとして生きていく素質も勇気もなかったので、ロサンゼルスの日系の新聞社に二年半勤務。その後、独立・起業したものの、根本的な経営能力に 欠けていたためあっという間に倒産。92年から現職のブリッジUSAの編集長。94年からブリッジUSAラジオのニュースディレクター。日系記者クラブ会長。


紹介者 能智氏
講義内容
大統領選挙のある年の10月は、偉いアナリストは講演を引き受けないという。
でも自分はチャレンジャーとしてお話ししたい。
*今回の選挙の特徴は共和党か民主党か、ブッシュかケリーか、ではなくブッシュか反ブッシュかの戦いという所にある。
*アメリカの有権者は好感度で投票する傾向がある。西部や南部では反エリート主義というのがあって、エリート的ではない事が好まれる。
ケリーさんはウィンドサーフィン、サッカーを好み、フランス語に堪能。ブッシュさんは野球と畑仕事が好きでスペイン語(ただしテキサス風)を話す。
遊説先の会場ではケリー陣営はブルース・スプリングスティーンの音楽を流す。
それに対してブッシュ陣営はベタなカントリーを流す。これはブッシュ陣営の選挙参謀カールローブの作戦である。
本来は貧困層の味方である民主党の候補者がインテリで、共和党候補が庶民的というイメージをつくっている。
*カンサスは平均的な普通のアメリカ人が住む所と云われている。従ってマーケティングに利用される所でもある。
そこで何が起きているか。それはもはや貧困層が民主党支持ではない、という事。
同時に共和党の中の共和党と呼ばれている人達の反ブッシュ発言という反乱もある。
そのように支持者の逆転、クロス現象が起きている。
*海外では、イギリス、フランスで反ブッシュの風潮が強い。アメリフォビアと呼ばれる、アメリカを畏敬の念でみる人々が、この4年で消えてしまった。
ロシアはプーチンがブッシュと気が合うということで、ブッシュ支持。イスラエルもブッシュ支持である。サウジ、パレスチナは一応ケリー支持であるが、
どっちもどっちと思ってる。
*日本政府はブッシュ支持であるが、日米関係は両候補いずれが勝利しても変化なし。現在日米間に特に懸案事項はない。というよりもアメリカは中国の方に
関心がある。
*どちらが勝利するか、接戦の中、色々な意味(開票が正しく行われるかどうか?)で有利な現職のブッシュではないか。
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2004年度 10月 - 中国3千年の歴史、「中国伝統風水」を紐解く

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2004年度 10月 - 中国...
講師 清水昭子氏
講師紹介と略歴
「風水」という言葉を、時々耳にされたことはありませんか。風水健康法、風水大開運、風水百科、風水革命、風水師など、風水にまつわる話も含め、色々聞き覚えのある言葉が飛び交っています。風水は、環境学、地理哲学、方位学、統計学、時には気学とも言われています。馴染みの無い言葉かも知れませんが、「陰陽五行説」というのが、風水の基本的な考え方となっており、あの東洋医学も考え方は同じです。いわゆる中国3千年の歴史が生んだ学問の一つであります。そして興味深いことに、京都や奈良といった日本の古都が、古代中国の「風水」の原理によって建設されていたことが発見されています。
では、その陰陽五行説とは、いったいどういうことなのか、風水がもたらす影響とは何なのか、歴史や理論なども含めた基本的なところを、今回、清水昭子講師にお話して頂くことになりました。「風水」で健康になったり、ビジネスが成功したり、幸せな家庭を築けたり、ほんまかいなと思うようなことが色々言われていますが、答えはいかに。是非とも我がセミナーで、その「風水」の実体を探ってみましょう。


〔清水昭子氏の略歴〕
「札幌出身。札幌大学女子短期大学卒。ソニー、フォードトラクターを経て、87年よりドイツ勤務。90年、アメリカ転勤。90年後半よりアメリカ風水研究所(http://www.amfengshui.jp/)で風水のほか、中国五大芸術(易経、占星術、人相・手相など)を学ぶ。現在、本業のERP(企業統合管理システム)のコンサルタントの傍ら、アメリカ風水研究所で日本語による風水講座を受け持つ。風水インストラクター 兼 風水鑑定師。2004年11月、「風水必読」(翻訳)発行予定。また、まぐまぐのメルマガにも寄稿中。詳細はhttp://www.windandwater168.com/を参照。」


紹介者 -
講義内容
風水の歴史は今から3千年ほど前に遡り、古代中国の時代には支配者であった王朝が、健康、富、権力などを維持するために用いた密議だったそうです。講師の清水昭子氏は、風水の歴史的背景から誕生年で計算する簡単な性格傾向判断に渡るまで、大変興味深いお話を披露してくださいました。
中国五大占術のひとつである易経から派生した風水は、易経の基本説と複雑な計算に基づいて、理論的に分析してゆく科学的学問(中国地相土占学)と表現することができる。現代において風水は、色々な流派に分かれている。ここでお話するのは『正統派中国伝統風水』であり、その中でも生きている人の家の相をみる『陽宅風水』である。ちなみに死んだ人の家となるお墓の相をみるのは『陰宅風水』で、親子3代に渡って影響を及ぼすと言われている。
風水の基本原理には、陰陽、五行、八卦、方位、氣、太陽系システムなどが含まれる。人間、環境、建物、時間を軸として相互関係を調べることで、理想的な環境を作り、悪い環境を回避、改善することが可能になる。特に『氣』は重要な概念で、生命のエネルギー、栄養物と言い表すことができる。人間にとっても環境にとっても、氣のバランスをとることが健康、調和、繁栄などの良い結果に結びつくことになる。
風水では、ひとつのエネルギー・サイクルが20年続くとみている。2004年2月4日からは8番目のサイクルが始まっており、2023年2月3日まで続くことになる。このサイクルは、若者や子供を象徴している。ゆえに若いリーダーの台頭、若者や子供の動向などが、注目される時代になるだろう。
最後に、避けるべき環境と、疑わしい風水鑑定師の見分け方をご紹介しよう。
<避けるべき環境>
・ 梁の下に寝ない。
・寝る足元の方向に鏡を置かない。
・お墓、ごみ捨て場、フリーウェイの傍に住むのは避ける。
<疑わしい風水鑑定師の見分け方>
・八卦鏡、水晶、風鈴などを用いる。
・物を売りつけようとする。
・建物の建設完成年や住んでいる人の誕生日を尋ねない。
・方位磁石(コンパス)を使用しない。
・実際の建物を見ないで平面図だけで鑑定しようとする。

(清水氏が管理するウェブサイト(www.windandwater168.com)と講義の内容を参考にして、セミナー副委員長の矢部が作成いたしました。 2004年10月)
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2004年度 8月 21世紀型マネージメント革命

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2004年度 8月 21世紀型...
講師 愛場美和氏
講師紹介と略歴
時代は21世紀。今起きる様々な事件。私達はいつの間にか何か大切なものを失いつつあります。
21世紀とはどんな時代なのでしょうか。
今求められ、今取り戻す必要のあるパーソナルスキル。それは、私達、人間が生きていく上で一番基本となる大切なもの。
社会が見せてくれるもの、周りが見せてくれるものがいったい何なのか。私達が取り戻す必要のあるものが何なのか。
一番核である部分を無くしたまま、もう先には進めない。あらたなる21世紀型意識革命。21世紀を生きるために
最も大切なものが何なのか。今までと全く違う21世紀型心への新しいアプローチとコンセプトで愛場美和が語り、みなさんの質問にお答えします。


[略歴]  パーソナルコンサルタント。鹿児島県出身、共立女子大卒業。1996年よりファッション雑誌を手がける。2000年、ルイーズヘイのトレーナーとして日本人で初めて認定される。以後究極の「人生のからくり」発見者としてオリジナルのワークショップ、レクチャーを展開。2003年、株式会社 レラ・コーポレーション設立。代表取締役。現在、TJSラジオパーソナリティーを努め、「取り戻そう!自分!」テーマに、日本各地、ロサンゼルスでの講演を行いオリジナルワークショップにおいて、各自の力を取り戻す体験クラスの講師として活躍。レラ・コーポレーションの賛同している舞台「渡そうよ、愛のかけ橋」は東京の銀座博品館にて8月23日24日公演予定。


紹介者 三本木氏
講義内容
優秀な家族の中で育ち、自分は劣等性、そしてダメな人間だと思い込んできた。
そんな自分に自信を持たせるために資格やスキルを身につけようとあるセミナーに参加したが、しかし、いくら自分が技術を身に付けてもダメだと悟ってし
まった。
そういった自分自身の経験から、人には何が必要で、何をどう考えればいいのか、そのからくりを見つけ始めた。
(1)人は、生まれたての赤ちゃんの頃、何も考えず、素のままでいる。
成長するにつれてさまざまな知識が入り、他人と比べ、皆が自分をどうみているのか、ということを意識し始める。
また人は、他人に対し、相手のことをひどいと思ったり、他人の存在や態度を否定したり、誰かのせいにしているところがある。
実は、自分が自分自身を認めていないということなのである。
まずは、誰かの責任ではなく、また自分のせいでもないということを知ること、自分を認めることが大切なのである。
(2)そして、何か嫌なことがおきたとき、その問題を嫌だとおもうのではなく、与えられた課題と思うことが大事。
課題には自分自身を大きくしていくという意味があるもの。
(3)また、他人と接するとき、相手が分からない、と思うのは自分自身がわからない、ということ。
やる気のない人に接しているときなども、自分がやる気がなければ相手もわからないもの。
課題を追求し続ける必要があり、それがわかると人間関係もいい方向へ進むもの。
(4)人間は問題があると、逃げる傾向にある。例えば、他人と接して嫌に感じたとき、その人と話をしないでいたり、職場を去ったり、他人に、悪口を
言ったりすることが多い。それでは、人間関係が余計悪くなるものである。

自分を理解する、そのために自分が何をしたいのか、いつも問いかけていることを心がける。いつも明確にしていく。そうしうれば目的はずれないでいる。
「とりあえず」という言葉は物事をアバウトにさせる。とにかく自分が決めれば物事が動くという事をしり、いつもビジョンをもち、成功している自分を今に
当てはめてみる、そうすると成功できるものである。
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2004年度 7月 - 分かり易い節税のしかた

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2004年度 7月 - 分かり...
講師 トリポリー・マスミ氏
講師紹介と略歴
7月のセミナーはテレビ、新聞、雑誌などでお馴染みのCFPのマスミ・トリポリー氏に、「分かり易い節税のしかた」と題して、効率の良い資産形成と節税の方法をお話ししていただきます。低金利が続くなか、日本では公的年金の受給も将来は暗い見通しが報告されています。皆さんの中には、駐在先のアメリカで定年を迎える方も多いと思いますが、やはり老後の生活保障をどうするかということに大きな関心があると思います。
そこで今回は、米国に居ながらどのように節税し、財産を形成していくかという点に焦点を絞り、この道のエキスパートであるトリポリー氏に、その豊富な経験と知識をベースにその最も効率的な方法を講演していただきます。

〔トリポリー・マスミ氏のプロフィール〕
ワシントン大学卒、上智大学修士課程卒、エコー・デ・エチュッド・コメルシャル(フランス)MBA過程終了、シドニー大学(オーストラリア)博士課程1年終了、アウトノマ・デ・メヒコ大学(メキシコ)にて教授助手を務める。その後、外資系銀行の外国債権のトレーディングと投資ポートフォリオの運用アドバイサーを経て、現在CFP(公認ファイナンシャルプランナー)として、節税と資産効率の改善のアドバイサーとして活躍。また、新聞、雑誌やテレビ出演などを通じて、節税、効率のよい資産運用などのアドバイスや、カリフォルニア州弁護士協会税金部会の講師などを務める。


講義内容
ファイナンシャル・プランニングは、以下のような5つの分野で構成されているそうです。講師のトリポリさんは、分野ごとにお話を纏めてくださいました。また終盤は、参加者からの個別質問に答えてくださいました。
1. インカム・タックス・プランニング
インカム・ゲインやキャピタル・ゲインにおいて、課税の控除や先送りができるタイプの投資を選ぶことが主なポイントとなる。個人の状況によって具体的なアドバイスは異なるので、タックス・リターンなどを頼んでいる会計士に相談するのもよい方法だろう。
2. アキュミュレーション・プランニング
銀行預金のような元金保証を求めると、投資リスクをとらない代わりに投資リターンも少なくなる。ゆえに各個人の状況に合った投資リスクを設定する、できるだけリスク分散した投資を行うことが重要となる。長期間にわたる投資リターンを比較すると、分散化したポートフォリオの投資リターンが高いことがわかる。
3. リタイアメント・プランニング
この分野も、課税の控除や先送りができるタイプの投資を選ぶことが基本となる。所得額が減少するリタイアの時期まで課税を先送りすれば、支払う税金も少なくなる。
4. エステート・プランニング
米国における相続税、贈与税は、大統領が代わる度に変更される傾向にある。よって課税控除枠がうまく使えるように、例えばリビング・トラストなどを設定して、生前から準備、工夫することが必要である。相続、贈与に関する法律は州の管轄になるので、他州へ転居したら見直す必要がある。
5. リスク・マネジメント
保険は、リスク・マネジメントの代表格である。人生を通じて、ディスアビリティー(傷害疾病)保険を使う可能性は意外と高い。生命保険の保険金受取り額も相続税の対象となるので、エステート・プランニングの考慮に入れる必要がある。  
(以上、 セミナー副委員長 矢部が作成いたしました。 2004年7月17日)
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2004年度 6月 - 江戸美術普及に捧げた我が人生

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2004年度 6月 - 江戸美...
講師 プライス悦子氏
講師紹介と略歴
6月は、海外での江戸美術収集家の第一人者であるプライス悦子氏に「江戸美術普及に捧げた我が人生」と題して話していただきます。

〔プライス悦子氏のプロフィール〕
武庫川女子大卒、日本美術史は学習院大学院で小林忠教授に学ぶ。
1966年に、鳥取の旧家からオクラホマの資産家に嫁ぎ、人種差別に耐えながら夫のジョーと共に江戸美術の収集と普及に努めてきた。その後カリフォルニアに移住し財団法人「心遠館」を設立。1982年にはロスアンジェルス郡美術館に私財を投
じて、日本館も設立、半世紀かけて集めた作品のうち1/3を所蔵している。江戸美術について彼女の信念と波乱の人生を語っていただきます。


講義内容
・2006年7月から、東京国立博物館でプライス氏所有の江戸美術120点の「里帰り展」が開催される。今回は里帰り展で公開される伊藤若仲や円山応挙の作品などを中心に、コンピューターに取り込んだ画像を紹介いただいた。
・江戸美術は、明治から昭和中期まで見過ごされてきた文化。明治時代は近代化のため、封建社会だった江戸時代は悪い時代として、文化的にも完全に無視された。昭和中期以降大学でも取り上げられるようになり、見直されてきた。
・夫のジョー・プライス氏は、学生時代より日本芸術に造詣が深かった建築家フランク・ロイド・ダイトと交流があり、影響を受けた。ニューヨークの画廊で、たまたま出会った江戸美術に一目惚れし、5点ほど買い求めた。それを機に、コレクションを始め日本へも足を運ぶようになる。その時、通訳したのが縁で悦子氏と出会う。以後、40年間ともに江戸美術の普及活動に費やす。
・ 余白の美が他国の美術にはない、際立った特徴。計算されつくされた美しい余白を鑑賞してほしい。
・欧州美術には大いに影響を与えている江戸美術だが、そのことを隠そうとする風潮が欧州の学者にはあり、正当な評価を受けていない。アメリカでは、本格的なコレクターは5名と十分認知されていない。日本でも、明治から昭和中期まで学術的に無視された歴史があり、日本人自身素晴らしい日本芸術を十分理解していない。
過去40年江戸美術の普及に務めてきたが、「里帰り展」はその集大成。
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