記事検索

国鉄があった時代、日本国有鉄道史

https://jp.bloguru.com/jnrerablackcat
  • ハッシュタグ「#労働運動史」の検索結果3件

フリースペース

Link

URL http://jnrera.starfree.jp/ 国鉄があった時代

URL https://ameblo.jp/blackcat-kat/ 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

URL http://blog.goo.ne.jp/blackcat_kat/ 国鉄があった時代blog

URL http://whitecat-kat.hatenablog.com/ 日本国有鉄道 労働運動史

URL https://blackcat-kat.hateblo.jp/ 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

URL https://jnrera-kat.hateblo.jp/ 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

URL https://plaza.rakuten.co.jp/blackcatkat/ 鉄道ジャーナリスト加藤好啓のblog国会審議集

URL http://whitecat1960.blog85.fc2.com/ 鉄道ジャーナリスト加藤好啓 国鉄時代のお話

URL https://local-line.at.webry.info/ 鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 地方鉄道研究blog

URL http://blackcat-kat.seesaa.net/ 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)の備忘録(法令編)

URL http://blackcat-kat.jugem.jp/ 鉄道ジャーナリスト 加藤好啓(blackcat)の国鉄という名の備忘録

URL http://blackcat-kat.blog.jp/ blackcatこと鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 国鉄夜話

URL http://black.ap.teacup.com/blackcat_kat/ 日本国有鉄道の民営化を改めて検証するblog

URL http://blackcatk.exblog.jp/ 鉄道ジャーナリスト blackcatの鉄道技術昔話

URL http://blackcat.blog.shinobi.jp/ blackcatの鉄道ニュース解説

URL https://novel-railway.muragon.com/ novel-railwayのブログ

URL https://blackcat-kat.muragon.com/ 政治家を目指す加藤好啓のblog

URL https://ameblo.jp/blackcat-kat-06/ 鉄道ジャーナリスト、加藤好啓の鉄じゃない話
URL http://blackcat-photo.blogspot.jp/ blackcat写真館
URL http://whitecat.ikora.tv/ blackcat_つれもていこら
URL http://d.hatena.ne.jp/whitecat_kat/ blackcat_katの日記

鉄労から見た当局の生産性運動  第二話

スレッド
二ヶ月も開けてしまいましたが、再び生産性運動とその取り巻く環境ということでお話しをさせていただこうと思います。

国鉄幹部の生産性研修、管理局の局長クラス及び本社の局長クラスの研修を開始

国鉄が自製の生産性運動の取組始めた頃、国鉄本社では管理局などにあっても管理職の生産性運動が始まっていましたが、本社のあっては生産性運動に関しては冷ややかな幹部もいたと言われています。
その辺は、大野光基著、「国鉄を売った官僚たち」にも出てきますが、昭和46年度経営計画が理事会で決定され、国鉄としての独自の生産性運動がスタート、経営理念として以下のような文言が刻まれました。
「われわれは、人間尊重の理念に基づいた経営に徹し、労使一体となって全職員が積極的に再建に参画することが必要である。このことが、ひいては国鉄の発展及び職員の福祉向上につながる唯一の道である。」
として、生産性運動は国鉄経営と一体化した経営としてスタート、本社局長及び鉄道管理局長研修が第一回目が5月24日から、第二回目が6月8日から3泊4日の計画で始まったとされています。
生産性研修は、管理局長に対しても強い自己反省の機会となったとして、以下のような発言があったとしています。
引用してみたいと思います。

生産性研修は管理局長に対しても、強い自己反省の機会となった。「組合側に闘争をやらないでくれと当局は頼んでいた」「組合の前に当局は妥協に妥協を重ねてきた」「私自身忸怩たるものがある、もっと勉強したい」というような発言が相次ぎ。「もはや組合と対決しかない」というのがほとんどの局長の結論であった。

「国鉄を売った官僚たち」 P175~176

と有りますように、現場に近い管理局長には生産性運動が自己反省であり組合への妥協をしてきた事への反省となったことは間違いないと言えそうですが、本社はこうした生産性運動に関しては無関心であったそうです。

キャリア制度は国鉄時代は変更されることはなく

現場を預かる鉄道管理局長が、東京南鉄道管理局長外数名が欠席したのに対して、本社局長クラスはわずか一人だけという結果だったことに、国鉄本社の中では生産性運動に対していかに無関心であったかが窺えます。
国鉄本社の局長クラスにしてみれば、その向いている方向は現場ではなく、政府であり国会議員の動向などに向いていたのかもしれません。
実際、本社採用のキャリアの場合は、他の省庁のキャリア同様のスピード出世であり、20代で現場長などを経験することとなるため、現場の改革などを思い描くと言う意識は勢い少なくなるわけです。

こうした学歴偏重の問題は現在にも残っており、官僚制度の問題と言えます。
国鉄としてもこの辺を打開しようとした動きはありましたが、結果的に国鉄が民営化されるまで変更が加えられることはありませんでした。
国鉄の強固な官僚主義は、結果的に国鉄にあって事なかれ主義を生み出し、安易に組合との妥協を生み出す結果となり、更に政府の介入を招くことになるなどの大きな弊害を生んだと言えるかもしれません。

組合から見た生産性運動

そこで、今度は再び組合側から見た生産性運動を見ていきたいと思います。

鉄労では、国鉄が行っている生産性運動が、間違った形の運動になりつつあることを懸念しています。
すなわち、生産性運動が、サービス超勤のや担当業務以外の業務への強制などと言う形で新たな職員の負担になっているのではないかと指摘しています。
少なくとも、鉄労は正しい生産性運動理論を身につけることは、当面の重要かつ急を要する課題だと認識していました。
更に、も、当局幹部に生産性運動に熱心でないものが居ることも十分把握していたようです。

さらに、国労でも生産性運動に対する反対運動が行われているのですが、かなり混乱していたと、国鉄民主化の道では書かれています。

すなわち、国労自体は元々民同左派以外に、当時は反戦青年委員会(いわゆる新左翼)のグループによる攪乱があったようで、2月24・25日に開催された、拡大中央委員会では傍聴者によるヤジ(反戦青年委員会)が盛んに飛んでおり、議長が、「お通夜のような会議にしようとは思わぬが、限度がある。」として度々注意したがダメであったと書かれています。

階級闘争


国労の方針としては、生産性運動を粉砕するための教育を行うという方針が決定したものの、目新しいものではなく。
生産性運動に対する理論的に身につける総合運動とは、「マルクスの階級闘争理論を身につける」ことであったとしています。

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へ
にほんブログ村

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************
#労働運動 #労働運動史 #国鉄 #学び #昭和史 #歴史 #社会史 #鉄道 #鉄道史

ワオ!と言っているユーザー

鉄労から見た当局の生産性運動

スレッド
生産性運動当時の組合の相関図を... 生産性運動当時の組合の相関図を模式的に書いてみました。
鉄労は結成当初から生産性運動を提唱

生産性運動は、鉄労にしてみれば組合結成当初(新国労時代)からの理念であり、
生産性運動の3原則

  1. 雇用の維持拡大

  2. 労使の協力と協議

  3. 成果の公正な分配



が、その根底にあるものであるとしていました。

食い違う組合の考え方

鉄労にしてみれば、国鉄当局が合理化を推進するために、生産性運動を導入したという考え方に立っていたの対し、国労・動労は鉄労が当局の施策に乗っかってちゃっかり組合員を増やしているという発想になったわけです。

実際は、鉄労が新国労と呼ばれた時代から生産性運動の理念を提唱しており、合理化の推進は生産性を高めることであるとして、合理化に反対であった国労・動労の反合理化闘争とは一線を画すものでした。

当局の生産性運動は、方向が間違えていると指摘

そんな中、当局の生産性運動は、粗製濫造気味で正しい生産性教育がなされていないのではないかと危惧しています

国鉄民主化への道 P494から、少し長いですが引用します。

最近特に注目されることは、国鉄当局が、管理者、職場の中堅職員に生産性運動を徹底的に行っているという事実であります。私たちは経営者が生産性教育を実施するのは当然のことだと思いますし、我が国の有識者の手によって、昭和30年から発足したこの運動を、昨今要約取り上げたことについて、むしろ遅きに失するものと、かねてから指摘してたところであります。
それだけに、国鉄当局が進めている生産性教育が、効果的で正しく普及することを期待するものでありますが、現在のところ粗製濫造の感があり、生産性運動の真の意義を体せず、超過勤務の強制、分担業務以外のものの強要という誤った形に昇華されようとしている事実が随所に現れつつあります。(中略)私たちが正しい生産性運動の理論を身につけることは、当面の重要でかつ急を要する課題だと思います。


引用終わり

と有りますように、本来に生産性運動の理念は、生産性向上による、雇用の増大であり、労働者(のみに限りませんが)への富の再配分が目的でした。
以下は、「生産性運動に関する3原則 」と呼ばれるもので、日本生産性本部が掲げている、本来の生産性運動の理念を現したものです。

(1)雇用の維持・拡大
生産性の向上は、究極において雇用を増大するものであるが、過渡的な過剰人員に対しては、国民経済的観点に立って能う限り配置転換その他により、失業を防止するよう官民協力して適切な措置を講ずるものとする。
(2)労使の協力と協議
生産性向上のための具体的な方法については、各企業の実情に即し、労使が協力してこれを研究し、協議するものとする。
(3)成果の公正配分
生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする。

国鉄当局のミスは、生産性運動の自製化

生産性運動の理念では、生産性の向上は資本家による搾取でもなく、むしろ雇用の拡大であり、富の再配分であることが明記されています。
国鉄の生産性運動も当初は、日本生産性本部の職員が、研修を行っていましたが、生産性運動の拡大を目指した当局は、生産性運動の自製化を進め、学園等で国鉄職員による研修が行われたことから、鉄労が指摘しているように、粗製濫造と言えるような間違った生産性運動が誤った形に昇華されようとしていると危惧していますが。
図らずも、この鉄労の危惧は現実となり、国労が始めたマスコミを買収してのマル生撲滅キャンペーンにより、こうした誤った生産性運動が報道されることとなり、国鉄当局は苦境に追い込まれることとなりました。

その辺は次回改めて記述してみたいと思います。
にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へ
にほんブログ村

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************
#労働運動 #労働運動史 #国鉄 #学び #昭和史 #歴史 #社会史 #社会運動 #鉄道 #鉄道史

ワオ!と言っているユーザー

生産性運動と国労 生産性運動中止へ 第二話

スレッド
今回参考にした、鉄労友愛会議著... 今回参考にした、鉄労友愛会議著、国鉄民主化への道、並びに国鉄労働組合四〇年史を参照しながら書いています。
国労、動労が不当労働行為の証拠を積み上げていくとしていた時期、鉄労の方はどのような状況であったのでしょうか。
鉄労の、国鉄民主化への道を参照しながらお話しをさせていただこうと思います。
ストライキか合理化か・・・揺れる国鉄と、春闘
さて、当時の国鉄はどのような状況だったのでしょうか。
国鉄を含む公労協が5月20日に24時間ストを計画しているとして公共企業体等労働委員会 以下公労委と略す)の合同調停委員会は、19日夕方から三公社五現業の賃金調停作業に入るべく準備をしていたそうです。・・・しかし、所定の時間になっても一向に国鉄労使が姿を見せなかったそうです。
公労委としては、国鉄のストライキを回避させるためのものであったにも関わらず、国鉄のこうした態度に公労委の委員もいらだちを隠せなかったと言われています。

交渉に現れなかったのは、国鉄の合理化交渉を優先したため

現れなかった理由は、国鉄当局としては合理化問題の目処が付くまでは賃金問題に入らないとして、合理化問題の交渉を続けていたそうです。
国鉄としては、機関助士廃止闘争でも、かなりの譲歩をせざるを得なかったことや、国鉄の収支改善についてすべきことはしていきたいという思惑もあったと考えます。

この日の交渉では、21時を回っても国鉄から連絡が無く、公労委から電話をかけても差大あり要領を得ないとして、時間は流れ、国鉄常務理事、職員局長の真鍋が公労委に現れたのは、23時であったそうです。
真鍋としては、生産性運動をじっししているなかで、生産性運動と合理化はセットであり、国鉄再生のためには合理化が先決と考えていた節もありますし、むしろストに突入させたいという政治的意図なのか・・・その辺は判らないままに交渉は開始されたそうです。
労働者側の主張は1万円、使用者側は8621円【前年並み】を主張して、交渉は難航、20日になり国労・動労はストライキに突入、明けての20日午前9時30分、合同調停委員会が開催されて、「調停委員長共同談話」の形で発表されました。
調停委員会の提示した最終案は、8%プラス2,300円で、国鉄の場合は引き上げ額は7,785円で、これに定期昇給の1,995円をプラスして、9,780円で妥結することとなったそうです。
これにより、国労・動労を除くストライキに入っていたたの公労協の組合はストライキを中止しましたが、国労と動労は「生産性運動と不当労働行為を直ちに中止すること」を掲げて午後7時までストライキを行ったと書かれています。

この辺を改めて、国鉄労働組合四〇年史を参照しながらお話しを進めたいと思います。
以下は、国鉄労働組合四〇年史 「マル生」攻撃に抗してと言う記事から引用します。
(71春闘5・20決戦スト)

71年春闘は、5月の中旬以降の最大のヤマ場を迎えることになった。すなわち、13、14日の強力順法闘争、団交の決裂、調停作業の難航という情勢の中で、ついに20日、春闘の決着を付けるべく公労協の統一ストライキが実施された。公労協の他の組合がストを中止した後も、国労・動労は完全共闘の姿勢を崩さず19時間にわたるストを打ち抜いた。


引用終わり

この時期は、反合理化、生産性運動反対と言うことでその方針は一致していますので、動労とは共同歩調を取っていました。
こうした生産性運動が行われていた、昭和46年にはストでも電車が動くという不思議な事例があったようです。
それは、鉄労を中心とした組合員や、自発的にストに参加しなかった職員が居たからに他なりませんでした。
その辺を再び引用させていただこうと思います。

国労・動労は激しいストライキに対する妨害等があったと主張

もちろん、このストライキに対しては当局側による激しい妨害が行われた。例えば、スト不参加を求める大々的な署名運動、利益誘導。家庭訪問等による国労・動労からの脱退強要、スト破りの妨害工作などが、鉄労・「マル生」グループの総掛かりで行われた。そうした攻撃にもめげず、「国労・動労完全共闘」によるストが打ち抜かれたことは。組織防衛のたたかいと同時に、「職場からの反撃運動」を構築するうえで極めて大きな効果があった。


引用終わり。

とされています。
このように、国労は動労との共同戦線として、反合理化闘争並びに生産性運動反対を掲げて共闘していくこととなりますが、鉄労による切り崩しがあったことを認めています。
次回は、鉄労側からの視点で見た、勧誘などについて改めて確認してみたいと思います。

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へ
にほんブログ村

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************
#労働運動 #労働運動史 #国鉄 #学術 #昭和史 #歴史 #社会史 #社会学 #鉄道

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり