ローカル線問題と国鉄 第3話 貨物輸送の改善
11月
20日
汐留~門司間が65時間から43時間に大幅に改善されたと言うお話を以前にさせていただきました。
改善の動機はドッジ・ラインによる縮小経済で貨物輸送が減少したことと、トラック輸送や船舶輸送の復旧が進みサービス改善に迫られたことも原因としてありました。
その後、朝鮮特需で需要は伸びたものの、ピークを過ぎると貨車の遊休が目立つようになったので国鉄では、サービスアップと貨車の有効活用を図るために、昭和27年9月から小口貨物の速達輸送を図るべく。「急行小口扱」を新設、貨車にも「急行便」の文字が書かれた専用貨車が使われました。これは、後にコンテナ輸送が本格化するまでは、花形列車として活躍することとなりました。
この一環輸送は翌28年には更に拡充され、自動車を活用して都市の小口扱い貨物の特定駅への集約や地方における自動車代行などが実施され、東京都内や名古屋地区、仙石線、八戸線などでは国鉄自動車局が貨車代行輸送を行ったという実績があります。
記録によりますと、昭和27年から試行されていいたようで、昭和27年の国鉄線によりますと、筑豊線発着の小口扱貨物の自動車による貨車代行輸送が行われると言う記事を発見しました。
すでに、昭和27年にはローカル輸送特に小口輸送はトラックにかなり喰われていることが当時の資料記事からでも見えてきます。
都市部の集配はどちらかと言えば、貨物輸送を確保するためですが、仙石線、八戸線などの代行輸送も国鉄として拠点に集約輸送することでコストを抑えつつ貨物輸送を守ろうとする企業防衛と見ることもできます。
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