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丙午(ヒノエウマ)

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丙午(ヒノエウマ) シアトルの空港に飾られている春... シアトルの空港に飾られている春節 丙午(ヒノエウマ) 丙午(ヒノエウマ)
春節の季節となり、中国圏では新年を祝うムードが広がっています。
 
伝統的な東アジアの暦(十二支と五行の組み合わせ)によると、今年は60年に一度の「丙午(ひのえうま)」の年です。干支の「午」に「丙」の火が重なる、特別な組み合わせです。
 
この干支のサイクルは古代中国に起源を持ち、民間信仰や暦の占い的な要素が強く、自然の調和や運勢を考える伝統的な風習から生まれました。
 
中国では丙午の年を「火のエネルギーが強く、火災が多い」と忌み嫌う風習はありましたが、女性に対する特別なネガティブな迷信は日本独自に発展したものです。
 
江戸時代(1603〜1868年)頃から、「丙午生まれの女性は気性が激しく、夫の命を縮める」「家を滅ぼす」といった根拠のない迷信が広まりました。
 
元々は「丙午の年には火事が多発する」という言い伝えが、17世紀の八百屋お七の放火事件と結びつき、歌舞伎や浄瑠璃を通じて民衆に浸透したと言われています。中国ではこうした女性を貶める解釈はほとんど見られません。
 
この迷信の影響は深刻で、前回の丙午年である1966年には、日本の出生数が前年比で約25%も激減しました。女の子が生まれるのを避けようとする家庭が多かったためです。迷信が社会現象を引き起こした、歴史的な例です。
 
先日教会で出会った姉妹が、まさにその1966年の丙午生まれでした。彼女は片足を伸ばして、真っ赤なスニーカーを見せながら誇らしげに「ひのえうま生まれなんです!」と言いました。
 
最初は何のことかわかりませんでしたが、彼女は子供の頃、周囲からの偏見や蔑視を受けて育ったそうです。それでも今、彼女は明るく力強く生きています。
 
今回初めて気がついたのですが、ヒノエウマを英語で表わすなら、Fire Horse。これは米国の「不死鳥-Phoenix」に通じるのではないか? 
火と馬のイメージは、燃え尽きても再生するような力強さと不屈の精神を連想させます。
 
世間の古い迷信が何と言おうと、彼女の不屈の精神に心を打たれました。火の馬のように情熱的で自由な魂が、これからも力強く駆け抜けていきますように。
 
 
As spring unfolds and the Lunar New Year season begins in Chinese communities around the world, it’s a time of fresh starts and reflection. 
 
According to the traditional East Asian calendar—which combines a 12-year animal cycle with five elements (wood, fire, earth, metal, water)—this year marks the rare “Fire Horse” (known in Japanese as Hinoe-Uma or 丙午, pronounced “hee-no-eh oo-mah”). 
This special combination occurs only once every 60 years.
 
The zodiac system originated in ancient China as part of folk cosmology, traditional almanacs, and popular beliefs about living in harmony with nature’s cycles—not as part of a major organized religion like Buddhism or Taoism, but more as cultural divination and seasonal wisdom. 
 
In China, a Fire Horse year was sometimes viewed as carrying intense “fire” energy, potentially linked to more fires or volatility. But the specific, dramatic superstition targeting women born in this year developed uniquely in Japan.
 
From the Edo period (1603–1868) onward, Japanese folklore claimed that girls born in a Fire Horse year would grow up with fiery, strong-willed personalities—too independent or passionate to be good wives. 
 
Extreme versions even suggested they might “shorten their husband’s life” or bring ruin to the family. This baseless idea likely stemmed from earlier notions of frequent fires in those years, amplified by the tragic story of Yaoya Oshichi, a 17th-century woman executed for arson and later mythologized in plays and stories as a Fire Horse native. 
 
Over generations, this turned into a widespread Japanese superstition with little parallel in China or elsewhere in East Asia.
The superstition had real consequences: in the last Fire Horse year, 1966, Japan’s birth rate dropped sharply—by about 25%—as many families avoided having daughters out of fear for their future marriage prospects. 
It’s a powerful reminder of how cultural myths, even without evidence, can influence real decisions and lives.
 
Recently at church, I met a sister who was born in that very 1966 Fire Horse year. With a big smile, she stretched out her leg to show off her bright red sneakers and said proudly, “I’m a Fire Horse baby!” At first, I had no idea what she meant. 
 
She went on to share that, growing up, she faced prejudice and judgment from people who believed the old superstition. Yet here she was, decades later, radiating confidence and joy.
 
For the first time, I realized that “Hinoe-Uma” in English is simply “Fire Horse.” And in that name, the image of fire and a swift, powerful horse feels almost like a symbol of resilience and rebirth—something that echoes, in a way, the majestic phoenix of American and Western folklore, rising renewed from flames. 
No matter what outdated superstitions say, her story shows how labels and old fears can try to hold people back—but they don’t have to succeed. 
 
The “fire” in Fire Horse evokes something untamed and enduring, much like the strength we admire in those who overcome hardship.
I hope she—and every woman who has carried this label—continues to run her race with that same bold, unquenchable spirit.
#伝統 #暮らし #歴史

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「神の業がこの人に現れるため」

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「神の業がこの人に現れるため」...
 

「神の業がこの人に現れるため」
 
 
ヨハネの福音書 9章1~5節
 
 
"さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。
弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。
わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。だれも働くことができない夜が来ます。
わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。」"
 
 
⑴ 過去のゆえに現在がある
 
 
❶弟子らの問いにあるユダヤ教背景
 ・子孫の罪~重大な親の罪は、その子や孫にまで及ぶ
 ・胎内での罪~胎児であっても、母の罪に共犯できる重大犯罪がある
 ・不幸は、罪の罰と考えられていた

❷仏教による因果応報
 悪事が起こると「罰が当たった」と考えられてきた
 
 
(2) 未来は現在を引き寄せる
 

❶「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもない」~イエスによるパラダイムシフト
 
❷ヘブル人は、神の言葉・約束によって未来を見据えて、これが先に定まっているので現在を引き寄せ、形成すると考えた。
 
ヘブル語用法から

 ・qudem(ケデム); 過去=前=東
 ・acharit(アハリート); 未来=後ろ
 ヘブル人は、時間と空間の概念を1つのものとして捉えていた
 

(3)  神の業がこの人に現れるため
 

 ❶「神の業」は複数形であることに留意
 ・創造主による物理的ないやし(4-7)
 ・近所の人々への証言(8-12)
 ・パリサイ人らとの論争(13-34)
   👉盲人の信仰が揺さぶられ、試され、成長していく
   👉パリサイ人らの霊的盲目さが露呈していく
 ・盲人の信仰告白(35-38)
 
❷生まれつき盲人の開眼は、メシア的奇跡の1つ 
 イエスにしかできない神の業に与った盲人
 会堂追放の憂き目にあっても、これに勝る特権を得た
 

(結論)
 
 
神の業は私を通し、生まれ持ったハンディを通し、その性格や特質を通して進められる。
それは必ずしも私が望む方法や成功ストーリーではない。
それはイエス様にしかできないことだ。
私が究極に望むものは何か。
主イエスに出会うことではないだろうか。
 
「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。(ヨハネ9:38)
#メッセージ

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「人生最大の資産」

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「人生最大の資産」
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 

「人生最大の資産」
 
 
使徒の働き 3章1~16節
 

"ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
すると、生まれつき足の不自由な人が運ばれて来た。この人は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた。
彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。
ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。
すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。
人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。
そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だと分かると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた。
この人がペテロとヨハネにつきまとっているうちに、非常に驚いた人々がみな、「ソロモンの回廊」と呼ばれる場所にいた彼らのところに、一斉に駆け寄って来た。
これを見たペテロは、人々に向かって言った。「イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして、私たちが自分の力や敬虔さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたはこの方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
いのちの君を殺したのです。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。"
 
 
⑴資産が人を決定する~美しの門に置かれた物乞い
 
 
❶有形・無形の資産により、人はその生き方やあり方が規定される
 「生まれつき足の不自由な人」は、人々からの施しに頼るほかなかった。
 しかも、宮に、祈りの時間に門に連れてきてもらう必要があった。
 
❷人は皆、持っているものに、そして持ってないものに敏感にならざるを得ない。
 金銭や財産、知識や地位、経験、健康や気力がその人の自身を形作るといっていい。
 
 
(2) これらの資産は無いと明言しペテロ~「金銀は、私にはない」(6)
 

❶ペテロがその男を見つめ、「私たちを見なさい」と言った理由(4)
 つい数日(数週)前には、同じこの神殿でペンテコステの奇跡があり、その男も見聞したはず。毎日そこに置かれていた男は、ペテロのことも知っていただろう。
 
❷ペテロは、漁師上がりの「無学な普通の人」(4:13)
 議会による審問において、敵側もペテロたちがイエスとともにあることを認めざるを得なかった~人間が獲得し得る最大の資産、金銭、知識や健康を超えるものがここにある。
 
 
(3) ペテロの持っていた資産とは何か~「しかし、私のあるものをあげよう。ナザレのイエスキリストの名によって」(6)
 
 
❶イエスの御名が、この人を強くした」(16)
 人々はペテロたちの持っている力とか敬けんさによって奇跡をもたらしたと尊敬の眼差しで見ていたが。

❷イエスによって与えられる信仰が、この人を完全な体にした(16)
 宣教者自身に誇るべきものは何もない。この男に与えられた信仰も、イエスからの賜物であった。
 
 
(結論)  「この方に信頼するものは、決して失望させられることがない」(Ⅰペテロ2章6節)
 
 
❶私たちのあり方を最終的に決めるのは、財産でも地位でも経験でもない
 
❷イエスの名を知っていること、イエスによって与えられる信仰が私たちのあり方、生き方を決める
 
❸イエスの名を呼び、イエスの癒しと救いに預かろう
#メッセージ

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「不正の富で富を作れ」

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「不正の富で富を作れ」...
 

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
「不正の富で富を作れ」
 
 
ルカの福音書 16章1~12節
 
"イエスは弟子たちに対しても、次のように語られた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この管理人が主人の財産を無駄遣いしている、という訴えが主人にあった。
主人は彼を呼んで言った。『おまえについて聞いたこの話は何なのか。会計の報告を出しなさい。もうおまえに、管理を任せておくわけにはいかない。』
管理人は心の中で考えた。『どうしよう。主人は私から管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力はないし、物乞いをするのは恥ずかしい。
分かった、こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、人々が私を家に迎えてくれるようにすればよいのだ。』
そこで彼は、主人の債務者たちを一人ひとり呼んで、最初の人に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言った。
その人は『油百バテ』と答えた。すると彼は、『あなたの証文を受け取り、座ってすぐに五十と書きなさい』と言った。
それから別の人に、『あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、その人は『小麦百コル』と答えた。彼は、『あなたの証文を受け取り、八十と書きなさい』と言った。
主人は、不正な管理人が賢く行動したのをほめた。この世の子らは、自分と同じ時代の人々の扱いについては、光の子らよりも賢いのである。
わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなったとき、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます。
最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。
ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょうか。
また、他人のものに忠実でなければ、だれがあなたがたに、あなたがた自身のものを持たせるでしょうか。"
 
 
(1) 聖書は文脈で理解する
 
 ❶律法学者とパリサイ人に対して語られた場面(15:1-2)
 ~3つの例え話、そこには大切なものを失った者が探し出す愛の物語だった
 
❷弟子たちに語られている場面(16:1)  ~不正の管理人のようであれ
 預けられている権限を最大限に生かすようにと教えている
 
 
(2) キーワードを解釈する

①「財産」~放蕩息子の父親は求めに従い財産を分けてやった(15:12)
それは「父(神)から頂いているいのち」「父(神)の子としてのあり方」
ヨハネ福音書ではこれを「永遠の命」としている。

② 管理人が浪費した財産も同様に、神から預かっているいのちを浪費しているとは罪の中を生きている姿を描写。

③ 債務者たちが膨大な負債=神に対して払い切れない罪
 油100パテ=4千リットル
 小麦100コル=4万リットル
 
 
(3)  不正の富で友を作れ
 
 抜け目のない管理人の戦略 ~ 本来債務軽減できる権限は、所有者の主人だけ。
 帳簿改ざんするその管理は委ねられている
 負債を免言するとは、罪の赦しを宣言すること
 
❶債務者たちがやがて永遠の住まいに迎えてくれる~罪赦された彼らが神の国にいることが前提。その時には管理者を喜んで迎え、交わりを楽しむだろう。
 
❷「小さい事に忠実」~ 与えられているチャンスを生かし、債務のあるもの、罪に苦しむ者たちに赦しの福音をシェアすること。社会的に認められない下層民たち、弱い者たちに「真実」であることだ。
 
 
(結論)
 
"イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」"   ヨハネの福音書 20章21~23節
 
 ① 私たちは、主から聖霊をいただいて、罪を赦す権威を委ねられている
 
 ② 神に仕えるとは、低められ、社会から疎んじられている人を真実に愛することだ
 
 ③たとえ自らは不完全な不正な管理人であったとしても、その殻を捨て、自分を突破して、他者の債務減免のために委ねられている機会を生かそう
#メッセージ

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「私のものは全部おまえのものだ」

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「私のものは全部おまえのものだ...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
「私のものは全部おまえのものだ」
 
ルカの福音書 15章25~32節
 
"ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえてきた。
それで、しもべの一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
しもべは彼に言った。『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事な姿でお迎えしたので、お父様が、肥えた子牛を屠られたのです。』
すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。
しかし、兄は父に答えた。『ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹下さったこともありません。
それなのに、遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子のために肥えた子牛を屠られるとは。』
父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。
だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。』」"
 
 
(1)兄息子の怒り
 
 ❶「兄は怒って、家に入ろうともしなかった」
 「遊女に溺れて、あなたの身代を食いつぶして帰ってきたこのあなたの息子」(30)と表現。そこに兄弟間の親密な関係はない。
 
❷「長年の間、父に仕え、戒めを破った事は1度もない(29)
 これはパリサイ人や律法学者らの立場(15:2)
 
 
(2) なだめる父親
 

①「父が出てきて、いろいろなだめてみた」(28)
 なだめる=パラカレオ(傍に呼ぶ)、慰め主なる聖霊様の別名。
 父にとり、兄も弟と同様に重要である。父は楽しい喜びの宴から離れて、兄のもとにやってきた。
 
② 「私のものは全部お前のものだ」
身代は既に兄にも同様に分けられていた(12)
「イエス様の所有しているものは、全てはあなたのものである」と教えられて、にわかには得心できないであろう。その栄誉と権威の偉に比べ、現在私たちが所有しているものとは絶大な差がある。
 

(3)  物語の結論はどうであったか
 

 ❶この例え話の注目すべき主眼は2人の息子たちではなく、父親である。
 2人の失われた息子を持つ父親の物語だ。
 
❷兄息子と弟息子は和解できたのか?兄息子は宴会に加わったのか?
 パリサイ人や律法学者たちと罪人らとの和解は、同様に難しい。
 私たちが信頼して愛していた人はずの人から裏切られたり、傷つけられたりした場合、激しく痛み赦すのは困難だ。
 
 
(結論)
 
❶父親は兄が弟と和解せずとも、既に彼を赦し、愛している。
 自分がともにいることを兄にも喜んでもらいたいのだ。
 
❷兄は「小ヤギ1匹をもらったことがない」と言ったが、実は全てを所有していた。
 共に働けることの喜びと全財産を所有していることを知らずに不満を募らせた兄息子。

❸イエス様の所有している栄光や権威の全ては、私たちが既に受け継いでいる。
それがイエスと1つとなると言うことだ。
 
 @「天にあるすべての霊的祝福を既にいただいた」(エペソ1:3)
 
 @「天にある右の座に着座されて、あらゆる名の上に高く置かれたキリスト」(同1:20)
 
 @「キリストと共に天のところに座すものとされている私たち(同2:6)
#メッセージ

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「神の言葉に生きるダイナミズム」

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「神の言葉に生きるダイナミズム...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
「神の言葉に生きるダイナミズム」
 
ルカの福音書 2章1~7節
"そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。
これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。
ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。"
 
 
(1) 「住民登録をせよ」
 
 
 ❶最高権力者アウグストゥスの勅令である。当時は2種類の住民登録があった。
 これは、非征服民の財産を把握し、やがて摂取するためのもの。ユダヤ人には
屈辱的な帝国政策。
 
❷ヨセフの判断~身重になりつつあるマリアをナザレから連れ出すために、この政策を利用。Elizabeth訪問の3ヶ月を過ごし、衆目から逃れる良い口実となる。
 
 
(2) 「ご自分の民を、その罪から救う」メシア(マタイ1:21)
 

❶律法的に「正しい人」ヨセフ
 罪から救われなくてはならないと言う自身の、そしてユダヤ民族の必要性を理解していく
 アブラハムの子孫として、既に天国行きは約束された救いの民族であるとの社会通念の覆いの中で
 
❷神の意図を理解した時、この究極的な目的の前に、他の事は全て相対化された
 ローマからの独立はどうでも良くなった。幼子を育てるために、念入りな作戦計画と実行が生涯を通じた中心軸となる。
 
 
(3)  「ナザレという町に行って住んだ」(マタイ2:23)
 
 
 ❶ナザレ北方数キロに位置したツィポリ~国主ヘロデ・アンティパスがBC. 4年頃に建設を開始。半円劇場や住宅地建設に大工ヨゼフの仕事が生かされる。
 異邦人都市の建設にも協力できた自由主義思想の持ち主であったか。
 
❷幼子イエスを育成するのが彼にとって最大の目的であった。
 ユダヤコミュニティーや会堂制度、イデオロギーのためではなく、絶対に大切だったのは特定の人物であり、それ以外のものは霞んでいった。
 
 
(結論)
 
 
❶ヨセフは、それまでの「正しい」生き方では対処できない宿題を背負わされた。
 
❷神の言葉に接し、何が絶対的な優先事項であるかの基準を得た時、他のものは全て相対化されて序列下位に落ち着いていった
 
❸教義や主義、組織や共同体ではなく、神はあなたにある個人を任せておられるのではないか。「わたしの子羊を飼いなさい」(ヨハネ21:15)
#メッセージ

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「内なる人は、日々新たに」

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「内なる人は、日々新たに」...
 

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
「内なる人は、日々新たに」
 
 
コリント人への手紙 第二 4章7~18節
 

"私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。
私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。
迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。
私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。それはまた、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において現れるためです。
こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働いているのです。
「私は信じています。それゆえに語ります」と書かれているとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語ります。
主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。
すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。
ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。"
 
 
(1) 四方八方からの苦しみ(7-10)
 
 
❶パウロの舐めた宣教での試練~
 「途方に暮れ」、「行き詰まり」、「迫害され」、「イエスの死を身におびてきた」
 
❷一般の日常生活にも、不条理で理不尽な仕打ちに直面することがある
 パウロは2年間、無罪のままカイザリヤで幽閉された(使徒26章)
 
 
(2) 明らかとされるイエスのいのち(10)
 

①「今日私の話を聞いている人々が皆、この鎖は別として、私のようになってくださること」~鎖で手錠や足枷をかけられた男が、権力者も持ってない内的輝き、否定出来ない喜びに溢れていた。
 
②状況は私たちをいやしめることはできない
状況はすぐには変わらないし、好転しないかもしれない。しかし私たちは状況の奴隷ではない。最悪な状況である「死」を打ち破った方が、私たちの内におられる。
 
 
(3) 永遠の栄光へとつながって
 
 
❶なる人(肉体)の衰えは避けられない~気力や体力も老化とともに衰えゆく
 この生きている限り避けられない困難は、「軽い」(17)もの、「一時」(18)のもの。
 
❷「内なる人」(16)=「土の器の中に入れている宝」(7)=キリスト
 私たちの内に住まわれるキリストは、日々確かな存在として、私に革新を与え続ける
 

(結論)  測り知れない重い永遠の栄光へ
 
 
❶心照らされて、神の栄光を知るものとされた私たち(6)
 
❷その私が優れていたからではなく、私は「土の器」に過ぎなかった(7)
 
❸すべての事(ネガティブな不条理も含め)は、私たちに益となる(15)
 ~恵みが多くの人に及び、神の栄光へとつながるから

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「主はまことにいつくしみ深い」

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「主はまことにいつくしみ深い」...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトLINEです。
 
 
「主はまことにいつくしみ深い」
 
 
詩篇 107篇1~9節
 

"「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」
主に贖われた者はそう言え。主は彼らを敵の手から贖い
国々から彼らを集められた。東からも西からも北からも南からも。
彼らは荒野や荒れ地をさまよい人が住む町への道を見出せなかった。
飢えと渇きによって彼らのたましいは衰え果てた。
この苦しみのときに彼らが主に向かって叫ぶと主は彼らを苦悩から救い出された。
彼らをまっすぐな道に導き人が住む町へ向かわせた。
主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。
まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ飢えたたましいを良いもので満たされた。"
 
 
⒈ 主に感謝せよ
 
 
❶ 最新の科学見知からの「感謝」の効用~オキシトシン分泌=免疫力向上と疾病予防
 
❷私たちの成り立ちを知り、創造者であられる方が「感謝せよ」と招かれる 
 そこには健康や福利の増進以上の理由がある
 
 
⒉ その恵みはとこしえまで
「主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに」(8、15、21、31)
 
 
①たとい迷いの中でも(4-9)
 

②たとい反逆していても(10-16)
 

③たとい愚かであっても(17-22)
 

④たとい自己義にあっても(23-32)
 
 
⒊ 主はまことにいつくしみ深い
「この苦しみのときに彼らが主に向かって叫ぶと主は彼らを苦悩から救い出された」
 (6、13、19、28)
 
 
❶思いがけない困難は自らを見つめ、方向転換(悔い改め)する機会となり得る

❷立ち返ることができるのは受け入れられ、赦されることを知っているがゆえだ
 
 
(結論)  主は、私たちを敵の手から贖われた(3)
 
 
❶痛みと試練は、私たちが同じ状態にいることを許さない
 主が私たちと共におられるゆえに
 
❷主は、私たちをご自身のおられる御座に招かれる
 「国々から彼らを集められた。東からも西からも北からも南からも」(107篇3節)
#メッセージ

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「偉い人は仕える人」

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「偉い人は仕える人」...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトLINEです。
 
 
 
「偉い人は仕える人」
 

マタイの福音書 20章20~28節
 

"そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、息子たちと一緒にイエスのところに来てひれ伏し、何かを願おうとした。
イエスが彼女に「何を願うのですか」と言われると、彼女は言った。「私のこの二人の息子があなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるように、おことばを下さい。」
イエスは答えられた。「あなたがたは自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。
イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲むことになります。しかし、わたしの右と左に座ることは、わたしが許すことではありません。わたしの父によって備えられた人たちに与えられるのです。」
ほかの十人はこれを聞いて、この二人の兄弟に腹を立てた。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。
あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。
あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」"
 

(1) 古代社会でのしもべ
 
 
❶ローマ社会にて~征服された民族、市民権を持たない2級市民、その身分は世襲される
 
❷ユダヤ社会にて~経済困窮して身売りした人たち。親類縁者による贖い金による開放が可能。そうでなくとも50年に1度のヨベル年で解放。自らの意思で主人の家に留まり続ける自由奴隷もいた。
 
 
(2)  イエスが私のしもべに⁉︎
 
 
①イエスの生涯~しもべとしての徹底した立場を貫かれた
 しもべ:「自分の思いを持たず、主人の思いを自分の思いとする」立場
 その代表例が洗足~誰がしもべとなるか、弟子たちの間で緊張が走る中、主は率先されて彼らの足を洗われた~福音が私に手渡されたのも、先達らがしもべとなってくださったゆえだ。
 
②その十字架~「贖いの代価として、自分の命を与えるため」(28)
 これにより私は生きるものとされた
 
 
(3) 私がしもべに?
 

 ❶「私」という実態~12弟子たちの姿に重なり合う
 自分の思いを貫くこと、それを実現することで頭がいっぱいな私たち。それが叶わないときにはイライラし、疑いや恐怖、怒りに満たされる
 
❷主イエスの実態~他者を生かすことを第一に考え、ご自分の何が他者の役に立てるかを知り、それを選択し続けられた
 
 
(結論)  私にとって「仕えるものになる」とはどういうことか?
 
①私たちは世界の標準と上下逆さまのベクトル世界に招かれている
 
②その世界の先駆者として、主はしもべの道を辿られた
 
③主の揺るぐことのない喜びと平安は、謙遜の泉から溢れ出ている
#メッセージ

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「山の上で主の前に立て」

スレッド
「山の上で主の前に立て」...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 

「山の上で主の前に立て」
 
 
列王記 第一 19章1~11節
 
"アハブは、エリヤがしたことと、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととの一部始終をイゼベルに告げた。
すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。
彼はそこにある洞穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、主のことばが彼にあった。主は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と言われた。
エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」
主は言われた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」するとそのとき、主が通り過ぎた。主の前で激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。"
 
 
(1)  死を願うエリア~燃え尽き症候群で鬱に
 
① 多重過多のストレス~バアルの預言者ら450人との対決、長距離疾走による肉体疲労、さらにイゼベルによる脅迫
 
②「私の命をとってください。私は先祖たちに勝っていませんから」(4)
 彼は、他者との比較から自らの評価世界を生きていた
 

(2) 力を得たエリア~備えられた(甘い)パン菓子と水
 
 
①御使いによる支え~「起きて食べなさい。旅はまだ遠いのだから」(7)
 逃避行動への叱責はなく、この時の彼にはいたわりの言葉が必要だった
 
②物質的サポートによる支え~ 通常甘いものは体には悪いとされるが、この時ばかりは心に励ましと体に回復を与えるものとなった
 

(3) 主の前に立つエリア~嵐、地震、炎ではなく、かすかな細い声におられた主
 
 
①モーセの神の山ホレブでの見神経験~かつて神がイスラエルの民と契約を交わし、40日40夜神と共に過ごした信仰のルーツであった。新約の私たちにとってそれは、主イエスにおける十字架と復活であろう
 
②「ここで何をしているのか」(9)との問い
 「ただ私だけが残りました」~視野狭窄と過剰な自意識
 エリアは視野を広げられ、広大な神の計画を知る。天変地異の驚愕な現象には存在しない個人的な神との語らい、関係の構築に至る
 
 
(結論)  私にとって「神の山の上に立つ」とはどういうことか
 
 
①時に、鬱に陥るほどストレス過剰となるときは、現場を離れて、神の前に立とう
 
②私たちが帰るべき魂のふるさととは、主イエスの元であり、その十字架と復活だ
 
③主は静かな声を持って私に語りかけ、より深い魂の交流を求めておられる
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