キリスト教世界は挿入された「奥義」
1月
13日
FB読書会で交わした神学的な意見交換を紹介しています。
現在の私たちの生きている時代は聖書が教えている救済史的な視点からすると
「キリスト教界時代」と言われるものです。
それについて旧約聖書が一言も触れられておらず、
新約聖書で始めて明らかとされた概念であることから
「奥義」と呼ばれています。
聖書が意味する「奥義」とは一般世界の意味とは異なり
「今まで隠されていたものが明らかとされた真理」
を指している専門用語です。
「万物を創造された神の中に世よ隠されていた奥義」(エペソ3:9)
神学議論の公開は今回で最後となります。
これまでのものは「救済」タグをクリックするとまとめて読むことが出来ます。
(T様が投稿されました)
高橋京太様
ディスペン神学の分類の議論については、僕の知識ではほとんどついて行くことはできませんでした。
でも、分類の仕方にその人の神学的枠組みが明確に現れるということだけはわかりました。
ですから、他の人の分類を受け入れることに注意深くある必要があるのですね。
僕も患難期前けいきょ、中けいきょ、後けいきょとかいう分類、千年王国前、後、再臨、無千年などという枠組みには悩まされ続けました。今は、そんな分類自体がひとつの神学傾向の枠組みの反映だとわかって、なるべくそのような枠組みを無視するようにしています。
僕にとって、どうしても納得できないディスペン神学の基本とは、高橋様が書いてくださっている以下のポイントです。
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旧約聖書にはなかった奥義としての「教会時代」が始まります。
主イエスがエルサレムにて王として全世界を統治されるのは将来に「延期」されて、教会と言うものが歴史に「挿入」してきたのです。
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28年前に現在の教派に入り、このような神学の枠組みがあることを知り、違和感を感じ続け、その中でライトさんに出会いました。
違和感を感じた結果ライトさんに出会ったので、そう簡単に高橋さんの神学には同意できないでしょうが、いろいろお教えくださったことは心より感謝します。
(私からの投稿です)
T様
ご感想をありがとうございました。
オシメ洗いに躍起となっている私がいる一方で、赤子の可愛さを常に忘れないように諭して下さいました。
ライトの終末論には先述したように同意出来ない点がありますが、聖書をナレーティブとして捉えている点には教えられること多く、今後も学んで行きたいと存じています。
書籍からの学びを今後もアップして下さいませ。
蛇足ですが、教会時代が「奥義」としての王国であるとの根拠はマタイ13章11節に見出せます。
ヨハネもイエスも、宣教の第一声は「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」というものでした。その御国が何であるのか説明がないのは、聴衆がその言葉を聞いた途端理解できたからであると考えられます。つまり、彼らが待望していたメシア王国(千年王国)です。
ところがメシア拒否によって、その実現が将来に延期されたため、代わって挿入してきたのが奥義である教会であるとしています。
その奥義の王国、つまりキリスト教界"Christendom”時代はどんな特徴があるかを例え話で解説しているのがマタイ13章であるとの枠組みには大きな説得力があると思います。
http://wdx.hosannamin.org/page/seishohiroba-11
教会が挿入してきただなんていう概念は誤解を生みやすく、
「教会を軽視している」と教団内のある教師からだいぶ批判されました。
ディスペンセイションについての知識がある人ほど、批判が強いものとなりました。
余計なことを書いたようです。
今後ともよろしくお願いします。