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  • 【日刊SPA!】戦地に散った日本兵の「寄せ書き日の丸」。戦後77年経った今も海外から遺族の元へ(Nikkan SPA! published an interview with OBON Society co-founder "Keiko & Rex Ziak".)

【日刊SPA!】戦地に散った日本兵の「寄せ書き日の丸」。戦後77年経った今も海外から遺族の元へ(Nikkan SPA! published an interview with OBON Society co-founder "Keiko & Rex Ziak".)

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戦地に散った日本兵の「寄せ書き日の丸」。戦後77年経った今も海外から遺族の元へ
今日は77回目の終戦記念日。その中で、外国にある日本兵の遺品を、日本の遺族に返還している「OBONソサエティ」(以下、OBON)という非営利団体がある。返還の中心となるのは「寄せ書き日の丸」と呼ばれる、出征する兵士に向けて家族や友人が名前やメッセージを書き込んだ日の丸の旗だ。その活動を通して、これから先の未来の平和を考えたい。代表のジーク敬子&レックス夫妻に話を聞いた。

「寄せ書き日の丸」に込められた意味

――「寄せ書き日の丸」は、当時の人にとってどんなものだったんですか?
ジーク敬子氏(以下、敬子):お守りのような物で、出征する人の心の支えとなってほしいという願いが込められたものです。先の大戦中、兵士が召集された際、家族や友人は「もしかしたらこの人は帰ってこないかもしれない」と考えます。その上で、心を込めたメッセージを日の丸に書いて渡しました。

――旗に「武運長久」の文字が多く見られます。

敬子:戦場での武運が長く続いて欲しいという思いが込められた言葉です。その裏には、実際には書けなかった「なんとか生きて帰ってきてくれ」という強い祈りも感じられます。「寄せ書き日の丸」を懐に携えて戦った兵士さん達は苦しい時も、一人じゃないと思えたでしょう。

――寄せ書きした国旗を渡して送り出すのは日本独特の慣習なのですか?
敬子:そうです。第二次世界大戦からではなく、日中戦争のあたりから存在が確認されています。

なぜ海外で長く保管され返って来るのか

――「生きて帰ってこないかもしれない」という思いもあるんですね。日本人にとっては大事な遺品ですが、なぜ敵国であった海外で何十年も保管されているのですか?
敬子:昔から、戦いで勝利したら敵国の旗を勝利のシンボルとして持ち帰るという風習は世界各地にありました。

そして、先の大戦では日本兵は部隊ごとだけではなく、ひとりひとりがお守りとして「寄せ書き日の丸」を持っていたので、米軍の兵士らは恰好の戦利品として持ち帰ったわけです。勇敢に戦って勝利した証として、終戦後も大事に持っている人が多くいます。

――それを「日本に返そう」という考えに至るにはどんな経緯があるのですか?
敬子:そもそも旗を持って帰る米国兵士達は、旗に書かれている日本語は読めません。
なので、多くの人は日本軍の指令や計画が書かれた軍所有のものだと思われていたようでした。

そこで、OBONを2009年に立ち上げてから、旗には、軍の指令などではなく、家族の願いや祈りが込められている、ということを広める活動をしてきました。
そうして世界へ発信するうちに「まさかそんな大切なものだったなんて!」と驚かれて、返還を申し出てくださる方が増えていきました。

【P2】

自身に起こった奇跡がOBONの始まり

――なぜこの団体を立ち上げようと思ったのですか?

敬子:私自身の体験によるものです。私の祖父は、兵士としてビルマ(現ミャンマー)へ出征し、帰らぬ人となりました。ですが、他の多くのご遺族と同様に、遺骨も遺品も何一つ返ってこなかったんです。戦死通知書と小石がたったひとつのみ送られてきただけだと、母から聞かされていました。

ですが、戦後60年以上がたったある時、祖父の寄せ書き日の丸が見つかりました。旗は戦後、カナダのとある古物収集家の手に渡ったそうで、その方が亡くなる寸前に「この旗を、日本の遺族に返して欲しい」という遺言を残されたようです。

その言葉を受けた息子さんが、日本に来た際に成田空港近くのホテルのコンシェルジュに事情を話して旗を託されたそうです。そこから約8か月後、まさに奇跡が重なって我が家に旗が帰ってきたんです。

――多くの方の思いがつながったのですね。

敬子:「もうおじいちゃんのことは心の中だけに」と思っていた中、祖父の名前やよく知っている近所の人の名前が書かれた旗が帰ってきて、本当にびっくりしました。

母は「おじいちゃんが諦めず、長い年月をかけて帰ってきてくれはった」と泣きながら言うんです。

――敬子さんはその時はまだ、「寄せ書き日の丸」という風習はご存知なかったんですか?

敬子:はい。なので「これは一体、何なのだろう」という思いでした。この旗が返ってきた経緯を考えると、奇跡が起こったとしか言いようがないとその時は思っていました。

その後、レックスと結婚することになって、この話を彼にしたんです。

歴史家である彼はこれに大変驚き、調べてみようということになりました。

すると「寄せ書き日の丸」は我が家の1枚だけでなく、まだまだたくさん海外に眠っているということがわかったんです。それならば、他のご遺族にも私たちが経験した奇跡を届けることができればと思ったのが始まりです。

それぞれの遺品にそれぞれの背景

――2009年に活動を開始して、これまでにどのくらいの遺品を返還されたんですか?

敬子:返還のご依頼を受けた約2200件の中で470件ほどが無事にご遺族のお手元へ戻られました。ですが、80年以上も前に作成された旗を手掛かりに、贈られた兵士さんのご遺族を探し出すのはやはり容易ではありません。

――最も印象に残っている返還はなんですか?

敬子:米国海兵隊として日本兵と戦ったマービンさんのものです。マービンさんは戦地から旗を持ち帰り、長年大切に保管されていました。そしてOBONの広報活動を通して「寄せ書き日の丸」の意味を知られ、ご遺族へ返還したいと希望されました。その後、日本のご遺族捜索の末に、旗の持ち主だった戦没兵士の弟さんと妹さん2人が見つかったんです。

――ご遺族も、まさかお兄様の遺品が70年以上経って返って来るとは思いませんよね。

敬子:ご遺族は、お兄様と別れた日のことも鮮明に覚えていらっしゃいました。サイパンで戦死したという通知のみが届き、どのように亡くなったかもわからず「苦しい最期でなければいいな」とずっと思われていたそうです。

――なるほど、そしてどのように返還なさったのですか?

敬子:マービンさんは「日本へ行って、この手で返したい」と希望されました。

ですが、93歳というご高齢のため体力面などの心配もあり、事前にお会いしてみることにしました。ご自宅を訪ねると、心身ともにお元気でいらっしゃることが分かり、一緒に日本へ行っていただくことにしたんです。

――アメリカの元兵士と会うご遺族の気持ちは、どのようなものだったのでしょうか。

敬子:マービンさんの、返還したいという思いと、はるばる日本に行って直接渡したいという誠意が伝わったようで、大変歓迎されました。弟さんはマービンさんをひと目見ただけで以心伝心したようで、二人は手をとりあって返還式典の会場まで一緒に向かわれるほどでしたね。

マービンさんは、戦地で旗を手にして持ち帰った時の様子をはっきり覚えていらして、ご遺族へ話されました。弟さんは記憶に残っている兄の匂いがするかもと思われたそうで、旗に顔を埋めて涙されていました。長年の心の終止符となったのか、マービンさんと固い握手を交わされていました。

【P3】

寄せ書き日の丸の返還が伝えること

――戦後77年、ご遺族がご高齢となる中で残り時間がないという感覚はありますか?

敬子:確かに、一番優先度の高い「兵士さんを直接知る方が存命のうちに返還する」という観点では、時間は差し迫っています。しかし、私たちが見ている展望はもう一つあります。

私自身、戦争は体験していませんし祖父とも直接会ったことがなく、旗が帰って来るまでは、祖父のことも戦争のことも他人事のように思っていました。しかし、返還をきっかけに戦争のことをしっかりと考えるようになりました。旗が帰って来る前と後では、戦争や平和、それからご先祖さまに対する考えが180度変わりました。

ですから、戦死された兵士さんを直接知る人ではなくとも、お孫さんやひ孫さんに返すことで戦争のことを考えるきっかけになります。さらに、旗が返って来る背景にある、かつては敵国であった国の人が「この旗をご遺族に返したい」と願われたことにも思いが至るわけです。

――私も今回の取材で、初めて海外の方の気持ちを知り、感動しています。

敬子:「寄せ書き日の丸」のメッセージは、「国を越え、時を経てもなお消えない家族を思う気持ち」だと思うんです。これからもさらに活動を広げていきます。

レックス氏からのメッセージ

最後に、敬子氏の夫であり同団体の共同代表であるレックス氏にも思いを語ってもらった。(通訳:敬子氏)

「すべてのアメリカ人は、国に仕える兵士に感謝と敬服の気持ちを持っています。 それだけでなく、ご遺族へ寄せ書き日の丸の返還を希望される方々は、アメリカ兵を思う気持ちと同様に、日本兵に対しても心からの敬意を払われています。

先の大戦が終わって75年以上。日本兵とそのご遺族を想い、寄せ書き日の丸を返還することが未来の平和へつながります」

 家族や友人が心を込めて書いた「寄せ書き日の丸」が、長い年月と国境を超えて返還される背景にある思い。私たちはそれを受け止めながら世界中の人と心で繋がり、未来の平和への誓いを新たにしなくてはいけない。<取材・文/Mr.tsubaking>
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