朝鮮出兵の際に築いた名護屋城。
秀吉の狂気は、この名護屋城を築いただけでなく、
周囲3kmの範囲に全国の諸将を駐屯させた事。
諸将が築いた陣屋の数は、120を超えるそうです。
小田原征伐を終えて日本統一を果たした秀吉は
明への遠征を企てる。
あまりにも無謀、狂気、夢想、、、
この愚かさをどんな言葉を尽くしても言い足りない。
決して正当化できるわけではないが、
20世紀の近代日本が大陸へ進出したのには大義名分があった。
世界は帝国主義植民地獲得競争の只中であり
ロシアの南下政策に対する祖国防衛であり、
欧米からのアジア解放だ、といった立派な?言い分もあり得る。
ところが秀吉の朝鮮出兵には1ミリの正当な理由もない。
ドラマの中で日本兵の士気が上がらずに敵に押し返されている状況を聞いて、
官兵衛が「この戦には大義が無いからじゃ」と言ったのはまさに正しい。
たとい朝鮮を超えて目指す明国まで征服が完了出来たとして、
日本兵を朝鮮や明に残留させるのはあり得ない。
市場に物資を多量に供給するには産業革命を経なくてはならず
戦国期の日本には他国民の生活までを潤すモノなんてなかったのである。
信長の後継者として自他ともに認めさせたかったのか、
秀吉一人の幼児のようなワガママさ。
誰にとっても無益な戦乱を朝鮮半島に突き刺した。
槍働きで武功を上げた清正や官兵衛に対して
官僚として兵站補給の任に当たる三成や増田らの溝はこの戦でさらに深まる。
出兵に反対する官兵衛らの忠言に、全く聞く耳を持たない秀吉。
やがて豊臣家分裂の刈り取りをせねばならなくなる。
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