「親業」とは?(再考)

こんにちは!「働くあなたを元気にする」コーチです。

先日、6月25日のこの場で「親業」のことに少し触れました。

例えば、その定義は「親業訓練協会」の定義をお借りすると

「親と子の心の架け橋を作るコミュニケーション」

アメリカの臨床心理学者トマス・ゴードンが、発達心理学や臨床心理学などの行動科学に基づいて考案した、とのことです。

一方、親業をコミュニケーションの分野に限定せず、もう少し幅広く捉えることも可能だと思います。

私の個人的な感覚としては、「親業」には次のような観点・切り口があると良いかな、と感じます。

1.人間としてあり方
2.親の果たす役割
3.子供という存在の理解
4.子供との接し方(コミュニケーションも含む)

そして家族内、特に親と子供とのコンフリクトに遭遇するたびに「親って何だろう?」とか「親業とは?」という疑問が頭の中をグルグルします。

「子供とって親とは?」

「親にとって子供とは?」

今日はいくつか、気が付いた点を列挙するに留めます。

何故なら「親という役割」を担ってきてから30年くらいになりますが、私自身未だに、どうあるべきか?が分からないでいるからです。

因みに、表現として適切かどうかは横に置いて、「子供と言う役割(?)」を担ってから、58年になります。

そこで、自分が両親の「子供」であるという立場で見えること、そして逆に、自分が自分の子供の「親」であるという立場で見えること。この双方の視点から考えてみます。


(1)親としての視点

- 親は子供がいるから「親」になる

- 親は家庭内では絶大なパワーを持っている

- 親は子供を自立させる責任がある

- 親は親という役割を持ちつつも、基本的に一人の人間である

- 親は通常は子供より先に人生を終えるものである

- 親は自分の子供が一番可愛いし、何かの期待を持っている

- 親は子育てに関わる喜びと労苦を子供と分かち合いたい

- 親は子供から「産んでくれて、育ててくれてありがとう」と言われたい?


(2)子供としての視点

- 子供は親を選べない

- 子供はいずれは巣立って、親になっていくだろうものである

- 子供は自分の親を冷静に公平に判断・評価出来ない(他の家庭の親と比較できない)

- 子供は親に可愛がられたいと思っている

- 子供は成長するにつれて、自我の芽生え、親に対して健全?な批判を持つもの

- 子供にとって親は一つの参考・リファレンスである

- 子供は産んでくれた親に対して、感謝の気持ちを持つ?


頭の中にグルグル回る考えや疑問を、取り敢えず吐き出してみました。しかし、残念ながら全くすっきりはしていません。

一点、今気が付いたのは、

「子供として親から育てられた過程や経験が、今度は自分が親となった時に、何らかの影響、作用があるのではないか?」

ではまた明日!
by 「働くあなたを元気にする」コーチ

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