5月
18日,
2009年
5月15日の東京見聞録−1
ついでに東京ドーム周辺をカメラ持参で散策しました。
東京ドームホテルです。
カメラアングルの良さに自画自賛です。
しばらくして仰天しました。
コメント欄参照してください。
5月
13日,
2009年
岩魚太郎の「忘れえぬ女」
「忘れえぬ女(ひと)」「イワン・クラムスコイ」(国立トレンチャコフ美術館蔵)
「挑む視線なぜ引かれる」ると言うタイトルで「忘れえぬ女(ひと)」が紹介されていた。
下記文書の内容は、新聞に記載されている文書を、紹介する岩魚太郎の加筆も削除もなく
そっくり転載した。
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今回の美術展が7度目の「来日」。来場者アンケートには「また会いに来ました」
と書く人が目立つという。
挑むような、見下すような視線。近寄りがたいが、目を離すこともできない美しさ。
馬車の上で寒風に体と顔をさらす彼女は、上流階級ではなさそうだ。
高級娼婦では、との見方もある。
何にも守られず、孤独を誇るその表情は、古い体制や価値観に挑戦しているかのようだ。
だがその顔をじっと見つめれば、瞳はうるみ、唇は柔らかくつやめいている。
それに気づいているのは、いま彼女の正面に立っている自分だけそんな錯覚が、見る人に「忘れえぬ」印象を残すのではないか。
原題は「見知らぬ女」だが、日本では「忘れえぬ女」の題が定着している。
アニメやゲームのヒロインなら、間違いなく「ツンデレ」と呼ばれるタイブだ。
普段はツンと冷たいそぶりだが、好きな人にときおり甘えた態度を見せてしまう。
氷のような美女が、自分にだけ情熱の炎をそっと見せてくれる。その喜びは、何度でも会いに行くことでしか味わえない。 (小原篤)
「国立トレチャコフ美術館展忘れえぬロシア」
6月7日まで、東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム(03・3477・9413)。
無休。レーピン、シーシキンなど19世紀から20世紀初頭の75点を展示
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■岩魚太郎の一言
新聞の写真ではあるが、「忘れえぬ女(ひと)」を見て、脳裏に稲妻が走った。
その結果の投稿である。
5月
12日,
2009年
墨アーティストのピーター・スミス氏の刺激を受けて
墨アーティストのピーター・スミス氏の夕食をUPされた。
そのご紹介のコメントの中で、氏の作品のご紹介を受けた。
その作品を拝見。
岩魚太郎は感銘!
刺激を受けた!
墨アートに我が岩魚太郎も挑戦!
写真の本を購入。
岩魚太郎は「新しい表現活動に挑戦」します。
勇を決して挑戦します!
継続は力なり!の精神で挑戦します。
墨アートに・・・
渓流の世界を墨で表現したいと言う目的意識の実現を目指して。
と言って写真の本を購入したものの続くかな〜と弱気。
アートとは芸術なり。
芸術はピカソ、ピカソは難解なり。
自己満足でも構わない。
と今から言い訳しています。
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5月
11日,
2009年
上尾村:中山道
この文書をブログに投稿するにあたって、正確な資料と言う観点から、調べて見てはじめて知った事実である。
変わった理由は、市へ村民の町名変更申請である。
新規居住所が、上尾村と言う地名はかっこ悪い、如何にも田舎と言う理由で市に町名変更の賛成者の署名を集めで申請、市議会で可決して変更された。
しかし二ツ宮(旧上尾村)に隣接いる町名は、上尾市大字上尾宿と、大字上尾村と言う地名が現在でも存続する。
誠に残念である。
上尾市上尾村:785所帯・2137人
二ツ宮(旧上尾村の一部)1864所帯・5039人
上尾市大字上尾村:785所帯・2137人
上尾市大字上尾宿:109所帯・285人
上尾村・上尾宿の地名は、かっこいい名前とは思いませんか?(強引に賛同を求める)
写真は住宅の一角にあった江戸時代に作られたと言われる街道標示の道標である。
東海道とともに江戸時代の五街道(注を参照)の一つとなった中山道は、この時はじめて制定された街道というわけではなく、その前身を東山道とも呼んで古代から中世にかけて西国と東国を結ぶ重要な街道でもあったらしい。(中山道の歴史の引用)
この写真の石柱は、現在上尾市を通っている中仙道よりも約100メートル東側、民家の敷地の片隅、狭い路地の一角にひっそりと建っていた。このブログ投稿の為に、再度この一角を訪れたが、現在は見事消滅していた。私のこの写真は、上尾宿中山道の貴重な一枚となってしまった。
下段写真と比較してご覧いただきたい。
名も知れず、忘れ去られる 道票かな (お粗末!)
「注」日本の五街道
東海道 寛永元年(1624年)完成 日本橋−京都
日光街道 寛政13年(1636年)完成 日本橋−日光市
奥州街道 正保3年 (1646年)完成 日本橋−福島県白河市
中山道 元禄7年 (1694年)完成 日本橋−草津を経て京都
甲州街道 明和9年 (1772年)完成 日本橋−長野県下諏訪
■中山道・宿場
(江戸・日本橋) - 板橋 - 蕨 - 浦和 - 大宮 - 上尾 - 桶川 - 鴻巣 - 熊谷 - 深谷 - 本庄 - 新町 - 倉賀野 - 高崎 - 板鼻 - 安中 - 松井田 - 坂本 - 軽井沢 - 沓掛 - 追分 - 小田井 - 岩村田 - 塩名田 - 八幡 - 望月 - 芦田 - 長久保 - 和田 - 下諏訪 - 塩尻 - 洗馬 - 本山 - 贄川 - 奈良井 - 藪原 - 宮ノ越 - 福島 - 上松 - 須原 - 野尻 - 三留野 - 妻籠 - 馬籠 - 落合 - 中津川 - 大井 - 大湫 - 細久手 - 御嶽 - 伏見 - 太田 - 鵜沼 - 加納 - 河渡 - 美江寺 - 赤坂 - 垂井 - 関ヶ原 - 今須 - 柏原 - 醒井 - 番場 - 鳥居本 - 高宮 - 愛知川 - 武佐 - 守山 - 草津 - 大津 - (京・三条大橋) (草津〜京は東海道と重複)
5月
7日,
2009年
田沢湖の情景
夏早朝の冷気、霧が流れる
小鳥の詩が湖面を渡る
詩声にあわせるように、湖面の山がゆれる
無言でカメラをかまえる
カメラのシャッター音が湖面に響く
その音に尚子は振り返る
瞳に大粒の泪があふれていた
私の目をみつめまま、その泪は瞳を流れる
別離の瞬間であった
2008年8月早朝の田沢湖
愛の終焉である
5月
4日,
2009年
神田川が桜川に変身 季節遅れですが?
珍しい写真なので公開します。
場所は東京、外堀通りとJR中央線に挟まれて流れる「神田川」です。
その神田川が、桜の花びらで一面にお化粧をした「桜川」への変身です。
外堀通りと神田川沿いに歩道があります。その歩道から撮影した一枚です。
5月
4日,
2009年
青い目の人形
「描かれた雨情の詩心」
青い目の人形(野口雨情)
青い目をした
お人形は
アメリカ生れの
セルロイト
日本の港へ
ついたとき
一杯涙を
うかべてた
「わたしは言葉が
わからない
迷ひ子になつたら
なんとせう」
やさしい日本の
嬢ちやんよ
仲よく遼んで
遣つとくれ
『金の船』第三巻第十二号所収
描かれた雨情の詩心「編集・発行・茨城県天心記念五浦美術館」よりの引用」
この本の内容をINTERNETでご紹介するについては、著作権法において正当な「引用」と認められる最高裁判所昭和55年3月28日判決による「引用」の定義と合致していることを確認して公開しています。