悔やまれること・・・・

写真はWebから拝借、映画「夢... 写真はWebから拝借、映画「夢」から
My mother was born in Sakasho Village, Gifu Prefecture (now part of Mino-Kamo
City), and I was also born there as she returned to her hometown for my birth.
Although I was raised in Kani Town (now Kani City), I vividly remember spending time
occasionally in my mother's hometown from a very young age.
 
We were not well-off, and during ordinary times, we couldn't afford to buy many
sweets.
However, whenever we visited her hometown, I distinctly recall my mother buying an
astonishing amount of sweets on the way back.
 
During these visits, we used to walk from Mino-Ota Station to our home in Fukada.
The Route 21 was unpaved, and I have memories of walking on a gravel road,
struggling with my child's steps. On the way back, carrying heavy bags of rice, my
mother, perhaps recalling the post-war restrictions on rice, used to remind me not to
look burdened, especially when passing by the Mino-Kamo Police Station.
 
My mother, who has now passed away, repeatedly shared a fascinating tale about the
northern slope of Mt. Hatobuki, the climbing destination of my youth.
She pointed to that area from our home, mentioning how she witnessed a "fox's
wedding" there in the past. The northern slope of Hatobuki is steep, facing the
Kisogawa River, and still lacks any pathways. According to her, countless foxfires were
visible on that mountainside.
 
Today, with the rain falling, those old memories have resurfaced.
While I may not observe any signs of fox presence around Hatobuki, that doesn't
matter much to me.
What's crucial is cherishing the memory of my mother seeing "foxfires" and sharing
that story with me.
 
I wanted to hear the "foxfires" story once more, but my mother no longer recognized
me, and she passed away two years ago.
 

母は岐阜県坂祝村(現在は美濃加茂市)の生まれで、私の出生地も母が里帰りして出産した
ので同じ所となっています。
生育地は可児町(現在可児市)でしたが、幼少の時から母に連れられて時々実家で過ごした
事を鮮明に覚えています。
決して裕福ではなく、普段はお菓子もあまり買って貰え無かった頃、帰郷時には母がお菓子
類を、子供ながら驚くほど大量に途中で買い込んでいた事ことを良く覚えています。

帰郷時には美濃太田駅から実家のある深田まで徒歩でした。
国道21号は未舗装で、砂利道を子供の足で苦労しながら歩いた記憶があります。
帰路はその道を重い米を背負い帰るのですが、母は戦後の闇米取り締まりの記憶
があるのか、美濃加茂警察署前を通る時は「重そうな顔をしてはいけないよ」と、いつも
言っていた記憶が鮮明です。

その母が、繰り返し幾度も、実家から、私の登山HGの鳩吹山の北斜面を指さし、
「昔、あのあたりで狐の嫁入り」を見たと話してくれました。
鳩吹の北斜面は急峻で木曽川に切り立っており、未だに道はありません。
その山肌に無数の狐火が見えたとのこと。
 
今日の天気雨の時、その古い記憶が蘇りました・・・・・・
鳩吹界隈で、私は狐の生息痕跡を見ることは出来ませんが、そんな事はどうでも良く、
母が「狐火」を見、それを子供に話してくれた事を大切にしたいと思っています。
70年も前の、遠い昔の思い出です
 
もう一度、「狐火」の話を聞きたかったのですが、母は私が誰だかわからなくなって
しまい、一昨年亡くなりました。
 
 
 
わかお かずまさ
VegaSystems

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なんでも根拠や原因が知りえる情報社会になってしまいましたが、
人間の感性の分野に訴えてくる伝承話しなどは、大切にしたいものです。
投稿日 2024-02-21 05:51

ワオ!と言っているユーザー


「狐の嫁入り」話は、日本のかなり広範囲にあるようですね、江戸時代にすでに知られていたようで、日本の大事な伝承文化だと思っています。
投稿日 2024-02-21 09:07

ワオ!と言っているユーザー


いいお話を読ませていただきました
私は平凡な暮らし、生活でした
本籍が大阪市東区(今は中央区に)で、天王寺の方の病院で生まれました
母の実家(母も東区)の近く。
お店は中央区にあって、祖父母が住んでいて、父は堺市から通っていました
疎開するために買ったそうです。そこで育ったので田舎育ちっぽいです
祖父母が逝って、今度は私たちがお店に住むようになって…心斎橋が通学路になりました
小学校から私立だったので、母からは「上見て暮らすな、下見て暮らせ」といわれてました
人をうらやむことなく、足元を見て地道に生きていけということかしら?

でもいいお友達に恵まれて、今も仲良しで付き合ってますが
楽しい人生です
投稿日 2024-02-22 11:23

ワオ!と言っているユーザー

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コメントありがとうございます、まもなく三回忌になります。
田舎産まれでも良いことがありますね・・・・
投稿日 2024-02-23 00:32

ワオ!と言っているユーザー