Restomod論 その3
このC3ではボディをワイド化しない。
ZZ572を収めるエンジンフードには、
造形の思想と整合するL88フードを使っている。
中身は更新する。
デザインコンセプトは、変えない。
もしカウンタックで同じことをするなら、
出発点はLP400以外にない。
2010年に「日本の切り札」と題して、原子力の稼働率アップこそが日本の温暖化対策として最も合理的だ、と僕は書いた。
その翌年に福島第一事故が起きて、あの記事はいったん封印した。
それでも僕は、2022年のブログで「正義の位置はコロコロ変わる」と書きつつ、EUが天然ガスと原子力をグリーン分類しようとしている動きを取り上げた。
「脱炭素が正義である限り、持っている原発は使うしかない」と書いたのを覚えている。
そして2025年。
この15年を振り返ると、「正義の位置」がいかに揺れ動いてきたかがよく分かる。
2012年の再エネ固定価格買取制度(FIT)は、「エコ」と「地方創生」を掲げ、一気に太陽光バブルを生んだ。
再エネ設備容量は2012年の約20GWから、2021年には80GW超まで増加した。
問題は、その中身だ。
1kWhあたり42円という高すぎる買取価格により、中国製の激安パネルが大量流入し、国内メーカーの競争力が削がれた。
2017〜2019年にはモジュール価格が約4割下落し、日本メーカーは撤退・縮小が相次いだ。
結果、僕らは自国の補助金で中国の太陽光産業を育て、自国の産業を弱らせてしまった。
「太陽光はクリーン」というイメージ先行の政策は、産業政策としては正直お粗末だったと言わざるを得ない。
僕は屋根上や既存インフラ上の太陽光には賛成だが、森林伐採や斜面造成を伴うメガソーラーには反対の立場だ。
国内の大規模太陽光の占有面積は約229平方キロメートル。
森林伐採、土砂流出、景観破壊、生態系の攪乱といった問題が全国で報告されている。
熱海土石流(2021)の背景にも「ずさんな土地利用」の問題が指摘され、太陽光造成地の影響も議論された。
この結果、多くの自治体がメガソーラー規制条例を制定し、国も2025年に規制強化へ動いた。
太陽光・風力を語るとき、もっとも誤解が多いのが「定格出力(kW)」と「発電量(kWh)」の混同だ。
本来評価すべきは「設備利用率(capacity factor)」である。
つまり、同じ1MWの設備でも年間発電量は以下のように差が出る:
太陽光と原発では「定格は同じでも実発電量は5倍以上」違う。
だから僕は、「定格○万kWの太陽光」という見出しを見ると、ほぼ広告のキャッチコピーにしか見えない。
風が強い地域があると言っても、日本の実績は現実的だ。
台風・急峻な地形・送電制約の多い日本では、欧州並みの高稼働率を期待するのは難しい。
さらに九州では、太陽光と風力の“発電しすぎ”による出力抑制が急増しており、 2023年度は6〜7%がカットされたとの試算もある。
火力発電は急に動かしたり止めたりできないため、需要を安定して賄うには「いつ発電するかわからない再エネの発電量」を当てにせず、火力側を安定出力で運転するしかない。
結果として、再エネが増えるほど逆に火力の柔軟性が奪われ、「作った電気をそのまま使える」とは限らない構造が強まっている。
太陽光も風力も、万能ではない。 原発は課題を抱えつつも、安定電源としては依然圧倒的な存在だ。
僕の結論はシンプルだ。
エネルギーの9割を輸入に頼る日本が、低稼働率の再エネだけで生き延びるのはどう考えても無理がある。
エコが流行れば太陽光が正義になり、事故が起きれば原発が悪になり、 戦争が起きればエネルギー安全保障が正義になる。
でも、CO₂の分子式も、エネルギー密度も、設備利用率も、物理法則は一切変わらない。
僕は、感情論ではなく、数字と現実で選択すべきだと思っている。
原発は、やはり「日本の切り札」である。