ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「神が与えた賜物を燃え立たせよ」
テモテへの手紙 第二 1章3~10節
"私は夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こし、先祖がしてきたように、私もきよい良心をもって仕えている神に感謝しています。
私はあなたの涙を覚えているので、あなたに会って喜びに満たされたいと切望しています。
私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。
そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。
ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。
神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、
今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。"
(1) 賜物が与えられた背景とは(5)
①テモテが宿している「純粋な信仰」は、祖母ロイスと母ユニケから受け継いできたものだ。
ユダヤ教徒としての敬虔なや信仰を先祖から受け継いで来た。
②家族からまた民族から、尊い文化的な遺産を引き継いできた私たち。
日本民族にも純粋な信仰が育つ土壌があるのではないか。
(2) 賜物を燃え立たせよ(6)
①賜物は既に与えられた~パウロから按手を受けたときに。
パウロの二次伝道旅行の際にルステラで見出された信者でありユダヤ教からクリスチャンに改宗した(使徒16:1)
②キリスト者が聖霊様と言う賜物をいただくのは信仰を抱いた時。
所持してるのと、これが使用可能な状態になってるのとは違う。
(3) 賜物を活かせよ(7)
①臆病の霊ではない。当時のパウロは囚人として辱めの中にあり、その弟子のテモテも同様の危険の中にあるが、「恥」と捉えてはならない(8)。
②力と愛と慎みとの霊である。この3つは聖霊様の現れの3頂点をなす、緊張関係の中にある。
賜物が活性化されるために「力」が必要であり
賜物が使われるときにキリストが崇められるためには「愛」が必要であり
それがふさわしいTPOで使われるためには、「慎み=自己規律」が必要であろう。
(結論)
キリスト者は、誰もが神の賜物としての聖霊様をいただいている。
この賜物を十分に燃え立たせていただこうではないか。
神の与えたスピリットはあなたをして勇気ある力を与え、キリストの愛で満たし、自らを律するものとする。