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「主はまことにいつくしみ深い」

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「主はまことにいつくしみ深い」...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトLINEです。
 
 
「主はまことにいつくしみ深い」
 
 
詩篇 107篇1~9節
 

"「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」
主に贖われた者はそう言え。主は彼らを敵の手から贖い
国々から彼らを集められた。東からも西からも北からも南からも。
彼らは荒野や荒れ地をさまよい人が住む町への道を見出せなかった。
飢えと渇きによって彼らのたましいは衰え果てた。
この苦しみのときに彼らが主に向かって叫ぶと主は彼らを苦悩から救い出された。
彼らをまっすぐな道に導き人が住む町へ向かわせた。
主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。
まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ飢えたたましいを良いもので満たされた。"
 
 
⒈ 主に感謝せよ
 
 
❶ 最新の科学見知からの「感謝」の効用~オキシトシン分泌=免疫力向上と疾病予防
 
❷私たちの成り立ちを知り、創造者であられる方が「感謝せよ」と招かれる 
 そこには健康や福利の増進以上の理由がある
 
 
⒉ その恵みはとこしえまで
「主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに」(8、15、21、31)
 
 
①たとい迷いの中でも(4-9)
 

②たとい反逆していても(10-16)
 

③たとい愚かであっても(17-22)
 

④たとい自己義にあっても(23-32)
 
 
⒊ 主はまことにいつくしみ深い
「この苦しみのときに彼らが主に向かって叫ぶと主は彼らを苦悩から救い出された」
 (6、13、19、28)
 
 
❶思いがけない困難は自らを見つめ、方向転換(悔い改め)する機会となり得る

❷立ち返ることができるのは受け入れられ、赦されることを知っているがゆえだ
 
 
(結論)  主は、私たちを敵の手から贖われた(3)
 
 
❶痛みと試練は、私たちが同じ状態にいることを許さない
 主が私たちと共におられるゆえに
 
❷主は、私たちをご自身のおられる御座に招かれる
 「国々から彼らを集められた。東からも西からも北からも南からも」(107篇3節)
#メッセージ

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「偉い人は仕える人」

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「偉い人は仕える人」...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトLINEです。
 
 
 
「偉い人は仕える人」
 

マタイの福音書 20章20~28節
 

"そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、息子たちと一緒にイエスのところに来てひれ伏し、何かを願おうとした。
イエスが彼女に「何を願うのですか」と言われると、彼女は言った。「私のこの二人の息子があなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるように、おことばを下さい。」
イエスは答えられた。「あなたがたは自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。
イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲むことになります。しかし、わたしの右と左に座ることは、わたしが許すことではありません。わたしの父によって備えられた人たちに与えられるのです。」
ほかの十人はこれを聞いて、この二人の兄弟に腹を立てた。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。
あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。
あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」"
 

(1) 古代社会でのしもべ
 
 
❶ローマ社会にて~征服された民族、市民権を持たない2級市民、その身分は世襲される
 
❷ユダヤ社会にて~経済困窮して身売りした人たち。親類縁者による贖い金による開放が可能。そうでなくとも50年に1度のヨベル年で解放。自らの意思で主人の家に留まり続ける自由奴隷もいた。
 
 
(2)  イエスが私のしもべに⁉︎
 
 
①イエスの生涯~しもべとしての徹底した立場を貫かれた
 しもべ:「自分の思いを持たず、主人の思いを自分の思いとする」立場
 その代表例が洗足~誰がしもべとなるか、弟子たちの間で緊張が走る中、主は率先されて彼らの足を洗われた~福音が私に手渡されたのも、先達らがしもべとなってくださったゆえだ。
 
②その十字架~「贖いの代価として、自分の命を与えるため」(28)
 これにより私は生きるものとされた
 
 
(3) 私がしもべに?
 

 ❶「私」という実態~12弟子たちの姿に重なり合う
 自分の思いを貫くこと、それを実現することで頭がいっぱいな私たち。それが叶わないときにはイライラし、疑いや恐怖、怒りに満たされる
 
❷主イエスの実態~他者を生かすことを第一に考え、ご自分の何が他者の役に立てるかを知り、それを選択し続けられた
 
 
(結論)  私にとって「仕えるものになる」とはどういうことか?
 
①私たちは世界の標準と上下逆さまのベクトル世界に招かれている
 
②その世界の先駆者として、主はしもべの道を辿られた
 
③主の揺るぐことのない喜びと平安は、謙遜の泉から溢れ出ている
#メッセージ

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「山の上で主の前に立て」

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「山の上で主の前に立て」...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 

「山の上で主の前に立て」
 
 
列王記 第一 19章1~11節
 
"アハブは、エリヤがしたことと、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととの一部始終をイゼベルに告げた。
すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。
彼はそこにある洞穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、主のことばが彼にあった。主は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と言われた。
エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」
主は言われた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」するとそのとき、主が通り過ぎた。主の前で激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。"
 
 
(1)  死を願うエリア~燃え尽き症候群で鬱に
 
① 多重過多のストレス~バアルの預言者ら450人との対決、長距離疾走による肉体疲労、さらにイゼベルによる脅迫
 
②「私の命をとってください。私は先祖たちに勝っていませんから」(4)
 彼は、他者との比較から自らの評価世界を生きていた
 

(2) 力を得たエリア~備えられた(甘い)パン菓子と水
 
 
①御使いによる支え~「起きて食べなさい。旅はまだ遠いのだから」(7)
 逃避行動への叱責はなく、この時の彼にはいたわりの言葉が必要だった
 
②物質的サポートによる支え~ 通常甘いものは体には悪いとされるが、この時ばかりは心に励ましと体に回復を与えるものとなった
 

(3) 主の前に立つエリア~嵐、地震、炎ではなく、かすかな細い声におられた主
 
 
①モーセの神の山ホレブでの見神経験~かつて神がイスラエルの民と契約を交わし、40日40夜神と共に過ごした信仰のルーツであった。新約の私たちにとってそれは、主イエスにおける十字架と復活であろう
 
②「ここで何をしているのか」(9)との問い
 「ただ私だけが残りました」~視野狭窄と過剰な自意識
 エリアは視野を広げられ、広大な神の計画を知る。天変地異の驚愕な現象には存在しない個人的な神との語らい、関係の構築に至る
 
 
(結論)  私にとって「神の山の上に立つ」とはどういうことか
 
 
①時に、鬱に陥るほどストレス過剰となるときは、現場を離れて、神の前に立とう
 
②私たちが帰るべき魂のふるさととは、主イエスの元であり、その十字架と復活だ
 
③主は静かな声を持って私に語りかけ、より深い魂の交流を求めておられる
#メッセージ

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「なすべきことをしただけ」

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「なすべきことをしただけ」...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 

「なすべきことをしただけ」
 
 
マタイの福音書 11章2~14節
 
"さて、牢獄でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、自分の弟子たちを通じて
イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」
イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えなさい。
目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。
だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
この人たちが行ってしまうと、イエスはヨハネについて群衆に話し始められた。「あなたがたは何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。
そうでなければ、何を見に行ったのですか。柔らかな衣をまとった人ですか。ご覧なさい。柔らかな衣を着た人なら王の宮殿にいます。
そうでなければ、何を見に行ったのですか。預言者ですか。そうです。わたしはあなたがたに言います。預言者よりもすぐれた者を見に行ったのです。
この人こそ、『見よ、わたしはわたしの使いをあなたの前に遣わす。彼は、あなたの前にあなたの道を備える』と書かれているその人です。
まことに、あなたがたに言います。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。しかし、天の御国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。
バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。
すべての預言者たちと律法が預言したのは、ヨハネの時まででした。
あなたがたに受け入れる思いがあるなら、この人こそ来たるべきエリヤなのです。"

(1)  バプテスマのヨハネに対する評価
 
 
 ①主イエスによる評価 ~「預言者以上のもの」(9)、「女から生まれたものの中で、最も優れたもの」(11)、「旧約聖書の最後の預言者」(13)、「エリアの働きをしたもの(14)
ヨハネ自身は、信仰の揺らぎの中にいた(3)
 
②ヘロデ・アンチパスの姦淫罪を咎めたことから、長く続く獄中生活。身体も精神も衰えている時、信仰すら危くなる時があった。
 
 
(2) バプテスマのヨハネとのコミュニケーション
 
 
①イエスとヨハネは旧約聖書を熟知し、その土台の上に会話が成立している(5)
 これらはメシア的奇跡であり、旧約預言の成就であるのでイエスによるそれ以上の証言は必要なかった
 
②見聞していることを報告せよ(4)  ~互いの出生の秘密も、使命をも互いに幼少期から知っていたはず~両者の間には神の言葉を通じた信頼関係があった
 
 
(3)  バプテスマのヨハネの本質
 

 ①ヨハネの弟子たちが帰ってしまった後で、最大限の讃辞を言ったのはなぜ?
 ヨハネ自身の働きの正当性も、その犠牲も賛辞を聞けば励まされ報われるのではないか?
 
②主はヨハネの本質を明らかにしておられる。それは僕としてのアイデンティティー
 "同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」"ルカ17章10節
 
 
(結論)  神の僕の本質とは何か
 
 
①聖書によって人は何者であるかが見えてくる~投獄と言う逆境の中にあっても信仰を守り抜くことができるのは聖書の言葉による
 
②この世界においては罪人であっても、主にあっては最大の栄誉を得るのが主の僕のアイデンティティーである
 
③僕に必要なのは、褒めの言葉でもいたわりの言葉でもなく、まだやることがあると命じられること。主は、わたしのそばにいろ、立って給仕せよと仰せくださる。
 
#メッセージ

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「地に住み誠実を養え」

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「地に住み誠実を養え」...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
「地に住み誠実を養え」
 
 
詩篇 37篇1~11節

"悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな。
彼らは草のようにたちまちしおれ青草のように枯れるのだから。
主に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。
主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。
主の前に静まり耐え忍んで主を待て。その道が栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。
怒ることをやめ憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
悪を行う者は断ち切られ主を待ち望む者彼らが地を受け継ぐからだ。
もうしばらくで悪しき者はいなくなる。その居所を調べてもそこにはいない。
しかし柔和な人は地を受け継ぎ豊かな繁栄を自らの喜びとする。"
 
 
(1) 耐え忍んで主を待て
 
 
 ①待つことの苦手な現代社会の私たち~手紙ではなく、メールやSNS返信での即答を期待する今日 
 
②自分の判断と裁きが正しくて、自分の思うままに事態を変えたいと思う私たち
 ~その結果、怒りや憤り、妬みに駆られてしまう(1節、8節)
 
 
(2) あなたの道を主に委ねよ
 
 
①その不都合の中でさえも神の御手が働いて、最善へと事を運ぼうとしておられる  「主が成し遂げてくださる」ことへの信頼に、なんと乏しいものであることか
 
②しかし、もし委ねることができたならば、私の心にも余裕が生まれる
 ~悪者の最終的な結末は立ち行かないことを知るに至る(2節、10節)
 

(3)  主を己の喜びとせよ
 
 
 ①私自身をも、主が忍耐して待っておられたことの発見
 あんなヤラカシやこんな過ちにもかかわらず、今まで裁きを免れて来たのは恵みによる
 
②待っていただいた私たちが、待つものへとシフトしていくとしたら
 ~人格は練られ、神の御心は何かを求め続ける人間へと作り替えられていく
=「地に住み、誠実を養う」あり方
 

(結論) 「地を受け継ぐ」について
 
 
①「柔和なものは、地を受け継ごう」(11節)~主イエスがマタイ5章5節で直接引用
 自ら復讐せずに神に任せる信仰者のあり方を「柔和なもの」と表現
 
②「地」とは旧約聖書の文脈において、アブラハムとその子孫に約束されたカナンを指す
 さらに単なるその領域ではなく、神の正義が実現され、物理的にも祝福と繁栄を享受している世界を指す
 
③さらにこの世界が終わって、イエスの統治する来たるべき世界での、安定した生活と永続性を指す
#メッセージ

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「わたしについてきなさい」

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「わたしについてきなさい」...
 

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 

「わたしについてきなさい」
 
 
マタイの福音書 4章17~20節
 
 
"この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。
イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。"
 
 
⒈ 計算を度外視した召(CALL)
 
 
 ①イエスの召の声に即応するための下地・背景があった(ルカ5章)
 イエスをメシアと認めざるを得ない奇跡の業~では、その弟子となることにどのようなメリットがあるのか?
 
②「網を捨てて」~ここには過ぎて欲しい将来見通しのない、金銭的損得感情が働かない世界である
 

(2) 偉大な人格による召
 
 
①人生の決断は、他者との出会いによる。偉大な人格との出会いは、計算を超えた生き方に人を導く
 
②「深みに漕ぎ出して」(ルカ5:4)、「私から離れてください。私は罪深い人間ですから」(ルカ5:8)~これまでの人生経験・理解・常識を超越した世界への開眼
 

(3)  絶大な価値ゆえの召
 
 
 ①計算によっては測り得ない価値を、わたし自身の中に創られた方がおられる
 ご自身の姿に似せて創られ、命の息を吹き込まれ、今も生かしておられる創造者
 
②私たちの価値をどこまで値踏みされるのか?
 地球よりも重い。ひとり子の命と引き換えに身代金の支払いを完済された。
 
 
(結論)
 

①私の価値を知っておられる方は、、私に命の息(聖霊)を吹き込まれる 
 
②私に賜物を与えられた方は、私の行くべき道をご存知の上で呼びかけられている
 
③「わたしについてきなさい」

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「何も思い煩わないで」

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「何も思い煩わないで」...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
「何も思い煩わないで」
 

ピリピ人への手紙 4章6~7節
"何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。"
 
 
 
⑴ 思い煩う時 =  神なき世界の現実
 

①私たちに恐れや不信感、苛立ちはどこからやってくるのか?
~心は波立ち、物事の本質を見失ってしまう時、、、

②自己の願望や思いを遂げようとするところから、摩擦が生じるのではないか?
~最善に至ったその瞬間、事態が変わっているので再び煩わなくてはならない。
 
 
⑵ あなたの不安を訴える相手がいる =  神に知らしめよ
 

①神は全知であるとするキリスト教教義にもかかわらず~あらゆる場合の願いと祈りを動員して訴えよ
 
②感謝をもって~最終的に最善の結末をあなたにもたらす方がいることを知っているゆえに。
 
(例)朝目覚めたとき、まず感謝の言葉を口にしよう 「今日の1日は素晴らしい日になる。ありがとう」と。
 
 
 
⑶ あなたは守られている =  神の平安に満たされて
 

①祈れば、あなたの思いと願いが実現されるとは約束されていない~たとえ実現されたとして、次の瞬間再び思い煩いへのループへと陥る
 

②神の平安があなたを守る
~それはすべての理解や戦術を凌ぐものである。なぜなら主イエスと結びついた主イエスにある平安であるから。
 
 
 
(結論)
 

「一寸先は闇」と古の人は言ったが、昨今は政治も経済世界もいよいよ不確実性が増して来ている。
 
私たち個人の生活にも、思いがけない出来事が幾度も起きていることか。
 
人類歴史にとり、主イエスにとっても最悪の時であった十字架を前にして「平安」を弟子らに約束されていた。暗黒が勝利へと変わることを知っていたからだ。
 

"わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。
"  ヨハネの福音書 14章27節
 
#メッセージ

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「遣わした者と遣わされた者」

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レニア山 レニア山
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 

「遣わした者と遣わされた者」
 
 
マタイの福音書 10章5~12節
 
 
"イエスはこの十二人を遣わす際、彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。また、サマリア人の町に入ってはいけません。
むしろ、イスラエルの家の失われた羊たちのところに行きなさい。
行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。
病人を癒やし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊どもを追い出しなさい。あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい。
胴巻に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはいけません。
袋も二枚目の下着も履き物も杖も持たずに、旅に出なさい。働く者が食べ物を得るのは当然だからです。
どの町や村に入っても、そこでだれがふさわしい人かをよく調べ、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。
その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。"
 
 
「靴も杖も持たずに行きなさい」(10)
 
 
① 神にのみ必要を仰ぎ、物質的な執着から離れよとの教え
 靴は長距離移動、また杖は歩行補助や保身のために旅行者に必須なアイテムであった
 
②古代中近東における「靴」の持つ意味~その着脱は名誉の剥奪と回復
 モーセ(出3:5)もヨシュア(ヨ5:15)も、神の前で僕としての位置を知らされた
 
 
(2) 「天の御国が近づいた」(7)と述べ伝えなさい
 
 
①宣教の言葉に、力と権威を与えられた~病人を直し、死人を生き返らせ、悪霊を追い出す権威を授けられた
 
②神の国が到来したこと、神ご自身がこの地に来られたことが実証
 罪や苦しみに悩み失望の中にある人たちのところに、神の国が立ち上がって行った
 
 
(3)  宣教者と被宣教者の一体性
 

 ①神の他に何ら頼るもののない経済的・健康的・社会的貧者らと同一の立場に立った12弟子たち。苦しみと悲しみが共有される場に、キリストの権威が臨み、天からの圧倒的な恵みが降り注いだ
 
②信仰の創始者である主イエス
 最期の晩餐の席場で、弟子たちの足を洗われて僕の立場をとられた主
 靴ばかりでなく、すべての着物をはぎ取られて最も卑しめられた十字架刑
 
 
(結論)
 
 
①マルコ6:10においては、同じ文脈、同一場面で靴を履くように命じられた主。
 マタイにおいては神にのみ頼る旧約時代の預言者的姿勢を教え、マルコにおいては異邦人を対象に旅の実際的で必要最小限のものを準備するようにとの強調点の違いがある。

②宣教命令者(神)と宣教者(私たち)、そして被宣教者(未信者)が一つとされる時、神の国がこの地に広がっていく

③私にとって裸足で遣わされるとはどういうことであろうか?
#メッセージ

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「あなたがしらがになっても」

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シアトルダウンタウンの向こうに... シアトルダウンタウンの向こうに聳えるレニア山
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージ・アウトラインです。
 
 

「あなたがしらがになっても」
 
 
イザヤ書 46章3~10節
 
 
"ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。
わたしをだれになぞらえて比べ、わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。
袋から金を惜しげなく出し、銀を天秤で量る者たちは、金細工人を雇って、それで神を造り、ひざまずいては、これを拝む。
彼らはこれを肩に担いで運び、それがあったところに安置すると、それはそこに立ったままである。これはその場所から動かない。これに叫んでも答えず、苦しみから救ってもくれない。
このことを思い出し、勇み立て。背く者たちよ、心に思い返せ。
遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。
わたしは後のことを初めから告げ、まだなされていないことを昔から告げ、『わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。"
 

⑴ 動詞に注目➖(生きて来た VS. 生かされて来た)
 
 
❶「担われており」「運ばれた者よ」「背負う」「運ぼう」「背負って、救い出そう」
 神がイスラエルの家のすべての「残りの者」(レムナント・真の信仰者)に語りかけた言葉だ
 
❷バビロン捕囚の国家的危機が目前に、イスラエル人には大きな壁となって立ちはだかる。私たちの日常にも思わない壁、健康を損なうことや足がすくんでしまう困難を目前にする事がある。
 
(2)時制に注目➖(過去形 VS. 未来形)
 
 
❶あなたは生まれる前から、胎内にいる時から、神に運ばれてきたものだ
その試練の壁を前にしたあなたと共にいてくださるのが、インマヌエルの神だ。
 
❷年をとっても、しらがになっても、変わらずに主は背負い、運んでくださると言う
 人は有用なものに価値を見出すが、主の価値観はそこには置かれていない
 
 
(3)  主語に注目➖(偶像神 VS. 創造神)
 
 
❶ 「ベル」(農耕・出産の偶像神)、「ネボ」(科学や文学の偶像神)
 彼らは移動するにも運ばれなくてはならず、荷物でしかない(1節)
 
❷終わりのことを初めから告げ、まだなされていないことを昔から告げられた唯一の神。バビロン捕囚を予言したイザヤであったが、その解放者キュロスの名前(イザヤ44:28)までもが予言。預言の正確性と神の全知性を示す証拠。
神の霊感を認めない自由神学者たちは、この予言を信ずに、40章以降は第二イザヤが書いたと結論する。だがクムランで発見された完璧なイザヤ書は、著者が1人であることを証明している
 
 
(結論)
 

私たちは歳をとれば誰もが心身の限界に直面する
生きていく上での、思いがけない苦しみに会うこともある
その私たちを背負ってくださるのが主イエスである
この方が生きて働いている事は、世界歴史の変遷と預言成就から証明できる
#メッセージ

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「立って、真ん中に出なさい」

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「立って、真ん中に出なさい」...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージ・アウトラインです。
 

「立って、真ん中に出なさい」
 

マルコの福音書 3章1~6節
 
 
"イエスは再び会堂に入られた。そこに片手の萎えた人がいた。
人々は、イエスがこの人を安息日に治すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。
イエスは、片手の萎えたその人に言われた。「真ん中に立ちなさい。」
それから彼らに言われた。「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。いのちを救うことですか、それとも殺すことですか。」彼らは黙っていた。
イエスは怒って彼らを見回し、その心の頑なさを嘆き悲しみながら、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。彼が手を伸ばすと、手は元どおりになった。
パリサイ人たちは出て行ってすぐに、ヘロデ党の者たちと一緒に、どうやってイエスを殺そうかと相談し始めた。"
 

(1) 片手の萎えた人
 
 
 ①会堂の隅に遠慮勝ちに座っていたか?第一次産業が主な産業であった当時の社会で、生産性の低い男性は、肩身が狭かった
 
②パリサイ人らがじっと見ていた~イエスを罠にはめるための道具として利用されていた可能性がある~いよいよ居場所を失い、人としての尊厳を見失っていたであろう
 

(2)立って、真ん中に
 
 
①真ん中に導き出した理由~イエスの想いと眼差しはその人自身に向けられ、その人も生きるに値いし、神の恵みを受けるににふさわしい存在であることを示した。
 
②イエスの問い~安息日に相応しいのは、悪/善、命/殺か?
 答えられない彼らに対するイエスの嘆き
 
 
(3)  手を伸ばしなさい
 
 
 ①元々動かない手であり、常識を飛躍した大きなチャレンジ
 イエスに対する信頼が、その男をして挑戦に駆り立てた
 イエスの噂を耳にし、その人となりに接したゆえの直感か
 

②たちまちに癒された手
 私たちの萎えた心も、弱った体も、イエスの言葉に従うときいのちを得る
 
 
(結論)
 

宗教の規律や教義から他者を裁き判断するなら、自他共に殺す者となり得る
居場所のない隅にいる私にも主は声をかけてくださった。「真ん中に出よ」と
この朝、萎縮している心と体にいのちを与えていただこう
#メッセージ

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