イスカリオテ・ユダ
4月
29日
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
メッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/uploads/2015/04/19/マタイ27章1~10%20「イスカリオテのユダ」.pdf
「イスカリオテ・ユダの役割」
マタイ27章1~10節
~マタイ福音書連続講解説教 100~
イスカリオテ・ユダについて考えてみましょう。
❶彼は、12使徒の一人でした
イエスの徹夜の祈りの結果、選ばれた12人の一人です。
ガリラヤ伝道においては癒しや悪霊追放、
宣教を力強く展開し活躍した一人です。
ところが、信者ではなかった(ヨハネ13:10~11)。
洗礼は受けている、肩書はある、実績もある、、、
それでも信者でない場合があり、これは最大の悲劇です。
そこで喜ぶべきは成功や名誉ではなく
「名が天に書き記されていること」(ルカ10:20)であると
主は教えられました。
❷イエスの死において果たした役割
サンヘドリンはイエスの処刑を祭りの時期から外そうと考えていた
主の計画では過越の祭りの当日に十字架刑がなくてはならなかった
最後の晩餐のある特定のタイミングを見計らって、主はユダを解き放った
ユダは捕縛者を先導し、ゲッセマネの園での祈りが終わった段階で現れ、
イエスが捕縛される
過越しと十字架のタイミングが
合致してなくては贖いが成し遂げられないゆえに
両者が合一するために
ユダの果たした役割は大きかったのです。
❸後悔と自殺
ユダの後悔
「後悔した」3節(メタメロマイ)
~良心の咎めや呵責のことであり、
ユダはここまでには至っても主イエスのところには来ていない。
救いに至る悔い改め(メタノイア)とは質的に異なる
それは神の業であり、信仰の一側面であり、
イエスにつながることである
死因
マタイによれば、首つりで死んだことになっている。
使徒1:18によれば、
「まっさかさまに落ち、からだは真っ二つに裂け、
はらわたが全部飛び出してしまった」
過越しの食事の時間帯(一般市民の木曜夜から祭司らの金曜朝)
にかけてエルサレム市内に死体があってはならなかった。
城壁南面からベン・ヒノムの谷へ死体を投棄した。
それが使徒1:18の内容である。
❹聖書預言の成就
9節に「預言者エレミヤを通して言われたことが成就した」とあります。
ユダが賄賂として得た銀貨30枚が
陶器師の所有する畑購入代金となり
旅人たちの墓地となったのですが、
その通りの文書は旧約聖書どこを探しても出てこないのです。
預言成就において
新約聖書に引用される際の原則があります。
⑴複数の聖書預言による合成
ユダ預言の成就とは、エレミヤ32:6~9、
ゼカリヤ11:12~13の合成による成就
著名な名前を代表させている
~例としてマルコ1:2、3ではイザヤだけに言及
(マラキ3:1とイザヤ40:3との合成である)
⑵1点のみを取り上げて「成就した」とマタイが編集した「適用法」である
エレミヤからは「畑を買った」1点だけを適用
ゼカリヤからは「銀貨30枚が値積りされた」1点だけを適用
⑶将来にわたり複数回成就される
〜ヒノムの谷の呪いを預言(エレミヤ7:31,19:11)。
ヒノムの谷では我が子を異教の神に捧げる人身供養という
恐ろしい非道が行われれていました。
その偶像礼拝のさばきとして
神が「この民と、この町を砕く」と預言してますが、
それは歴史上数回に渡って成就されて行きます。
@ユダの投身自殺で成就
@AD70年のエルサレム崩壊で数多くの死体が積まれた
@主の再臨時に反キリストの軍隊が破られ、死体が積まれる
@ゆえにそこは不信者の最終運命の地、「ゲヘナ」と呼ばれる