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東愛知新聞/78年ぶり日章旗が遺族へ(The Japanese flag worn by Navy personnel who died in the Philippines in World War II was returned to their families)

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東愛知新聞/78年ぶり日章旗が...

2月3日に愛知県豊橋市役所にて執り行われました「加藤博夫」命日章旗返還式の様子を東愛知新聞が報じて下さいました。本文はリンク先でお読み頂けます。


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東日本新聞/戦没者遺族に日章旗返還「OBONソサエティ」から日本遺族会通じて(Return of the Japanese flag to the bereaved families of war dead from the "OBON Society" through the Japan..

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中日新聞/県内ゆかり旧日本兵2人の日章旗 終戦から78年ぶり故郷の親族らに返還(The Japanese flag of two former Japanese soldiers associated with the prefecture who went to war )

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太平洋戦争に出征した県内ゆかりの旧日本兵二人の日章旗が、終戦から七十八年ぶりに、親族らに返還された。日章旗は米国の兵士らが戦利品として、母国に持ち帰っていたとみられる。受け取る予定だった親族の一人は、直前に息を引き取った。(堀尾法道)



県遺族会や県によると、二人の旧日本兵は、甲賀郡水口町水口(現甲賀市水口町水口)から満州に渡り、現地で召集された寺崎徳蔵さんと、愛知郡日枝村(現豊郷町吉田)の清水一郎さん。歩兵第二四八連隊に所属した寺崎さんは、復員して一九八六年に亡くなった。第七六一航空隊に所属した清水さんは、マリアナ諸島で四四年八月に二十六歳で戦死した。



二人の日章旗はいずれも米国で保管されていた。遺品の返還活動を続ける米国の団体「OBON SOCIETY」の依頼で、県遺族会などが親族を捜した。



一月三十日の県公館での返還に、寺崎さん側は長女の川島淳子さん(93)と義理の孫の川島康弘さん(69)が出席した。淳子さんは終戦の年、満蒙(まんもう)開拓団の一員として家族で満州に渡り、父親はその年の七月に召集された。終戦直後、逃げる際に母親を飢えで亡くした。



返ってきた父親の日章旗に「なんとも言えない。旗に父の名前が大きく書いてある。お骨でも出てきたみたい。今夜から抱いて寝ます」と語った。康弘さんは「親族として万感の思い。日本へ帰るのだという、祖父の強い意志を感じた」とあいさつした。



清水さん側は、おいの一雄さんが出席予定だったが、一週間ほど前の一月二十四日、六十九歳で亡くなった。代理で、豊郷町遺族会の久木淳行会長(80)が受け取った。県遺族会相談役の国松善次元知事(84)は「一雄さんは残念ながら出席できなかったが、日章旗が豊郷に帰ってきた」とほっとした表情を浮かべた。



三日月大造知事は「敵味方の恩讐(おんしゅう)を超えて返還できた。戦争の悲惨さ、平和の尊さを伝えたい。直前に亡くなった一雄さんは、どんな思いだったか。他の人たちの遺品を一刻も早く返さないといけない」と述べた。

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毎日新聞/日章旗2点「帰国」 米から 県出身元兵士の遺族へ(Two Japanese flags Returned home)

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太平洋戦争中、県出身の元兵士が携えていた日章旗2点が米国で見つかり、県遺族会を通じて遺族らに返還された。県遺族会によると、同様の遺留品返還は2015年以降、県内で18点になる。

甲賀市水口町出身で旧満州(現中国東北部)から出征した寺崎徳蔵さん(復員し1986年に82歳で死去)と、豊郷町出身でマリアナ諸島テニアン島で戦死した清水一郎さん(当時26歳)の日章旗。

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朝日新聞/日章旗にみた「77年前の父のぬくもり」 娘2人に米国から返却(A Japanese flag belonging to a man who was killed in action in the Philippines during World War II was delivered )

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朝日新聞/日章旗にみた「77年... 朝日新聞/日章旗にみた「77年... 朝日新聞/日章旗にみた「77年... 朝日新聞/日章旗にみた「77年...

愛知県豊橋市出身で、第2次世界大戦中にフィリピンで戦死した男性の遺品の日章旗が3日、遺族の元に届けられた。所有者の米国人から「返したい」という申し出があり、米国のNPO法人を通じて日本遺族会や豊橋市遺族連合会が男性の親族を探し出した。


 豊橋市出身の加藤博夫さんは、1945(昭和20)年2月にマニラで戦死した。32歳で、海軍上等主計兵だった。


 米コネティカット州在住の所有者が返還の意向を示し、NPO法人「OBON ソサエティ」(オレゴン州)を通じて日本遺族会に連絡があったという。遺族会の照会で、加藤さんが豊橋市の出身と判明。豊橋市遺族連合会が、83年発行の戦没者の戦歴や戦没状況などをまとめた「平和の礎(いしじ)」から加藤さんの身元を割り出した。


 豊橋市役所で開かれた「日章旗返還式」で遺品を受け取った加藤さんの長女の侑子さん(82)と、次女の白井式子さん(81)=いずれも同市在住=によると、出征時はまだ幼く、父親の顔は覚えていないという。返却された日章旗を手にした侑子さんは、「父のぬくもりを感じました。ありがたい」。式子さんは「父に会えたような気がします」と述べた。https://www.asahi.com/articles/ASR237QLHR23OBJB00B.html?iref=pc_photo_gallery_bottom

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NHK/戦死した豊橋市出身の男性のものとみられる日章旗が遺族に返還(A Japanese flag believed to belong to a man from Toyohashi City who was killed in action is returned to his bereave)

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太平洋戦争中にフィリピンで戦死した愛知県豊橋市出身の男性のものとみられる日章旗が3日、終戦から77年を経て遺族の元に返還されました。

返還された日章旗は太平洋戦争中の昭和20年2月26日にフィリピンのルソン島で32歳で亡くなった豊橋市出身の加藤博夫さんのものとみられます。

アメリカのコネチカット州の人が持っていたもので、日章旗の返還に取り組むアメリカの団体や日本の遺族会の活動で返還が実現しました。

3日は加藤さんの長女の加藤侑子さんと次女の白井式子さんが豊橋市役所を訪れ、浅井由崇市長から日章旗を受け取りました。

日章旗には加藤さんの名前をはじめ「武運長久」の文字やおよそ580人の名前が寄せ書きされています。

長女の加藤侑子さんは「父のぬくもりのようなものを感じ、奇跡のようでびっくりした。ありがたいことです」と話していました。

また、次女の白井式子さんは「父のことは全然記憶にはないが、会えた気がしました」と話していました。

https://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20230203/3000027403.html?fbclid=IwAR2yOiC6SKL14XfU3xhv_1S8_7FNP9khoYadl8IvfhEm4a-m_JVkgEt0Wlc

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京都新聞/寄せ書き日章旗返還 大津で93歳長女ら受け取る「父は苦労。今夜から抱いて寝る」(Eldest daughter, 93, and others receive belongings of father killed in war in Otsu)

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京都新聞/寄せ書き日章旗返還 ...

太平洋戦争で従軍した滋賀県出身の元兵士の日章旗が遺族らに返還された。縁者らが武運の祈りを込めて寄せ書きした日章旗を手にした遺族や立会人の首長らは、戦没者に思いをはせ、平和への願いを新たにした。


 遺留品を遺族に返す活動をする米国オレゴン州の非営利団体「OBON SOCIETY(オボン ソサエティー)」から昨年8月、米国の兵士らの手に渡った遺留品2点の情報提供があった。県遺族会の調査で遺族が特定された。


 返還式は1月30日に大津市の県公館で開かれた。満州(現在の中国東北部)から復員し、83歳で亡くなった寺崎徳蔵さんの長女川島淳子さん(93)=甲賀市水口町=は、両手で押し頂くようにして日章旗を受け取った。「義勇奉公」などの文字がびっしりと墨書きされた旗は、戦後77年を経て布が大きく裂け、穴も開いていた。


 一家で満州に渡った川島さん自身も、帰国途中に母親が餓死するなど辛酸をなめた。「お父さんは何も言わへんかったけど、苦労してくれはってんなぁと思って。今夜から抱いて寝ます」と感慨深そうだった。


 第761航空隊に所属し、太平洋のテニアン島で26歳の若さで戦死した清水一郎さんの日章旗は、受け取る予定だったおいの清水一雄さんが24日に亡くなったため、豊郷町遺族会の久木淳行会長が代理で受け取った。


 「寄せ書き日の丸」を返還する活動を軸にする非営利団体の活動により、県内では2015年以降で、軍隊手帳や手紙を含め18件の遺留品が返還された。県遺族会の今堀治夫副会長は「遺骨や遺品一つない遺族もいる中で、大きな意義のある事業。円滑に進むよう遺族会の役割を果たしたい」と話した。



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びわ放送局/戦争遺留品 遺族のもとに(The flag was returned to their bereaved families 77 years after the end of the war.)

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戦争遺留品 遺族のもとに/滋賀



戦争の悲惨さや平和の尊さを物語る太平洋戦争で戦った県民の遺留品が、終戦から77年の時を経て遺族のもとに返されました。



戦争遺留品は、厚生労働省から遺族会を通じて今回、滋賀県の2組の遺族に返還されることになり、このうち30日は、甲賀市の寺崎徳蔵さんが出征する際に持っていった無事を願う寄せ書きなどが書かれた日章旗が遺族に渡されました。



寺崎さんは、1944年から軍の食糧供給のため、農業などを行う開拓団員として満州にいました。しかし、その翌年に赤紙が届き、40代で出征したということです。戦争からは戻ってきましたが、40年前に病気で亡くなりました。



なお、滋賀県遺族会ではこれで18点の遺留品を遺族のもとに返還したということです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7e2479a938f84020832e87a0b42a2058aa475eaa?fbclid=IwAR3HETHXtqy2ExrwrxYKsCiUqLC_VoHplaTxvXl7s2CWpJq-cyKoeaj4MTU


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岐阜新聞/日章旗80年ぶり帰郷(Yosegaki-hinomaru Flag Returns Home after 80 Years)

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昨年末にご遺族へ返還された【木村保】命の日章旗が土岐市妻木公民館にて展示される事になりました。

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中日新聞/日章旗、80年ぶり帰郷 ガダルカナルで戦死した土岐出身木村さん遺品(Japanese Newspaper featured Flag return in GIFU Prefecture )

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中日新聞/日章旗、80年ぶり帰... 中日新聞/日章旗、80年ぶり帰...
 太平洋戦争の激戦地・ガダルカナル島に土岐市妻木町から出征した日本兵の日章旗が、同町の遺族の元に戻ってきた。持ち主は木村保さん=当時(22)。約八十年ぶりの遺品の“帰還”に、遺族は「これだけ時間がたっても戻ってきたということは、本人もそれだけ帰ってきたかったんかな」。遠く離れた地で命を散らせた親族に思いをはせた。 

 日章旗は、戦争中に連合軍兵士が持ち帰った日本兵の遺品の返還活動を行うNPO「OBONソサエティ」(米オレゴン州)を通じて日本遺族会に託された。書かれた内容から木村保さんの持ち物と分かり、県や土岐市の遺族会を通じて遺族を捜索したところ、おいとめいでいずれも妻木町在住の木村義典さん(74)、中嶋克子さん(74)、木村雅英さん(71)が見つかった。

 旗は日の丸の上に「祈 武運長久」と書かれ、保さんの無事を祈る四百六十八人分の名前が隙間を埋め尽くす。地元住民だけでなく、当時遠くに住んでいた親族の名前もあった。
 市遺族連合会の吉川時行会長によると、召集令状が届いてから出兵までは一週間ほど。吉川会長は「短い期間にこれだけの署名を集めたということは、息子の無事を願う両親が署名の依頼に奔走したのでは」と推察する。

 ガダルカナル島では一九四二(昭和十七)年八月、連合軍の猛攻により、日本軍は物資の輸送が滞り、多くの兵士が飢えや感染症で命を失った。日本遺族会の記録によると、保さんは島からの撤退が決まった二週間後の四三年一月十三日、命を落とした。死因は分かっていない。

 保さんは七人きょうだいの三男だったが、両親、きょうだいともすでに亡くなっている。日章旗は今月十六日、妻木町の義典さんの自宅で義典さんらおいとめいが集まる中、市遺族連合会を通じて返還された。

 「会ったことはないので顔は知らない。でも保さんという人が戦死したというのは伝え聞いていた」と義典さん。旗を一目見てその傷みの少ない保存状態に驚いたという。「(保さんにとって)一つ区切りがついたのでは。改めて『ご苦労さまでした』と言いたい」と語った。

 返還された日章旗は、一月一日から妻木公民館で展示される。

https://www.chunichi.co.jp/article/610454?rct=gifu&fbclid=IwAR0kGlnrXk5cKHVqMThAcPrm6zS6PPsVLUtyTF2PKxd0Wljy_jZS3m7ioaY
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