以前からここに石佛が有るのは知っていたのですが、初めてゆっくり拝観することが出来ました。場所は長尾寺から最後の札所大窪寺への旧遍路道でいよいよ最後の山越えをする手前の田園地帯から斜面に畑が続くちょうど境目の丘陵の飛び出た所でにあります。旧道の南側から振り返ると 新しい国道は丘陵を切り分けて通されていました。また旧道と新道はここで合流しています。 自然石に彫られた石佛はこちらでは珍しいものです。国道側には説明の立て札がありました。 136回も四国巡礼をした有名なお遍路だったのでしょう、この地で息絶えたそうです。文久元年1861年と言うのは正に幕末期で桜田門外の変や公武合体で和宮皇女の江戸下向があった年だそうです。香川にはまた金比羅詣出と言う信仰の地が有り幕末も賑わっていたそうです。坂本龍馬も琴平で剣術指南と言う名目でこの時期諸藩の情報集めをしています。高杉晋作も捕縛手を逃れて一時期琴平に潜伏しています。そんな中、庶民の信仰のとして四国遍路や金比羅詣が盛んだった事がうかがえます。 近くで見ると石佛の出来栄えも何か素人っぽく見えます。多分幾人かの遍路が彫って行ったのだろうと思われます。また高地蔵と言うのは山地を超えた徳島県の吉野川流域で、川の氾濫から地蔵を守るために高くして地蔵を祀っていていますが それを高地蔵と呼んでいます。100基程あるそうですが、それと関係があるのかどうか?この地も直ぐ南にダムが有るので、昔は川が氾濫して居たのかも知れません。 ダム湖には遍路会館というのが有って遍路の資料を集めた資料館も有るので、次回 ここ高地蔵の由来も調べて見ようと思います。