上尾村:中山道
5月
11日
この文書をブログに投稿するにあたって、正確な資料と言う観点から、調べて見てはじめて知った事実である。
変わった理由は、市へ村民の町名変更申請である。
新規居住所が、上尾村と言う地名はかっこ悪い、如何にも田舎と言う理由で市に町名変更の賛成者の署名を集めで申請、市議会で可決して変更された。
しかし二ツ宮(旧上尾村)に隣接いる町名は、上尾市大字上尾宿と、大字上尾村と言う地名が現在でも存続する。
誠に残念である。
上尾市上尾村:785所帯・2137人
二ツ宮(旧上尾村の一部)1864所帯・5039人
上尾市大字上尾村:785所帯・2137人
上尾市大字上尾宿:109所帯・285人
上尾村・上尾宿の地名は、かっこいい名前とは思いませんか?(強引に賛同を求める)
写真は住宅の一角にあった江戸時代に作られたと言われる街道標示の道標である。
東海道とともに江戸時代の五街道(注を参照)の一つとなった中山道は、この時はじめて制定された街道というわけではなく、その前身を東山道とも呼んで古代から中世にかけて西国と東国を結ぶ重要な街道でもあったらしい。(中山道の歴史の引用)
この写真の石柱は、現在上尾市を通っている中仙道よりも約100メートル東側、民家の敷地の片隅、狭い路地の一角にひっそりと建っていた。このブログ投稿の為に、再度この一角を訪れたが、現在は見事消滅していた。私のこの写真は、上尾宿中山道の貴重な一枚となってしまった。
下段写真と比較してご覧いただきたい。
名も知れず、忘れ去られる 道票かな (お粗末!)
「注」日本の五街道
東海道 寛永元年(1624年)完成 日本橋−京都
日光街道 寛政13年(1636年)完成 日本橋−日光市
奥州街道 正保3年 (1646年)完成 日本橋−福島県白河市
中山道 元禄7年 (1694年)完成 日本橋−草津を経て京都
甲州街道 明和9年 (1772年)完成 日本橋−長野県下諏訪
■中山道・宿場
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