桂離宮
11月
4日
桂離宮(かつらりきゅう)は、江戸初期に八条宮家(はちじょうのみやけ)によって造営された、王朝文化の理想を体現した離宮です。特に豪華さとは対照的な「簡素の美」と、自然と人工の調和を極めた庭園美で知られ、日本建築史・庭園史における最高傑作のひとつとされています。
桂離宮の成立と背景
造営者と時期
桂離宮は、後陽成天皇の弟・八条宮智仁(としひと)親王が、桂川西岸の地に別業(別荘)を営んだのが始まりで、17世紀初頭(1620年代頃)に初期形が成立しました。その後、智仁親王の子である智忠(としただ)親王が増築・改修を行い、現在見る姿に近い姿が整ったとされています。
王朝文化への憧憬
桂離宮には、平安時代の『源氏物語』などに描かれる、雅やかな王朝文化への憧れとそれを再現しようとする意図が強く現れています。桂川のほとりという古典的風趣を備えた立地も、そうした情趣を体現するために選ばれました。
建築と庭園の特徴
書院群と数寄屋建築の粋
桂離宮には、古書院・中書院・新御殿など複数の御殿が配され、各書院はいずれも書院造と数寄屋造りの技法を融合した、簡素ながら洗練された意匠を持ちます。内部の襖絵や床の間、質感の異なる建材の組み合わせなどに、繊細で確かな技術が発揮されています。
回遊式庭園の極致
桂離宮の庭園は、池泉回遊式庭園の典型とされ、池を中心とした回遊動線が緻密に設計されています。歩を進めるごとに異なる景色が現れ、視覚的な演出のみならず、建物と庭園、遠景(借景)が一体となった「風景の劇場」として設計されています。
水と月の景観
池に浮かぶ州浜や舟着き場、池上茶室である「月波楼」など、桂離宮は月を愛でる場としても巧みに設計されています。池面に映る月や、桂川と連なる空間全体で楽しむ月景色は、宮中の観月文化をそのまま自然へと開いた形といえます。
利用の目的と性格
日常の延長としての別邸
桂離宮は、宮廷政治の場から離れた**「文化的遊興と精神的充足のための場」**として機能しており、儀礼や政治活動とは無縁な空間として造営されました。客を招いての茶会や舟遊び、和歌・管弦の鑑賞など、平安王朝文化を想起させる行事が行われたと推測されます。
宿泊よりも滞在中心
修学院離宮と同様、桂離宮も宿泊を主目的とした造りではなく、日帰りもしくは短時間の滞在を前提とする建築構成です。ただし、宿泊が全く想定されていなかったわけではなく、書院には簡素な寝所として利用可能な空間も備わっていました。
総評
桂離宮は、**「建築と庭園が一体となった風雅の極み」**であり、自然と人為が調和した造形美を極限まで高めた空間です。修学院離宮が「自然への没入」をテーマにしているのに対し、桂離宮は「王朝文化の再現と理想美の追求」という性格が強く、両者を比較して見ることで、日本庭園文化の奥行きがより深く理解できます。














































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