毎日新聞/日章旗2点「帰国」 米から 県出身元兵士の遺族へ(Two Japanese flags Returned home)
甲賀市水口町出身で旧満州(現中国東北部)から出征した寺崎徳蔵さん(復員し1986年に82歳で死去)と、豊郷町出身でマリアナ諸島テニアン島で戦死した清水一郎さん(当時26歳)の日章旗。
朝日新聞/日章旗にみた「77年前の父のぬくもり」 娘2人に米国から返却(A Japanese flag belonging to a man who was killed in action in the Philippines during World War II was delivered )
愛知県豊橋市出身で、第2次世界大戦中にフィリピンで戦死した男性の遺品の日章旗が3日、遺族の元に届けられた。所有者の米国人から「返したい」という申し出があり、米国のNPO法人を通じて日本遺族会や豊橋市遺族連合会が男性の親族を探し出した。
豊橋市出身の加藤博夫さんは、1945(昭和20)年2月にマニラで戦死した。32歳で、海軍上等主計兵だった。
米コネティカット州在住の所有者が返還の意向を示し、NPO法人「OBON ソサエティ」(オレゴン州)を通じて日本遺族会に連絡があったという。遺族会の照会で、加藤さんが豊橋市の出身と判明。豊橋市遺族連合会が、83年発行の戦没者の戦歴や戦没状況などをまとめた「平和の礎(いしじ)」から加藤さんの身元を割り出した。
豊橋市役所で開かれた「日章旗返還式」で遺品を受け取った加藤さんの長女の侑子さん(82)と、次女の白井式子さん(81)=いずれも同市在住=によると、出征時はまだ幼く、父親の顔は覚えていないという。返却された日章旗を手にした侑子さんは、「父のぬくもりを感じました。ありがたい」。式子さんは「父に会えたような気がします」と述べた。https://www.asahi.com/articles/ASR237QLHR23OBJB00B.html?iref=pc_photo_gallery_bottom
NHK/戦死した豊橋市出身の男性のものとみられる日章旗が遺族に返還(A Japanese flag believed to belong to a man from Toyohashi City who was killed in action is returned to his bereave)
返還された日章旗は太平洋戦争中の昭和20年2月26日にフィリピンのルソン島で32歳で亡くなった豊橋市出身の加藤博夫さんのものとみられます。
アメリカのコネチカット州の人が持っていたもので、日章旗の返還に取り組むアメリカの団体や日本の遺族会の活動で返還が実現しました。
3日は加藤さんの長女の加藤侑子さんと次女の白井式子さんが豊橋市役所を訪れ、浅井由崇市長から日章旗を受け取りました。
日章旗には加藤さんの名前をはじめ「武運長久」の文字やおよそ580人の名前が寄せ書きされています。
長女の加藤侑子さんは「父のぬくもりのようなものを感じ、奇跡のようでびっくりした。ありがたいことです」と話していました。
また、次女の白井式子さんは「父のことは全然記憶にはないが、会えた気がしました」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20230203/3000027403.html?fbclid=IwAR2yOiC6SKL14XfU3xhv_1S8_7FNP9khoYadl8IvfhEm4a-m_JVkgEt0Wlc
京都新聞/寄せ書き日章旗返還 大津で93歳長女ら受け取る「父は苦労。今夜から抱いて寝る」(Eldest daughter, 93, and others receive belongings of father killed in war in Otsu)
太平洋戦争で従軍した滋賀県出身の元兵士の日章旗が遺族らに返還された。縁者らが武運の祈りを込めて寄せ書きした日章旗を手にした遺族や立会人の首長らは、戦没者に思いをはせ、平和への願いを新たにした。
遺留品を遺族に返す活動をする米国オレゴン州の非営利団体「OBON SOCIETY(オボン ソサエティー)」から昨年8月、米国の兵士らの手に渡った遺留品2点の情報提供があった。県遺族会の調査で遺族が特定された。
返還式は1月30日に大津市の県公館で開かれた。満州(現在の中国東北部)から復員し、83歳で亡くなった寺崎徳蔵さんの長女川島淳子さん(93)=甲賀市水口町=は、両手で押し頂くようにして日章旗を受け取った。「義勇奉公」などの文字がびっしりと墨書きされた旗は、戦後77年を経て布が大きく裂け、穴も開いていた。
一家で満州に渡った川島さん自身も、帰国途中に母親が餓死するなど辛酸をなめた。「お父さんは何も言わへんかったけど、苦労してくれはってんなぁと思って。今夜から抱いて寝ます」と感慨深そうだった。
第761航空隊に所属し、太平洋のテニアン島で26歳の若さで戦死した清水一郎さんの日章旗は、受け取る予定だったおいの清水一雄さんが24日に亡くなったため、豊郷町遺族会の久木淳行会長が代理で受け取った。
「寄せ書き日の丸」を返還する活動を軸にする非営利団体の活動により、県内では2015年以降で、軍隊手帳や手紙を含め18件の遺留品が返還された。県遺族会の今堀治夫副会長は「遺骨や遺品一つない遺族もいる中で、大きな意義のある事業。円滑に進むよう遺族会の役割を果たしたい」と話した。
びわ放送局/戦争遺留品 遺族のもとに(The flag was returned to their bereaved families 77 years after the end of the war.)
https://news.yahoo.co.jp/articles/7e2479a938f84020832e87a0b42a2058aa475eaa?fbclid=IwAR3HETHXtqy2ExrwrxYKsCiUqLC_VoHplaTxvXl7s2CWpJq-cyKoeaj4MTU
岐阜新聞/日章旗80年ぶり帰郷(Yosegaki-hinomaru Flag Returns Home after 80 Years)
中日新聞/日章旗、80年ぶり帰郷 ガダルカナルで戦死した土岐出身木村さん遺品(Japanese Newspaper featured Flag return in GIFU Prefecture )
日章旗は、戦争中に連合軍兵士が持ち帰った日本兵の遺品の返還活動を行うNPO「OBONソサエティ」(米オレゴン州)を通じて日本遺族会に託された。書かれた内容から木村保さんの持ち物と分かり、県や土岐市の遺族会を通じて遺族を捜索したところ、おいとめいでいずれも妻木町在住の木村義典さん(74)、中嶋克子さん(74)、木村雅英さん(71)が見つかった。
旗は日の丸の上に「祈 武運長久」と書かれ、保さんの無事を祈る四百六十八人分の名前が隙間を埋め尽くす。地元住民だけでなく、当時遠くに住んでいた親族の名前もあった。
市遺族連合会の吉川時行会長によると、召集令状が届いてから出兵までは一週間ほど。吉川会長は「短い期間にこれだけの署名を集めたということは、息子の無事を願う両親が署名の依頼に奔走したのでは」と推察する。
ガダルカナル島では一九四二(昭和十七)年八月、連合軍の猛攻により、日本軍は物資の輸送が滞り、多くの兵士が飢えや感染症で命を失った。日本遺族会の記録によると、保さんは島からの撤退が決まった二週間後の四三年一月十三日、命を落とした。死因は分かっていない。
保さんは七人きょうだいの三男だったが、両親、きょうだいともすでに亡くなっている。日章旗は今月十六日、妻木町の義典さんの自宅で義典さんらおいとめいが集まる中、市遺族連合会を通じて返還された。
「会ったことはないので顔は知らない。でも保さんという人が戦死したというのは伝え聞いていた」と義典さん。旗を一目見てその傷みの少ない保存状態に驚いたという。「(保さんにとって)一つ区切りがついたのでは。改めて『ご苦労さまでした』と言いたい」と語った。
返還された日章旗は、一月一日から妻木公民館で展示される。
https://www.chunichi.co.jp/article/610454?rct=gifu&fbclid=IwAR0kGlnrXk5cKHVqMThAcPrm6zS6PPsVLUtyTF2PKxd0Wljy_jZS3m7ioaY
オボン・ソサエティ(OBON SOCIETY)による山田外務副大臣表敬(OBON SOCIETY pays a courtesy call to Mr. Yamada, Vice Minister for Foreign Affairs of Japan)
レックス・ジーク氏及び敬子・ジーク氏から、戦後の和解の重要性を強調しつつ、OBON SOCIETYの最近の取組や今後のビジョンについて説明がありました。
これに対し、山田副大臣から、日本兵の遺留品の返還は、日米の友情と絆を強固にする大変貴重な活動であり、引き続きの御活躍を期待したい旨述べました。
(参考)オボン・ソサエティ(OBON SOCIETY)
米国オレゴン州を中心に活動する非営利団体。主に第二次世界大戦時に連合軍兵士が戦場から持ち帰った「寄せ書き日の丸(日章旗)」を始めとする日本兵の遺留品を日本の遺族の元へ返還する活動を行っており、日本遺族会からも委託を受けている。平成27年外務大臣表彰を受賞。 https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_009573.html?fbclid=IwAR36uP1uruJzGqsFVL4e4axIOKLQRJOqUD9qe3pvDTzF47EFjYiB2FHUx4Q
SALT LAKE CITY (KUTV)/Salt Lake County father, son who helped solve World War II mystery returns home
It was a life changing moment in the lives of a family in Hiroshima, Japan; Dick Johnson and his son Chris traveled from Utah to provide them with closure after 78 years.
"It was a very tender and sweet experience," Dick Johnson said.
"There was a very special feeling. It was intense. It was an honor to return the flag," Chris Johnson said.
The flag marked the homecoming for 21-year-old Japanese solider, Norito Myochin who was killed during the 1994 World War II battle.
"They consider that to be his spirit and it's coming home to them," Chris Johnson said.
Japanese soldiers kept these "good luck" flags folded under their shirts. They were signed by friends and family but if they were killed, the flags were often taken from soldiers' bodies as war souvenirs.
"The family and everyone associated with them, were so thankful to see this flag," Dick Johnson said.
Dick's father, a World War II Marine, brought the flag home after the way but just recently the OBON Society used the signatures and writing on the flag to trace it back to the long lost soldier.
"They consider it to be his non biological remains," Dick Johnson said.
Dick and Chris are now back in Salt Lake. 2News retraced their trip with an exclusive video from the OBON Society, which worked tirelessly to return soldier flags to their families.
A rare look inside the Shinto Shrine in Hiroshima, where the flag was blessed, then presented to the soldiers nephew and 83-year-old sister, Keiko Hirota.
"She seemed very touched by seeing this flag that had belonged to her brother," Dick Johnson said.
It was a very big event that brought local leaders and a lot of press. The families exchanged photos, gifts, a handmade quilt and took time to reflect at the Hiroshima National Peace Memorial, the site of the atomic bomb blast.
"Back then we were on opposite sides of the war. Now 79 years later, we're connected as friends," Chris Johnson said.
Dick and Chris Johnson said they visited the Myochin's family farm and home where the soldier grew up.
"It was a very personal connection between our family and their family," Chris Johnson said.
Now, a moment that almost never came, thanks to a father and son who followed their hearts across the world. Keiko could finally lay her brother to rest.
https://kjzz.com/news/local/salt-lake-county-father-son-who-helped-solve-world-war-ii-mystery-returns-home-hiroshima-japan-japanese-flag-returned-closure-78-years?fbclid=IwAR0bL5aJtzTikQP8QAB-tU2hDxQqMXUnzN36jPGZxasm3oOoXYLgr6gx4xk