One Heart シリーズSonship③子としての資質・成熟
8月
30日
一つ心、一つmindのコミュニティの中で、欠かせないsonship 神の子であることですが、先週は、子であるアイデンティティについて学びました。天の父なる神様の懐で充足していること、神の子である自分の素晴らしさを知っていて、満足していることが大切でしたね。今日は、子としての成熟の道について話して行きましょう。
★ 父母を敬うこと Honor Your Parents
出エジ20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
聖書の祝福の流れは、先日の賜物セミナーの治める者のところでも話しましたが、父から子に流れるものです。それは、霊的なことであり、肉的な血縁関係においてもしかり、霊的な親子関係でもしかりです。また、神の子としてもそうです。イエス様が、父である前に子であったことを思い出しましょう。イエス様は、子として模範の歩みを地上でされました。(先週の記事参照) 聖書の中には様々な例があります。
〇 聖書に見る霊的父と子の例
エリヤとエリシャ
モーセとヨシュア
ナオミとルツ など
今の時代は、インターネットやテレビなどで、メッセージを聞くことができ便利です。そして、メディアを通してメッセージを聞き、そして献金をして、教会に行かず、人に繋がらず、それで信仰を守っている人もいます。が、これでは、成長も霊的な祝福も得ることができないのです。
今日は、エリヤとエリシャの例から見ていきたいと思います。
★ 子である資質 Qualities as a son
Ⅰ列王19:19-21
エリヤはそこを立って行って、シャファテの子エリシャを見つけた。エリシャは、十二くびきの牛を先に立て、その十二番目のくびきのそばで耕していた。エリヤが彼のところを通り過ぎて自分の外套を彼に掛けたので、20 エリシャは牛をほうっておいて、エリヤのあとを追いかけて行って言った。「私の父と母とに口づけさせてください。それから、あなたに従って行きますから。」エリヤは彼に言った。「行って来なさい。私があなたに何をしたというのか。」21 エリシャは引き返して来て、一くびきの牛を取り、それを殺し、牛の用具でその肉を調理し、家族の者たちに与えてそれを食べさせた。それから、彼は立って、エリヤについて行って、彼に仕えた。
Ⅱ列王2:1-6
主がエリヤをたつまきに乗せて天に上げられるとき、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。2 エリヤはエリシャに、「ここにとどまっていなさい。主が私をベテルに遣わされたから」と言ったが、エリシャは言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはベテルに下って行った。3 すると、ベテルの預言者のともがらがエリシャのところに出て来て、彼に言った。「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください」と答えた。4 それからエリヤは彼に、「エリシャ。ここにとどまっていなさい。主が私をエリコに遣わされたから」と言った。しかし、彼は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはエリコに来た。5 エリコの預言者のともがらがエリシャに近づいて来て、彼に言った。「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください」と答えた。6 エリヤは彼に、「ここにとどまっていなさい。主がヨルダンへ遣わされたから」と言った。しかし、彼は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、ふたりは進んで行った。.
★ 何が必要か。子である資質。5 Qualities as a son
・父に選ばれる。(召し)
v19 エリシャはエリヤに見つけられる。
ヨハネ15:16
16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
最近のキリスト教界では、自分の師を探す人が多いです。Youtube でもいろいろなメッセージが聞けますし。チャーチショッピングという言葉すらあります。自分上位で、教会や自分の従う人を決め、気にいらなければ替えるという考え方が浸透して少なくともアメリカでは長いのではないでしょうか。日本では少し違いますが。。。
エリシャは、エリヤに見いだされました。その上に神様の大きな摂理と召しが関わっていました。
イエス様も、弟子たちを選びました。弟子がイエス様を選んだのではありません。
私たちは、自分がこの神様を選んで、自分から神の子となったと思い違いをしてはいけないのです。いろいろな不思議な導きがあり、神様が私を引き寄せてくださったからこそ、信じることができたのです。
・共に歩むことを自分が選ぶこと。(義務感や強いられてではない)
v20 エリシャは牛をほうっておいて、エリヤのあとを追いかけて行って言った。「私の父と母とに口づけさせてください。それから、あなたに従って行きますから。」エリヤは彼に言った。「行って来なさい。私があなたに何をしたというのか。」21 エリシャは引き返して来て、一くびきの牛を取り、それを殺し、牛の用具でその肉を調理し、家族の者たちに与えてそれを食べさせた。それから、彼は立って、エリヤについて行って、彼に仕えた。
エリシャは、エリヤの召しに応答しました。決断しました。エリヤについて行く。そして、エリヤの神にお仕えすると。子であることの資質の二番目は、ついて行く決断です。大前提に神に。そして、自分の師について行く決断です。
・父を愛し、敬う。
エリシャは、エリヤについて生活し、共に神の奉仕をし、エリシャの働きをまじかでみます。エリシャはエリヤを尊敬していました。みなさん、神を敬い愛することはどういうことでしょうか。それは、「神の愛することを愛し、そして、神の憎むことを憎むこと」です。それこそ、神の心を受け継いでいるものの資質です。エリシャは、エリヤに従い、エリヤにつくことで、神の心を学んでいきました。
私も、かけがえのない学びを母教会でさせていただきました。それは、その時には気が付かないのですが、母教会の外に出るとよく分かります。私と、牧師先生が似ているのです!
・どんなことがあっても躓くことを拒否する。NO offence
いよいよ別れの時が近づいてきました。エリヤが天に召されることがもう知られていました。先ほど読んだⅡ列王記2 章の通り。エリシャはどうしても先生、エリヤから離れたくなかった。帰りなさいと三度言われても、「いいえ、私はあなたから離れません」と言った。ここに深い真理があると思いました。ルツもナオミに里に帰るように言われても決して帰りませんでした。「あなたの神は私の神です。」と言って、ナオミについて行ったのです。
エリシャは、エリヤだけについて行っているのではなく、エリヤにならい、エリヤが従っている神から絶対に離れないという心でついて行っていたのです。
今、思えば、私にこの資質があれば、ずいぶん成熟が早かっただろうに。。。と思う出来事が数々あります。。。リーダーの言葉や態度に躓いて、それ以上、ついて行けないと思うのです。神様に従っていくときに、必ず、躓きそうな時があります。そんな時、その向こうにいらっしゃる神にどこまでもついて行く、そのような心が試されます。
・“子”である父を見続ける。父の従ってる神を見続ける。
エリシャは、お仕えしたエリヤのような働き、いや、バトンを受け取り、次の世代ではさらに偉大な働きがしたいと願いました。
エリシャは、エリヤが天に昇るのを見たら、二つの分の霊がもらえると言われた。彼は目を離さずに見続けた。そして、エリシャは、エリヤよりも大きな業をするようなものになった。
これが、私たちの弟子訓練の姿です。キリストをオナーしている師の姿を見続ける。追いかける。その先の、オナーを受けているイエス様を見続けるのです。イエス様ご自身も、もうこれ以上理不尽なことはない、十字架を耐え抜かれました。
へブル12:2
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」
そして、それをしている私たちの後ろにもついてくる弟子ができるのです。これ以上の弟子の道、子の道はありません。これ以上、効率的であるとか、一気に大勢の弟子を育てるとか、ありえません。これが聖書の道、やり方なのです。
ぼ
投稿日 2016-08-30 23:28
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2016-08-31 01:43
ワオ!と言っているユーザー