5月
12日,
2007年
仕事先はアヘン戦争の勃発の地
※省>市>鎮 日本のサイズでは省は地方、市は県、鎮が市となります。香港経由で行くのですが、ちょっとした冒険が待っています。
まず、セントレアでは当然香港行きの飛行機に乗り、荷物も「香港」宛です。
空港に到着すると、E1カウンターに向かいます、香港(ぐあんとん)に入国しません。
E1カウンターは香港国際空港から直行する高速船のチェックインカウンターです。
当然、イミグレ前なので預けた荷物は引き取っていません。ここで、目的地虎門行きのチケットを購入しますが、その時に預けた荷物の預り証を渡さなければなりません。
つまり、乗客になり代わり、ここのスタッフが荷物を引き取り目的地まで運んでくれる仕組みなんです。
※正直、相当不安です、荷物が紛失した事はわかるのは現地に着いてからです、おまけに
預かり証は無い。(番号は当然控えておきます)ここからの高速船は、広東省各地の港に便があるので何処に間違って運ばれてもおかしくない。手続きを終えると、専用乗り場に行くバスに乗せられますが、この待合が大変、日本語はおろか、英語の案内もありません、おまけにと虎門は太平港(たいぴん)とも呼称するので、全く気が抜けません。
やっと乗船し、高速船でぶっ飛ばして70分、河とも湾ともつかぬ大河を遡り、虎門に到着します、
下船直後に、岸壁に放り出された荷物の中から自分のそれを探し出し、やっとイミグレです。
帰路も同様にここ虎門で出国手続きと荷物を預けます(今度は名古屋なのでやや安心)ただし、香港到着後、再度航空会社のカウンターでボーディングパスを貰い、空港利用税の還付を受けます。さて、行き先の虎門ですが、ここはアヘン戦争の発端となったアヘンを林則除が燃やした(実際は化学反応で中和)場所です。
今も記念館がありますが、未だに行った事はありません。お茶の入超の対策にアヘンを売付け、アヘン禁止令が出れば(当然)それを利用し巧みに処分させ、因縁を付けて戦争を吹っかけ、圧倒的な火力で勝ったその代償に多額の賠償金と香港の租借権を99年間取り付けました、その返還はつい最近終了したところです。
※英国の教科書にはアヘン戦争の記述は無いと聞きます、中国も謝罪要求をしていないようです。写真はその「鴉片戦争」のポスターです。