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■朱子学の入門書です。 すごい世界観です。知りませんでした。

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築100年の蔵の解体準備で出て...
築100年の蔵の解体準備で出てきたものです。

執筆は寛文10年は間違いありません。350年前!

なので明治初期のものの可能性もあります。

それでも150年ぐらいたっているので虫食いやカビもあります。
日本では江戸時代後期に各地の儒...
日本では江戸時代後期に各地の儒学塾で講義された。豊後日田の広瀬淡窓の咸宜園では、『伝習録』とともに学業の最後の段階に位置づけられていた。
■我が家は、戦国時代に戦いに敗...
■我が家は、戦国時代に戦いに敗れ、関東の武蔵野国から逃げ延びてきました。

苗字は、残したいと思い漢字を変えて、読み方は同じにしました。

(同じ読み方でも、漢字を変えて生き延びてきました)

江戸中期からこの地方に定着して、神官として仕事をしてました。
「近思録」とは 『近思録』(き... 「近思録」とは

『近思録』(きんしろく)は、朱熹と呂祖謙が周濂渓、張横渠、程明道、程伊川の著作から編纂した、1176年に刊行された朱子学の入門書である。4人は北宋時代の学者で、宋学を始めた人物とされる。内容は、14章に分かれている。
■朱子学の入門書です。 すごい...
1670年:ロシアで農民戦争が起こる(ステンカ・ラージンの乱)。
 
1671(寛文11)年:河村瑞賢が東回りの航路を開く。
 
1672(寛文12)年:河村瑞賢が西回りの航路を開く。樽廻船が始まる。
 
1673(延宝1)年:分地制限令(田畑の分割相続の制限)が出される。
 
1673(延宝1)年:三井高利が江戸と京都に越後屋呉服店を開く。
 
1673(延宝1)年:初代市川団十郎が江戸で荒事を演じる。 1675年:イギリスにグリニッジ天文台ができる。
 
1678(延宝6)年:初代坂田藤十郎が大阪で和事を演じる。
 
1680(延宝8)年:綱吉が将軍となり堀田正俊が登用される。 1680年:ライプニッツが微分法を発見。
 
1681(天和1)年:綱吉が江戸に護国寺を建てる。
 
1681(天和1)年:下馬将軍酒井忠清が辞職する。
 
1681(天和1)年:杉木茂左衛門が上州沼田領主の悪政を幕府に直訴する。
 
1682(天和2)年:諸国に高札をたて忠孝を奨励し毒薬売買などを禁止する
 
■朱子学の入門書です。
 
すごい世界観です。知りませんでした。
 
□濂渓先生は、次のように言っています。 無極(無限)であって太極(根本)です。(それが理です)。
 
太極が動いて陽が生まれます。動きがきわまると、静かになります。静かになって陰が生まれます。
 
静かさがきわまると、また動きます。動いたり、静かになったりすることが、互いに原因となって、陰に分かれ、陽に分かれて、陰陽の二気が成立します。
 
陽が変化をうながし、陰が合成をうながして、水・火・木・金・土という五行の気が生まれます。
 
その五行の気が順調にめぐりめぐることによって、四季がうつりかわります。
 
五行の気は、一つの陰陽です。陰陽の気は、一つの太極です。太極は、もともとは無極です。五行の気が生まれるにあたって、それぞれが独自の法則をもっています。
 
無極という真実のもの(理)と、陰陽・五行という精純なもの(気)とが、融合して凝結します。
 
このとき、乾道(拡散する作用)は男性的なものを成立させ、坤道(収斂する作用)は女性的なものを成立させます。
 
その男性的なもの(陽)と女性的なもの(陰)とが、交じりあって働きあって、万物を生み出します。
 
万物は次から次に生まれてきて、変化にきわまりがありません。 ただ人だけが、すぐれた気(材料)を得ており、万物の霊長となります。(すぐれた気を得て)生体が生まれると、心が発動して知覚するようになります。
 
五行の本性(気質の性)が刺激されて動いて、善事をなしたり、悪事をなしたりして、あらゆる行為となります。聖人は、みずからの行為をきちんと定めるために、
仁(やさしさ)
・義(ただしさ)
・中(過不足のないこと)
・正(是非をわきまえること)を用い
(本註:聖人の道は、仁・義・中・正だけです)、
しかも主静(心を静かに保つ工夫)をして(本註:欲に心を奪われることがないので、静かなのです)、人極(人として当然のあり方)を確立します。 ですから、聖人は、天地とその徳を同じくし、日月とその明るさを同じくし、四季のうつりかわりとその秩序を同じくし、鬼神とその吉凶を同じくするのです。
 
君子は、仁・義・中・正や主静を修めて、幸運にめぐまれます。小人は、仁・義・中・正や主静を軽んじて、不運にみまわれます。
 
ですから、『易経』「説卦伝」に「天の道を立てて、陰と陽と言う。地の道を立てて、柔と剛と言う。人の道を立てて、仁と義と言う」とあり、さらに『易経』「繋辞上伝」に「始めをたずねて、終わりにかえる。ゆえに死生の説が分かる」とあるのです。
 
『易経』というものは、まったく大いなるものですねえ。これは、その至りです。

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