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豊後国(大分)の英雄 『大友宗麟』

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豊後国(大分)の英雄 『大友宗...

『大友義鎮(よししげ) 1562年(32歳)に出家して、大友宗麟(そうりん)と号す』  1530年~1587年

豊後国(ぶんごのくに)=今の大分県(宇佐市と中津市を除く) ★宇佐市と中津市は当時、「豊前(ぶぜん)」 に属す。

その豊後国の主、強大な戦国大名、キリシタン大名、宣教師からは 「王」 と呼ばれたのが大友宗麟です。

1550年、父の義鑑が臣下の謀反により死去、弱冠、20歳にて豊後国の主となる。

1551年、宗麟が21歳の年、イエズス会宣教師 フランシスコ・ザビエルと引見し、キリスト教と出会う。
  ★領内の布教活動を保護することで、南蛮貿易を活発に行い莫大な利益を得る。

1578年(天正6年)宗麟48歳の年に洗礼を受け、 洗礼名は 「ドン・フランシスコ」 と名乗り、キリスト教徒となる。

 ★日本で初めて大砲(当時は国崩しと呼んだ)を使ったのが宗麟だとされる。

 ★鉄砲も種子島伝来より10年も早く、豊後へ伝わったとされてる。

【一時期は、九州六箇国及び日向、伊予の一画を支配した】
  「豊後(大分県)」  「豊前(福岡県の東部から大分県の北部)」  「筑前(福岡県の西部)」  「筑後(福岡県南部)」
  「肥後(熊本県)」 「肥前(佐賀県・長崎県)」  「日向(宮崎県の一部)」  「伊予(愛媛県の一部)」
  
  ★実に、薩摩国(鹿児島県)を除いた九州のほとんどを支配していたことになります。
 
     【画像はJR大分駅前にある、大友宗麟公の像です。】


#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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神戸のおいさん
神戸のおいさんさんからコメント
投稿日 2011-06-24 02:24


    

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神戸のおいさん
神戸のおいさんさんからコメント
投稿日 2011-06-24 12:40

大友宗麟公

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神戸のおいさん
神戸のおいさんさんからコメント
投稿日 2011-06-24 02:25


    

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神戸のおいさん
神戸のおいさんさんからコメント
投稿日 2011-06-24 02:25

フランシスコ・ザビエル像(大分市内・遊歩公園内)

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神戸のおいさん
神戸のおいさんさんからコメント
投稿日 2011-06-24 02:26

大分市・ガレリヤ竹町内

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神戸のおいさん
神戸のおいさんさんからコメント
投稿日 2011-06-24 02:26


    

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神戸のおいさん
神戸のおいさんさんからコメント
投稿日 2011-06-24 02:27


    

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神戸のおいさん
神戸のおいさんさんからコメント
投稿日 2011-06-24 02:27

大分市中心街

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立ち呑みHAKUDOU
立ち呑みHAKUDOUさんからコメント
投稿日 2011-06-24 20:36

神戸のおいさんさん

豊後王、大友宗麟の画像
拝見。いいですね。
私も大分駅に着くと
宗麟公に手を合わせます。

大分府内から、臼杵に
居城を移し最後は
日向で島津にやられる。

県南の津久見で没。

もしもですが、日向で
島津に敗れなかったら
歴史は大きく変わり
首都は大分。
その代わりヨーロッパの
町並みになって日本らしさは
薄くなったかもしれませんね。

奈多八幡の宮司の娘が
嫁になり、関東武士団出自
の宗麟を目下に見下す
まさに宇佐神宮の地
大分ならではの不思議。

◎歴女など歴史ブームですが
 歴代武将で一番すきなのが 
 豊後王大友宗麟

 哲学的思索に悩む
 こんな武将はいません。

 その後の大分。
 廣瀬中佐、戦争終結の
 最後の陸軍大臣、阿南さん
 みな、思索の深い
 ある面リベラルな人士。

 郷里の誇りです。

 御手洗酒店が豊後
 大友センターのようですね!

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神戸のおいさんさん 豊後王、大友宗麟の画像 拝見。いいですね。 私も大分駅に着くと 宗麟公に手を合わせます。 大分府内から、臼杵に 居城を移し最後は 日向で島津にやられる。 県南の津久見で没。 もしもですが、日向で 島津に敗れなかったら 歴史は大きく変わり 首都は大分。 その代わりヨーロッパの 町並みになって日本らしさは 薄くなったかもしれませんね。 奈多八幡の宮司の娘が 嫁になり、関東武士団出自 の宗麟を目下に見下す まさに宇佐神宮の地 大分ならではの不思議。 ◎歴女など歴史ブームですが  歴代武将で一番すきなのが   豊後王大友宗麟  哲学的思索に悩む  こんな武将はいません。  その後の大分。  廣瀬中佐、戦争終結の  最後の陸軍大臣、阿南さん  みな、思索の深い  ある面リベラルな人士。  郷里の誇りです。  御手洗酒店が豊後  大友センターのようですね!

神戸のおいさん
神戸のおいさんさんからコメント
投稿日 2011-06-27 18:42

HAKUDOU師匠
素晴らしいコメントありがとうございます。

おいさんの実家近くの春日浦が、宗麟の南蛮貿易の拠点でした。
その跡地に宗麟公の像が建ってます。

豊後という立地的な地が素晴らしい立派な人を生む、
文人、軍人、画人、詩人、俳人、陶芸家・・・
故郷、豊後は良いとこですね^^

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