《 里地で初めて出会った”樹花・水鳥”!!❖ 23-20❖》

ミツマタ (三又、三椏) ジンチョウゲ科   (Thymelaeaceae)   学名:Edgeworthia chrysantha Lindl.
この場所で咲き始めのミツマタには、出会ったことがなかった。







ヒドリガモ??の一群が、草を食べている!?!
近づいたら一斉に池の中へ。
カワウか??
サギ属の水鳥が??種類不明??
シロバナハンショウズルも芽吹きだした。
ウグイスカグラも健気に魅せ始めた。
《 “春らしい花や水鳥”泉の森・民家園~しらかしの池;2203/2/26》
雜用をかたずけて日曜日の午後散歩。久しぶりだった。
休日とあって散策者が結構いたが、民家園は静かでのんびりできた。
移築古民家にひな壇飾りが毎年お目見え、幾度か尋ねているのだが、、。
庭に植栽されてるミツマタの開花に出くわしたことがない。
今年は、開花し始めのミツマタにであえた。
咲き初めの黄色い花弁、かわいい。
気分良くして、しらかしの池に行くと、
これまた初の光景に出会う。
ヒドリガモ??の一群が陸地に沢山。
鳥さん達を見るのもひさしぶりだった。
ブラブラ散歩してるだけで心地よい。
「令和伍年(皇紀2683年)2月28日、記」

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《 里地に植栽された”樹々”!!❖ 23-19❖》

泉の森内・民家園入り口河津桜。
日当たりが良いゆえか満開を過ぎていた。
近寄ってみると可愛く瀟洒だ。
奥まった所の日陰では、つつましくも魅せてくれる。
若木だが微笑むように蕊で主張していた!!



裏庭の土手に、梅(右側)と河津桜(左側)が共演していた。
森の各所には、かなりの人でにぎわっていた。
が、ここは訪れる人が少ない。おかげで、のんびり眺められた。
《共演 “春を呼ぶ樹々”泉の森・民家園2203/2/26》
今年は、雜用が舞い込み思うように散策できていない。
少々鬱憤が溜まり始めている。昨日は午前中に雑用処理。
午後に少し散歩する時間が持てた。里山的里地の泉の森へ。
この森、最近、立ち入り禁止区域を広げ一般散策者を規制し始めた。
他方、公園整備ボランティアが増えた様にも感じる。良いのか否か??
管理・整備のおかげで、自然(野生)植物が減少した気がする。
ミスミソウが顔を出さない??落ち葉が少なくなっているからか?
そんなことをおもいながら、森にある民家園を訪れた。
河津桜が可憐な姿で迎えてくれる。植栽されたものだが。
見事、満開。日向と日陰で開花時期がずれる。
ほんの数メートルで、、、こうも違うか??と恐れ入った。
そんな差異を画像に収めていない??ボケてきたかなぁ~??
超広角の玉で撮影してきたが、限界・・2022年度で〆。
機材に頼ったらましになるんか?4月から2023年度がはじまる。 

「令和伍年(皇紀2683年)2月27日、記」

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《 “FEN”!!❖ 23-18❖》

以上のポスター画像を見てすぐわかる人!?!
団塊世代以上の歳か??
ライブハウス、とあるがどんな店内だろう??
セブンイレブンの向こう会談を上がれば駅だ。
これらのポスター超レアモノ。驚いた。
《AM(中波)ラジオ放送満開??頃の思い出???》
本題に入る前に、今日は天皇誕生日で祝日。
1960年(昭和35年)2月23日、今上天皇陛下が御生誕なされた。
即位は2019(令和元)年5月1日。御生誕から即位まで長い年月を感じる。 
1960年ごろ、僕達の楽しみはラジオで音楽を聴くことだった。
そんなラジオ局の中に特異な局があった。それが”FEN"。
「FEN」は「Far East Network」の略。米軍極東放送網(在日米軍向け放送)。
このFENラジオは、アメリカンそのもので洋楽と英語が楽しめ人気があった。
1997年にFENからAFN(American Forces Network)に改称されたが。。!
内容はAFNになってもあまり変わっていないだろう。今でも米軍人向け放送。
放送は、全部英語(当たり前だ)。ただで本物英語(米語)を学べる。
今では「AFN Go」ラジオアプリでスマホでも聞ける。時代だねぇ。
米ABCやCBSなどのラジオニュース、音楽番組、スポーツ中継もある。
幼稚園に入るころから米軍(当時は駐留軍)族の人達とお付き合いがあって、
官舎等に遊びにいった。その影響もあってFENも聞いていた。
遊びにお邪魔するのは、週末の土曜日。夕飯を頂き夜まで遊ばせて頂いた。
FENの土曜の夜は、『グランド・オール・オプリ』 (Grand Ole Opry)を皆で聴いた。
アメリカ合衆国テネシー州ナッシュヴィルのラジオ局WSMの毎週土曜夜の番組。
カントリー・ミュージックの公開ライブ放送、1925年から今でも続いている番組。
米人宅には、ギター、バンジョー、オートハープ等もあっていろいろ教えて頂いた。
古き良き思い出だ。が、敗戦国を意識したのは大学生になってから、と遅い。
傷痍軍人と思える人々を街中でも見かけた幼少期。米人家族と親しくお付き合い。
今にして思えば、近所の人々から異様な目で見られていたか!?!とふと思う。 
斯様な昔を思い起こす稀有なポスター???を近所で見つけ、驚嘆!!
最寄り駅のすぐ近くだが、自宅への道から死角で気づかなかった。
「令和伍年(皇紀2683年)2月23日、記」

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《 “里地”にも春の気配が!!❖ 23-17❖》

アケボノアセビ(曙馬酔木) ツツジ科(Ericaceae)
学名:Pieris japonica f. roseaMakino
別名: ベニバナアセビ(紅花馬酔木)

上、2画像;
ヒイラギナンテン(柊南天) メギ科 (Berberidaceae)
学名:Mahonia japonica(Thunb.)DC.
別名:トウナンテン
泉の森・池周辺で一年を通して出会える水鳥(かるがも)。
画像は、子供のかるがもか??

ふれあいの森には植栽された木々が多い。梅が開花していた。
梅園の脇に成っていた金柑。
《散歩道に見ゆる “早春の息吹”泉の森~ふれあいの森》

アケボノアセビ(曙馬酔木);
ベニバナアセビとも呼ばれるように、 アセビ の紅色種。
紅花馬酔木と云うより薄紅馬酔木(ウスベニアセビ)の方が的確。
 花は淡紅色で清楚だが、鈴なりに連なってる姿は遠目にも目立つ。
アセビの仲間の蕾はいずれも赤色、蕾が膨らむと違いが分る!!

ヒイラギナンテン(柊南天);
ヒイラギナンテンは常緑だが、陽があたり気温が低くなる場所では紅葉する由。
陽影に植栽されたものしか見たことが無いので紅葉した葉を観てみたい。
小さめの黄色い花、結構に見応えある。花にはぶどうのような匂いを持つ。


「令和伍年(皇紀2683年)2月15日、記」

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《 “里地にひっそりと食材が”!!❖ 23-16❖》

フキノトウ(蕗の薹) キク科 (Asteraceae /Compositae)    学名:Petasites japonicus (Sieb. et Zucc.) Maxim.

《 “蕗の薹・款冬・菜蕗”野菜!?!泉の森端》


ふきのとう(蕗の薹・蕗の花を指す)は、蕾みの状態を意味している。
それを摘み取り、天ぷらや煮物・味噌汁・ふきのとう味噌等に調理する。
一般的には、花が開いた状態になったふきのとうは食べない。
細かく刻み油味噌に絡める「ふきのとう味噌」などには利用されている。
蕗の薹の茎部分を軽く灰汁抜きし肉や刻んだ油揚げ、糸蒟蒻等で煮付けで頂く。
葉柄は、重曹や木灰等を入れた熱湯で灰汁(アク)抜き煮物や炒め物に。
生のまま塩や塩糠に漬け込み保存、調理前に煮て流水で塩抜き、
煮物や炒め物にする。このように処置しておくと冬の間にも利用できる。
醤油と砂糖で濃い味の佃煮にしたものを「きゃらぶき」と言い保存食・常備菜となる。
繊維質やミネラルが豊富で、昔は冬の野菜不足を補う一般的な山菜であった。
蕗の薹は、植物としては フキ(蕗)だが、早春の山菜としておなじみ。
花が開くほど苦味が強くなるので、生で食べるには花の開く前が良い。
がしかし、高温の油で苦味が少なくなる。天麩羅には咲き始めの花が美味。
*       *      *      *      *
観ることはできるが近づけない場所にあるフキノトウ。
昨日は、今年初めての積雪を見た(神奈川では2・3月が普通)。
地中は、春まじかとメタボリズム(新陳代謝)が始まっているだろう。
目の前のフキノトウは、食材に供するのではなく野生化してる。
里地の片隅に見る「蕗の薹」、今年もまた会えた。早春である。
*      *      *
まぼろしに現(うつつ)まじはり蕗の薹(たう)萌ゆべくなりぬ狭き庭のうへ
枯れ伏しし蕗にまぢかき虎耳草(ゆきのした)ひかりを浴みて冬越えむとす
(1937「庭前」,齋藤茂吉『寒雲』)
*       *      *      *      *
今日は、建国記念の日、1967年(昭和42年)から実施されている国民の祝日。
かつては”紀元節”として奉祝されてきたが、戦後廃止された。
「紀元節(きげんせつ)」とは、神武天皇が即位したと日本書紀で伝えられている日。
当時の暦では1月1日で、明治に入って新暦に換算されて2月11日となった。
神武天皇が即位したのは、西暦では紀元前660年にあたる。
神武天皇は初代天皇で、神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)の事。
以来皇統は途切れることなく引き継がれ、令和の天皇は第126代に在らせられる。
現在主流となっている西暦は、イエス・キリストの生誕年を元年とする紀年法。
一方、神武天皇即位の年を元年とする紀年法は、1872年に制定された。
「皇紀(こうき)」「皇暦(こうれき)」「神武暦」と呼ばれていた。
日本独自の紀年法に基ずく呼称に戻すのも一考と思う。

「令和伍年(皇紀2683年)2月11日、記」

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《襍・/・画 “今年初見の樹花” ❖’23-15》

泉の森・民家園の素芯蝋梅。
ふれあいの森の素芯蝋梅。
《身近な里地、泉の森・ふれあいの森2/6》
ソシンロウバイ(素心蝋梅) ロウバイ科(Calycanthaceae)
学名:Chimonanthus praecox (L.) Link form. luteus (Makino) Okuyama
蝋梅名は、半透明で蝋細工の様な花弁で、茎にスポンジ状の白い芯。
これが素心蝋梅と名付いた由来とされている。
ロウバイの園芸品種。内側の花被片が赤色を帯びない。
花もやや大きく、ロウバイより多く栽培されている。
ロウバイは、花がやや小さく内側の花被片が赤色を帯びる。

「令和伍年(皇紀2683年)2月9日、記」

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《襍・/・画 “CP+2023” ❖’23-14》

完成された名機、❛LeicaM3❜
M3より古いライカ III fの天井部、美しい。
ライカ III f+ライカエルマー50mmF3.5機能的で使い勝手がよかった。
上二枚の画像は、LeicaM3をパクった小型カメラ。
ミノックス製、遊び心ろ満載。ちゃんと写る。手中に隠れる大きさ。
最も気に入っていた、NIKON SP 楽しいカメラだった。

編集

《二月の楽しみ・・❝CAMERA&PHOTO IMAGING SHOW❞》
’豆まき’が終わり春分の日も過ぎると私的楽しみが脳裏にせまってくる。
カメラ好きにとっては、年に一度のカメラ大展示会は貴重な催しだ。
今では、ネットを通せばあらゆることを容易に検索できる。
だが、カメラ関係機材を実際に触れて見れる機会は、CP+くらいだ。
会場で配布される出展機材写真一覧パンフレットは重宝でもある。
古くは、東京日本橋高島屋で開催されていて、見学後カメラ屋巡りもした。
今や日本のお家芸的に世界を席巻してるデジカメ産業、恐れ入る!!
そんな中でも全世界の写真家に愛用されてるドイツ製カメラ❛Leica❜。
高性能・・・高価格、とても、とても・・・高嶺の花、それ以上のカメラだ。
フィルム(銀塩)カメラ時代、❛LeicaM3❜を使っているご婦人が身近にみえた。
写真仲間、兄上がプロ写真家でおさがりだといっていたが・・どうしてどうして!!
撮影センスは、すごいものを持っておられた。今はどうしておれるか??
へそ曲がりの僕は、あえて一眼ではないレンジファインダーの国産中古カメラを探した。
それがNIKON SP。これとて分不相応なカメラだったが安く入手できた。
40年も昔のこと。ドイツと往復してた事もあって日本製カメラを誇りに思ってた。
性能的にライカに遜色なかった。ある時、友達とカメラ交換をしたことがあった。
欲しかった中判カメラとNIKON SPと交換、それほど評価されたカメラとおもっている。
今は、使わなくなったがフォルムが好きだ(一眼ではない。レンジファインダーだ)。
中身は、デジタルでいい、外観だけでも往年の形状でかつ日本製カメラの登場を待たい。
ある機種のデジカメを卒業したく思っている今、花撮影に特化したシステムもさがしたい。
知人のを借用して目星はついているが、高価。目の保養にでかけてみるか!?!

「令和伍年(皇紀2683年)2月6日、記」

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《襍・/・画 “豆まき!!” ❖’23-13》

子供のころ、豆を買いに行くとこんなお面がついていた。
お面をつけて豆をまいた記憶がある??
太巻きのお寿司は、子供時分、食べた記憶がない。
恵方巻は、関西の食仕方と思ってきたが!?!
《遊び感覚だった”節分・・❝豆まきは、今!!❞》

節分祭という行事を見に行ったことがない。
各地でいろいろな催しがあるようだが出かけたことなかった。
若い・・青春時代頃は、期末テストでそれどころではなかった。
今でも覚えているのは、小学生時代に自宅でやった’豆まき’。
鬼は、そとぉ~! 福はうちぃ~! なんて言っていた気がする。
歳の数だけ豆を食べたのは覚えているが、夕食は何を頂いたか??
印象にない。ただ、母が小豆を煮込み羊羹を作り食べさせてくれた。
粒あんの羊羹は、我が家では定番お菓子でよく頂いたものだ。
 節分とは、各季節の始まりの日(立春立夏立秋立冬)の前日を意味する。
生まれ育った神奈川県の郷土的催しがあるや否や知り得ていない。
2月頃は、父や自分も多忙で節分を意識したことがなかった様なきがしている。
孫たちには、日本の伝統文化を知ってほしい。意識して教え示していきたいものだ。


「令和伍年(皇紀2683年)2月3日、記」

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《襍・/・画 “テレヴィジョン!!” ❖’23-12》

古き和室の佇まい。

モダ~ンな、ちょっとおしゃれな感じ、現代和室。

《televisionと共にある我が人生”懐古”》

今年は、寒気が強いと言われているが、それは今的感覚。

家中の暖房が、囲炉裏・炬燵・火鉢が主流だった我が子供時代。

風呂用の薪は、買っていた。石油ストーブ、電気炬燵に驚いた幼少期。

寝床に”湯たんぽ”今や知る人も少ないか(団塊世代なら???)。

暖房用には、豆炭が中心で炭も多用していた。居間の暖炉は暖かい。

今では諸問題があって使うのをひかえている。

そんな幼少期にNHK等のテレビ放送がはじまった。

今日は、テレビ放送記念日。1953(昭和28)年、NHK東京放送局がTV本放送を開始した。

受信料は月200円。53年8月に日本テレビ、翌54(昭和29)年3月にNHK大阪と名古屋。

55(昭和30)年4月にラジオ東京《現在の東京放送(TBS)》もテレビ放送が開始している。

我が家には、米国GE製の14吋のテレビがあった(いただきものだった由)。

白黒で、、、懐かしく思い出す。カラーテレビが普及したのは前東京オリンピック頃。

1959年の皇太子殿下(現上皇)のご成婚パレードがきっかけでカラーテレビ化が進んだ。

更には、この年にロケ取材番組が始まっていた。驚きの紀行取材だった。

兼高かおる世界飛び歩き』(『兼高かおる 世界の旅』の前身番組。)

世界の旅は1990年までつづいた長寿番組。刺激を受けた旅番組だった。

そしていまひとつ今でも見れてる旅・紀行番組『遠くへ行きたい』も、感慨深い。

兼高さんの世界紹介に感化され異国を旅してみると、国内を知らない自分が???

古都保存・町並み保存により感心がふかまった。成果は見たが、更なる課題もある。

TV放送も転換期だろう。今を生きる、未来を模索すべく、テレビ放送記念日におもう。

「令和伍年(皇紀2683年)2月1日、記」

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