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中日新聞/日章旗、80年ぶり帰郷 ガダルカナルで戦死した土岐出身木村さん遺品(Japanese Newspaper featured Flag return in GIFU Prefecture )

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 太平洋戦争の激戦地・ガダルカナル島に土岐市妻木町から出征した日本兵の日章旗が、同町の遺族の元に戻ってきた。持ち主は木村保さん=当時(22)。約八十年ぶりの遺品の“帰還”に、遺族は「これだけ時間がたっても戻ってきたということは、本人もそれだけ帰ってきたかったんかな」。遠く離れた地で命を散らせた親族に思いをはせた。 

 日章旗は、戦争中に連合軍兵士が持ち帰った日本兵の遺品の返還活動を行うNPO「OBONソサエティ」(米オレゴン州)を通じて日本遺族会に託された。書かれた内容から木村保さんの持ち物と分かり、県や土岐市の遺族会を通じて遺族を捜索したところ、おいとめいでいずれも妻木町在住の木村義典さん(74)、中嶋克子さん(74)、木村雅英さん(71)が見つかった。

 旗は日の丸の上に「祈 武運長久」と書かれ、保さんの無事を祈る四百六十八人分の名前が隙間を埋め尽くす。地元住民だけでなく、当時遠くに住んでいた親族の名前もあった。
 市遺族連合会の吉川時行会長によると、召集令状が届いてから出兵までは一週間ほど。吉川会長は「短い期間にこれだけの署名を集めたということは、息子の無事を願う両親が署名の依頼に奔走したのでは」と推察する。

 ガダルカナル島では一九四二(昭和十七)年八月、連合軍の猛攻により、日本軍は物資の輸送が滞り、多くの兵士が飢えや感染症で命を失った。日本遺族会の記録によると、保さんは島からの撤退が決まった二週間後の四三年一月十三日、命を落とした。死因は分かっていない。

 保さんは七人きょうだいの三男だったが、両親、きょうだいともすでに亡くなっている。日章旗は今月十六日、妻木町の義典さんの自宅で義典さんらおいとめいが集まる中、市遺族連合会を通じて返還された。

 「会ったことはないので顔は知らない。でも保さんという人が戦死したというのは伝え聞いていた」と義典さん。旗を一目見てその傷みの少ない保存状態に驚いたという。「(保さんにとって)一つ区切りがついたのでは。改めて『ご苦労さまでした』と言いたい」と語った。

 返還された日章旗は、一月一日から妻木公民館で展示される。

https://www.chunichi.co.jp/article/610454?rct=gifu&fbclid=IwAR0kGlnrXk5cKHVqMThAcPrm6zS6PPsVLUtyTF2PKxd0Wljy_jZS3m7ioaY
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