新型コロナに対してのマスクの効能を再確認。
仮に比率を10^6倍にしたとして、
5m×5mの網目に、直径10cmのボールを通すサイズ感になる。
昔に観て怖いと思った、まんが日本ばなし「おいてけ堀」。
現実にあるとすれば、やはり怖いかもしれません。
それにしても、チャランポの「置行堀行進曲」のタイトルを
初めてみた時、「おいてけ堀」が脳内再生されたものでした。
ぜんぜん違うものですけど。
おいてけ堀
置行堀行進曲(おいてけぼり こうしんきょく)
昔々或る所に大本家のお爺さんと分家のお爺さんが住んでいました。
大本家のお爺さんは墓を建てる所を整地するから手伝えと分家のお爺さんに言いました。
分家のお爺さんは喜んで整地を手伝いました。
7日後に整地は終わりました。
分家のお爺さんは、自分の墓の場所はどこ?と聞きました。
大本家のお爺さんは、お前の所は無いよといいました。
そうです。初めから分家のお爺さんの分は無かったのです。
分家のお爺さんはがっかりしました。
今に見ていろ!お前の所にもムコが来るからな!と分家のお爺さんは自宅で言いました。
今から70年程前、
田舎のある地域では「ムコ」というのは格好のイジメの対象でした。
どれだけ有能であって、力があっても対象でした。
分家のお爺さんはムコだったのです。
戦争から引き揚げてきて苦労しても変わりませんでした。
ほどなくして、大本家のお爺さんの所へムコが嫁いできました。
同じ立場の分家のお爺さんは、大本家のムコをイジメたりなんかしませんでした。
その後は大本家も分家も仲良く暮らしましたとさ。
こんな事を思うのは何でか?
そう、今日は終戦記念日でもあり、分家のお爺さんの命日でもあるのです。
霊界からの指令だったのかもしれません。
おしまい。
# ただ、分家のお爺さんの孫が親からその話を聞き、いつまでもその事を忘れる事はできません。
親戚へ配布予定で、家系図を増産。
今日は家系図に兜の図を追加。
1700年代以降の先祖の家系図しか書けないので、
もう加筆する事はできないと思っていたけど、
去年に頂いた大本家側の資料を思い出し、
血の繋がりはないものの、同じ姓を名乗るものとして
知っておいてもいいかもしれないと思い、
大本家側の35年前に調査した資料を見てみた。
前九年の役(1051~1062年)の頃からのものがまとめてある。
その頃からの家系図は存在しないから仕方がないけど、
影響を受けた、与えた、という書き方なら書けるかもしれない。
今まで作った家系図は一旦締めるとして、
1000年前の関わり合いとかを資料から追ってみます。