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「神の与えた賜物を燃え立たせよ」

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ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
 
 「神が与えた賜物を燃え立たせよ」
 
 
テモテへの手紙 第二 1章3~10節
 
 
 
 

"私は夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こし、先祖がしてきたように、私もきよい良心をもって仕えている神に感謝しています。
私はあなたの涙を覚えているので、あなたに会って喜びに満たされたいと切望しています。
私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。
そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。
ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。
神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、
今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。"
 
 

(1) 賜物が与えられた背景とは(5)
 

①テモテが宿している「純粋な信仰」は、祖母ロイスと母ユニケから受け継いできたものだ。
 ユダヤ教徒としての敬虔なや信仰を先祖から受け継いで来た。

②家族からまた民族から、尊い文化的な遺産を引き継いできた私たち。
 日本民族にも純粋な信仰が育つ土壌があるのではないか。
 
 
 
(2) 賜物を燃え立たせよ(6)
 
 
 
①賜物は既に与えられた~パウロから按手を受けたときに。
 パウロの二次伝道旅行の際にルステラで見出された信者でありユダヤ教からクリスチャンに改宗した(使徒16:1)
 
②キリスト者が聖霊様と言う賜物をいただくのは信仰を抱いた時。
 所持してるのと、これが使用可能な状態になってるのとは違う。
 
 
 
(3)  賜物を活かせよ(7)
 
 
 
 ①臆病の霊ではない。当時のパウロは囚人として辱めの中にあり、その弟子のテモテも同様の危険の中にあるが、「恥」と捉えてはならない(8)。
 
②力と愛と慎みとの霊である。この3つは聖霊様の現れの3頂点をなす、緊張関係の中にある。  
 賜物が活性化されるために「力」が必要であり
 賜物が使われるときにキリストが崇められるためには「愛」が必要であり
 それがふさわしいTPOで使われるためには、「慎み=自己規律」が必要であろう。
 

 
 
(結論)
 
 
 
キリスト者は、誰もが神の賜物としての聖霊様をいただいている。
この賜物を十分に燃え立たせていただこうではないか。
神の与えたスピリットはあなたをして勇気ある力を与え、キリストの愛で満たし、自らを律するものとする。
#メッセージ

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「聖書の語るグランドストーリー」

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「聖書の語るグランドストーリー...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
 
 
 
 
 
ヨハネの黙示録 21章1~8節
 
 
 
"また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」
すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
また私に言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。
勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」"
 
 
 
(1) エデンの園と新しいエルサレム
 
 

①共通項の1つに、「いのちの木」があったこと。
 罪が入っていのちの木へのアクセスが遮断された時から、そこへ至る回復プロセスが大まかなグランドストーリーである(創世記3章22節、黙示録22章2節)。

②園から始まった人類歴史は、やがて街に完結される。
それは人工の街ではなく、やがて天から降りてくる「新しいエルサレム」。
そこには、6つに分類される方々が住む(ヘブル12章22~24節)
 
 
 
(2) 神の幕屋は人と共にある
 
 
 
①シャカイナの栄光は、神が臨在され顕現される所に宿る。
かつては幕屋の至聖所、神殿の至聖所、そしてイエスご自身の内側に。
 
②新しいエルサレムに満ちているシャカイナの栄光(黙示録21章22から23節)
 
 

(3)  事は成就した(黙示録 21章6節)
 
 
 
 ①神の勝利
人類創世から神と悪魔との戦いが続けられていた。創世記3章15節。
主イエスははその十字架において、悪の力と罪と裁きとを葬り去ったが、やがてこれが全世界において実装される。
 

②人の勝利
 「死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」古い世界秩序の崩壊。
 「いのちの水の泉=(聖霊)から、値なしに」与えられる相続の勝利。
 
 

(結論)
 
 
年頭にあたり新しい手帳カレンダーを手にすると、年間計画を立てる。
さらに3年先10年先生涯にわたる計画はあるか。
人類の歴史の始点から終末までのストーリーを聖書は教えていることを忘れてはならない。
 
 
 
 

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「私の名前を呼ばれる方」

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「私の名前を呼ばれる方」

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「私の名前を呼ばれる方」




イザヤ書 49章1~6節




"島々よ、私に聞け。遠い国々の民よ、耳を傾けよ。主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた。

主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私をかくまい、私を研ぎ澄まされた矢とし、主の矢筒の中に私を隠された。

そして、私に言われた。「あなたはわたしのしもべ。イスラエルよ、わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現す。」

しかし私は言った。「私は無駄な骨折りをして、いたずらに空しく自分の力を使い果たした。それでも、私の正しい訴えは主とともにあり、私の報いは私の神とともにある。」

今、主は言われる。ヤコブをご自分のもとに帰らせ、イスラエルをご自分のもとに集めるために、母の胎内で私をご自分のしもべとして形造った方が言われる。私は主の御目に重んじられ、私の神は私の力となられた。

主は言われる。「あなたがわたしのしもべであるのは、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのうちの残されている者たちを帰らせるという、小さなことのためだけではない。わたしはあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」"

(1) 存在理由を尋ねて


①人が偶然に生まれてきたのなら、生きる価値を問う意味はない
 進化論教育に人を生かす力はない


②あなたの存在する以前よりあなたを知り、あなたを価値あるものとして創造された方がいる
 ここに初めて人は人生の生きる意味を見いだす



(2) あなたの名を呼ばれる方




名を呼ぶとは、他者と区別し、特別に価値あるものとして認識すること
 「母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた」



②それはあなたと関わり、期待しあなたを通して何か目的を果たしたいとの思いゆえ
 (3節、6節)



(3)  創造者の栄光を現すものとして



① すかし、それとは逆の人生のように思える~無駄な骨折りをして来た
 それすら神の許しの中で起こった~「矢筒の中に私を隠した」(2節)


②神が力となられて
 無駄だと思っていたが、報酬は神と共にある。神は見えないお方だ(4節)


(結論)


 人は期待されて、愛を感じるときに生きる喜びを知る

 あなたを創られ生かしている方と出会うときに、生きる意味と自身の尊さを知る

 この方が、あなたの名を呼んでおられるのだから
#メッセージ

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「生きるにしても、死ぬにしても」

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「生きるにしても、死ぬにしても...
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「生きるにしても、死ぬにしても」



ローマ人への手紙 14章1~8節



"信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。

ある人は何を食べてもよいと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。

食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。

他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。

ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。

特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。

私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。

私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。"




(1) 自分のとは一体誰のものか

①子供から大人になると自立し、自己を確立し、自己決定権を増して行く
 すると私たちは自分自身の人生の全てをコントロールできると思いがちだ

②人生の決定的な事は何一つ選べない
 生まれた日も、両親も、自己の能力や賜物までも選べていない

 私たちは実は、主に属するものであると聖書は教えている


(2) こんな自分であったとしても


①自分自身を信じろと教えられてきた。「努力は裏切らない」とは本当か?
 信じたくても緊急な時、危機的状況で重大決意をする時に、私たちの足はすくんでしまう。

②自分で自分を信じること、頼るには到底弱いものであるにを知っている私たち
  何度失敗しても、そのだめな私を愛し私を支えてこられた方がおられた


(3)  主に対して生きるもの


①たとえ死に至ることがあったとしても
 主は私を迎え入れてさらに深い交わりの輪に入れてくださる


② もし生きるとしたなら、恐れや失望に取り付かれることがあるかもしれない。

 その中にあってさらに良いものを示してくださる。生きることで、さらに主にある生き方を学ぶのだ。それは今まで最高善と考えていた枠組みが再構築されること。


(結論)


 「愛情、厚遇、栄誉。金メダルはもらえなかったけれど、代わりにもっと大切なものを日本で手にしました」~銀盤の妖精・ジャネット・リン(朝日新聞、1996年12月9日)

自分の望む成功を手にしなかったとしても、たとえ最悪の死に直面しても、私たちを所有しておられる主は私たちから離れず、その愛から私たちを引き裂くものはない。
#メッセージ

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「誰を友と選ぶか」

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「誰を友と選ぶか」



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「誰を友と選ぶか」





ヨハネの福音書 15章13~16節


"人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。

わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。

あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。"




(1)  チーム編成するときに選択する基準



①子供時代によく遊んだドロ(ドロボー)ジュン(巡査)鬼ごっこ
 2つのチームに分かれ、最年長者の代表がチーム構成員を交互に選んでいく


②代表は有望な人員を優先して選ぶ
 足が速いか、腕力が強いか、リスクを犯す勇気もあるか。



(2) 復活後の主イエスが選ばれたチーム(友)



①ペテロ: 全存在をかけてイエスを否定し、そんな自分に愛想がつき自分を見失っていた


②トマス: 弟子らの証言を信じずに何事も自分で確かめないと気の済まない懐疑心に富んだ実証主義者


③マグダラのマリヤ: 感性豊かで直感に優れるも、その感情に溺れ理性的判断に欠いた女性




(3)  選ばれた友のために命を捨てられた主イエス(13)



 ①友として選ばれた=ご自分を捨てられた=友を信じ抜かれた


②復活された主は、この私と共に歩き、声をかけ、お言葉を語ってくださっている



(結論)



 我々がキリストを選んだのではない

キリストが私を選んでくださった。そしてこの私を信じ抜いてくださっている。

それなら自分自身ではなく、キリストを信じ抜き、キリストを見上げて行こう。

そしてキリストが友と選んでくださっている他のチームメンバーを信じて歩んでいこう。
#メッセージ

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「人生は出会いで決まる」

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「人生は出会いで決まる」
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「人生は出会いで決まる」










ルカの福音書 19章1~10節










"それからイエスはエリコに入り、町の中を通っておられた。

するとそこに、ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。

彼はイエスがどんな方かを見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。

それで、先の方に走って行き、イエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからであった。

イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」

ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。

人々はみな、これを見て、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言った。

しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」

イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。

人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」"













(1)  人はそれぞれがユニークな存在









①バルテマイ(ルカ18:35~)との比較
  物乞い ・ 金持ち

  個人事業主 ・ 税務署長官

  盲人 ・ 背が低い

  主イエスに叫ぶ ・ 隠れて主を見下ろす










②主のお取り扱いもそれぞれだった
  当初、そっけない対応 ・ イエス自ら近づかれた

  「何をして欲しいのか」 ・ 「今夜泊まらせてもらいたい」

  「見えるようになれ」 ・ 宿泊客となった







(2) 人は霊的な盲目である







①霊の目が開かれていくザアカイ
  背が低いことからの劣等感

  才覚と努力による金銭的な成功~それでも孤独と挫折を経験

  主イエスへの好奇心とつながりを求めた




 

②人の霊の目が開かれるために
  正しい自己の理解~変えられない運命を持ち、自分尺度の成功を得ても、空虚や孤独に陥る

  あきらめない求道心~障害は常にあるが、求めるものには応えてくださるとの信念を持て

  主イエスは、振り向き、近づいて声をかけられる










(3) 人の目が開かれるために










① 主イエスはあなたの名を呼ばれる  
  ザアカイとは初対面のはずだが~すでにあなたのすべてを、その虚無と孤独とをご存知だ

  客人として迎え入れるなら、さらに深いつながりが始まる

  「私の財産の半分を貧しい人に施し」~彼の価値観の大変革







②  これらは契約関係が土台 ~「Abrahamの子なのですから」

  「子」とは「契約の下にある」という意味であろう

  アブラハム契約締結の場面(創世記15章)

  アブラハム契約の更新が主が成就された「新しい契約」

  神とのつながりが回復できる保証のもとに私たちは置かれている













(結論)










かつては盲目であったが、主イエスによって目が開かれた

そこに至る経緯やその後の歩みは、人それぞれ異なる

しかし同じアブラハム契約の下にあるものとして、その救いの保証を受けている
#メッセージ

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「あとでわかるようになる」

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「あとでわかるようになる」
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「あとでわかるようになる」



ヨハネの福音書 13章1~10節



"さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。

夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。

イエスは、父が万物をご自分の手に委ねてくださったこと、またご自分が神から出て、神に帰ろうとしていることを知っておられた。

イエスは夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。

それから、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた。

こうして、イエスがシモン・ペテロのところに来られると、ペテロはイエスに言った。「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」

イエスは彼に答えられた。「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります。」

ペテロはイエスに言った。「決して私の足を洗わないでください。」イエスは答えられた。「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと関係ないことになります。」

シモン・ペテロは言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も洗ってください。」

イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身がきよいのです。あなたがたはきよいのですが、皆がきよいわけではありません。」"




(1)  ペテロの困惑~「あなたが私の足を洗ってくださるのですか」(6)



①ユダヤの食事様式と洗足の必要性~どうしても必要な作業であり、僕の役割であった。


②時間の使い方も、生活も人生も私のものであり、幸福追求は、近代的自由人の権利である



(2) 主イエスが手ぬぐいを取られた~“イエスは夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。”(5)




①それでは主は自由のない僕だったのか~いや、他者のために自らを使い果たすことを選んでおられた


②父なる神の御心を行うことを喜びとされたゆえ(1)
〜人は存在の理由や目的、生きる役割を理解して初めて力を得る



(3) 今はわからなくても、あとでわかるようになる



 ①この数日後、主イエスは十字架で命果てることになる~私のような汚れた心を持つもの、卑しいもの、自分さえ良ければと思うような者の罪を洗い流すことに。

②  やがて聖霊をいただく時、ペテロはイエスの足跡を辿るものとされる~(13:36)



(結論)


私の仕えているものは誰だろう。

私自身だろうか、主イエスだろうか。

主は私の過去と現在と未来をすべて知られた上で、愛を現された。
#メッセージ

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「この鎖は別として、私のように」

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「この鎖は別として、私のように...
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「この鎖は別として、私のように」


使徒の働き 26章24~29節


"パウロがこのように弁明していると、フェストゥスが大声で言った。「パウロよ、おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている。」

パウロは言った。「フェストゥス閣下、私は頭がおかしくはありません。私は、真実で理にかなったことばを話しています。

王様はこれらのことをよくご存じですので、その王様に対して私は率直に申し上げているのです。このことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも、王様がお気づきにならなかったことはない、と確信しています。

アグリッパ王よ、王様は預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」

するとアグリッパはパウロに、「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」と言った。

しかし、パウロはこう答えた。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。」"


⑴パウロの置かれていた現状~鎖に繋がれている


① 2年間の囚人生活~ユダヤ人からの暗殺陰謀があり、彼らに媚びているフェスト。

②私たちの現状も思わぬ病や気がかりを持っていて、それがいつまで続くのか解決の見通しさえないときに希望を失いかけることがある



(2) パウロの内的な実情~確信と希望に満ちていた


①復活されたキリストは今も生きておられると宣教。それは予言の成就であり、アグリッパ自身が見聞したもので、歴史的事件に根ざしているもの


②キリストと出会ったパウロは、このキリストが彼の内に彼と共に生きる生涯が始まった。



(3) パウロの願い~「私のようになってください」


 ①小さなものにも大きなものにも(22)、最も必要なことがあると確信していた。
  生けるキリストと出会い、その方にある希望と平安に満たされること。

②  それは彼の絶望的な状況をも覆すほどに大きな現実。


(結論)


パウロにとって事実であったように、私にとりあなたにとり、最も大切な事は、外的な制約から解放されることではない。「私のようになってください」と証言できるほど力と確信に満たす方が生きておられることを知ることである。キリストに満たされることである。
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「銀を精錬するものが来る」

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「銀を精錬するものが来る」
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「銀を精錬するものが来る」




マラキ書 3章1~4節





"「見よ、わたしはわたしの使いを遣わす。彼は、わたしの前に道を備える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、彼が来る。──万軍の主は言われる。」

だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。

この方は、銀を精錬する者、きよめる者として座に着き、レビの子らをきよめて、金や銀にするように、彼らを純粋にする。彼らは主にとって、義によるささげ物を献げる者となる。

ユダとエルサレムのささげ物は、昔の日々のように、ずっと以前の年々のように主を喜ばせる。"





(1)   銀を精錬する



❶  精錬と研磨の違い ~「艱難、汝を玉にする」=試練が人格を磨き、輝く玉とするとの格言
   精錬とは、純粋な金属を取り出すために、不純物を高温の炉の中で溶解させる




❷  人はその試練の中で、罪や汚れ、高慢さや貪欲、そして自己中心の罪が取り除かれる  




(2) すぐ側に侍る精錬工


❶「これをきよめるものとして座に着き」(3)
  温度調整や炎の当たる角度など、経験豊かな職人技による精錬がそこにある


❷  高温自体が目的ではない。苦しみや試練は、私たちを卑しめる事は出来ない



(3) 精錬後の純粋な輝き



 ❶  「レビの子らをきよめ、彼らを金のように銀のように純粋にする」(3)
  私たちのうちに眠っていた神の子としての実質が立ち上がる


❷  偉大な精錬工に私自身をお任せしよう

この方は契約の使者であり、あなたをとらえて離さない方。遅い見えても必ず来られる方だ(1)




(結論)



"そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。

今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、

試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、

イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。"

(ペテロの手紙 第一 1章6~7節)




この地上で試練に会う事は避けられない。それは私たちの信仰を揺さぶる火の試練の時もある。

神はそのことをご存知の上で、やがてあなたに正当な報いを持って望まれる。
#メッセージ

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「宝は土の器の中に」

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「宝は土の器の中に」





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「宝は土の器の中に」





コリント人への手紙 第二 4章6~16節



"「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。

私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。

私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。

迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。

私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。それはまた、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において現れるためです。

こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働いているのです。

「私は信じています。それゆえに語ります」と書かれているとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語ります。

主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。

すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。

ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。"




(1)  私たちは土の器



①  当時イスラエルでの食器は粘土で作られていた。割れやすく、すぐに壊されてしまう。


② 私たちの体も、心も傷つき壊れやすいもの
  


(2) 宝が土の器の中に入って



① 「宝」とはキリストご自身のこと。啓示の光を照らされた心に、その神の栄光を知る者にされた(6)。



②宝が器の中に注入されて居住した経験が、ペンテコステの日に起こった。
主イエスの霊が各自に注がれて、その方と共に生きるものとされた。




(3) 神の栄光の表れ~計り知れない神の力が明らかとされる



 ①死にゆく体に対し、主イエスのいのちが明らかとされる(10)


②  信仰の霊を抱いているが故に宣教する(13)


③  すべてのことを感謝に至らせる~苦しみ(8)、迫害や躓き(9)さえも


④  日々新とされる内なる人(16)


⑤今の艱難をテコとして計測不可能な重たい栄光へ至らせる(17)



(結論)



本日は、ペンテコステ記念日です。

神の霊が注がれて、今、私たちの内に主イエスが生きておられます。

私たちは日々衰えていく土の器に過ぎなくても、この尊い宝をいただいて永遠の栄光に至るものとされています。
#メッセージ

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