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京都新聞/旧日本兵の日章旗、米から遺族のもとへ 大津で返還式(Japanese Newspaper featured flag return in Shiga)

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京都新聞/旧日本兵の日章旗、米...
旧日本兵の日章旗、米から遺族のもとへ 大津で返還式
太平洋戦争時に戦地に赴くなどした県内出身の旧日本兵三人の遺品の日章旗が、遺族の元に返還された。二十七日、大津市におの浜のアヤハレークサイドホテルで県遺族会主催の返還式があり、三日月大造知事が遺族三人に日章旗を手渡した。 
写真:遺品の日章旗を受け取った遺族ら=大津市におの浜のアヤハレークサイドホテルで
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中日新聞/戦死した祖父の遺品、祖国へ 神岡の橋詰さん、米団体から日章旗返還(Japanese Newspaper featured flag return in Gifu)

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日章旗の返還を都竹市長(左)に... 日章旗の返還を都竹市長(左)に報告した橋詰克也さん(中)ら=飛騨市役所で
戦死した祖父の遺品、祖国へ 神岡の橋詰さん、米団体から日章旗返還


 第二次世界大戦で戦死した、飛騨市神岡町の橋詰運平(かずへい)さんの遺品の日章旗が一月下旬、米国のNPO団体「OBONソサエティ」から、孫にあたる同町の橋詰克也さん(58)の元に返還された。

 運平さんは一九一二年生まれで、四四年七月十八日にサイパン島で戦死。運平さんの遺品はなく、長男で克也さんの父の哲雄さんも、四年ほど前に亡くなったという。

 遺品の日章旗は、米国人が保管しており、旧日本兵の遺留品返還に取り組む同団体が遺族を探していた。飛騨市遺族連合会を通じて連絡を受けた克也さんが、受け取りを希望して、返還が実現した。返還された旗には「必勝」などの文字とともに、当時の区長や住民らの氏名およそ六十四人分が書かれている。

 今月二十五日には、克也さんと市遺族連合会の水谷兼太郎会長代行が市役所を訪れ、都竹淳也市長に経緯を報告。日章旗を見た都竹市長は「八十年近くたっても、戻ってくるのがすごい。(旗から)思いを感じる」と話した。

 克也さんは「『こんなことがあるんや』と、信じられない気持ちでいっぱい」と思いを吐露。運平さんの長女・道子さんが現在、愛知県春日井市に住んでいるといい「まず、春日井に送って見てもらい、春になったらお墓参りをしたい」と話した。 

https://www.chunichi.co.jp/article/425126
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NHK【戦跡】79年ぶりに帰ってきた兄ちゃん(NHKfeatured flag return in KITAMI HOKKAIDO )

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北見市に住む中股かず子さん 北見市に住む中股かず子さん 学生時代の新江繁規さん 学生時代の新江繁規さん 新江さんと許嫁 新江さんと許嫁 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ... 1942年のガダルカナル島 1942年のガダルカナル島 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ... 新江さんの戦死を伝える文書 新江さんの戦死を伝える文書 新江さんの昇進伝える文書 新江さんの昇進伝える文書 元兵士から送られてきた兄の写真... 元兵士から送られてきた兄の写真を見つめる中股さん 日章旗を返還したシェルトンさん... 日章旗を返還したシェルトンさんの写真の前で話す中股さん マーク・シェルトンさん マーク・シェルトンさん シェルトンさんからの手紙 シェルトンさんからの手紙 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ... シェルトンさんと孫のジョセフ君 シェルトンさんと孫のジョセフ君 戦死したジョセフ・シェルトンさ... 戦死したジョセフ・シェルトンさん 手紙を読む中股さん 手紙を読む中股さん 中股さんに別れのあいさつをする... 中股さんに別れのあいさつをするシェルトンさんとジョセフ君 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ...

79年ぶりに帰ってきた兄ちゃん(2022/2/2 北見局記者 徳田亮祐)

「ああ、兄ちゃんが帰ってきた」

ぼろぼろに破れて色あせた日章旗を受け取った時の気持ちを女性はそう語りました。

令和3年(2021年)11月、アメリカから北海道北見市に住む女性のもとに、突然、日章旗が届きました。79年前、太平洋戦争の激戦地ガダルカナル島で23歳の若さで戦死した兄が持っていたものでした。

日章旗を「兄ちゃん」と呼んだ女性は、戦後をどのように過ごしてきたのだろう。
そして、なぜ、旗はアメリカから突然返還されたのだろう。
多くの疑問を解くため、「79年ぶりの兄の帰還」の取材を始めました。

「兄ちゃん」のことが知りたい

日章旗を「兄ちゃん」と呼んだ女性、北見市常呂町に住む中股かず子さん93歳。
自宅を訪ねると、「兄ちゃん」の新江繁規さんのアルバムを見せてくれました。
繁規さんは9人きょうだいの長男だったそうです。



中股さん
「兄ちゃんはラッパを吹いたりスキーをしたりするのが好きでした。成績もみな「甲の上」をとっていて、すごく優秀でした。だから、お父さんも兄ちゃんの通知表だけは大事にとっていました。きょうだいみんなでお風呂に入る時、兄ちゃんに入れてもらったりしてね。本当にいい兄ちゃんだったと思います」


さらに中股さんは、繁規さんと和服姿の女性の写真を見せてくれました。
女性は繁規さんの許嫁でしたが、2人が結婚することはありませんでした。
繁規さんが今の旭川商業高校を卒業したあと、結婚前の21歳で徴兵されたからです。
そして繁規さんは、日本陸軍でも屈指の精鋭と呼ばれた旭川の一木支隊に配属されました。


中股さん
「私が13歳の時、兄ちゃんが入隊することになって網走まで送りました。それが兄ちゃんと会った最後ですね。兄ちゃんが汽車の窓からね、上半身を大きく出して『みんなで自分の分まで親孝行してくれ』と言ってくれました。戦争はだんだんひどくなる時でしたからね。もうこれで会えないんだなと思いました」



昭和17年(1942年)8月、繁規さんの部隊はわずか900人余りで、1万人のアメリカ海兵隊に占領されたハワイとオーストラリアの間にある要衝、ガダルカナル島の飛行場の奪還作戦に投入されました。
軍部の甘い見通しで10倍の兵力に挑んだ結果、隊員の8割以上が戦死し、ほぼ全滅しました。

中股さんが兄、繁規さんの戦死を知ったのは、4か月後の昭和17年12月11日でした。
父のもとに文書が届けられ、兄がガダルカナル島で頭部を撃たれて死亡したことだけがわかりました。



当時の東条英機総理大臣の名義で、繁規さんが戦死した日に陸軍中尉に昇進したと伝える文書も届きましたが、遺骨や現地で身につけていた遺品は一切届きませんでした。

前途洋々の若者の命を奪いながらも「紙」が送られてきただけだったということに、私は怒りを感じましたが、中股さんは「時代」という言葉とともに静かに「しかたがない」と、心情を語ってくれました。

中股さん
「戦死の公報を受け取った父は、兄が亡くなったと言って涙をこぼしていました。あの時はみんな亡くなったら『お国のためだから』という時代だから。『お国にご奉公した』と言っていました」


繁規さんはガダルカナル島でどのような最期を迎えたのか。かつて、ガダルカナル島から生き延びて帰国した別の元兵士から、写真とともに、『繁規さんが戦死したのに、自分は何の役にも立たず、おめおめと生き延びてしまい申し訳ない』と書かれた手紙が届いたことがありました。中股さんは兄の最期を知りたいと思いましたが、送り主の名前も住所も書かれていませんでした。
心の傷が完全に癒えることがなかったという中股さんでしたが、そんな時に突然、アメリカから送られてきたのが、兄の日章旗でした。

中股さん
「ガダルカナル島は激戦地だったので旗が戻るとは夢にも思わなかった。きっと旗を体に巻いていたんだと思う。弾があたったりして、旗が破けちゃったんだと思って。旗を受け取った瞬間、どすっと重たかった。それで『ああ、兄ちゃんが帰ってきた』と思った。この一枚の旗がね、本当に重たかった」

この時になって初めて私は、中股さんにとっては「旗の返還」ではなく、「79年ぶりの兄ちゃんの帰還」なのだと知ることができました。

手を握ってお礼を伝えたい

中股さんの話を聞いていると、居間の目立つところに孫やひ孫の写真と一緒に、ある家族写真が飾ってあるのに気づきました。
写っていたのは、日章旗を返してくれた65歳のアメリカ人、マーク・シェルトンさんとその家族でした。

ルイジアナ州に住むシェルトンさんは8年前、父の遺品を整理していたところ、クローゼットで旗を見つけたといいます。その後、テレビ番組で日章旗のことを知り、自身で経緯を調べた結果、旗は21年前に亡くなったシェルトンさんの親戚が、戦利品としてガダルカナル島から持ち帰ったとみられることがわかりました。
シェルトンさんは、日章旗の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」に相談します。そして、旗は、出征する兵士のために一人一人が心を込めて寄せ書きをしたもので、多くの遺族が見つかることを待ちわびていると知り、NPOに託したといいます。

中股さんは、旗とともに送られてきたシェルトンさんの手紙を大事に保管しています。

シェルトンさんが中股さんに宛てた手紙
「親愛なる中股さま。
 お兄様が生きた確かな証である日章旗が故郷にかえってくることで、あなたやご家族、そして私自身にも、喜び、平和、そしてある意味、心の平穏がもたらされることを願っております。マーク・シェルトンより」

取材中、中股さんは、「年も年だし、アメリカに行くことは難しいが、本当はシェルトンさんの手を直接握ってお礼を伝えたい」と、たびたび話してくれました。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大もあり容易にアメリカには行けない状況です。私は繁規さんの遺影を見ながら、「何かできることはないか」と考えるようになりました。

それと同時に、私はシェルトンさんの手紙に「アメリカ軍人として自国のために誇りをもって戦った私の親族のことをあなたに知って頂ければ幸いです」、「旗のことを一生懸命に調べていると、私の心の中でたくさんの疑問や感情が混ざり合いました」とも書かれていたことが気になりました。
シェルトンさんは、どうしてかつての敵国である日本にわざわざ旗を送り返したのだろうと。

私にできることは・・・
中股さんの話を聞いた私は、NPOを通じてシェルトンさんと連絡を取り合い、2人がオンラインで話す場を設けることを提案しました。
シェルトンさんも「ぜひ中股さんと話がしたい」と応じてくれ、令和3年12月に実現しました。
私は、2人が対話する中で、シェルトンさんが日章旗を送る決断をした背景もわかるのではないかと思いました。


ひらがなで「こんにちは」と書かれたフリップを片手に持ち、笑顔であいさつをしたシェルトンさん。隣にいた孫を、中股さんに紹介しました。

シェルトンさんの孫
「僕の名前はジョセフです」

シェルトンさん
「孫のジョセフの名前は、私の叔父ジョセフ・シェルトンにちなんでいます。
 あなたのお兄さんと同じように戦争から帰ってきませんでした」

シェルトンさんには旗を持っていた親戚とは別に、戦争に参加したジョセフ・シェルトンさんという叔父がいました。昭和20年(1945年)に名古屋の空襲に参加した際に撃墜されて捕虜となり、その後、処刑されたといいます。

シェルトンさんの手紙に書かれていたのは、このことだったのです。

しかし、シェルトンさんはかつての敵国である日本に旗を返すことに、全くためらいはなかったといいます。
国は違えど、家族や親戚を戦争で失った遺族の悲しみは同じだと考えたからです。

シェルトンさん
「戦争に巻き込まれたのは『人間』なのです。私よりも前の世代が日本に対して厳しい感情を持っていることは知っていますが、私の世代や若い世代は、過去に何があったのかを受けとめ、次に進む準備が出来ています」

「思いはみんな一緒」

中股さんはこの日のために用意した手紙をシェルトンさんに読み上げました。

シェルトンさんに宛てた中股さんの手紙
「親愛なるマーク・シェルトン様へ
シェルトンさんのご家族の写真をいただき、毎朝『おはようございます』と声をかけています。私は1人暮らしの93歳という年寄りです。おかげさまで元気です。
日章旗は兄が身につけていたもので、兄が帰ってきてくれたのと同じです。これからは仏前で毎日兄と会えるのです。兄との昔の思い出を思い出しながら暮らしていきたいと思います。長生きしてよかったなとつくづく思います。
捨てられてもしかたないほどにぼろぼろな旗なのに、捨てずに返して下さいましたシェルトン様に心よりお礼申し上げます」

手紙を読んでもらったシェルトンさんは「とてもうれしく光栄です」と応じ、中股さんがアメリカに来たらアメリカンフットボールの観戦に案内したいと笑顔で話していました。中股さんも涙をぬぐいながら「いつか北海道に来て下さい。私が生きている間にお会いしたい」と、別れのあいさつをしました。

マスク越しでも、中股さんがほほえんでいたのがわかりました。

中股さん
「戦争中、アメリカのことはただ、敵国だという気持ちでした。だけど、終戦になって、こうやってじかにシェルトンさんのお話を聞かせてもらい、お互いにたくさんの方が亡くなっているんだから、思いはみんな一緒だと思いますね。だから戦争だけはもう2度とないように、ない世界になってほしいです」

取材を終えて
中股さんは「今の時代とは違い、当時は戦死したら『おめでとう』という人もいた。家族は涙を流しても外では誰にも言えないような時代でした」と話していました。だからこそ、そのような「時代」に後戻りしないよう、戦争だけはやめてほしいという訴えは、胸に響きました。

そして、中股さんは、旗がどれぐらい大事なものなのか、私に教えてくれました。今にもちぎれそうな旗が、「どすっと重たかった」こと、そして中股さんが毎日仏壇の前で優しかった「兄ちゃん」に会っていることを。

一方で中股さんは「兄ちゃん以外にも戦死した人はたくさんいる。1人でも多くの人に遺品が届いてほしい。私ばかりよくしてもらって申し訳ない」とも話していました。
中股さんのように遺品が返ってくるのを待っている方々は今も全国にいます。遺族が高齢化する中、1つでも多くの遺品が早く見つかり、遺族の手元に返されてほしいと思います。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_139.html?fbclid=IwAR2yEr8J8H-I9lbSf3yqRg_IC20a2GCewSUMYZZLtvvARmlHNhC3A-6Qv4Q
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【STARS AND STRIPES】 Navy vet’s daughter returns Japanese flag taken as war trophy from Battle of Okinawa.

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【STARS AND STRI...
Navy vet’s daughter returns Japanese flag taken as war trophy from Battle of Okinawa.

TOKYO — A Japanese flag, brought to America by a U.S. Navy sailor from the Battle of Okinawa, has been returned to the family of the soldier who carried it into battle more than three quarters of a century ago.

The signature-covered flag, brought home from the war by James Ellis Mercer, was returned by his daughter Linda Hahn, 72, of Concord, Calif.

Many Japanese soldiers carried the red and white flags inscribed with names and messages from family and friends for good luck.

The flag was accepted by Yoshinori Goto, 45, of Oita city, the grandson of Kesaji Goto, a Japanese Imperial Army soldier who carried the flag and died July 1, 1945, on Okinawa. The ceremony, which Hahn didn’t attend, took place Jan. 16 at the Gokoku Shrine in Oita.

Mercer, a machinist’s mate from Goodland, Kan., served aboard the seaplane tender USS Bering Strait. The warship supported aircraft that rescued dozens of downed airmen and sailors from stricken vessels during the Battle of Okinawa from April to June 1945.

The flag was folded inside an album of war photographs left by Mercer, who died in 2003 at age 83, Hahn said in a telephone interview Wednesday.

The family knew he served on Okinawa but not many other details of his wartime experience.

“He never talked about it,” Hahn said. “I don’t think it was a real happy time for him.”

After the war, Mercer set up a machine shop and worked on heavy vehicles such as forklifts and trucks, she said.

A retired bank employee and mother of one, Hahn contacted the Obon Society in September after hearing about their work from a friend. The nonprofit group helps veterans and their families return old war trophies like flags and swords.

“I thought in my heart that if the situation were reversed and it was my son who was getting something from my father, I would want that,” she said.

The society tracked down Kesaji Goto’s relatives within a couple of months. Goto was from Fujiwara village in Oita prefecture. His name is written on the flag in kanji characters.

“I am thankful that they had kept it until now and even decided to return it,” Yoshinori Goto, an employee of the Oita prefectural government, told Stars and Stripes by phone.

Kesaji Goto died in his early 30s and left behind a wife and 1-year-old son, his grandson said.

The family tomb includes an engraving of Kesaji Goto’s name. So does a monument at the Peace Memorial Park on Okinawa, Yoshinori Goto said.

The family kept a photo of their fallen relative but didn’t talk about him a lot. It was a surprise when the War-Bereaved Families Association contacted them about the flag, he said.

Some Japanese relatives of war dead, citing little or no connection with the original owners, decline to receive returned flags, but Goto had no hesitation accepting it, he said.

The news was “a bolt out of the blue,” he said. “I definitely wanted to receive it.”

The flag includes his father’s name, Shoji Goto, between his grandparents’ names.

“This shows that my father was either born or at least his name was picked when my grandfather went to war,” he said.

The flag’s return gave him a chance to talk about his grandfather with his children, he said.

“I hope people will take an opportunity to think about peace,” Yoshinori Goto said.

Although he had seen a photograph of the flag before receiving it, it felt different touching it, he said. “It tells a story,” he said. “I felt the soul of my grandfather.”

HANA KUSUMOTO - https://www.stripes.com/theaters/asia_pacific/2022-02-03/japanese-flag-return-battle-of-okinawa-us-navy-world-war-ii-4571775.html?fbclid=IwAR1dUu7qKMExYMkOPGvNQ-942W0H0sBxP2GlkzKJWCpC51-HDNxiWbmycwI
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Mainichi Newspaper featured recent successful personal remain "Yosegaki Hinomaru" return in Oita..

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Mainichi Newspaper featured r...
WWII soldier's good-luck flag returned from US to grandson in southwest Japan

OITA -- A Japanese flag thought to have been taken to battle by a soldier who died fighting in Okinawa Prefecture during the Pacific War's last days was returned to his grandson in the southwest Japan city of Oita on Jan. 16.

Upon receiving his grandfather's flag over 70 years after the war, Yoshinori Goto, 45, an Oita Prefectural Government employee, renewed his determination for peace, saying, "We have to pass down the horror of war."

According to Yoshinori, his grandfather Kesaji Goto left his village of Fujiwara -- now part of the town of Hiji -- in Oita Prefecture for the front. Kesaji is known to have belonged to the 12th Independent Infantry Battalion of the 44th Independent Mixed Brigade, but details including exactly when he went off to war are reportedly unknown. He is believed to have died in his 30s on July 1, 1945.

On the good-luck flag are messages to Kesaji including the word "Buunchokyu (long-lasting good luck in battle)." It is thought to have been taken to the U.S. by then Marine James Ellis Mercer, and was kept by his daughter Linda Hahn.

The Obon Society, an American nonprofit organization whose activities include returning Japanese flags, inquired with Oita Prefecture's association of war-bereaved families about the flag. Kesaji's family was then identified.

The flag's handover ceremony was held at Gokoku Shrine in Oita Prefecture on Jan. 16. With the flag in his hands, Goto said, "I'd like to say, 'Welcome back,' to my grandfather," and solemnly added that he felt the weight of history.

(Japanese original by Nao Ishii, Oita Bureau)

https://mainichi.jp/english/articles/20220120/p2a/00m/0na/025000c?fbclid=IwAR0YV5UtY0U7GJzqpsoUi8Nhnw5TVraDqscP6tfwYh6PWedClv-QHbi4q-k
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朝日新聞/沖縄で戦死した祖父の寄せ書き日章旗 遺族のもとへ(Japanese Newspaper featured flag return in OITA)

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朝日新聞/沖縄で戦死した祖父の... 朝日新聞/沖縄で戦死した祖父の...
沖縄で戦死した祖父の寄せ書き日章旗 遺族のもとへ

第2次大戦中に沖縄本島で戦死した大分県藤原村(現日出町)出身の元日本兵後藤今朝治さんの遺品の日章旗が、遺族のもとに戻ってきた。米兵が米国に持ち帰っていたが、民間団体の仲介で戦後76年たって返ってきた。

孫の辰徳(よしのり)さん(45)=大分市松が丘=によると、今朝治さんは、辰徳さんの父である生後間もない長男を残し、1945年7月1日に沖縄本島で、30代前半で戦死したという。そのため、祖父がどのような人物だったかは、父親から聞かされることもなかった。

日章旗は、今朝治さんが出征する際に家族や身近な人が寄せ書きなどを添えて贈ったものとみられ、祖父や祖母の名前と、生後間もない辰徳さんの父の名前も記されていた。「大和魂」「男子乃本懐」のメッセージと一緒に、多くの人の名前もあった。

日章旗は、米カリフォルニア州のリンダ・ハーンさんが、米兵だった父の遺品として所有していた。戦時中の遺品を遺族のもとに戻す活動をしている米国の「OBONソサエティ」から日本遺族会を通じて調査依頼があり、大分県遺族会連合会や藤原遺族会の協力を得て持ち主が分かった。

16日、大分市の県護国神社であった返還式には、辰徳さんと妻美穂さん(47)が出席。県遺族会連合会の末光秀夫会長が「日章旗は、最期まで肌身につけていた戦没者の魂。家族に会いたいという思いで、返ってきたと思う」と語った。

返還式では、日章旗を保管していたハーンさんのメッセージも披露された。ハーンさんは「この旗があなた方を少しでもお慰めできますよう望んでいる。旗があなた方のもとへ帰っていくことは、私への慰めにもなります」とつづった。

辰徳さんは「きっとこの日章旗は祖父が最期まで、離さず持っていたのでしょう。これを見ると、戦争の悲惨さや平和の大切さを改めて強く思います」と語った。 https://www.asahi.com/articles/ASQ1K725LQ1JTPJB002.html?fbclid=IwAR0zCzJRxn5yZ9xgdisoqCdRnFORimsjNZu_CNEJCPCM01T6NlT1oE_o40g
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河北新報/ 父の日章旗、息子に返還 石巻の亀山さん(Japanese Newspaper featured flag return in Miyagi)

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河北新報/ 父の日章旗、息子に...
父の日章旗、息子に返還 石巻の亀山さん
2022年01月07日 10:48

太平洋戦争の激戦地、ガダルカナル島に軍属として参戦した旧稲井村井内の亀山實夫(みつお)さんの日章旗が昨年12月21日、長男の桂太さん(69)=石巻市のぞみ野1丁目=に返還された。亀山さんはガ島でマラリアにかかり日本に帰還、戦死を免れた。桂太さんは「父が生きて帰れたのは日章旗のおかげ」と話した。

日章旗の返還は日本遺族会などを通じて実現した。ガダルカナル島などの戦闘に参戦した元米海兵隊員が持ち帰り、戦没者の遺留品の返品を進める米国のNPO「OBONソサエティ」が保管していた。

石巻市社会福祉協議会であった返還式で、県連合遺族会石巻市支部の鈴木喜美男支部長が「戦争の悲惨さ、平和の尊さを次の世代に語り継いでほしい」とあいさつし、日章旗(横100センチ、縦70センチ)を桂太さんに手渡した。

亀山さんは高校を卒業後、都内の石材問屋に就職。軍属として出征し兵舎の建設に携わったという。出征前に書かれた日章旗には、無事を祈る「武運長久」や、「祈る健闘」などの寄せ書きがある。

マラリアにかかりガ島から生きて日本に戻った亀山さんは戦後、戦争のことはほとんど話をしなかったという。1974年に病気で50歳で亡くなった。

日米開戦から80年の年に父親の日章旗が戻ってきた奇跡に驚く桂太さん。「戦争は駄目。何もいいことがない。これを機会に子ども、孫たちに平和の尊さを語り継いでいきたい」と語った。https://kahoku.news/articles/20220107khn000020.html
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読売・産経・朝日新聞社/千葉県流山市「赤城神社」に日章旗返還(Japanese Newspapers featured flag return in Chiba

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【千葉県】昨年の10月に千葉県流山市赤城神社に返還されました日章旗が同年末に神社氏子衆や参拝者に公開されました。県内3新聞社「読売・産経・朝日新聞社」と市の広報誌が取り上げて下さいました。
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朝日新聞/眠っていた戦勝祈願の日章旗76年ぶりに届くー記載を頼りに米国から(Japanese Newspaper featured flag return in Chiba

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戦後76年の時を経て返還された... 戦後76年の時を経て返還された寄せ書きの日章旗を持つ山崎政治さん=2021年12月27日午前11時20分、流山市 日章旗には当時社掌の佐久間亀蔵... 日章旗には当時社掌の佐久間亀蔵氏の名前が記されている=2021年12月27日午前11時22分、流山市 当時、若者が祈願に訪れた赤城神... 当時、若者が祈願に訪れた赤城神社はいま、数万人の初詣客で賑わう=2021年12月27日午後0時0分、流山市で
【千葉】戦時中に流山市の若者が北マリアナ諸島・サイパン島に出征する際、同市流山の赤城神社で戦勝祈願に贈られたと見られる寄せ書きの日章旗が戦後76年の時を経て今月初め、同市に届いた。受け取った同神社筆頭総代の山崎政治さん(84)は「これで若者もやっと安らかに眠れるだろう」と感無量だ。

 日章旗の返還活動を続けるアメリカの非営利団体OBONソサエティのレックス&敬子・ジーク共同代表から届けられたもので、同封の手紙には「多くの方々のご協力の元に赤城神社に所以(ゆえん)のある日章旗をお届けできる事を日米スタッフ一同大変喜ばしく感謝申し上げる次第です」と記されている。

 旗は縦約75センチ、横約85センチの絹製の布で、真ん中に日の丸が描かれ、右側に毛筆で「郷社赤城神社 社掌佐久間亀蔵」と書かれている。やや黄ばみ、折りたたまれた数カ所には虫に食われたような穴があるが、汚れは少ない。同市や山崎さんによると佐久間亀蔵氏は戦前、旧流山町の第6代町長を務めた後、昭和11年(1936年)から終戦ごろまで、同神社の社掌(宮司)を務めたという。

 旗には他に関係者の寄せ書きなどはなく、所有者がわかるような記載はない。山崎さんは旗について「神社周辺の顔見知りの若者ではなく、比較的離れた地区から1人で神社を訪れ、無事を祈願したのではないか」とし、「社掌の名前を頼りに送っていただき、大変ありがたい」と話す。同神社は現在、宮司が常駐していないため、昨年初めころ、OBONソサエティの日本組織から事前に問い合わせがあり、山崎さん宅に届いたらしい。
 レックス&敬子・ジークさんの手紙によると、神社に返還された旗はフロリダ州在住のノーマ・グレゴリーさんがサイパン島に従軍した元米兵が戦地から持ち帰ったのを譲り受け所有していたが、OBONソサエティの活動を知り、託されたのだという。

 ノーマ・グレゴリーさんからは「長い年月が経過してしまい誠に申し訳なく思いますが、返還が友好と平和への一助となりますよう心からお祈り申し上げます」というメッセージを伝えてほしい、と頼まれたとも記されている。

 OBONソサエティの活動概要によると、同組織は京都生まれで米オレゴン州アストリア在住の敬子・ジークさんが2007年に、祖父の寄せ書きの日章旗を返還されたことをきっかけに、夫のレックスさんと09年に「OBON2015」の名称で活動を開始。15年に首相官邸の安倍晋三首相を訪問し、翌16年に現在の名称に改めた。17年までの間に米退役軍人や家族から託された日章旗は400枚以上(※訂正2000枚以上)にのぼり、うち100枚以上(※訂正400枚以上)が返還されたとしている。山崎さんは近く、OBONソサエティに礼状を送るつもりだ。https://www.asahi.com/articles/ASPDY6RTPPDWUDCB00D.html?fbclid=IwAR1oTpauBqYIeA_ujlRWs3fSO6Gl4-_GPY0K0DEeI9F_ajfqB0bUI4EmNtU
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NHK world Japan featured backstories (NHKワールドJapan で記事が取り上げられました)

スレッド
Bethany Glenn and her late gr... Bethany Glenn and her late grandfather, John C. England
"Families on both sides of Pacific War find closure"
Dated Dec. 27, 2021 Yotsumoto Jun: NHK World Correspondent:

The families of people who die at war often find their grief is compounded by lack of closure. One American woman recently gave her grandfather a fitting sendoff decades after he was killed in the attack on Pearl Harbor. She's now helping families on the other side of that conflict find the same sense of release.

For more article, please click link below:
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/backstories/1845/
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