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東海新報/平和の尊さ 次代に伝えて、神原さんの日章旗寄贈、太平洋戦争で戦死、遺族が市立博物館へ(Killed in the Pacific War, bereaved family donated a Japanese flag to the City Museum.)

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東海新報/平和の尊さ 次代に伝... 東海新報/平和の尊さ 次代に伝...
陸前高田市高田町の市立博物館(松坂泰盛館長)に、太平洋戦争で戦死した市民の名前が記された日章旗が遺族から寄贈された。東日本大震災で被災し、再建工事を終えて先月開館したばかりの同館。遺族は「恒久平和の尊さを市内外からの来館者に伝えてほしい」と思いを託した。
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朝日新聞/日章旗の返還に取り組む米団体 残る2400枚「1枚でも返したい」(ASAHI Newspaper featured Our Stories)

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朝日新聞/日章旗の返還に取り組... 朝日新聞/日章旗の返還に取り組...
出征した旧日本兵が戦地に持参し、寄せ書きがされた日章旗を遺族に返還する活動に取り組む団体がある。米オレゴン州の非営利団体「OBON(オボン)ソサエティ」。その代表レックス・ジークさんと妻の敬子さんが来日し、2日に記者会見を開いた。夫妻は「できるだけ早く、1枚でも多く返還していきたい」と語った。

団体が創設されたのは2009年。ビルマ(現ミャンマー)で戦没した敬子さんの祖父の日章旗がカナダに住む人から返還されたのがきっかけだった。

夫妻によると、米国に持ち帰られた旧日本兵の遺品は、旧米兵の家族がそのまま保管していたり、オークションに出されたりしているという。

誰も見向もしなかった活動 貯蓄切り崩し……
日章旗には持ち主の名前のほか、寄せ書きをした多くの人の名前も記されている。こうした手がかりから遺族を探し出しているという。レックスさんは「遺骨も遺品も戻らない遺族がいる。そうした遺族に発見された日章旗を届けたかった」と話す。

当初は夫妻自らの貯蓄をもとに活動していたが、19年度以降は国の遺留品調査事業を担う日本遺族会からの委託をうけ、日章旗などの返還に取り組む。敬子さんは「最初は誰も見向きもしなかったが、一枚一枚返していくことでようやく活動が広がった」と言う。

これまで遺族のもとに返還できた日章旗は427枚(22年10月末現在)。ただ、遺族らが不明で未返還のものが約2400枚あるという。

戦後77年が過ぎ、遺族の高齢化も進む。「できる限り早く返したい」と話すレックスさんはこうも訴える。「(戦没者を知る)世代で終わるわけではない。孫やひ孫の代になっても続け、次の世代に伝えていくことが大切だ」

4日には、日章旗を所持していた米国人とともに、広島県の遺族に対面して返還する予定だ。(朝日新聞・石川友恵)

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米NPO、旧日本兵の日章旗240枚を遺族会に返還 (Sankei Newspaper featured Our Stories)

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米NPO法人「OBONソサエテ... 米NPO法人「OBONソサエティ」が所持していた日章旗=2日、東京都千代田区
米NPO、旧日本兵の日章旗240枚を遺族会に返還
2022/12/2
米NPO法人「OBONソサエティ」が所持していた日章旗=2日、東京都千代田区
先の大戦で元米兵らが戦場から持ち帰った日本兵の遺留品を遺族に返還する取り組みを行っている米NPO法人「OBONソサエティ」(本部・オレゴン州)は2日、東京都内で日本遺族会とともに記者会見し、同法人が所持する240枚の日章旗を公開した。今後、遺族会が所有者を調査し、遺族への返還を目指す。
記事の続きは下記リンク先をご覧ください。
https://www.sankei.com/article/20221202-IR7CSCNEFVLCDLXHH7PAXUH2LM/?
#flagreturn #japanesflag #obonsociety #obonソサエティ #ww2 #共同記者会見 #大東亜戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日本遺族会 #日章旗返還 #英霊

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OBON SOCIETY Newsletter December 2022

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This Yosegaki Hinomaru had b... This Yosegaki Hinomaru had been kept in the New Mexico National Guard Museum in Santa Fe for years.
#OBONSOCIETY #flagreturn #pacificwar #peace #veteran #ww2 #yosegakihinomaru

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南海日日新聞/【つなぐ戦争体験】(上) 寄せ書き日章旗戻る 徳之島の出征兵士と判明 (Japanese Newspaper featured Flag return in KAGOSHIMA Prefecture )

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南海日日新聞/【つなぐ戦争体験...
【つなぐ戦争体験】(上) 寄せ書き日章旗戻る 徳之島の出征兵士と判明

「信井成章様の遺留品が保管されていたOBON(オボン)ソサエティから届きましたので送付いたします」―。2021年1月、鹿児島市で暮らす吉見文一さん(81)=伊仙町出身=の元へ、一通の通知が寄せられた。遺留品とは、寄せ書きが書かれた戦時中の日章旗。どうやら、故人は徳之島の出身らしい。「旗を遺族の元へ返してあげたい」。吉見さんの遺族探しが始まった。

◆   ◆

「OBONソサエティ」は米国で寄せ書き日章旗を日本に返還する活動をしている非営利団体。寄せ書き日章旗は戦時中、出征兵の武運長久(いつまでも無事であること)を祈り、身近な人々が署名やメッセージを日章旗に書いたもの。当時、日本兵の旗は連合軍兵士にとって人気の戦利品だった。近年ではインターネットオークションで売買されることが問題視され、厚生労働省が情報収集に当たっている。

OBONソサエティなどを通じて日本に送られる遺留品は、厚労省や日本遺族会などが資料を基に戦没者の自治体の遺族会へ照会。信井さんの旗は、日本遺族会から県遺族連合会、徳之島町遺族会へ照会されたが遺族が見つけられず、いちるの望みにすがり徳之島出身の吉見さんに寄せられた。

元高校教諭の吉見さんは、徳之島高校に赴任した縁を生かし、かつての教え子らに寄せ書きをしている人物を片っ端から照会していった。すると、信井さん当人の遺族の一人が徳之島を離れ、今は京都府で暮らしているということが分かった。早速本人と連絡を取り、信井さんについて確認した。

遺族の奥田智恵さん(67)=徳之島町母間出身=は京都府宇治市在住。信井さんは父の弟だった。父方の祖母からいつも叔父のことを聞かされていた。「成章は兄弟で一番賢くてね」―。1923(大正12)年生まれ。二十歳で出征し、23歳になる年に、フィリピンのバギオで戦死した。祖母の元には遺留品が届かず、亡くなるときまで「成章はどこかで生きている」と信じていたという。

奥田さんの元に届けられた寄せ書き日章旗に、叔父を知らない家族一同も、皆驚いた。約1メートル四方ほどの絹のような素材の旗。中央の日の丸部分は別の布で丸く縫い付けられていた。

「武運長久」「撃ちてし止まん(敵を撃つまで戦いを止めない)」「兄貴頑張レ!!」―。勇ましい激励文句が描かれていた。

奥田さんは寄せ書きをしている人物を探して徳之島の知人に連絡したが、多くの人は他界していた。唯一、母の知り合いでもあった女性の署名を見つけ連絡すると「旗を見たい」という。奥田さんは徳之島の女性へ旗を送った。93歳になる女性は寄せ書き日章旗を手に信井さんの家の墓を訪れ、「帰ってきたよ」と報告した。77年の歳月を越え、日章旗はふるさとの地を踏んだ。

◆   ◆

日章旗は今、吉見さんの元にある。奥田さんたっての依頼で、平和活動に役立ててほしいと送られてきたのだ。「叔父を知らないわが家の子や孫でさえ、本物の日章旗を見て(戦争の)リアルさを感じた。吉見さんの講話活動でもこの日章旗を役に立ててほしい」と奥田さんは話す。

取材中、吉見さんはすぐには日章旗を広げなかった。軽々しく触れてはいけない重い扉を開けるように、慎重な手つきで広げて見せた。その横顔には、戦争で父を失った遺族の一人として、戦没者を敬い、戦争に向き合う難しさをたたえた表情が浮かんでいた。
https://www.nankainn.com/news/p-economy/%e3%80%90%e3%81%a4%e3%81%aa%e3%81%90%e6%88%a6%e4%ba%89%e4%bd%93%e9%a8%93%e3%80%91%ef%bc%88%e4%b8%8a%ef%bc%89%e3%80%80%e5%af%84%e3%81%9b%e6%9b%b8%e3%81%8d%e6%97%a5%e7%ab%a0%e6%97%97%e6%88%bb%e3%82%8b?fbclid=IwAR2TsUu4RuR__1FMeQmSVmYLJjb_t5wA5GPUkfvmrPL-tDJ5XOMNIjcxE1E

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RETURNING THE SPIRIT OF A SOLDIER: JAPAN’S YOSEGAKI HINOMARU FLAGS

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RETURNING THE SPIRIT OF A SOLDIER: JAPAN’S YOSEGAKI HINOMARU FLAGS

Listen → https://hapticandhue.com/spirit-of-a-soldier/

--Yosegaki Hinomaru were good luck flags signed by the friends and families of Japanese soldiers going off to war. Soldiers carried them close to their hearts to remind them of their homes and families. Many became war trophies for Allied soldiers, who were under orders to search dead Japanese combatants. But now, after all these years, some of the families of veterans are seeking to return the flags to the Japanese families of the men who died on the battlefield. This is a difficult and often heart-rending moment, both for the family giving up the flag and for the Japanese family receiving back a small piece of cloth that represents the return of their relative’s spirit home after more than three-quarters of a century.--


This episode deals with war and loss, death and mourning.

Haptic&Hue → https://www.facebook.com/HapticandHue
  → https://hapticandhue.com/

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OBONスタッフ手記/北海道札幌市にて硫黄島戦没者遺族へ日章旗を返還(OBON staff's Note. Returning the remains of the war dead in Hokkaido)

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OBONスタッフ手記/北海道札... OBONスタッフ手記/北海道札... 手でおにぎりの少し小さいくらい... 手でおにぎりの少し小さいくらいの輪を作って石ころの大きさを教えて下さいました。 OBONスタッフ手記/北海道札... OBONスタッフ手記/北海道札...
捜索班の工藤です。令和4年10月30日に北海道古平町出身の日本海軍兵士「可児徳美」命の日章旗を返還する為、兵士の義理の娘さんと兵士のお孫さんが待つ、札幌市内のお宅へ行って来ました。

「可児徳美」命は昭和20年3月17日に大東亜戦争激戦の地、硫黄島で散華されました。昭和20年3月17日は硫黄島守備隊指揮官「栗林中将」が ー皇国の必勝と安泰を念願しつつ全員壮烈なる攻撃を敢行する。~ ここに将兵とともに謹んで聖寿の万歳を奉唱しつつ、永久のお別れを申しあぐー と大本営へ訣別電報を送った翌日です。大本営はこれを受け「17日に硫黄島守備隊が玉砕」と発表しました。

OBONでも本当に多くの硫黄島戦没者の遺霊品の返還を行ってまいりました。思い返せば皆さんこの17日に命を散らされております。どれだけ激しい戦闘が繰り広げられたのか想像するに胸が痛みます。

徳美さんは4人兄妹の次男で、出征前は奥様の綾子さん(平成5年没)と古平の地で暮らされておりました。今回返還された日章旗は私が見てきた他の日章旗とは明かに違い、日の丸の赤い部分は別の布で奇麗に縫い付けられてありました。きっと思いを込めて縫い、兵士に持たせてあげたのだと思います。

返還時に珍しい仕立ての旗ですよ。とこの事を説明すると義娘さんは「徳美さん夫婦は洋服の仕立て屋さんだったんですよ」「几帳面で仕立て屋さんらしいですね。。」と縫い目に指を這わせながら涙ぐまれていました。お孫さんも「本当におじいちゃんらしい旗」とおっしゃてました。

旗を受け取られた義娘さんは御年81歳。返還前には「私が亡くなる時はこの旗も一緒に棺に入れてもらって一緒に持って行こうと思うんです」と仰ってたのですが、今回、返還にお孫さんが立ち会われた事で「これで徳美さんの事を次の世代に語り継いでいけますね。徳美さんの従弟がまだ存命ですし、他の孫もいますので皆さんに見て頂いてこの先どのようにしようか考えたいと思います」と旗を後世に残すように考えてくれているようでした。

「戦後にどなたかが『硫黄島から石を持って帰ってきたから。これをお墓に』と言って可児の家に石を届けて下さった方がいまして。ご自身の手でおにぎりの少し小さいくらいの輪を作って石ころの大きさを教えて下さいました。(写真)

「古平には他にも硫黄島で亡くなった兵隊さんがいるのですが、その方には石も何も届けられなかったのに。。可児の事を気に留めて下さった戦友の方でしょうか。。以来、50年法要までその石を徳美さんと思い手を合わせてきたんです。50年法要の時に「もう十分でしょう」という事でお墓に仕舞ってしまいましたが、こんな形でまた徳美さんに触れる事ができるなんて思ってもみませんでした。」

娘さんもお孫さんも今回の事を本当に喜んでいただけてるようでした。
この度の返還誠におめでとうございます。
https://www.facebook.com/OBONSOCIETY/posts/pfbid0swwYB4Co2Cy9JW3ENFD2FgJjyECRPRMKPDPQBAF44LdF4HyUWwhRXomcnpD9yuUPl

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西日本新聞/日章旗遺族に返還(Japanese Newspaper featured Flag return in Saga Prefecture )

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西日本新聞/日章旗遺族に返還(...
令和4年10月11日、佐賀県神埼市脊振で執り行われた「佐藤守男」命日章旗返還式について西日本新聞が記事を掲載して下さいました。

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Kyodo News has distributed the English version of 「日本兵の遺書、家族どこに/Letters of fallen WWII Japanese soldiers found in U.S.」

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Kyodo News has ... Kyodo News has ... Kyodo News has ...
Several letters written by Japanese soldiers who perished on an island in Indonesia during World War II have been found in the United States.

The Japan-War Bereaved Families Association received a request from a U.S. nonprofit organization that has been working to return the letters from soldiers addressed to their families in Gifu, Fukuoka, and Nagasaki prefectures. Despite their best efforts, the organization has so far been unable track down some of the families.
Naoichi Takagi's letter addressed to his wife in Oroshi, Gifu Prefecture. (Photo courtesy of the Obon Society)(Kyodo)

Kosuke Kudo, 48, of the Obon Society, an organization based in the United States that works to return personal items to families lost during war, said he hopes to deliver the letters to convey the value of peace.

Howard Royal, 43, an Iraq War veteran from 2006-2007, said the letters from the Japanese soldiers were discovered by his father "all together in a leather satchel" about a year ago in his grandfather's attic in North Carolina.

Royal's grandfather, now deceased, was a U.S. Navy surgeon who is believed to have obtained the letters while exploring a cave on Wakde, part of an island group in Indonesia that was the site of a fierce battle between Japan and the United States in May 1944.
Photo of Howard Royal's grandfather, a U.S. Navy surgeon who discovered letters written by Japanese soldiers on Indonesia's Wakde island during World War II. (Courtesy of Howard Royal)(Kyodo)

"My grandfather arrived on Wakde island after a large air raid," Royal wrote in an email to Kyodo News. "When he had free time, he would explore the island's many caves. He found these letters in one of those caves," he said, adding that in his grandfather's correspondence to his grandmother, "he didn't say whether these letters were found on Japanese soldiers or in some (hidden) location."

Royal requested the JWBFA via the Obon Society to deliver them to the addressees written on the original letters, saying he felt they ought to be returned to their families, otherwise they may never know of their existence. Of five letters found, two were successfully returned to their respective families.

Of the three remaining men's letters, locating their families is proving difficult. One letter dated Sept. 21, 1943, and written by Naoichi Takagi is addressed to his wife in the town of Oroshi (currently part of Toki city, Gifu Prefecture). He writes to her that "Now, for the first time, I want to thank you from the bottom of my heart."

Takagi asks her to "competently raise" the couple's three children "with your own hands."

Another, written by Iwao Harada to a lady who appears to be his mother, Mrs. Tome Harada from Inasamachi, Nagasaki Prefecture, reads, "I believe participating in the Greater East Asia War and becoming a heroic spirit to protect the country is the greatest act of filial piety."

The final two letters are the written "wills" of Torakichi Yano from Fukuoka Prefecture, with one addressed to his wife and children, the other to his parents.
According to the JWBFA, all three men belonged to the army's independent field anti-aircraft 40th company and died on Wakde Island on May 20, 1944.

Gifu Prefecture's Bereaved Families Association is searching for Takagi's surviving family members, but a man believed to be his son appears to have moved away from Gifu some 20 years ago, making his whereabouts unknown. Similar obstacles in finding the families of Harada and Yano have occurred.

While residential records kept by local governments can be used as clues to find the family members listed in the addresses, significant holdups can occur due to the necessary undertaking of bureaucratic procedures associated with disclosing personal information.

Royal, who himself lost many friends on the battlefield in Iraq, said he hopes to "return these items to the families that they were meant for."
Commenting on the discovered letters, the Obon Society's Kudo remarked that "There are now only a handful of people who experienced the war, so it is important to let the next generation learn about the value of peace through mementos."

https://english.kyodonews.net/news/2022/10/11136616fb96-feature-letters-of-fallen-wwii-japanese-soldiers-found-in-us.html?fbclid=IwAR29B33XXra2tgQckxTiJhflh6DEsGFnFFlEWLRoT9dqyIa8-RnQ6t3GFyo

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佐藤守男命日章旗返還式に参列したアレクサの手記/佐賀県で戦没者遺霊品を返還(Returning the remains of the war dead in SAGA)

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佐藤守男命日章旗返還式に参列し... 佐藤守男命日章旗返還式に参列し... 佐藤守男命日章旗返還式に参列し... 佐藤守男命日章旗返還式に参列し... 佐藤守男命日章旗返還式に参列し... 佐藤守男命日章旗返還式に参列し... 佐藤守男命日章旗返還式に参列し... 佐藤守男命日章旗返還式に参列し... 佐藤守男命日章旗返還式に参列し... 佐藤守男命日章旗返還式に参列し... 佐藤守男命日章旗返還式に参列し... 佐藤守男命日章旗返還式に参列し...
佐藤守男命日章旗返還式雑感 「Alexandra De Leon」

ーアレクサンドラさんは現在、「寄せ書き日の丸」など日本兵の遺品を通じ、日本史の博士号を取得すべく米国から来日している上智大学の客員研究員ですー
原文は英文ですが下部にOBONスタッフが翻訳した日本語があります。
ーーーーーーーーーー
ーSaga Flag Return CeremonyーAlexandra De Leon
This past Tuesday, October 11, 2002, I had the honor of attending a ceremony to return a yosegaki hinomaru to the family of a Japanese soldier in the small town of Sefuri-machi in Kanzaki City, Saga prefecture.
As a PhD student in Japanese history, I have been studying the return of personal items of Japanese soldiers taken as war trophies during WWII since 2018, but this was my first time attending a return ceremony in person.
Satou Yoshiko received the flag of her brother-in-law who died in WWII, Satou Morio. The ceremony took place at the school he had attended as a boy in Sefuri-machi. She stated that they never received his remains and had no other personal effects of his left, so this is a precious last relic.
This ceremony was unique because it marked the first time that a war souvenir was returned to Japan from an American military institution, the New Mexico Military Museum. During WWII, the 200th Coast Artillery, based out of New Mexico, became a part of the Bataan Death March, and the legacy of that experience still lingers in the local community.
It is especially powerful that this community and the New Mexico National Guard decided to repatriate the flag. To me, this return is not only a gesture of peace and friendship between the US and Japan, but an act of empathy - a choice to see Japanese soldiers and their families as not fundamentally different from American ones, but the same. A choice to recognize their shared desires to mourn and honor their deceased loved ones.
In a video message played at the ceremony, Margaret Garcia, the daughter of a Bataan Death March survivor who was instrumental in returning the flag, stated that the flag is being returned not just to a person, but from one community to another.
After the ceremony, I saw community members gather to look at the flag and read the messages, which had been transcribed into modern Japanese. Some recognized the names on the flag as neighbors or family members. I could feel the connection between the local community and the deep history of the flag, and I felt that Margaret Garcia’s words were correct.
What it means to honor the dead, especially those who died in battle, is a question that can be fraught with political, cultural, and emotional tension. But acts of empathy, like returning this yosegaki hinomaru, have a way of connecting people across generations and cultures, to remind us of not only our shared grief and loss, but also our shared humanity.
ーーー日本語訳---
佐賀での日章旗返還式「アレクサンドラ ディ リヨン」
去る2022年10月11日(火)、私は佐賀県神埼市の脊振町という小さな町で、日本兵の遺族に寄せ書きの日の丸を返還する式典に出席する栄誉を得ました。
日本史の博士課程に在籍する私は、2018年から、第二次世界大戦中に戦利品として取得された日本兵の遺品の返還について研究しています。実際に返還式に参加するのはこれが初めてでした。
佐藤淑子さんは、第二次世界大戦で戦死した義兄、佐藤守男命の旗を受け取られました。式典は、彼が少年時代に通っていた脊振町の小学校で行われました。遺骨は還らず、遺品も無いので、この日章旗は貴重な遺品になったそうです。
この式典は、ニューメキシコ軍事博物館というアメリカの軍事施設から、戦利品である遺品が初めて日本に返還された、特別なものでした。第二次世界大戦中、ニューメキシコ州を拠点とする第200沿岸砲兵隊はバターン死の行進の一員となり、その体験は今でも地元に遺恨を残しています。この地域社会とニューメキシコ州兵が旗の返還を決定したことは、とても大きな意義があります。
私にとって、この返還は、日米間の平和と友好の証であるということだけでなく、アメリカ兵が日本兵とその家族を根本的に異なる対象として見るのではなく、同じ人間同士として見るという思いやりの行為であり、亡くなった方々を悼み、称えようという共通の願いがあることを認識するものだと思います。
式典で流れたビデオメッセージの中で、バターン死の行進の生還者の娘であり、旗の返還に尽力したマーガレット・ガルシアさんは、旗は単に個人に返還されるというのではなく、一つのコミュニティから他のコミュニティへ返還されるのだと述べています。
式典の後、地域の人々が集まって旗を眺め、現代日本語に書き直されたメッセージを読んでいるのを見ました。中には、旗に書かれている名前を近所の人や家族だと認識している人もいました。地域社会と旗の深いつながりを感じ、マーガレット・ガルシアさんの言葉は正しいと思いました。
亡くなられた方、特に戦死者を称えることは、政治的、文化的、そして感情的な緊張を伴う問題にも成り得る。しかし、この寄せ書き日の丸を返すという思いやりの行為は、世代や文化を超えて人々をつなぎ、悲しみや喪失感を共有するだけでなく、人間らしさを共有することも思い出させてくれるものなのです。

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