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「エリムの憩い」

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「エリムの憩い」


ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。



「エリムの憩い」


出エジプト記 15章23~27節


"彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲めなかった。それで、そこはマラという名で呼ばれた。
民はモーセに向かって「われわれは何を飲んだらよいのか」と不平を言った。
モーセが主に叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。彼がそれを水の中に投げ込むと、水は甘くなった。主はそこで彼に掟と定めを授け、そこで彼を試み、
そして言われた。「もし、あなたの神、主の御声にあなたが確かに聞き従い、主の目にかなうことを行い、また、その命令に耳を傾け、その掟をことごとく守るなら、わたしがエジプトで下したような病気は何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたを癒やす者だからである。」
こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめ椰子の木があった。そこで、彼らはその水のほとりで宿営した。"


(1)人生の旅路


①荒野への旅程
紅海横断の輝かしい勝利(1-21)
三日間のシェルの荒野への旅程
飲料水の不足

②私たちの歩みも荒野の旅路
勝利〜困難〜エリムの泉(安息)
日曜礼拝は安息の時である


(2)モーセは主に叫んだ(25)


①マラ(苦味)のただ中にあって、問題を持っていく所を知っていた
イスラエルの民の訴えに対し彼自身の内には応える資源は無い

② 主は応答をされた(25b)
「おきてと定めを授け」〜み言葉を通して主は語られる
「彼を試みられた」〜信仰的応答は机上の学びからではなく実際の試練の中から習得する


⑶エリムの憩い


①荒野の旅路でのオアシス
12の泉、70本のナツメヤシの木〜民全体を潤すに十分な資源
そこには供給と休息、霊的刷新があった

②この休息と刷新は次なる荒野への準備となる
シンの荒野へ(16:1-2)


(結論)


「わたしは主、あなたを癒すものである」(26)
安息と新しい学びに招かれる主イエス(マタイ11:28)。
イエスの十字架は、苦味を甘みに変える場であり、
安息と刷新とを与える場である。
"すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。"
マタイの福音書 11章28~29節







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