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  • 6月になれば、燕さえ戻ってくるのに・・・・母は吾子を待ちわびる 叔父の戦争体験を受け継ぐ

6月になれば、燕さえ戻ってくるのに・・・・母は吾子を待ちわびる 叔父の戦争体験を受け継ぐ

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昭和20(1945)年8月9日...
昭和20(1945)年8月9日未明、終戦を眼の前にして、突然一方的に日ソ不可侵条約を破ったソ連軍が、満洲地方になだれ込んだ。ソ連軍は、投下兵力158万人の大部隊だった。
軍服をまとう暇もなく、慌てて身を伏せた。重機関銃の傍らにいた私は、対空射撃の命令とともに、素裸のまま機関銃発射の握把をとった。真っ先に狙われる重機関銃。死ぬにも死ねない気持ちが先に立ち、不思議と怖さはなかった。
乏しい弾薬とみて、おもいきり低...
乏しい弾薬とみて、おもいきり低空へ降下してきた、夢中で発射。「小癪な!撃たれる前に撃ち落とせ!」体内の血が逆流し、炎のような闘志が全身に煮えたぎった。
敵は明朝になれば必ず攻めてくる。来ればどうなるかは、もう誰もがわかっていることだ。
あと数十時間の生命である。蛸壺...
あと数十時間の生命である。蛸壺のなかに寝転んで暮れゆく空を見上げていると、なぜか故郷のこと、母のこと、兄弟のこと、幼いころのこと等が次々思い出されてくる。
6月になれば、燕さえ戻ってくる...
太平洋戦争の末期の1945年8月8日。ソ連が突如、日本に宣戦を布告した。 
 
 翌9日にはソ連軍機甲部隊が国境から南下を始め、またたく間に満州に侵攻し、10日私の叔父は帰らぬ人となった。
 
これは日ソ両国の間で相互の領土保全と不可侵を約束していた日ソ中立条約を一方的に破棄するソ連の不法行為であった。
   
アメリカ軍との戦いで疲弊しきっていた日本軍を尻目に、ソ連軍は満洲を足掛かりに、樺太、千島列島を我がものとせんと、猛進してきたのだった……。 
 
 ソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から遅くとも9月5日までの間に、北方四島を占領した。
                   ■雑誌「歴史人」より    

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