利休切腹
10月
13日
昨日の大河ドラマでは石田三成が讒言した内容に秀吉が激怒して
切腹を命じたことになっていた。
秀吉の怒りに触れた理由には諸説ある。
大徳寺の山門に作った利休の木造の下を秀吉が通らねばならないとか、
茶道具の目利きとして法外な値を付けて私服を肥やすようになったとか、、、
これらのドラマが取り上げた理由には説得力が欠けるように思える。
もっと秀吉の核となっている事項に触れてしまって
地雷爆発を誘発したと考える方が理解しやすい。
それではこの時の秀吉の「核」とは何か。
❶明への遠征
長らく戦乱の世を終わらせて天下統一を果たしたばかりの時、
民は疲弊して国土は廃れているから内政に力を注ぐ時であり、
外征など天下のためにならず!
利休はそのように忠告したであろう。
秀吉には、政道に口を挟む煙たい存在と映った。
このポイントはドラマでも充分に描写していた。
❷茶道観の隔たり
万事はで好みの秀吉は「黄金の茶室」を作らせるが
利休にとっては悪趣味にしか映らなかった。
平凡で素朴な佇まいの中に悠久の美を見出そうとする
「わび・さび」に価値観を見出す利休とは相入れない。
❸淫蕩で残虐な性格
ドラマではこの点が描かれていなかった。
ここにこそ秀吉が利休に切腹を命じた最大の理由があると考えられる。
ルイス・フロイスの「日本史」には秀吉の人間像を次のように報告している。
「関白秀吉は極度に淫蕩で、200名以上の女を宮殿の奥深く囲っていたが、
さらに都と堺の市民、役人達の未婚の娘と未亡人全てを連行して来るように命じた。
そして容姿の美しい者はほとんど残らず、関白の元に連行された。」
秀吉は利休の次女の三(さん)にもその食指を伸ばすのだが、
利休がこれを拒んだがために秀吉の逆鱗に触れたというのが最有力と思われる。
ちなみに、貞節を硬く守るキリシタンを快く思わなかったというのも
秀吉がキリシタンご法度に傾く伏線となっているのも間違いない。