《凡・/・声 ❝悲喜交交❞ ❖’23-80 ❖》

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片瀬西浜~鵠沼海岸2020/0... 片瀬西浜~鵠沼海岸2020/07
古くは、東洋のマイアミビーチなんて呼ばれていた。
鎌倉由比ガ浜海岸。コロナ禍で海... 鎌倉由比ガ浜海岸。コロナ禍で海の家が見えない。
今は、テントが張られているが、かつてはビーチパラソルだった。
葉山一色海岸。葉山御用邸が左側... 葉山一色海岸。葉山御用邸が左側にいちする。2020/07.
2020/07 葉山森戸海岸に... 2020/07 葉山森戸海岸には、ライブステージがあって!!
昔は、大学のキャンプストアー(海の家)があって。。!
フォークソング全盛頃で学生バンドが出ていた。
葉山鐙摺港(あぶずりこうは、歴... 葉山鐙摺港(あぶずりこうは、歴史ある小さな港)。
我が青春・青年期の想いである場所。
《“忘れるに非ず・戦争”❖'23/08/09❖ 》
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、広島市に世界初の原子爆弾が投下され、
熱線と衝撃波によって市街は壊滅し、約14万人の死者を出した。
更には、原爆症等で亡くなった人を含めると、犠牲者は25万人以上にのぼった。
そして8月9日午前11時頃、長崎市松山町の500m上空で原爆を爆発させた。
この爆弾で約7万4千人の市民が死亡、約7万5千人が重軽傷を負った。 
78年前の自国・日本での事象。広島市、長崎市は、それぞれ復興している。
爪痕は、それぞれ記念碑的に存在しているのだが・・・。
戦禍の悲惨さを実感したのは、広島・長崎出身の友達の生家に行った時だった。
又、幼少期・身近に戦争・戦後を感じたのは“傷痍軍人”の姿を見た時である。
今年も広島・長崎に於いて”原爆忌”が執り行われた。
*     *     *
二千二十三年八月九日、現況の日本は安全でほぼ安心な生活ができている。
そんな時でも、不穏なことが、時折、起こっているのだ。
だが、己に事が及ばないと関心も行動もしないのが実態だろう。
年寄り老人ゆえ、昔のことをよく思い出す。でも歴史を思うことも必要。
昨日一日中、原爆を思ってみた。
原爆投下について、日本人と米国人では観点が異なることを知っている。
反観合一と言う言葉がある。見方・論理は様々だが、過去を見て、未来を!!
戦時中の当事者の事を冷静に眺め、反省・教訓 "Never Again"だろう。
「二度と繰り返さない」と恒ずね思ってきた。
つまりは、核抑止力、核兵器理論、而して核兵器保持の必要性ばかりが表に。
一国の政治的な背景を正当化し、戦禍での被災者等、後の悲惨さが語られない。
被爆国日本からの"Never Again"発信は、声を大にして発信すべきだろう。
今のロシア、ウクライナ戦況を見聞きすると、単に被災国発信では済まない。
国連常任理事国が戦争当事者の場合、国連の役割はゼロと化す。不平等だ。
そして更に懸念するのは、お膝元のわが国。国内報道機関の発信の仕方である。
忖度報道が余りにも多い。事実を正確に報道して欲しい、と念願する。
一個人の感慨、老人のざれごと、思い込みではない。歴史が検証している。
*     *     *
コロナ禍が収まり、平常の生活になりつつある。
夏・海と言えば、僕の頭に浮かぶのは、相模湾沿いの海岸周辺。
古い写真を保存していたHDDが壊れて古い画像は、フィルムしかない。
フィルム・それを探すの大変で^^)。最近のもので振り返ってみる。
前にも記したが、オサチラガニやスナホリガニ、孫文蓮、懐かしい。
結婚してからの事だが、面白い生き物を見に行ったことがあった。
真鶴海岸三ツ石で見た梅干しイソギンチャク。それ自体は、珍しくはない。
だが、三石のウメボシイソギンチャクはある時、忽然と全滅した。
それが長い月日を経て、又、突然現れた!?!
地形環境等々、出現根拠は色々あるだろうが、自然界の神秘???
コロナ禍が収まっての今年は、海辺もにぎわっていることだろう。
先日、知り合いのウクライナ実情写真を見る機会があった。
”権力”とは??を真摯に考えさせられ、今の日本の現況を思っても見た。
我が青春時代は、日本も安全な国になっていたと思う。そして今がある。
半世紀後の自然環境は、あまり変わらないだろうが、人間環境は??
 
「令和伍年(皇紀2683年)8月9日、記」

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