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国鉄があった時代、日本国有鉄道史

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交流電化の夜明け 第1話 商用電化の実用化

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ED4511(画像はED911... ED4511(画像はED9111) wikipediaから引用
仙山線での試験で試用された1両、整流器式を採用しその後の交流機関車の基礎となった。
終戦、そしてGHQにより日本占領が終了した昭和27年、国鉄は輸送力増強そして動力の近代化に前向きに取組こととなりました。
海外に目を向けてみると、昭和26(1951)年フランスが商用周波数による交流電化(それまでは16 2/3と言う特殊な周波数を使っており、変換装置などが大掛かりなものとなり、決してコスト的に安いものではなかった)が完成したとのニュースは、日本における交流電化に向けて大きな励みになりました。
早速日本でも、昭和28年、交流電化調査委員会が設けられ、研究が開始されました。
当初は、実用実験に入るため、フランスから試作機を購入することを打診しますが、継続した車両の購入などを要求されるなど諸般の事情から、結局は輸入ではなく、国鉄を中心として車両メーカーが試作することとなりました。
当時、国鉄では経済復興に伴う輸送力の増強が求められており、さらなる輸送力の基盤整備を求められることとなり動力の近代化と幹線の電化は喫緊の課題となっていました。
 電化も推進されることとなりましたが、交流電化という新しい方式が注目されたことも事実で、その理由を列記してみたいと思います。

1. 交流電化方式は、直流電化と比較して地上設備が簡単安価。
2. 機関車の粘着性能が直流機関車と比して有利。
3. 列車本数の少ないローカル幹線などでは貨物輸送も、旅客輸送も行える機関車方式が有利
等の経済的メリットがあったと言われています。
 しかし、これは既設の直流電化と交流電化の接続を考慮しないことを前提としており、実際に、交直接続をどうするのかという点がその後大きな問題となってくるのでした。
 仙山線では当時、作並~山寺間が既に直流1500Vで昭和12年に電化されており、新たに北仙台~作並間を交流電化することとしました。
作並で交直切換設備を設けることで試験も出来ると考えたからでした。
交流電化は、変電所などの地上設備を少なくすることで、建設費用が安くなるとして、メリットがあると言われましたが、地上設備が安くなっても、機関車の価格が高くなってしまいました。
 さらに、旅客列車は動力分散化列車(電車)が主流となってくると、結局車両設備が高くなってしまうという矛盾が顕著になってきました。
 最近では、それほど交流電化のメリットが考えられないことから、北陸線の米原~敦賀間のように、交流→直流に戻す例も出てきました。
 話を、交流電化に戻しましょう。
昭和28年7月に設立された交流電化調査委員会は、初代委員長に副総裁の天坊氏、副委員長に、技師長の藤井松太郎氏(昭和48年から第7代国鉄総裁)が就任しました。
実験線に仙山線 北仙台~作並間を選び、昭和29(1954)年9月から地上設備の試験が行われました。
翌昭和30(1955)年8月10日には、交流化試験線として、仙山線「陸前落合~熊ヶ根間」が交流20kV・50Hzで電化、さらに、9月5日には、仙台~陸前落合間、熊ヶ根~作並間が電化され。仙台~作並間交流電化で営業運転が開始されました。



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ローカル線問題と国鉄 第4話 進むローカル線の建設

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昭和27年交通年鑑昭和27年 昭和27年交通年鑑昭和27年
 ローカル線と呼ばれる地方線は、元々鉄道敷設法に基づき建設されることとされていましたが、鉄道で輸送するには過剰な輸送力になるような地域もありました。
 戦後、膨大な赤字を抱える国鉄とすれば、儲からないローカル線は、積極的に敷設したくないと言うのが本音でした。
国鉄はマッカーサー書簡により、公社と呼ばれる、独立採算制を建前とする、企業性と公共性を有する特殊な形態の組織再編されました。
当時の政府は、国鉄を国の組織として置いておきたいと言う思惑も有りました。当時の陸上輸送は、実質的に国鉄しかなかったこともあり、全国から鉄道建設の要望があり、政府としても鉄道敷設法に基づき建設を進めようとしますが、連合軍(主にアメリカ軍)は、今後は自動車が中心であり高速道の建設を主体に粉うべきという方針からなかなか認めませんでした。
昭和26年に建設が認められたのは、津軽線 青森~蟹田間、赤穂線 相生~播州赤穂間、土讃線 土佐久礼~窪川間だけでした。

講和条約発効後を見越して昭和26年には、運輸省の下に、鉄道建設審議会が設置され本格的に建設が促進されることになりました。
鉄道省時代に設けられていた、鉄道会議が復活したようなもので、国鉄の鉄道建設は再び政府の意向に振り回される仕組みが出来上がってしまいました。

 政治の中に半強制的に組み込まれたと言っても良いのではないでしょうか。
この鉄道会議設置に基づき、昭和26年5月30日には、鉄道敷設法の一部が改正されています。
下記に、条文を一部抜粋します。

鉄道敷設法の一部を改正する法律

法律第百六十二号(昭二六・五・三〇)

 鉄道敷設法(大正十一年法律第三十七号)の一部を次のように改正する。
 第二条の次に次の九条を加える。
第三条 日本国有鉄道ノ鉄道新線ノ敷設(以下「新線建設」ト称ス)ニ関シ必要ナル事項ヲ調査審議スル為運輸省ニ鉄道建設審議会(以下「審議会」ト称ス)ヲ置ク
第四条 運輸大臣ハ新線建設ノ許可ニ関シ必要ナル措置ヲ為ス場合ニ於テハ予メ審議会ニ諮問スヘシ
 運輸大臣ハ公共ノ福祉ヲ増進スル為特ニ必要アリト認メテ日本国有鉄道ニ対シ新線建設ニ関シ必要ナル命令ヲ為ス場合ニ於テハ予メ審議会ニ諮問スヘシ
 審議会ハ内閣総理大臣及関係各大臣ニ対シ新線建設ニ関シ建議スルコトヲ得
第五条 審議会ハ本邦経済ノ発達及文化ノ向上ニ資スルコトヲ目標トシ公正且合理的ニ審議決定スヘシ
第六条 審議会ハ委員二十七人ヲ以テ之ヲ組織ス
 委員ハ左ニ掲クル者ニ付内閣之ヲ任命ス但シ第六号及第七号ニ掲クル者ニ付テハ両議院ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス

参考 国鉄があった時代
http://jnrera3.webcrow.jp/potal_shiryou/Law/Law_other/s26/s26_162.html

この法令改正では、各大臣が新線建設に対して意見を述べることができるとされており、時の大臣意向で鉄道建設が恣意的に出来ると言う内容となっていました。
 
 結果的に、国鉄は公共企業体として誕生してから僅か2年で鉄道省時代と同じ仕組みに先祖帰りしてしまうこととなりました。
 そんな中、公共企業体としての独立採算性も求められることから、国鉄としてもローカル線輸送のコスト削減と言う視点から昭和29年にはレールバスと呼ばれる車両(現在のレールバスの先祖)を誕生させています。
主にバス用部品を利用したことからレールバスと呼ばれ、エンジンも当時のバスエンジンを利用していました。
木原線を皮切りに北海道や九州の閑散線区を中心に昭和32年までに49両が投入されましたが、これらの車両は連結運転が出来ず、高学歴化とあいまった通学ラッシュの乗客増に対応できずに比較的早い時期に廃車されました。
現在も、小樽鉄道記念館ではキハ02が保存されており、当時のスタイルを偲ぶことが出来ます。

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ローカル線問題と国鉄 第3話 貨物輸送の改善

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昭和27年9月号、国鉄線の記事... 昭和27年9月号、国鉄線の記事から。
自動車による貨車代行輸送について語った記事
参照 http://library.transport.or.jp/
 ローカル線問題とは直接関係ありませんが、昭和25年からは、貨物輸送についてもサービス改善が図られ、小口貨物輸送専用のワキ列車が、汐留~梅田間および吹田~門司間に設定されました。
 汐留~門司間が65時間から43時間に大幅に改善されたと言うお話を以前にさせていただきました。
 改善の動機はドッジ・ラインによる縮小経済で貨物輸送が減少したことと、トラック輸送や船舶輸送の復旧が進みサービス改善に迫られたことも原因としてありました。
その後、朝鮮特需で需要は伸びたものの、ピークを過ぎると貨車の遊休が目立つようになったので国鉄では、サービスアップと貨車の有効活用を図るために、昭和27年9月から小口貨物の速達輸送を図るべく。「急行小口扱」を新設、貨車にも「急行便」の文字が書かれた専用貨車が使われました。これは、後にコンテナ輸送が本格化するまでは、花形列車として活躍することとなりました。
この一環輸送は翌28年には更に拡充され、自動車を活用して都市の小口扱い貨物の特定駅への集約や地方における自動車代行などが実施され、東京都内や名古屋地区、仙石線、八戸線などでは国鉄自動車局が貨車代行輸送を行ったという実績があります。
 記録によりますと、昭和27年から試行されていいたようで、昭和27年の国鉄線によりますと、筑豊線発着の小口扱貨物の自動車による貨車代行輸送が行われると言う記事を発見しました。
 すでに、昭和27年にはローカル輸送特に小口輸送はトラックにかなり喰われていることが当時の資料記事からでも見えてきます。
 都市部の集配はどちらかと言えば、貨物輸送を確保するためですが、仙石線、八戸線などの代行輸送も国鉄として拠点に集約輸送することでコストを抑えつつ貨物輸送を守ろうとする企業防衛と見ることもできます。

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ローカル線問題と国鉄 第2話 割増運賃制と国鉄運賃

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福知山線 旧武田尾駅 新線建設... 福知山線 旧武田尾駅
新線建設で、旧線は廃止されてしまいました。
 国鉄では、ローカル線の割増運賃を導入することを検討し、実施することとなりました。
昭和35年3月22日に開通した指宿枕崎線(山川~西頴娃間) には割増運賃として基本賃率の1.75倍を課した運賃となっていました。
 この方式は4線区に導入されましたが、翌年に新線建設補助特別措置法が成立するとこの制度は廃止されました。
 新線建設補助特別措置法に関しましては、下記に関連blogを、最下段に条文を載せましたので参照願います。
なお、割増運賃制度は、後年ローカル線問題が再燃する中で導入されますが、こういった事例がすでに、昭和35年頃にはあったことを理解しておいて頂きたいと思います。
なお、この制度を見ていると、国鉄としては独立採算制に則った方式で収支を相償うことを目指していたにもかかわらず、それを逆なでするような条文であったことは注目に値すると思います。

新線建設補助特別措置法の経緯は、下記国鉄があった時代blog版を参照していただければ幸いです。

国鉄があった時代blog版
日本国有鉄道新線建設補助特例措置法案について

昭和35年3月22日に開通した指宿枕崎線(山川~西頴娃間) については、基準運賃の1.75倍の運賃設定を図りました、その後この運賃制度は、日本国有鉄道新線建設補助特例措置法が制定されたことで、廃止となっているのですが。
概要的には、昭和36年から40年までの時限立法、建設費の補助ではなく建設に伴う利子相当分とされています。
すなわち、建設は引き続き自前なんですね。
そのうえ、営業開始後利益が出たら、利益が出た分だけ補助金を減らすというかなり国鉄には不利な内容なんですけど、当時の国鉄は、国の経済発展を支えているという自負がありましたので、こうした条件を受け入れたのだと思います。
続きは、こちらをクリック

法律第百十七号(昭三六・六・七)

  ◎日本国有鉄道新線建設補助特別措置法

1 政府は、日本国有鉄道に対し、昭和三十六年度から昭和四十年度までにおいて、日本国有鉄道が昭和三十五年度以降当該年度の前年度までに鉄道敷設法(大正十一年法律第三十七号)別表に掲げる予定鉄道線路の建設に要した資金について、運輸省令で定めるところにより計算して得た当該年度の前年度分の利子の額に相当する額の範囲内において、予算で定めるところにより補助することができる。

2 前項の規定による補助(以下「新線建設補助」という。)に係る予定鉄道線路について、営業の開始後、運職省令で定めるところにより計算して得た利益を生じた場合は、その利益の額に相当する額を翌年度の新線建設補助に係る前項の利子の額から控除するものとする。

3 日本国有鉄道は、前項の場合において、その利益が当該線路につき最初に新線建設補助が行なわれた年度から起算して十五年度以内に生じたときは、その翌年度において、政府に対し、その利益の額の二分の一を下らない金額を、運輸省令で定めるところにより計算して得た当該線路に係る新線建設補助の額の合計額に相当すると認められる額に達するまで還付しなければならない。

4 運輸大臣は、前三項の運輸省令を定めようとするときは、大蔵大臣と協議するものとする。

   附 則

 この法律は、公布の日から施行する。

(大蔵・運輸・内閣総理大臣署名) 

******引用、ここまで********


簡単にいえば、利子だけは補助しましょう、但しその当該路線で利益が出て来たら、利益の一部から補填した利子分のおカネは返してねという、何とも国鉄には限りなく不利なというか理不尽な理屈なのです。
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ローカル線問題と国鉄 第1話 古くて新しい、ローカル線問題

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建設途上で廃止となった五新線鉄... 建設途上で廃止となった五新線鉄道橋、この高架線の上を鉄道が走ることはなかった。 仙石線の組織図 国鉄線昭和32... 仙石線の組織図 国鉄線昭和32年7月号から抜粋
この章では、国鉄解体問題の端緒となったとも言え、現在もその方策について広く論議されるべき対象であるローカル線問題についてお話ししたいと思います。
昨日投稿したのですが、誤って消してしまったので改めて投稿させていただきます。

古くて新しい、ローカル線問題。(特に昭和30年代を中心として)

国鉄の経営は、戦後の復興と進駐軍(連合軍)輸送に追われ、インフレの高騰の中で赤字経営を続けていました。
 昭和20年代の終わり頃もまだまだ、赤字体質からは抜けられず、運賃値上げなどを繰り返していました。
 そんな国鉄に対しては、赤字に対する批判が強くなっていき、当然ローカル線に対する批判も強くなっていきました。
独立採算制を建前とする国鉄でもこの問題について取組まざるを得なくなり、昭和29年、千葉県の木原線と久留里線にそれぞれ大原運輸区・木津運輸区を設置して線区別経営を試みました。
具体的には、駅長の廃止、無人駅化、貨物列車の隔日化、気動車による増発など、運輸部門を一括して合理化したもので、ある程度の成果を得ることが出来ました。
 入りを増やすのではなく出を減らすことで収支を改善しようとしたものであり、積極的に入りを増やすというものではありませんでした。
その後、運輸業務以外に保線・信号などの業務も線区別にまとめ、権限を大幅に委譲した管理所制度が発足させ、この テストケースとして仙石線が選ばれました。
最初のケースに選ばれた理由として、元々が私鉄であったたことなどと言われています。
管理所制度は一応の成果を納め、ローカル線経営のモデルケースと言われました。
 具体的には、所長に線区ごとに権限を委譲し、所長の判断で機動的に動けるようにしたもので、所長の判断で車両の改良や営業運動等も併せて行ったそうです。
 実際に、昭和33年からは全国に展開、運輸区は38線区、管理所は30線区まで広がりました。 この管理所制度は、現在の「地域鉄道部」の先駆けのようなものであったと考えていただければ理解しやすいのではないかと思われます。
ただし、仙石線では、増収活動まで取り組んだものの、他の運輸区や管理所では積極的に増収を図れる組織にまで行かなかったようで、ある一定の合理化を達成するとその存在価値自体が無くなってしまい、昭和45年頃までには全部姿を消してしまいました。
他に、戦時中に不要不急路線として線路が撤去された路線についても復活要望が起こり、路線として復活した所もありますが、「白棚線」の場合のように、復活に際して鉄道よりもバスの方が有利であるとして、旧線路敷きを専用自動車道として再整備して国鉄自動車白棚線とした例や、阪本線のように、当初は鉄道として建設されたが途中で採算性に疑問があるとして、路盤を自動車専用道に再整備のうえバス専用路線として(五条~城戸間)運用される例など、既にローカル線の建設に対しては批判が出始めていたのは注目していただきたいと思います。

余談ですが、坂本線も利用者の減少で現在は旧来の坂本線経由のバスは廃止されてしまいました。


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組織改変論議と国鉄 第8話 第三次長期計画と輸送力増強

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Econmy Coupon 略... Econmy Coupon 略称エック
旅館の手配と乗車券類が一体となったもので、いわゆるパック旅行のさきがけのようなものでした。
昭和36年度を初年度とする第2次5ヵ年計画は、輸送量の増加が当初予想を上回り、計画がこれをカバーしきれないことが確実となったほか、資材・用地・賃金等の高騰が当初予想の資金では不足をきたす結果となったうえ、三河島事故の発生で、安全面の投資不足が大きくクローズアップされるなど、昭和37年7月には第2次5ヵ年計画はまたまた修正を余儀なくされました。

 そこで、政府は総理府に「日本国有鉄道基本問題懇談会」を設置し、審議の上意見書として5ヵ年計画の見直しを提言しました。
 この提言に基づき、国鉄は第2次5ヵ年計画を39年度までで打ち切り、新たに昭和40年度から第2次計画の2.2倍に当たる、総額2兆9,720億円を投入する第三次長期計画が昭和46年までの7年間の計画でスタートしました。
 おりしも、昭和39年には、国鉄は赤字を計上したにもかかわらず、その無謀とも言える計画はスタートしたのです。
 この計画では、通勤通学輸送の改善に関する投資額が大幅に増えたことで、第2次5ヵ年計画では5.8%、777億円だったものが、17.5%、5,190億円と大幅に増えました。
この背景には、線路増強を行なわなかったために過密なダイヤとなり結果的に三河島事故や鶴見事故と言った重大事故を起こしたという事実がありました。
 この通勤路線増強計画の主体は、東京に放射状に集中する5路線、すなわち東海道・中央・総武・常磐・東北の各線を指し、一般的には「東京(通勤)5方面作戦」などと呼ばれました、なおこの詳細は別に機会に譲りたいと思います。
 ただ、これらの資金は、独立採算制を建前とする国鉄ですので基本的には運賃収入及び借入金で賄う必要が生じたのです。
 やがて、国鉄の第三次長期計画も、収入に対して過大な投資を強いられていたので、黒字経営に転換することもなく、昭和43年には積立金も食い潰してしまう、破産状態となってしまいます。
 この頃を境として、国鉄は政府からの出資を受け入れることになるのですが、既に高速道路などは、道路公団時代は、自動車重量税などに代表される特定財源で補てんされていたのに対し、国鉄の場合はその額は、他の港湾整備や空港整備と比べても少なく、かつ、運賃は引続き法令改正によることとされていたため、時には意図的に値上げ率を引き下げられたリ、場合によっては改定時期をずらすと言ったことも行われ、結果的に建設費用の不足をきたすこととなり、臨時で国鉄に貸し付けると言った法案を別途審議するといった無駄なこともありました。
 その反面、石田総裁時代には営業面で積極的な増収策もい打ち出されたことは注目に値すると思います。
 例えば、エック(旅行会社に委託したエコノミークーポンの愛称)の販売がありました。また、「Discover Japan 美しい日本と私」は、国鉄時代の最大のヒット企画だったと言えますが、こうしたキャンペーンの導入などを含めて国鉄は輸送力の増強とともに、積極的に旅客を誘致する方向に変わっていきました。
 しかし、第3次長期計画も国鉄に対して政府が積極的に補助を行うことはなく、もっぱら郵便貯金を中心とする大蔵省資金運用部資金を借り入れた他、鉄道債券(政府保証付)等で調達されました。
その後、鉄道債券の償還期間が10年程度と短く、かつ金利も7%近くあったため、建設が終わるころには最初の償還期限を迎えることとなり、財政的には償還金を返すために更に鉄道債券を発行すると言った悪循環となり、例えは悪いが高利の金融機関で借りた元金を返すために更に別の金融機関で借りる状況になっていました。
事実、国鉄の負債は昭和50年頃から急激に増大していくのでした。
 その結果、国鉄に対して政府からの補助金、利子の棚上げなど、つじつま合わせのような施策が行われますが、事態は改善せず。
 公共企業体国鉄は、運輸省、国会議員や政府の顔色を伺う状態となっていくことになっていきました。
 歴史にIFはないのですが、昭和40年代の第三次長期計画が、政府主導で資金助成などが行われていたならば財政悪化も抑えられたのではないでしょうか。
 ただ、国鉄の問題は、単純にここに原因があった・・・と言えるほど単純ではなく、複数の要素が絡み合っているだけに。建設補助を出したら国鉄は赤字にならなかったとか、労使関係が良好であれば赤字にならなかったとか。分割民営化は無かったとは言い切れないと言えます。
 
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組織改変論議と国鉄 第7話 昭和32年監査報告書

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昭和32年 国鉄監査報告書序文... 昭和32年 国鉄監査報告書序文
引用 公益財団法人 交通協力会 から引用
http://transport.or.jp/
<昭和32年の監査報告書には>

  国鉄監査委員会(委員長は後の国鉄総裁に石田礼介氏)が発表した、昭和32年度監査報告書の序章で、「国鉄経営理念の確立」を唱え、公共企業体審議会の答申と、産業計画会議の勧告を正面から取り上げていました。
以下引用すると
 「監査委員会は、これらの意見に対して、必ずしも全面的に賛意を表するものではないが、国鉄は、このような批判の、よって生じる所以を深く顧みる必要がある。そもそも国鉄は公共企業体であるが、一つの企業体である以上、それが自主性をもち、企業性の発揮によって企業としての確固たる基盤を持たなければならないことは当然である。・・・・ 今や国鉄の経営刷新が強く要望されているこの時において、国鉄が公共企業体としての、その使命を果たすための”新しい経営理念”は、外に対しては自主性を確立することであり、内に対しては企業性を強化するとともに、業績に対する全責任を明らかにすることがあると考えられるものである」
 以上のように、国鉄が新しい「経営理念」を作るべきあることを強調していました。
 国鉄の監査報告書は、ややもすると政府の意向を反映する傾向にありましたが、この報告書は国鉄に対してはきわめて厳しい批判と取れる反面、力強いバックアップとも言えました。ただし、大国鉄を大きく動かす原動力とはなりえなかったのは残念でなりません。
 むしろ、国鉄ではそういった意見を耳にしながらも、戦中戦後に酷使した老朽資産の置換えもさることながら、戦後増大した輸送需要に対して、国民の付託に応えるために、大々的な輸送力増強を含めた、大幅な改善計画を発表するのです。
これが後の第一次5ヵ年計画と呼ばれたものでした。
概要を以下に簡単に書かせていただきます。
 第一次5ヵ年計画の背景には戦後の国鉄輸送量の増大がありました、具体的には戦前の昭和11年と比較して旅客で3.74倍、貨物のトン数では1.65倍の増加となっていました。
 ところがこれに対し、国鉄では、戦時中の酷使で老朽化した施設や車両で対応せざるをえず、輸送力不足は否めませんでした。
 しかし、戦後のインフレーションの中では、収入で経費を賄うことも難しく、桜木町事故のように戦時中の粗悪品を使っていたことに対する国鉄の批判も大きくなっていたことから、計画されたものでした。
5ヵ年計画の基本は、
1. 資産の健全化、老朽施設の更新、信号保安度の向上
2. 輸送力増強
3. 動力・設備の近代化
以上の3点を重点事項とし、総投資額は5000億円にも達しましたが、昭和32年のなべ底不況で資金事情が悪化。資金不足で設備投資が十分に出来ず、老朽資産の取替えに追われ、輸送力増強が出来ませんでした、景気が回復すると今度は輸送需要が逼迫という状態となり、計画自体が過少であったとして、第一次5ヵ年計画は35年度でひとまず打ち切り新たに第2次5ヵ年計画を策定することとなりました。
 なお、第一次5ヵ年計画では、電化・気動車化を中心とした動力近代化の端緒を開いたことは大きな功績でしたが全体としては、計画に対する達成率は68%でした。
さて、国鉄の第一次5ヵ年計画は、電化の推進(東海道線全線電化)など一定の成果は得られましたが、計画が過少であったとして、輸送力の増強。動力と輸送の近代化を盛り込み、経営の長期安定を目指し、昭和36年度を初年度とする第2次5ヵ年計画がスタートしました。
これは、投資総額が9,750億円(当時)という巨大なものでした。
具体的な内容は、昭和39年版運輸白書で参照すると、以下のようになっています。
1. 東海道線に広軌鉄道を増設すること。
2. 主要幹線区約1100キロを複線化し,150キロの複線化に着手すること。
3. 主要幹線区を中心に約1700キロの電化を行ない,これを電車化すること。
4. 非電化区間および支線区の輸送改善のために約2600両のディーゼル動車と約500両のディーゼル機関車を投入すること。
5. 通勤輸送の改善のために,約1100両の電車を投入するとともに,駅その他の施設を改良すること。
 ただし、昭和38年度までの進捗状況は概ね60%以下で推移しており決して充分な進捗状況であると言えるものではありませんでした。
 しかし、ここで注目いただきたいのは、国鉄諮問委員会(原安三郎委員長)が、昭和35年9月に、第2次5ヵ年計画への切替えを勧告した意見書で、過度の公共負担や、不採算路線の建設、運賃制度の不合理、中ぶくれの人員構成の、「4つの根本的な病根」と呼び、政府に抜本的な対策を政府に望んでいました。
第2次5ヵ年計画も、東海道新幹線は完成にこぎつけたものの、急激な高度経済成長に追いつけず39年度で再び見直しを迫られることとなりました。
特にこういった一連の輸送力増強計画に際して、自己資金以外は、国鉄自身の借入金で賄わせたことに大きな問題がありました。
昭和38年5月に提出された監査委員会の答申書「国鉄経営の在り方についての答申書」によると、国鉄が名ばかりの公共企業体となった原因を政府にあると、その責任を追及しています。
ここでその内容を引用させていただきますと、

  「国鉄に果たして”企業性”が与えられてきたか、ほとんど完全に否である。・・・、国鉄の理事者は、その判断の自由と行動の自由とを、運輸省の一般監督、大蔵省の予算制度上の監督、国会が運賃決定権を握り、国鉄総裁は、その万般にわたる質問に対して自ら答弁に当たらなければならないことなどによって、まさにガンジガラメに縛られていたのである。・・・国鉄は、”企業性”を阻まれてきたが故に、そのうべかりし”収益力”を発揮しないできた、と同時に国鉄は”公共性”の名によって過大なる公共負担を負わされてきた。それが国鉄の今日ある所以である。別のいい方をすれば”独立採算制の公共企業体”たるべき国鉄に、その実が与えられていないこと、そこに全ての原因があるのである」
とはっきり指摘していました。
また、民営化論議に対しても、国鉄に対してもっと公共企業体としての実を与えることができるように配慮すべきであると指摘していました。
「国鉄を一会社の運営にまかせるのはムリだが、分割の方法が立ちにくい、資産の評価もむずかしく、今の国鉄には買い手がつかないだろう。民営にしたらうまくゆくという保証もえられない」として退けています。また、官営に戻す案に対しても、「国鉄が企業体であることによる利益を放棄してしまうことになるとし、政府に対し、国鉄に公共企業体としての実を与えることを求めていました。

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組織改変論議と国鉄 第6話 産業計画会議の勧告

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新幹線産みの親、十河信二氏 画... 新幹線産みの親、十河信二氏
画像 wikipediaから引用
〈産業計画会議の勧告〉

公共企業体審議会答申からしばらく経った、昭和33年7月には、民間組織の産業計画会議が「国鉄民営化論」を発表、新聞社・評論家をあげて賛否両論が繰り広げられました。

その際の勧告の要旨は以下のとおりです。

「Ⅰ 国鉄を特殊会社とし、その経営に完全な自主性を与えよ」
1.  現在の公社による国鉄経営には、運輸省、大蔵省、国会などからあまりにも制縛が多い。私鉄と対等の自主性を与え、経営者の経営責任を確立せよ。自主なきところに責任は存せず、責任なくしてはサービスの改善も能率の向上も行なわれえない。
2. お役所仕事の弊をなくすため、特殊会社制度とする。政府出資に若干の民間出資を加えて数個に分割し、政府(運輸大臣)監督は長期事業計画・運賃決定など重要事項と財務の審査にとどめる。私鉄に許されている程度の兼業も認める。
3. スト権を認め、労働関係を正常化する。

「Ⅱ 国鉄を分割経営せよ」
1. 経営単位が大きすぎて、中央の意思が末端までゆき届かない。日々、計数的に経営の実態を明らかに出来ない。
2. 事業経営の能率をあげ、サービスを改善するには、競争が必要だが、全国一本の国営的独占事業では、たと経営上の比較が出来ない。
3. 全国的なプール計算では、経営努力によって黒地となりうる路線の赤字に対しても、経営者は不感症となり、赤字路線の原因も責任も不明確となる。

 さらに産業計画会議は、ローカル線建設の廃止や、不採算路線の撤去、小駅の廃止、荷役機械化の促進、自動車業の兼営、動力近代化、全線複線化、原価主義の原則にたった合理的な新運賃体系の改革案など、具体的な資料をもとに提言されており、少なくとも昭和30年代には地方ローカル線の多くは、大きな荷物になるであろうことが予想されていたといえます。

全体の流れとしては、国鉄の分割民営も視野に入れて検討すべきではないかともとれる内容であったようです。
産業計画会議は、民営分割を一つの方向として示していましたが、これに対して国鉄あるいは批判的な評論家は以下のような理由で民営化を牽制しました。

1. 世界の鉄道は公共企業体奉仕への統合が進んでおり、民営化は時代に逆行していること。
2. 組織を分割すると、ラッシュ時などを中心として、能率的なダイヤ編成が出来ない。
3. 分割論の利点は支社制度の強化で実現できる。
4. いわゆる民営にしても、資本は国がみなければならず、形式的なものになる。

など、批判的な意見がありました、ただ、分割民営化に反対だが、政府の干渉をなくして、経営の自主性を持たせる点などは、概ね賛成の意向を示す人が多数いました。
 当時の産業計画会議には、十河国鉄総裁や、島技師長ら国鉄幹部もそのメンバーとして名を連ねており、民営分割という、当時としては刺激的な形を通じて、国鉄部内における問題点を露呈したのかもしれないという見方もあります。
 実際に、当時の国鉄では運賃の改定一つにしても国会の審議を経なくてはならず、国鉄労働者への賃金引上げも基本的には経営者側で決定できない状態に有ったのですから、会社を経営しているとはとてもいえない状態といえました。

下記に参考になる、産業計画会議の提言がありましたのでリンクを貼らせていただきます。

参考 http://criepi.denken.or.jp/ 電力中央研究所
http://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/recom/recom_04.pdf

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組織改変論議と国鉄 第5話 日本国有鉄道経営調査会の発足

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東急の実質的創業者 五島慶太氏... 東急の実質的創業者 五島慶太氏、小林一三氏とは同郷であった
昭和30年、政府は臨時公共企業体合理化審議会の答申を受けて、運輸大臣の諮問機関として『日本国有鉄道経営調査会』を設け、経営形態と財政再建の方法を諮問したのです。
その背景には、戦時中から戦後にかけての酷使で輸送施設は全体に老朽化し、慢性的な輸送力不足と労使関係の悪化に伴う職場の荒廃などが取り沙汰されていたからです。
この委員会には、民間からも阪急グループ総帥、小林一三氏や、東急グループ総帥、五島慶太氏も指名され、各氏は以下のような意見を述べています。

小林一三氏
 「民営なら開発事業ができるし、資金調達も自由に行なえ、創意と責任を持って積極的な経営ができる。」

五島慶太氏
 「国鉄を北海道・東京・東海道・北陸・大阪・四国・九州の7経営体に分割し、独立採算制を採用、その上に監督権管理機関を置いて経営すべき」という提案をされています。
現在のJRを予見するかのような民営化論が既に今から50年以上前にあったことは注目に値すると思います。
特に、東の雄、東急グループ総帥の五島慶太氏は、現在のJRの姿を予想?していたかのような内容です。
 「国鉄を北海道・東京・東海道・北陸・大阪・四国・九州の7経営体に分離し、独立採算制を採用、その上に監督兼管理機関をおいて経営すべきだ」との考え方は、当時としては非常識と映ったかもしれません。
  昭和31年2月に調査会は、経営形態について「現在国民の一部には、”国鉄を国営にかえすべし”また、”純然たる民営に移行せしむべし”との主張があり、さらに各段階での分割論なども議論されているが種々のの観点から考慮を加えた結果、我々は現在の公共企業体の形態は、これを存続させ、高度の公共性を確保しつつ、能率的な運営を図って、国民の鉄道としての任務を充分に発揮できるよう要望したい。国鉄は公共企業体であることをより明確にする意味で、現在の” 日本国有鉄道”という名称を”日本国有鉄道公社”と改めることが適当であろうと考える」と答申がありました。
  答申は、基本的には国営に戻すべきではないかという意見に対して、以下のような否定的な見解を示し、現在の公社としての形態を維持すべきではないかという意見でした。

以下全文を引用させていただきます。

  「民営論は内容的に不明確だ、能率化のため、膨大な組織を分割して競争させるところのあるようだが、分割論に対する考え方で対処できる。分割論は経営の画一性を打破し、能率的な運営を行うことを目的として主張されており、うなずける点も多いが、企業の完全な分割は輸送を不円滑にするおそれがあり、運賃の不均衡も予想されるので、直ちに採用するのは困難。内部的に地域ブロックの経営単位を設け、強い権限を与えるとともに、経営への目標定めて、競争による能率発揮の実をあげることが可能と思われる。」
となっています。
 このように、当時すでに現在のJRで見られる問題点が指摘されていたことは注目すべきことですが、結局この時期にもっときちんとした議論が出来ていれば良かったのですが。当時はこれが出来ない事情もあったのですが、この辺は別の機会に譲りたいと思います。

また、答申では。基本的態度の項で以下のような点を指摘しています。
こちらも全文引用させていただきます。

「特別に注意を喚起したい点」
「第一は、一般交通政策の確立と、その面における国鉄の受け持つべき役割を、より明確にすることである。国内交通は、鉄道・自動車・航空機・内航船等によって受け持たれているが、これらの各交通機関相互間の関係を調整し統一のある総合的な交通政策を樹立することは、きわめて喫緊の課題となっている。にもかかわらず、政府のこの面に対する方策には、見るべきものが少ない。一般交通政策を確立して、そのうちにおける国鉄の使命を明確化し、その果たすべき役割を定め、これをいかにして達成してゆくかを明らかにすることが絶対に必要である」と強調しています。
当時の国鉄が抱える問題点として、二つありました。
一つが労使関係、もう一つが財政再建問題でした。
 国鉄は、赤字が累積して解体されたと一般的に言われていますが、昭和30年代は概ね黒字決算で推移、昭和29年~31年は赤字決算でしたが、戦前の輸送力水準にほぼ戻った昭和32年度からは、着実に黒字を積み上げていましたが、その反面設備投資については、全て国鉄自身で行うこととされていました、実は黒字を累積していた時期にも見えない赤字への時限爆弾はスイッチが入っていたのですが、そのときは誰も気づかないまま、第1次5ヵ年計画がスタートしました。
 第一次5ヵ年計画を前に、運賃値上げか、国の補助を入れるかの点が審議されました。
 結局、国鉄としても企業体としての独立採算を堅持することを選択しました。これにより、国家財政の負担を軽減し、直接国民に税負担を加重しなくてすむという考え方に基づくものであり、多少の合理化は止むを得ないと考えたようです。
 当時の国鉄は、元々運輸省の現業部門が独立した形となっているため、運輸省以上に、官僚意識が強く、国家のためにといった職員が多かったと聞いています。
 話は、少し脱線しましたが、これにより国鉄の財政は好転し、昭和39年の新幹線【当時は東海道新幹線とは呼ばず単に、新幹線と呼んでいた。】開業年までは黒字を計上したのです。
ただ、労使関係の軋轢は避けることはできなかったようです。

 さて、国鉄では、日本国有鉄道経営調査会の答申により、経営委員会を廃止して経営権限を強化した理事会の他、監査委員会・諮問委員会を設けました。
 また、総支配人制を昭和31年1月に廃止して、全国に6支社を設置、その下に管理局を置く体制が出来上がりました。
 参考「総支配人制度(wikipedia参照)」
  国鉄発足当初、省時代の鉄道局の業務を継承して地方単位で地方機関を統括する責任者として、業務別に輸送支配人(鉄道管理局担当)、営業支配人(営業事務所担当)などを設置した。その後、1952年8月5日の組織改正で地方駐在各支配人を統合し、鉄道管理局を管轄する本社直属の管理者として地方総支配人を設置した。北海道・東北・関東・中部・関西・西部の6総支配人を置いた。

以上wikipediaから引用

 支社制度とは、新幹線生みの親でもある、十河信二氏が、本社から地方への大幅な権限委譲を行なうために設けられた制度で、昭和32年1月16日に以下の6支社が設置されました。
北海道支社
東北支社【仙台以北】
関東支社【関東、新潟地域】
中部支社【静岡以西福井県含む】
関西支社【大阪以西】
西部支社【九州全域】

 昭和34年4月8日には。関東支社から分離する形で、新潟支社、西部支社から中国支社、四国支社が分離、9支社体制となりました。同時に管理局は支社に統合されました。
 これにより、本社→支社→管理局→現場のラインとなりました。
 国鉄を民営化するのか否かの議論のなか、国鉄に関しては公共企業体というかたちを堅持することが確認され、政府は以下のような答申を受けれいれました。
政府は、昭和32年に、公共企業体審議会に3公社の改善要綱を諮問
「公共企業体の制度を維持することは認めるが、組織と運営については、抜本的に民間的センスに切替え、その企業性と自主性を強化し、もっぱら能率的・進歩的運営を図るとともに、企業経営の責任を確立すべきだ」
との答申を得ました。 国鉄に対しては、
1. 運輸大臣の専管事項とする。
2. 新線の建設は鉄道経営に見識を持つ学識経験者で構成する審議会の義を経て、運輸大臣の認可を必要とする。
3. 若干の地域別の経営単位の分ち、各単位に自主的運営を行わせることが望ましいから、さしあたり支社制度を一層強化徹底して、独立採算制に近づける方式を採用する必要がある。なお、国鉄を数個の公社に分割すること、または、さらに進んでこれを民営化することは、将来の研究にまつ。
4. 国鉄幹線と関係の浅い地方線については、民営に移すことを別途検討されたい。
という答申をまとめました。
これを見ていきますと、当初は民営化に消極的であった審議会が、やがて国鉄の経営形態について公社が適当としながらも次第に、民営論にも関心を示し、特にローカル線については、民間への移行など、公社の限界を感じ始めているようにも受取ることが出来ます。
 しかし、この問題がやがて25年後に現実の問題として浮かび上がってくるとは当時は予想し得なかったことと思われます。

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組織改変論議と国鉄 第4話 風向きが変わってきた民営化

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昭和29年国鉄線からの引用記事 昭和29年国鉄線からの引用記事
 民営化はせずに、公社としての自主性を認めようという意見がありましたが、やがて世間の風は民営化もよいのではないかという流れに変わりつつありました。
 政府は、昭和29年に臨時公共企業体合理化審議会という組織を設け、公共企業体(公社)の有り方について以下の趣旨で検討する旨指示を出しました。
 「公共企業体は、公企業の合理化と民主化のための新しい企業体であるが、その公共的かつ能率的経営を確保するため、なお改善を加える必要があると認められる。
 これに対する改革要綱を示されたい」と諮問しました。
 要は、戦後GHQ主導で作られた公共企業体という組織を、国営に戻すべきなのかそのまま現在の形態でよいのかを日本人の目で見直してみようというわけです。

 この答申は、昭和29年11月に行われ、公共企業体としての形はその後も継続することが確認されましたが、これが後に国鉄の赤字体質を産むことになるのは当時既に予見できたにもかかわらず放置されてしまいました。

その点は、後ほど述べたいと思います。
 この答申では、「本来の企業性を十二分に発揮するため、また同時に公共事業の本質も顧みて、改善すべきものは改善したうえ、公共企業体としての形態を存続すること」とされました。
具体的には、経営委員会の強化、合理化への取組、政府資金の手当て等がおもな要望事項とされました。
 なお、鉄道部会の報告書では特に、「私企業とちがって、株主に対する利益の配分がないし、経営者に収支の決算の結果が痛切に感ぜられないと思われるので、運営当局としては常に留意すること必要」との指摘もあったのですが、この問題が国鉄問題の根本的要因として既に指摘されていたにも関わらず、ローカル新線建設の是非などは議論されたとしても鉄道敷設法そのものには言及されないなど、答申自体が中途半端なイメージを受ける結果となりました。

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