2001年12月17日
田 原 護 立 様
先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。
急なお願いにもかかわりませず、タイムリーな話題をご提供頂き有り難うございました。
「ガラス細工のアフガニスタン」の意味がお話しを伺いながら次第に理解できて参りました。
ペシャワール会の方の言葉としてご紹介頂いた「アフガニスタンの現状は日本の戦国時代」というのは、大変分かりやすい表現であると思います。
各部族が先進国から提供される武力や資金によって、まだまだ戦う力を持っており、民度が日本の明治時代程度にまで達していない現状で、外部の力によって平和をもたらす事が、如何に難しい事かを教えて頂きました。
「戦争当事者が平和を求めない限り平和は実現しない」「アフガニスタンでは平和のために流した血の量が未だ少ない」というのは、実際に平和のために戦った事のある方達の言葉として、大変な迫力を感じましたが、同時にかつての歴史から学び、一滴でも血の量を減らす事が出来ないのかという疑問も湧いてまいりました。
アフガニスタンの文盲率の低さ等からくる、我々が見逃しがちな事象についてもご指摘を頂きました。また、外交における二枚舌、三枚舌の話も興味がありました。話を聞く内に「ガラス細工の日本外交」の感を強めました。
まだまだ判りにくい事の多い問題ですが、全てが判らなくても、それなりに考えていく必要があるように思います。この度の講演によって私達会員一人一人が問題の複雑さに屈することなく考え続けるエネルギーを頂いたように思います。
今後とも日米両国に渡ってご活躍されんことをお祈りしまして、感謝の言葉とさせて頂きます。
有り難うございました。
2001年11月19日
片田 さおり 様
先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき 誠に有り難うございました。
米国にあって、日本とアジアの地域金融協力を考えるという貴重な時間を頂いて、大変感謝致しております。
アジア金融危機の前後における世界の動きの違いをお伺いし、改めてこの危機が与えた影響の大きさと日本の果たす役割の大きさを認識致しました。
アジア諸国が、アメリカのマーケットによる支配から脱け出そうとしていた矢先に経験したアジア危機は、従来のアジアにおけるソフトな地域統合が、危機回避の手段として機能しない事、アメリカがダブルスタンダードを使い分ける事を見せ付けられる事になり、アジアにおける自助努力が必須である事を思い知らされました。
痛みを伴うIMFによる支援を受けながら、危機からの復興を目指すアジア諸国が、よりタイトな地域統合の道を選ぶのか、或いはこの間に台頭してきたナショナリズムをベースにグローバリゼーションと自国との間のバッファ作りだけで間に合わそうとするのか。まだ大きな疑問が残されています。
また中国や私達の住むアメリカが、どのような対応を今後とってくるのか。
先生のお話しを伺いながら、疑問はどんどんと膨らんでいくようです。このような疑問を持つ事のきっかけを与えて頂いた事は、今後毎日の経済記事を読む上でも大いに役立つ事と思います。
アメリカに居て、つい忘れがちな日本のアジアにおける大きな貢献についてもご指摘を頂き、日本人としての誇りを感じる事もできました。
短時間でもあり、先生のメッセージを皆が正確に受け取れたかについては、ちょっと自信の無いところではありますが、この会の為に貴重な時間を割いて頂きました事に改めて心からお礼申し上げます。
今後の先生のご研究が実り多いものになりますようにお祈り致しまして、感謝の言葉とさせて頂きます。
有り難うございました。
2001年10月22日
白形 雅則 様
加藤 重樹 様
鈴川 喜久子 様
先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。
毎日飲んでいるお茶について、沢山の事を教えていただきました。私達は何も知らないで飲んでいたのだとつくづく感じました。
緑茶、烏龍茶、紅茶が同じ種類の木から採れる事
中国の故事から、お茶は毒消しから出発した事
アメリカでも古くは、緑茶の輸入が紅茶を上回っていた事
お茶は不老長寿の仙薬である事
そして美味しいお茶の入れ方
セミナーで入れていただいたお茶と羊羹は大変美味しくいただきましたが、それにも益して今まで家で飲んでいたお茶が入れ方一つで随分美味しくなったのには驚きました。何かとても得をしたような気分になりました。
セミナーの前日、美味しいお茶に適した水の選定のために、夜中まで沢山のお茶を試されて、眠れなかったとも伺いました。皆様のご努力に深く感謝申し上げます。
これから 私達は、今まで以上に多くの美味しいお茶を楽しみ、健康に過ごせる事と思います。
今後とも素敵な日本文化の一つとしての日本茶の普及に御尽力され、素晴らしい日本茶の魅力を多くの人々に広められて、ますます御商売が繁盛致しますように念じまして、感謝の言葉とさせていただきます。
有り難うございました。
2001年9月17日
根 本 正 史 様
先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。
頭の良くなる薬を期待して、集まったメンバーには誠に残念なセミナーとなりました。
体に良い事は頭にも良いと、これまた耳の痛い人が多かったのではないかと思います。
暴飲暴食を慎む
成人病に注意する
適度な運動で、肥満を防止する
しかし、希望も持たせていただきました。
頭は使えば、能力があがる
眠りは、記憶を定着させる
オプティミストは、長生きする
せいぜい頭を使い、暴飲暴食を慎んで、一日に百万もの脳細胞が死なないように、しっかり睡眠をとって、長生きしたいものです。
オプティミストは長生きすると言われて、自信を深めた人が我が会には多いのではないかと想像しております。
御多忙な研究生活の中で、我々素人のために時間を頂き、判りやすく脳の話をまとめていただきましたご努力に深く感謝申し上げます。
今後の御研究が、実り多いものでありますように祈念致しまして、感謝の言葉とさせていただきます。
有り難うございました。
2001年8月13日
田 辺 康 広 様
先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。
ボスざるの話から始まったお話は職場での実例から夫婦の会話にまで及び大変興味あるものでした。
「私達の行動に重大な影響を与えている情動をうまく管理し、利用する事は知能である」という理論に基づいたEQは、日々の生活の中で活かされる多くの示唆を与えていただきました。
かつては家庭、学校、地域の中で自然に育んでいた情動をコントロールする知恵を私達は何時の間にか失ってしまったというご指摘も心に残りました。
怒りをコントロールするスキル
自己主張するスキル
ボスざるの条件
やる気のメカニズム
マーラビアン博士の方程式
いずれも判っているようでなかなか実践できないテーマを実例を織り交ぜながら、平易に解説いただいたことに感謝いたします。
この日ご教示いただいた内容を実践するよう努力したいと思いますが、これからも田辺様のご援助をいただく機会が多々あるのではないかと想像致します。
最後に、田辺様の今後のご活躍を心から念じまして、お礼の言葉とさせていただきます。
有り難うございました。
講師: 浅野かおり (社交ダンス教師)
東京都出身。東京外国語大学を卒業。外語大の1年生の時に社交ダンス・クラブに入ったことがきっかけで、学生時代から社交ダンスのレッスンを中心とする生活を始める。卒業と同時に、プロに転じる。全日本選手権で3位、東部選手権でチャンピオン、社交ダンスの最高峰、全英選手権(ロンドン)で最終24組に残る、という成績を挙げる。日本で18年間の活動ののち、2000年からロサンゼルスでダンス教室を主宰。
テーマ: Shall We Dance? 社交ダンスの魅力
社交ダンスは、イギリスが発祥の地。現在の日本でもたいへんな人気を得ている。ロサンゼルスに来るまでは、アメリカでは、社交ダンスはあまり人気がないのではないかと思っていたが、アメリカも日本と同じくらい、社交ダンスが盛んな国である。
社交ダンスを習う目的としては?競技会に出るため?パーティーで花を添えたい?
クルーズのダンス・パーティー、息子の結婚式で踊るため?健康維持やリハビリのため、が挙げられる。
ダンスは、歩くことの延長で、自然なリズムで、ムリが無い。医者が薦めることも多い。1曲がわずか3分であるが、短い時間で、多くの運動量が得られる。
しかし、社交ダンスのおもしろさは、大人の男女が向き合うことにある。ダンスの相手が母親と息子だったり、姉と弟だったりすると、踊っていても、おもしろくないと思う。
社交ダンスは、技の難易度を競うものではない。
わたしは、子供の時からクラシック・バレーをやっていたので、振付を覚えることが得意だった。大学1年の時に、社交ダンス・クラブに入ったが、すぐに振付を覚えてしまった。ところが、ダンスの練習では、踊りの経験の無い女子学生の方が、もてた。わたしは、振付を知っているので、男性の動きとは関係なく、一人で動いてしまっていたからだ。
つまり、振付を知っているだけでは、うまい社交ダンスにはならない。男女の息が合っていることが大事である。
社交ダンスのキー・ワードは、「リード」と「フォロー」である。ダンス中は、声を出して、相手に指示を伝えることができない。ダンスの最初のステップや、ターンの大きさも、声で伝えることができない。
女性は、ダンスのステップを知っていても、男性のリードがあるまでは、踊ることができない。一見すると、社交ダンスにおける女性の立場は、100%受身のように見えるが、決してそうではない。わたしは、男性にリードをするチャンスを与えることが女性のフォローである、と考えるようにしている。
踊りの方向を指示したりするようなリードは、結果的にパートナー同士が、押したり引っ張たりすることになる。相手のことを尊重すること、女性の持っているものを尊重すること、バランスを壊さないようにすることが、いいリードである。
社交ダンスとは、女性が戦車で、男性が操縦士、あるいは、女性が馬で、男性が騎手のようなものである。
わたしが、社交ダンスを習ったとき、教えられたことは、リードとフォローのことばかりだった。
(ここから、長尾謙吉さんを相手に、浅野さんは、フロアーに出て、ダンスを披露します)ダンスを習いにくる男性は、日本では、自分をよく見せることを目的としているが、ロサンゼルスでは、女性に楽しんでもらいたいので、リードを教えてほしい、という人が多い。
手を組むと、男性が回れば、女性も回る、男性が斜めになれば、女性も斜めになる、というのが、社交ダンスです。
社交ダンスがオリンピック種目になっていなかったり、競技にスポンサーがつきにくいのは、勝ち負けの判定がつけにくいから。ステップを正しく踏んでいる、というだけでは、ダンスがおもしろくならない。大きく動いたから、難しいステップをやったから、いいダンスと、言えるものではない。へんな格好でも、いい、ということがあり得る。2人の息があっていることは、素人目にも分かるものである。
つまり、社交ダンスとは、パートナーのチームワークを競うものである。2人が最後まで、チームワークよく、崩れないでいると、いいダンスになる。チームワークがないと、1曲3分の時間を続けることはできない。パートナー同士の関係は、シャボン玉のようにはじけ易いものである。
(了)
2001年7月16日
浅 野 かおり 様
先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。
楽しいお話しとダンスの演技に見とれている内に、あっという間にセミナーは終了してしまいました。
もっと聞きたい、もっと見ていたいセミナーでした。
チームとしての最小単位である2人であるが故の難しさ。男女であるがゆえの楽しさ難しさ。日々の生活や、ビジネスにも充分通用するヒントを、楽しいダンスを通して教えていただいた気がします。
「リードとフォロー」に関するお話しは、特に興味深く聞かせていただきました。
男性にリードするタイミングを与えてあげる女性と、懐の中で存分に女性を泳がせてあげる男性が、組んだダンスはそれは素晴らしいものだと思います。
また、正しくやっても楽しくない、面白くない、美しくない事がある。
二人が「一緒」になった時が美しい。というのは長く研鑚を積まれてきた方ならではのお言葉と感じました。
お忙しい中を、私どものために新しい振り付けを考え、練習してきていただいた事に、感動致しました。本当に有り難うございました。
このセミナーの参加者は今後ダンスをする度ダンスを見る度に、この日のセミナーの事を思い出す事と思います。
最後に、浅野様の今後のご活躍を心から念じまして、お礼の言葉とさせていただきます。
有り難うございました。
2001年6月18日
Muramatsu & Associates 法律事務所
村 松 保 男 様
先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。
特許はエンジニアの世界の事と思っておりましたら、いつのまにかビジネスの世界でも非常に重要な戦略と考えられるようになりました。しかしながらこれを理解する事は、大変難しい事です。
この度は、特許の基本から素人に判りやすく丁寧にご説明をいただき、感謝いたしております。
特に、最近の話題としてご提供いただきました「ジェローム・レメルソンとサブマリン特許」及び「ビジネスモデル特許」にきましては、興味深くお伺いしました。
もう少し時間が欲しいというのが大方の皆さんの感想だったろうと思っております。
特許の取り扱いが、企業の或いは国の発展に大きく影響を及ぼすであろうというある種の希望とこれを間違えると取り返しの着かない事にもなりそうな恐怖感の様なものも感じました。
経営の中での重要な要素の一つをご指摘いただいた気がしております。
勿論個々の問題については、専門家のご支援を戴かなければならないと思いますが、専門家と話が出来る基礎知識をお教えいただきました今回のセミナーに深く感謝申し上げます。
お忙しい中を、私どものために時間をいただきました事に今一度御礼申し上げまして、感謝の言葉とさせていただきます。
有り難うございました。
サウス・ベイ経営セミナー、2001年5月度(5月9日、ホリデーイン・トーレンスで)
講師=ジェトロ・ロサンゼルス事務所の副所長、福島章さん
福島さんの略歴 1980年通産省に入る。東京大学原子力工学大学院を卒業した。
98年6月にロサンゼルスに赴任した。2001年6月に帰国する直前であるにもかかわらず、経営セミナーの講師を引き受けてもらいました。ロサンゼルスに来る前は、建設省の大臣官房で、安全問題を担当した。
講演内容
通産省では、電力エネルギー政策を担当し、電力予測の室長をしていたことで、カリフォルニアの電力事業の緩和に注目していた。電力の自由化は、世界各地で起こっており、1990年ころからイギリス、アメリカ東部で自由化が行われ、成功している。つまり、自由競争による電気料金の値下げが実現している。
カリフォルニア州では、1996年に電力販売に競争原理を持ち込む法律が成立して、1998年4月から実施された。福島さんがロサンゼルスに赴任したのは、1998年6月で、2000年ころには、新しいシステムの結果が出てくると思っていたら、急激な電気料金の値上げ、輪番停電が起こり始めた。
カリフォルニア州の新システムは、従来の電力会社が、発電設備を売却して、配電専門の会社になり、配電会社は、自由に安く供給してくれる発電会社から電気を買えることを目的にしたものだった。
ところが、配電会社は入札で、電力を購入しなければ、ならなくなったため、長期契約による安い料金を確保できなくなった。卸値が上がってきたにもかかわらず、消費者への小売価格は、値上げできない規制措置があった。配電会社は、電力を売れば売るほど赤字になる構造に陥り、州外からの新規の配電会社の参入はなく、自由競争が起こらなかった。
2000年6月には、サンディエゴで、急激な電気料金の値上げが起こり、サンノゼでは、輪番停電が始まったが、カリフォルニア州のデービス知事は有効な対策を取らなかった。デービス知事が行ったことは、クリスマスの時、州議事堂前のツリーの電球に火をつけて、すぐに消して、節約を呼びかけたことだけ。
カリフォルニア州では、4550万キロ・ワットの発電能力があるが、2000年には5155万キロ・ワットの需要があった。輪番停電は、需要が3000万キロ・ワットの時点でも起こっている。4550万キロ・ワットの発電設備があるのに、発電所を稼動させていないことが原因。
一方、規制緩和の対象外になった、ロサンゼルス市の電気水道局は、従来どうりの営業を続け、安く仕入れた電力を州外の配電会社に売却することで、2000年は2億ドルの利益を出す、というおかしな現象も起きている。
カリフォルニア州の電力危機は、あと2年ほどで解決するだろう。あらたな発電所の建設が必要だが、環境保護運動は、ヒステリックになっている。発電所を作るというと以前は, Not in My Backyardと言っていたが、現在は、BuildAbsolutely Nothing Anywhere Near Anyone (BANANA)と言って反対している。
(要約=東 繁春)(了)
2001年5月14日
福 島 章 様
先日は 私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。
「カリフォルニアの電力問題」と題してのお話しは、極めて身近でありながら、難解なこのトピックスを考える上で、大変参考になりました。
常に有るのが当たり前で、電力が有限である事すら忘れていた私達にとって、輪番停電という事態が、この文明国アメリカで起こるなど想像し得ない事でした。
この問題を、需要供給のバランスと、制度的問題に起因するものとして解説頂いた事は、私達の理解を深める上で大変有効でした。
私達が毎日消費している電力が元々自然界に存在するものではない事は、私達にも容易に理解出来ますが、これを安定的に供給するための裏方の努力はつい忘れがちです。 また、水力/風力/火力/原子力等どの方法をとるにしても、環境問題との関連を無視するわけにはいきません。
これらシステムを自由競争の中で有効に機能させるため、行政の役割の重要性を再認識致しました。また日本では、このような事が起こらない様努力されているという福島さんの言葉を力強く感じました。
終わりに、日本に帰国されてからも益々のご健勝ご活躍を祈念致しまして御礼の言葉とさせていただきます。
有り難うございました。
サウス・ベイ経営セミナー4月度(4月11日、ホリデーイン・トーレンス)
「日本建築の原型とその展開」
講師=高瀬隼彦さん
サウス・ベイ経営セミナーのメンバーである高瀬さんが、今回の講師に選ばれた。高瀬さんは、1953年に東京大学建築学科を卒業し、翌年には、ブラジル・サンパウロの市制400年を記念した万博で、日本館の建築のため、ブラジルに渡る。サンパウロでの仕事が終了したのち、アメリカに滞在し、ミノル山崎建築事務所で働きながら、ハーバード大学大学院(デザイン学部建築学科)を卒業する。1960年から鹿島建設本社設計部、1964年に米国鹿島アソシエーツの設計部長としてロサンゼルスに赴任。リトル東京の鹿島ビル、ニューオータニ・ホテルなどの建築に携わる。1977年にタカセ・アソシエーツを設立、1988年から1994年までは日建アメリカの社長を務める。
コミュニテー活動としては、南加日系商工会議所の会頭、LA東京会の会長、着物を着る会の会長など、多くの団体に参加している。2000年11月には、日本建築を海外へ紹介した功績で、勲章を受けている。
<講演内容>
日本建築のルーツは、弥生時代に作られた高床式の住居にまで、さかのぼることができる。この高床式建築を、現在まで継承しているのが、伊勢神宮の神殿で、伊勢神宮こそ日本建築の原点といえる。伊勢神宮では、20年ごとに神殿を建て替える「式年遷宮」が1300年間も続いている。20年ごとに神殿を建てることで、建築技術が次世代に継承され、半永久的に建築物を保存することができる。この技術伝承のシステム化は、世界に類のないもので、日本が世界に誇ることができるものだ。
高瀬さんは、1953年に、サンパウロに建てられた日本館の建築の携わる機会があり、日本建築のトップレベルから直接学ぶ機会があった。日本建築は、芸術の域にまで達しており、海外でも高い評価を得ている。しかし、現代の日本では、日本建築は時代に合わなくなり、米国の建築方式「2X4」が浸透しつつある。
アメリカでは、日本庭園が各地に作られている。その日本庭園には日本建築(茶室など)も作られている。建築方式がまったく異なるアメリカで日本建築を作る仕事は、和洋折衷作業であるが、そこに新しい日本建築の手法が生まれている。
日本でも、法規制があり純粋な日本建築を作ることは難しくなっている。そこで、アメリカで実践してきた現地の工法や規制に沿った日本建築作りは、これからの日本で、参考になるのではないか。
(要約=東 繁春)(了)
2001年4月13日
Takase Associates, Inc.
高 瀬 隼 彦 様
先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。
「日本建築の原型とその展開」と題してのお話しは、改めて私たち日本人の培ってきた日本文化の素晴らしさを認識し、誇りと自信を与えて頂きました。
日本建築の持つ美しさを、自然素材の生かし方、独特の配置(プロポーション)そして自然との融合と分析され、私ども建築には縁遠い者にも興味深く判りやすいお話しを頂きましたご配慮に深く感謝申し上げます。
日本建築の原型としての伊勢神宮のお話しの中で、20年毎に行われる式年遷宮やそこで使われた棟持柱のリサイクルなど、エコロジーが盛んに叫ばれる現代に於いても充分通用するものとして、大変興味深くお伺いしました。
また、お話をされている高瀬様のお姿を拝見しながら、御自身が心から日本建築さらには日本文化を愛し、敬承されていることを強く感じました。
セミナーのためにご多忙の中を改めて伊勢神宮にお参りになったともお聞きしました。また、貴重なスライドなども準備いただき、楽しく有意義なセミナーにしていただきましたご努力に改めて感謝申し上げます。
終わりに益々のご健勝ご活躍を祈念致しまして御礼の言葉とさせていただきます。
有り難うございました。
テーマ:日本企業の海外生産とグローバル・ローカライゼーション
講師:長尾謙吉さん、大阪市立大学経済研究所助教授、2000年12月から1年間、フルブライト・プログラムによる研究者としてUCLA地理学科に在籍中。
長尾さんの専門は、経済地理です。これまでの経済学は、空間の広がりという視点が欠けていた。経済の「需要供給曲線」は、すべてのひとが、同じ場所に住んでいるという前提で作られている。例えば、生産者が日本にいて、消費者がアメリカにいて、お金の決済はイギリスで行われ、という時代では、「空間」という要素を考えることが、重要になってくる。
「グローバル化」「地球的規模で考えよう」ということが、言われているし、『地理の終焉』というタイトルの研究書も出版されている。どこへでも簡単に行けて、なんでもすることができる時代が来ている、というが本当であろうか。
1993年に制作された映画「デモリッシュマン」は、シルベスター・スターローンが主演している。50年後の近未来の南カリフォルニアが舞台で、グローバリゼーションが行き渡った世界が描かれている。その映画の中では、ちょっといいレストランとして「タコベル」が使われている。競争の結果、生き残ったレストランは、「タコベル」という設定である。
「ボーダレス時代」とも言われている。国家の境界線という意味でのボーダーの役割は消えつつあるかもしれないが、国家の中のさらに小さな単位である地域の特徴までは、消え去ってはいない。むしろ、地域的な特徴が顕在化している。
日本・韓国とアメリカ・カナダでは、車の売れ方が違う。アメリカ・カナダでは、中古車価格が非常に高く、中古車市場で信用を得ないと、新車も売れない。この一番いい例がヒュンダイ自動車である。安いヒュンダイの車は、最初は、たくさん売れたが、中古車市場を作ることができなかったため、その後、売上は伸び悩んでいる。韓国で売れる車とアメリカで売れる車は違うということである。また、アメリカの中でも、海岸部に人口が集中している東部では、潮風の影響があり、車はすぐさびてしまう。東部で売れる車にするためには、さびない工夫が必要である。
アメリカでは「ニューメディア」、日本では「マルチメディア」と呼ばれるインターネットを中心とした新事業の会社は、全米に均等に散らばっては、いない。特定の場所に集中する傾向がある。サンフランシスコであれば、マーケット・ストリートの南側、「ソーマ」と呼ばれる地区に集中している。ソーマは、縫製工場があった場所で、ニューメディア企業は、工場の跡の建物を利用している。ニューメディアは、衣服産業とよく似て、不確定性の世界である。何が売れるか分からないことと、売れると短期間に大量に作らなければならない、という共通点がある。
サンフランシスコは、アートとテクノロジーが結びつくことには、最適の町と呼ばれている。サンフランシスコは、ゲイの町として有名だが、カーネギー大学の調査によれば、ニューメディア産業の集積とゲイ地区には、相関関係がある、という。ゲイを受け入れる地域は、新しいことを受け入れる、という解釈である。
世界的な企業になったソニーは、愛知県に工場が多いが、これは、創業者が愛知県出身であったことと関係している。創業者が地元のことをよく知っていて、工場を作りやすかったからだ。
世界的規模で販売されている製品は、母国市場が非常に大きな影響力を持つ。アメリカでは、新車でも故障することは、許容されていた。しかし、日本のカスタマーは、故障を非常にいやがり、日本メーカーは、壊れない車を作った。そのことが、アメリカでも競争に勝つことができる車作りにつながった。
自社製品の優れた面や製造方法の優れた点を「自明視」せず、自社や地場の持つ優れた面を見直すことが大切である。
(要約=東 繁春) (了)
2001年3月17日
大阪市立大学経済研究所助教授
長尾 謙吉 様
先日は私ども「サウスベイ経営セミナー」のため、講師としてお出でいただき誠に有り難うございました。
経済学に「空間」「領域」「場所」「距離」の重要性を持ち込んだ経済地理学が、社会科学において再評価を受けているとのお話し、大変興味深くお伺いしました。
グローバル化、情報化という言葉が先行し、地球上どこに居ても同じかのような印象を与えている未来観に、地理の意味をもう一度考え直す良い機会となりました。
ちょっと洒落たレストラン・タコベルから運ばれたタコをほうばりながら、砂漠でビジネスをする姿は、あまり魅力的には見えてきません。
既に現実として現れてきている 所謂ニューメディア産業の大都市集積や、ボーダレスになって見えてくるボーダフルな社会・経済など、大変楽しく聞かせて頂きました。
また、「Taken for granted world」を「自明視」せずに足元の優位性を見直す事も大切と、我々の日常生活やビジネスの世界にも当てはまる示唆に富んだお話しを伺いました。
ダンスのお話しを頂く時間がなかった事だけが、残念に思っております。また別の機会にダンスのお話しをお聞かせ頂ければと願っております。
終わりに 益々のご発展ご活躍を祈念致しまして 御礼の言葉とさせていただきます。
有り難うございました。
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