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ボンビーでもしあわせのカタチはあります

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気まぐれに更新するブログなので、コメント・友だち・メール機能はオフにしています。無礼をお許しください。

平安時代からの「命の旅人」を迎えて、今、自分がいる。

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平安時代からの「命の旅人」を迎... 平安時代からの「命の旅人」を迎... 平安時代からの「命の旅人」を迎... 平安時代からの「命の旅人」を迎... 平安時代からの「命の旅人」を迎... 平安時代からの「命の旅人」を迎...
蔵に残された文化・文政時代から、明治維新に至る木版の和装本を見て、このまま消え去るのは無念であった。父の3回忌を機に、私たちの「物語」をまとめてみようと思った。     
 
 また、ファミリー・ツリーを遡行してみると、様々なドラマが展開していたことも知ることになった。        
 
 仕事・生活・子育てに追われながらも、激動の昭和史を駆け抜けた両親に、一番多くの「ありがとう」を言いたかったが、最も少なかったのではと思う。写真集を作成して意を表したい。  
                             
 写真や資料はあるものをかき集めて、短時間のうちに作製し た。写真類はスキャナーで読み取って、明暗・色合い・明瞭度を調整したが、限界があった。                
 
 私たちの歴史の「大いなる不思議」を感じながら楽しく製作することができた。      

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平安時代から、いのちの旅人を 迎える ■我々はどこからきたのか、我々は何者か、そしてどこに行くのか

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人類みな親戚。家系図の商売があ... 人類みな親戚。家系図の商売があって、みんな「桓武天皇」から始まっているってことも。

秀吉の「小田原征伐」で、滅ぼされ名前をかえて世を忍んで暮らしたというストーリー。「郷土史家」が新聞に書いていたので、まんざらウソでもないかな。

多摩市図書館や国会図書館にアクセスして調べたら面白かったです。何十万分の1かの遺伝子が受け継がれているかもというロマンがあります。
この写真集は100ページになる...
この写真集は100ページになる予定です。昔のものを家族の歩みとともに記録しておきます
平安時代から、いのちの旅人を ... 平安時代から、いのちの旅人を ... 平安時代から、いのちの旅人を ... 平安時代から、いのちの旅人を ...
我が家の歴史をまとめてみた。
なんか平安からの命のリレーが1本でも切れていたら、今の僕はないということ、どこからきてどこへ行こうとしているのかという人類の謎がおもしろいですよね。何十万年かの人類の歴史を考えると、みんな親戚ですね。

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■朱子学の入門書です。 すごい世界観です。知りませんでした。

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築100年の蔵の解体準備で出て...
築100年の蔵の解体準備で出てきたものです。

執筆は寛文10年は間違いありません。350年前!

なので明治初期のものの可能性もあります。

それでも150年ぐらいたっているので虫食いやカビもあります。
日本では江戸時代後期に各地の儒...
日本では江戸時代後期に各地の儒学塾で講義された。豊後日田の広瀬淡窓の咸宜園では、『伝習録』とともに学業の最後の段階に位置づけられていた。
■我が家は、戦国時代に戦いに敗...
■我が家は、戦国時代に戦いに敗れ、関東の武蔵野国から逃げ延びてきました。

苗字は、残したいと思い漢字を変えて、読み方は同じにしました。

(同じ読み方でも、漢字を変えて生き延びてきました)

江戸中期からこの地方に定着して、神官として仕事をしてました。
「近思録」とは 『近思録』(き... 「近思録」とは

『近思録』(きんしろく)は、朱熹と呂祖謙が周濂渓、張横渠、程明道、程伊川の著作から編纂した、1176年に刊行された朱子学の入門書である。4人は北宋時代の学者で、宋学を始めた人物とされる。内容は、14章に分かれている。
■朱子学の入門書です。 すごい...
1670年:ロシアで農民戦争が起こる(ステンカ・ラージンの乱)。
 
1671(寛文11)年:河村瑞賢が東回りの航路を開く。
 
1672(寛文12)年:河村瑞賢が西回りの航路を開く。樽廻船が始まる。
 
1673(延宝1)年:分地制限令(田畑の分割相続の制限)が出される。
 
1673(延宝1)年:三井高利が江戸と京都に越後屋呉服店を開く。
 
1673(延宝1)年:初代市川団十郎が江戸で荒事を演じる。 1675年:イギリスにグリニッジ天文台ができる。
 
1678(延宝6)年:初代坂田藤十郎が大阪で和事を演じる。
 
1680(延宝8)年:綱吉が将軍となり堀田正俊が登用される。 1680年:ライプニッツが微分法を発見。
 
1681(天和1)年:綱吉が江戸に護国寺を建てる。
 
1681(天和1)年:下馬将軍酒井忠清が辞職する。
 
1681(天和1)年:杉木茂左衛門が上州沼田領主の悪政を幕府に直訴する。
 
1682(天和2)年:諸国に高札をたて忠孝を奨励し毒薬売買などを禁止する
 
■朱子学の入門書です。
 
すごい世界観です。知りませんでした。
 
□濂渓先生は、次のように言っています。 無極(無限)であって太極(根本)です。(それが理です)。
 
太極が動いて陽が生まれます。動きがきわまると、静かになります。静かになって陰が生まれます。
 
静かさがきわまると、また動きます。動いたり、静かになったりすることが、互いに原因となって、陰に分かれ、陽に分かれて、陰陽の二気が成立します。
 
陽が変化をうながし、陰が合成をうながして、水・火・木・金・土という五行の気が生まれます。
 
その五行の気が順調にめぐりめぐることによって、四季がうつりかわります。
 
五行の気は、一つの陰陽です。陰陽の気は、一つの太極です。太極は、もともとは無極です。五行の気が生まれるにあたって、それぞれが独自の法則をもっています。
 
無極という真実のもの(理)と、陰陽・五行という精純なもの(気)とが、融合して凝結します。
 
このとき、乾道(拡散する作用)は男性的なものを成立させ、坤道(収斂する作用)は女性的なものを成立させます。
 
その男性的なもの(陽)と女性的なもの(陰)とが、交じりあって働きあって、万物を生み出します。
 
万物は次から次に生まれてきて、変化にきわまりがありません。 ただ人だけが、すぐれた気(材料)を得ており、万物の霊長となります。(すぐれた気を得て)生体が生まれると、心が発動して知覚するようになります。
 
五行の本性(気質の性)が刺激されて動いて、善事をなしたり、悪事をなしたりして、あらゆる行為となります。聖人は、みずからの行為をきちんと定めるために、
仁(やさしさ)
・義(ただしさ)
・中(過不足のないこと)
・正(是非をわきまえること)を用い
(本註:聖人の道は、仁・義・中・正だけです)、
しかも主静(心を静かに保つ工夫)をして(本註:欲に心を奪われることがないので、静かなのです)、人極(人として当然のあり方)を確立します。 ですから、聖人は、天地とその徳を同じくし、日月とその明るさを同じくし、四季のうつりかわりとその秩序を同じくし、鬼神とその吉凶を同じくするのです。
 
君子は、仁・義・中・正や主静を修めて、幸運にめぐまれます。小人は、仁・義・中・正や主静を軽んじて、不運にみまわれます。
 
ですから、『易経』「説卦伝」に「天の道を立てて、陰と陽と言う。地の道を立てて、柔と剛と言う。人の道を立てて、仁と義と言う」とあり、さらに『易経』「繋辞上伝」に「始めをたずねて、終わりにかえる。ゆえに死生の説が分かる」とあるのです。
 
『易経』というものは、まったく大いなるものですねえ。これは、その至りです。

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訳ありアンティークでも、ニトリ料金で買って、オイルフィニッシュ仕上げにしたら、蘇りました!

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かなり傷んでいるテーブルを格安... かなり傷んでいるテーブルを格安で買います。

木の質感を損なわず、自然なツヤを出すワトコオイルで。
自分で塗り替えるのもたのしいですよ!

木の呼吸を妨げず割れや反りを防ぎ、汚れ防止や水分の浸み込みも防ぎます。
訳あり。傷んで醜い天板。大丈夫... 訳あり。傷んで醜い天板。大丈夫、やり方がユーチューブで出ていますから、頑張って修復しましょう。 私は下のような「ミニサンダー」... 私は下のような「ミニサンダー」を使いました。 こんな小さなサンダーも、便利で... こんな小さなサンダーも、便利ですよ。■アフェリエイトへの誘導はありませんので、ご自分で検索してみてください。

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昭和20(1945)年8月9日未明、終戦を眼の前にして、突然一方的に日ソ不可侵条約を破ったソ連軍が、満洲地方になだれ込んだ。ソ連軍は、投下兵力158万人の大部隊だった。

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昭和20(1945)年8月9日...
ついに出撃命令が下った。いまこそ祖国のために一命を捧げる時が来たのだ。かねて覚悟はしていたとはいえ、悲壮な思いが、ひしと胸に迫り、完全武装を急ぐ手が震えた。 一瞬、故郷の父や母の顔が瞼をかすめた。「長い間お世話になりました。国のため、先立つ不孝をお許しください」こみあげる熱い思いが・・・・

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森の木々の間から、おびただしいソーラーパネルが

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雨模様で風景がよく見渡せなかっ...
雨模様で風景がよく見渡せなかったので、夏の写真をアップします。

途中に森の木々の間から、おびただしい太陽光パネルが出現。

いびつな真実! 現在、日本のメガソーラー事業の大半は“中国企業”が独占!
ワールド・ジェット・スポーツから引用してみよう。

すべては大阪から始まった!? 中国企業の「上海電力」が日本で発電
事業を行い始めた経緯

有名な案件としては、大阪市南港咲洲のメガソーラー事業を、中国の「上海電力」の日本法人が「別会社」を通じて落札し、事業を開始したことだ。

大阪市が2012年12月26日、メガソーラー事業のため咲洲北西端の土地を民間に貸し出した。この段階では一般競争入札で「伸和工業」と「日光エナジー」という日本の会社2社が「企業連合体」としてメガソーラー事業を受注し、予定地を月額550,001円で大阪市から借り受けた。
メガソーラーは設置に広いスペースが必要なため、森林伐採を行ったり、周囲の生活環境を乱したりすることがある。

産業用ソーラーパネルの多くは林地に設置されており、費用を抑えるために安全性の低い土地を選ぶ業者もいるため、地滑りや土砂崩れなどの土砂災害の要因になっているのだ。
 
全国でメガソーラー(1000キロワット以上の大規模太陽光発電所)への風当たりが強まっている。
 
「脱炭素」の掛け声の下、国の旗振りで爆発的に導入が進んだが、景観破壊や土砂災害誘発のリスクに加え、中国など外資による用地買収に「国防上の懸念」も指摘されているのだ。
 
倒産した事業者が太陽光パネルを放置する問題も表面化しており、専門家は現行制度の不備を強く指摘する。その深刻な実態を追った。
福島市は8月末、「ノーモア メガソーラー宣言」を発出した。建設中も含めて市内には26カ所のメガソーラーがあり、同市では「市民からも山肌が削られた景観への失望や、土砂災害を誘発するのではと不安の声が上がっている」と説明する。
 
経産省によると、今年3月末時点で事業認可を受けているメガソーラーは全国に8600カ所以上もある。
 
元農水官僚で再エネ事業の土地買収の実態に詳しい姫路大学の平野秀樹特任教授は、福島市の宣言にも「遅きに失したと言わざるを得ない。
 
メガソーラーに適した用地買収はすでに全国で終わってしまい、主戦場は風力発電に移った。国土がどれだけ外資に買われているかも全貌を把握することは困難だ」と話す。

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人生まだまだ 旅の途中 ■年老いても希望を持とう。人生は今からです。旅の途中です。わたしはあきらめません。

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画像も文も、AIクンにかいても...
画像も文も、AIクンにかいてもらいました。実力の程はいかがでしょう。
人生まだまだ 旅の途中 ■年老... 人生まだまだ 旅の途中 ■年老... 人生まだまだ 旅の途中 ■年老...
「人生まだまだ 旅の途中」
 
このフレーズは、人生の長い旅路がまだ続いているという前向きなメッセージを含んでいます。
具体的に解説すると、以下のような要素が含まれる可能性があります:
 
■人生の旅路:
「人生」は一つの長い旅と見なされています。この旅にはさまざまな経験や出会いが含まれ、それが人生を豊かにし、成長させてくれるものと考えられています。
 
■まだまだ:
「まだまだ」は、旅が終わっていないことを示唆しています。つまり、これまでの経験や過去の出来事はただの一部であり、これからも新たな出会いや挑戦が待っているという期待が込められています。
 
■旅の途中:
「旅の途中」は、人生がまだ続いているという現在進行形の表現です。
 
これは未来への希望や新たな可能性が広がっていることを示唆しています。
 
過去の経験や出来事は旅の中での一部であり、これから先がまだ探求されていない未知の領域であることを暗示しています。
 
◯このフレーズは、ポジティブな視点で未来を楽しみ、人生の旅を前向きに捉えるメッセージを伝えています。
 
また、挑戦や困難も含まれるかもしれませんが、それらも人生の一環として受け入れ、成長につなげていくことが期待されています。

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6月になれば、燕さえ戻ってくるのに・・・・母は吾子を待ちわびる 叔父の戦争体験を受け継ぐ

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昭和20(1945)年8月9日...
昭和20(1945)年8月9日未明、終戦を眼の前にして、突然一方的に日ソ不可侵条約を破ったソ連軍が、満洲地方になだれ込んだ。ソ連軍は、投下兵力158万人の大部隊だった。
軍服をまとう暇もなく、慌てて身を伏せた。重機関銃の傍らにいた私は、対空射撃の命令とともに、素裸のまま機関銃発射の握把をとった。真っ先に狙われる重機関銃。死ぬにも死ねない気持ちが先に立ち、不思議と怖さはなかった。
乏しい弾薬とみて、おもいきり低...
乏しい弾薬とみて、おもいきり低空へ降下してきた、夢中で発射。「小癪な!撃たれる前に撃ち落とせ!」体内の血が逆流し、炎のような闘志が全身に煮えたぎった。
敵は明朝になれば必ず攻めてくる。来ればどうなるかは、もう誰もがわかっていることだ。
あと数十時間の生命である。蛸壺...
あと数十時間の生命である。蛸壺のなかに寝転んで暮れゆく空を見上げていると、なぜか故郷のこと、母のこと、兄弟のこと、幼いころのこと等が次々思い出されてくる。
6月になれば、燕さえ戻ってくる...
太平洋戦争の末期の1945年8月8日。ソ連が突如、日本に宣戦を布告した。 
 
 翌9日にはソ連軍機甲部隊が国境から南下を始め、またたく間に満州に侵攻し、10日私の叔父は帰らぬ人となった。
 
これは日ソ両国の間で相互の領土保全と不可侵を約束していた日ソ中立条約を一方的に破棄するソ連の不法行為であった。
   
アメリカ軍との戦いで疲弊しきっていた日本軍を尻目に、ソ連軍は満洲を足掛かりに、樺太、千島列島を我がものとせんと、猛進してきたのだった……。 
 
 ソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から遅くとも9月5日までの間に、北方四島を占領した。
                   ■雑誌「歴史人」より    

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