中日新聞/県内ゆかり旧日本兵2人の日章旗 終戦から78年ぶり故郷の親族らに返還(The Japanese flag of two former Japanese soldiers associated with the prefecture who went to war )
2月
7日
太平洋戦争に出征した県内ゆかりの旧日本兵二人の日章旗が、終戦から七十八年ぶりに、親族らに返還された。日章旗は米国の兵士らが戦利品として、母国に持ち帰っていたとみられる。受け取る予定だった親族の一人は、直前に息を引き取った。(堀尾法道)
県遺族会や県によると、二人の旧日本兵は、甲賀郡水口町水口(現甲賀市水口町水口)から満州に渡り、現地で召集された寺崎徳蔵さんと、愛知郡日枝村(現豊郷町吉田)の清水一郎さん。歩兵第二四八連隊に所属した寺崎さんは、復員して一九八六年に亡くなった。第七六一航空隊に所属した清水さんは、マリアナ諸島で四四年八月に二十六歳で戦死した。
二人の日章旗はいずれも米国で保管されていた。遺品の返還活動を続ける米国の団体「OBON SOCIETY」の依頼で、県遺族会などが親族を捜した。
一月三十日の県公館での返還に、寺崎さん側は長女の川島淳子さん(93)と義理の孫の川島康弘さん(69)が出席した。淳子さんは終戦の年、満蒙(まんもう)開拓団の一員として家族で満州に渡り、父親はその年の七月に召集された。終戦直後、逃げる際に母親を飢えで亡くした。
返ってきた父親の日章旗に「なんとも言えない。旗に父の名前が大きく書いてある。お骨でも出てきたみたい。今夜から抱いて寝ます」と語った。康弘さんは「親族として万感の思い。日本へ帰るのだという、祖父の強い意志を感じた」とあいさつした。
清水さん側は、おいの一雄さんが出席予定だったが、一週間ほど前の一月二十四日、六十九歳で亡くなった。代理で、豊郷町遺族会の久木淳行会長(80)が受け取った。県遺族会相談役の国松善次元知事(84)は「一雄さんは残念ながら出席できなかったが、日章旗が豊郷に帰ってきた」とほっとした表情を浮かべた。
三日月大造知事は「敵味方の恩讐(おんしゅう)を超えて返還できた。戦争の悲惨さ、平和の尊さを伝えたい。直前に亡くなった一雄さんは、どんな思いだったか。他の人たちの遺品を一刻も早く返さないといけない」と述べた。