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日高日報/南方ガ島で戦死から79年 千人針帰る(Japanese Newspaper featured 「Sennin-Bari」 return in Chiba Prefecture )

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太平洋戦争で南方・ガダルカナル島に出征し、1943年(昭和18)1月6日、32歳で戦死した旧白崎村(現由良町)大引出身で陸軍伍長だった中谷正廣さんの「千人針」が見つかり、26日、町役場でめいの福田優子さん(79)=大引=に引き渡された。元米兵の家族が保管し、80年近くの時を経て日本、そして遺族の元に戻った遺品。

関係者は英霊の冥福を祈るとともにあらためて恒久平和を願った。

千人針は1000人の女性が一針ずつ縫って結び目をこしらえた白木綿の布。これを肌につけて戦争に赴けば戦苦を免れて無事に帰還できるという風習があり、太平洋戦争まで日本で盛んに行われていた。

中谷さんは5男5女合わせて10人きょうだいの4番目で三男。「大引 中谷正廣」と書かれた千人針は腹に巻いていたとみられている。元米兵が戦地から持ち帰り、アメリカ・ミネソタ州に住む子どもが保管。アメリカで寄せ書き日の丸(日章旗)をはじめ遺品返還活動に取り組んでいる団体「OBONソサエティ」を通じて返還の希望があり、日本遺族会、県遺族連合会、日高郡遺族連合会に連絡があって遺族を探していた。

引き渡しは県、日高郡両遺族連合会の杉本正博会長から福田さんに行われた。中谷さんのおいの東一美さん(88)=大引=らも同席し、山名実町長、日高郡遺族連合会や由良町遺族会の役員らが立ち会った。

千人針を保管していた家族からの「心からお詫びを申し上げますとともに、ご家族に安らぎが訪れますようお祈り申し上げます」というメッセージや写真も紹介され、杉本会長は「戦争は二度としてもらいたくない。体は戻らずとも遺品を見て昔をしのんでもらえれば」。福田さんは千人針に「実物を見るのは初めて。ここに名前がありますね」と感慨深そうに手を伸ばし、「正廣さんのことは家に出征時の写真が1枚あるだけ。よくとっておいてくださった。お手紙で感謝を伝えたい」と話していた。

※千人針(Sennin-Bari) 1000-stitch belt; soldier's charm with stitches by a thousand women.

https://hidakashimpo.co.jp/?p=83602
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