黄色の羽衣が蝶々のようです。
ソシンロウバイ(素心蝋梅)のシフォンのようにふわりとした薄い黄色の花が咲いています。
これが蝋梅ということを検索して知りました。
香り・・・雨だったので、感じませんでした。
今度、横を通った時には嗅いでみましょう♪
きっと、よい香りがすることでしょう♪
今朝は、小雨が降って、夜のような朝です。
蛍光灯を点けなければ、真っ暗な室内です。
お陰で気分は・・・どんより。
気分を晴らすには、やっぱり青空ですね。
1月6日に凍える寒い白い飾り実(ナンキンハゼ)を綴りましたが、今朝は、真っ青な空に煌めく白い飾り実を綴ります。
10月22日にリクエストしていた『きょうの猫村さん4』の順番がようやく回ってきたので、図書館へ行きました。
図書館へ続く道路の街路樹は、このナンキンハゼです。
見上げると、白い飾り実がおひさまの光を浴びて、煌めいていました。
午後の白いお月さまと仲良く並んで、白さを競っていました。
真っ青な空と白い半分の月、そして、白い飾り実が印象深い午後でした。
おひさま燦々で、真っ青な空が広がる一日でした。
洗濯物もよく乾きました。
15時頃、洗濯物を取り込みながら、見上げた空に上弦の月+1の白いおつきさまが浮かんでいました。
その周りを旋回して・・・翼を広げた鳥が飛んでいました。
遊覧飛行・・・陽射しと青空に包まれて、絶景でしょうね。
悠然と・・・雄大に月の周りを旋回して、飛んでいました。
月の兎さんを狙っていたのでしょうか?
良いお天気になりそうな日曜日の朝です。
ようやく差しはじめた朝日が
満開の美しい水仙と
中庭の奥でかくれんぼをしている
黄色の万両を見つけ出しました。
昨日の寒さが緩む元気色黄色が
陽だまりの中で微笑んでいる感じです。
交差点で、信号が青になるのを待っていた歩道に『降りチャリ 押しチャリ』マークを見つけました。
自転車で、横断歩道を渡る時は「自転車を降りて、押して渡りましょう!」マークです。
街の中心なので、昼間のこの時間に自転車が通ることは少ないのですが、歩行者が多いので、自転車に乗って通るのは大変です。
チャリは、自転車のことですが、北九州では語尾に「ちゃ」を付けるので、それと掛け合わせている表現なのでしょう。
ちなみに言うと『降りてっちゃ 押してっちゃ』&『降りてんちゃ 押してんちゃ』ですね。
100年前と同じく昔のままの製法で焼き上げたオリジナル・バウムクーヘンです。
しっとりとした食感に、自然の風味が香る豊かな味わいをお楽しみください。
・・・と、リーフレットが入っています。
ドイツ語で『木のお菓子』の名の通り、古樹を型どり、年輪のように内側から一層ずつ丹念に焼き上げています。
いつもの紅茶で・・・とも思いましたが、煎茶でいただきました。
日本の歴史とともに育まれたバウムクーヘンは、煎茶との相性もピッタリです。
懐かしさがこみあげて来ました。
おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にいただいたような気分です。
暖かい週に別れを告げて、三寒四温な寒い日が到来しました。
朝は、おひさまが顔を出していましたが、雪雲のようなどんより雲に覆われ始めました。
大空を切り取った「一切れ」の空の展覧会です。
今朝の一切れの空を二切れ。
大きな龍の尻尾が見えたのですが、写真の一切れには収まりませんでした。
最近、龍を見くなったのは、龍が避寒しているからでしょうか?
それとも・・・見放されたのでしょうか?(笑)
コメント欄には、昨日の三切れを載せました。
ようやく、 ユーハイム・バウムクーヘンと巡り合いました。
15日に買いに行くつもりが、1週間かかってしまいました。
1886年12月25日生まれのカール・ユーハイム氏は、ビール職人の父の10番目の子どもで、父親譲りの頑固な職人気質を持ち合わせていました。
クリスマス生まれでしたので、毎年お誕生日の4週間前からお菓子がつきもののお祝いが始まります。「まるで私のために祝ってくれいるよう・・・」と幼い頃から感じて、自然にお菓子職人の道へと歩み始めます。
バウムクーヘンは「これが上手に焼けるようになれば一人前」と言われるほど、卵・バター・砂糖・小麦粉だけで作るシンプルだからこそ厳しく難しいお菓子でした。
「バウムクーヘン職人は長生きしない」と言い伝えられるほどでした。
第一次世界大戦に参加し、捕虜となって日本へ。この時、5年間妻エリーゼと離れて暮らします。
釈放されたカールは、大正8年に広島県物産陳列館(原爆ドーム)で、日本初のバウムクーヘンを披露します。
ドイツには帰らずに、横浜でお菓子職人として働き、36歳の時に山下町で店を開店しますが、関東大震災でお店が全壊。
外国人被災者の救援地・神戸へと渡り、ドイツの銀行から借入れをして、再起をかけます。
そこへ第二次世界大戦が起こり、神戸大空襲で、また店が焼失してしまいます。
1945年8月14日避難先の六甲山ホテルで死去。
エリーゼは、ドイツに強制送還されます。
◇のっぺらとしたバームクーヘンは、ただのくじら。角のある、山と谷があるバウムクーヘンが本物の証し。
◇生地の出来が悪いと「どうしてできない」と涙を流して、容赦なく生地を捨てるほどの拘り。
◇お菓子をたくさん作っても、買って食べる人は、一切れである。一切れ、一切れに魂を籠めて作るのが、マイスターの仕事である。
美味いものは誰にでも美味い。神さまがそう決めただろうな。俺にとって、菓子は神さま。
1953年エリーゼは、日本の弟子たちに社長として迎えられて、再び日本へ。
店の経営は、正直と誠実。口癖は「アナタ カイマスカ」
子どもの頃、親戚の家で育ったエリーゼは、小さいお客さまを可愛がり、いつも愛情と人を喜ばせる気持ちを絶やさなかった。
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買いに行って感じたことは・・・
お客さまが絶えないこと・・・接客は、他の方がたくさん購入されていて、かなり待たされました。待っている間に「お待たせしております」の一言があっても良かったように思いました。
今回は、バウムクーヘンを買う目的だけで行ったので待ちました。
もし、他のお菓子でもよかったのなら、待たなかったかもしれません。
お味は、また【おちゃのじかん】を持ってから、ゆっくり記したいと思います。
これを買ってから、100周年記念バウムクーヘンが出ていることに気が付きました・・・また、次回のお楽しみにしておきます。
春近し・・・
パンやまさんの庭では
ちらちらと
ゆきやなぎが咲き始めました。
こな雪が留ったよう・・・
手袋人形を作りましょう♪
おひなまつりに「ぐりとぐら」の人形を作る講座を開催することになりました。
友人は、この手作りのぐりとぐらを絵本と一緒に出産祝いにするとか・・・。
「ぐりとぐら」は、家でも学校でもわたしは読まない絵本です。
なぜかわたしには、しっくりこないのです。
この絵本との出合いは、10年前。
読み聞かせを始めることになった時の「読み聞かせ講習会」のテキスト絵本でした。
初めての厳格な師といっしょに読みました。
大きな大きなカステラが出て来ます。
焼きたてのカステラは、子ども時代に出合うとそれはもう忘れられない存在になると思います。
ぼくらの なまえは ぐりと ぐら
このよで いちばん すきなのは
おりょうりすること たべること
ぐり ぐら ぐり ぐら
ここのところは、歌って読むのです。
10年経っても、ちょうど一緒に講習を受けた女性の教頭先生(今では校長先生をされています)がここで歌ったのを思い出します。
こうして、ここに記しながら・・・『ぐりとぐら』の絵本を眺めていると、今度低学年で読んでみようかしら?と思い始めているわたしがいます。
右下の画像は、2009年9月18日もりの絵本カーニバルでの展示
◇本日の読み聞かせ◇1年生
『しんせつなともだち』
『なんてきょうはうんがいいんだろう』
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