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離れて行く主の栄光 God's Glory that Moved Away

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今週は、木曜日に二人の学生さん... 今週は、木曜日に二人の学生さんが夕食に来てくれました。チキンチリスープを作りました。エリックが食べ方を説明しています。。。学生さんは、シェアハウスに住んで自炊なので、お料理をしなければいけないので、今度からは、クッキングクラスをすることになりました。 事務所の鉢植えが、花をつけまし... 事務所の鉢植えが、花をつけましたーーーー。一年近く前なので、どんなお花か忘れていましたが、かわいいですーーー。 日曜日の礼拝に、初めて来てくれ... 日曜日の礼拝に、初めて来てくれた、Mちゃんと、教会リーダーと。。。Mちゃんは、お家が遠いので、前日我が家に泊まりました。。。Mちゃん、また来てね。 礼拝後、お天気だったので、留学... 礼拝後、お天気だったので、留学生さんたちを連れて、ビーチにいきました。すごい人です。風か強くて、冷たくて、耳がちぎれそうになりました。。。風は、秋ですね。
2015年9月27日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/wLXotvUnnas

エゼキエル7-11章

メイン聖書箇所エゼキエル10章

今日の聖書箇所は、長いので全部は読めませんが、少しずつみていきましょう。みなさんが今週、聖書を読んでくださったと信じてお話しを進めていきます。
さて、エゼキエルは、7章で、エルサレムに終わりが近づいたことを預言します。それは、神の怒りゆえでした。そして、8章では、エゼキエルは神の霊に連れられて、どのように民か偶像礼拝をし、そして、神から心が離れているかを見せられます。しかし、8章4節には、そこに、神の栄光がありました。「なんと、そこには、わたしがかつて谷間で見た姿と同じようなイスラエルの神の栄光があった。」And behold, the glory of the God of Israel was there, like the vision that I saw in the plain.とあります。

神を信じるあなた、あなたの上に神の栄光がのぞんでいることをご存知でしょうか?

エゼキエル8:5,6

その方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、目を上げて北のほうを見よ。」そこで、私が目を上げて北のほうを見ると、北のほうの祭壇の門の入口にねたみの偶像があった。6 この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは彼らのしていることが見えるか。イスラエルの家は、わたしの聖所から遠く離れようとして、ここで大きな忌みきらうべきことをしているではないか。あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」
Then He said to me, “Son of man, lift your eyes now toward the north.” So I lifted my eyes toward the north, and there, north of the altar gate, was this image of jealousy in the entrance.6 Furthermore He said to me, “Son of man, do you see what they are doing, the great abominations that the house of Israel commits here, to make Me go far away from My sanctuary? Now turn again, you will see greater abominations.”

エゼキエル8:12
この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは、イスラエルの家の長老たちがおのおの、暗い所、その石像の部屋で行なっていることを見たか。彼らは、『主は私たちを見ておられない。主はこの国を見捨てられた。』と言っている。」
Then He said to me, “Son of man, have you seen what the elders of the house of Israel do in the dark, every man in the room of his idols? For they say, ‘The LORD does not see us, the LORD has forsaken the land.’”

◎本当に神が人を見捨てられたのだろうか。。。

最初の人アダムとエバを思い出してください。彼らに罪が入る前は、栄光の衣につつまれていて、裸でいることが分かりませんでした。彼らが神の前に罪を犯したとき、栄光の衣がなくなり裸でいることに築き、恥を感じ、身を隠しました。自分から、神から離れて行ったのです。ですから、神の臨在から離れてしまったわけです。
長老たちの言っていることは、自分たちの思うとおりにならないから、神はおられないと結論ずける、まさに偶像礼拝の心なのでした。

偶像と人の心の問題。偶像は、いつも神と人との関係の間に入る異なる神である。神は、「よたしの他に神々があってはならない。それらを拝んでも、仕えてもならない。」とおっしゃる神である。あなたの中に神よりも、信仰よりも大切なもの、手放せないものがあるとしたら、それは偶像なのです。手放すことをしないために必死で努力することは、偶像に仕えることです。
苦難の時、長く続いている試練の時、長老たちは、自ら神を捨てることを選んでいたのだ。神が見放している、神が私たちのことを見ていないと言っている。むしろ、長老であるならば、神の言葉にしたがい、神の言葉を宣言していくべできなかっただろうか。

今日のテーマは、離れている神の栄光です。エゼキエル書10章では、神の栄光が徐々に、神殿からさり、エルサレムから去る様子が書かれています。本当は、10章全部を読めばいいのですが、長いので、割愛します。

8章では、聖所のなかから輝いている神の栄光でしたが、9:3神殿の敷居にうつり、10:18-19また、東の門に移り、そして、11:23東の山に移っていく様が書かれてあります。

エゼキエル9:3 

そのとき、ケルブの上にあったイスラエルの神の栄光が、ケルブから立ち上り、神殿の敷居へ向かった。それから、腰に書記の筆入れをつけ、亜麻布の衣を着ている者を呼び寄せて、
Now the glory of the God of Israel had gone up from the cherub, where it had been, to the threshold of the temple.[a] And He called to the man clothed with linen, who had the writer’s inkhorn at his side;

エゼキエル10:18-19 

主の栄光が神殿の敷居から出て行って、ケルビムの上にとどまった。19 すると、ケルビムが翼を広げて、私の前で、地上から上って行った。彼らが出て行くと、輪もそのそばについて行った。彼らが主の宮の東の門の入口で立ち止まると、イスラエルの神の栄光がその上をおおった。
Then the glory of the Lord departed from the threshold of the temple and stood over the cherubim. 19 And the cherubim lifted their wings and mounted up from the earth in my sight. When they went out, the wheels were beside them; and they stood at the door of the east gate of the Lord’s house, and the glory of the God of Israel was above them.

エゼキエル11:23  

主の栄光はその町の真中から上って、町の東にある山の上にとどまった。
And the glory of the Lord went up from the midst of the city and stood on the mountain, which is on the east side of the city.

そして、この言葉の前には、神様からの約束が与えられています。11:19 わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。 Then I will give them one heart, and I will put a new spirit within them,[a] and take the stony heart out of their flesh, and give them a heart of flesh, 

神様は、なんと忍耐深いかたでしょうか。どうして、いっぺんに神殿やエルサレムから去らずに、ゆっくりゆっくり去っていったのでしょうか。神様は、私たちの立ち返るのをいつも待っておられるのです。
さて、先週も話しましたが、私たちは、選ばれた種族、祭司、聖なる御国の国民です。

◎私たちは、神の臨在、栄光を常にもてなしているでしょうか。

Ⅰコリント6:19
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
Or do you not know that your body is the temple of the Holy Spirit who is in you, whom you have from God, and you are not your own? 20 For you were bought at a price; therefore glorify God in your body[c] and in your spirit, which are God’s.

私たちの身体は、新しい聖所、神殿です。神様が住まわれることを選ばれた場所です。もしも、私たちの内に偶像があるなら、神様にとって非常に居心地が悪いものです。誰かの家に招かれていって、一番いい席に誰かが座り、あなたは、ずっと無視されているとしたら、どんな気持ちがしますか? あなたに誰も挨拶しなかったら? つまらないから、そーっと裏口から早めに帰るのではないでしょうか。
神の臨在は、選ばれた神殿、選ばれた町エルサレムでも同じだったのです。

◎神に選ばれたナジル人サムソンについて

旧約聖書士師記の有名な勇士サムソンの話を覚えているでしょうか。
彼は、不妊の女から生まれた約束の子でした。ナジル人として神に捧げられた、いわば、神の仕事をし、世の中を変えるべく備えられた人でした。神の栄光が留まっていましたから、どんな敵が来ても負けることはありませんでした。いつも神の守りがありました。
しかし、彼には、女という偶像がありました。しかも、神を敬わない女性との結婚です。彼は、自分の目的、肉的な夢を追いかけて、神様からせっかくいただいた特権を使いきってしまいました。そして、ついに新しい恋人デリラによって、神の栄光の秘密をばらされます。。

神様は、それぞれに賜物を与え、計画を与え、神の栄光がとどまるように計画されています。しかも、神ご自身が私たちに留まりともに神の事業をすることを喜んでいらっしゃるのです。

しかし、サムソンを見ても分かるように、どれだけ、私たちの心が神と一つになっていることが大切なことでしょうか。祝福はある、油そそぎはある、神様の栄光、臨在がともにある。しかし、私たちの心に偶像があったら。。。自分を一時的に満足させることはできても、あなたの人生のデスティニィに到達することもなく、神の御国を実現することもないのです。

神の栄光は、居心地の悪いところに永遠に留まってはいないのです。

まず、私たちの心のなかのお掃除から始めませんか。神より大切にしているもの、偶像を捨て去りましょう。自分が、神の力を利用して成功させようとしている夢を神に捧げましょう。


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birdy
birdyさんからコメント
投稿日 2015-10-04 10:30

人が集まってくる、素敵な教会ですね。

クッキングクラス、いいですね。
頑張ってください。

ワオ!と言っているユーザー

bokushi
bokushiさんからコメント
投稿日 2015-10-05 07:31

ありがとうございますー。
クッキングクラス楽しくなりそうです。
つくったものを学生さんたちが持って帰ったら、それも一日、二日栄養の足しになるんじゃないかと。。。。

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