「生きている者にも、死んだ者にも」
9月
4日
「生きている者にも、死んだ者にも」
ルツ記 2章17~20節
"こうして、ルツは夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。集めたものを打つと、大麦一エパほどであった。
彼女はそれを背負って町に行き、集めたものを姑に見せた。また、先に十分に食べたうえで残しておいたものを取り出して、姑に渡した。
姑は彼女に言った。「今日、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女は姑に、だれのところで働いてきたかを告げた。「今日、私はボアズという名の人のところで働きました。」
ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまない主が、その方を祝福されますように。」ナオミは、また言った。「その方は私たちの近親の者で、しかも、買い戻しの権利のある親類の一人です。」"
(1) 恵みは生きている者にのみ与えられるのか
①私たちの陥る錯覚〜順境のときには神は愛であると感じ逆境には神はいないと感じる
②だが、私たちの知らない所でも神の働きは続いている
〜目に見えないのでこのことをなかなか信じることができない
(2)死んだ者にも与えられた恵みがあった
①ルツの例。死んだも同然な姑のナオミとの今日の生活生活、その境遇。
「"私は出て行くときは満ち足りていましたが、主は私を素手で帰されました。どうして私をナオミと呼ぶのですか。主が私を卑しくし、全能者が私を辛い目にあわせられたというのに。」"
ルツ記 1章21節
②人から見捨てられ、失望の中で死んでいたこの私にも恵みは届けられた。
逆境にあって神の愛を感じられず見えないが、信頼を構築する好機となる。
(3) キリストが死なれ、その後復活された理由
① 神のなさる事は人の想像を超える
"キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、
主となるためです。" ローマ人への手紙 14章9節
②この死んだにも等しいものにも神の霊が吹き込まれ
再び起こしてくださる方がおられる。
(結論)
あなたは今生きているのか〜その幸ではなくそれを与えられた神を喜ぼう
あなたは今死んでいるのか〜そのあなたを甦らすことができる神への信頼を与えられる時だ