側近の石田三成から報告を聞いた秀吉は、
怒りを抱いて言う。
「右近のうつけめ、
このワシよりデウスを選びよった。」
「直ちに追放いたせ。」
「この秀吉に背くものがあってはならない。
それを存分に知らしめるのじゃ」
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秀吉の銘により
京都での南蛮寺の打ちこわしが始まっていく。
領地を取り上げあっれた右近は
友人の庇護を求めて各地を流転したあと、
フィリピン・マニアに追放の身となり
移住後間も無くその地で最期を遂げる。
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千利休に招かれた茶会での
官兵衛と右近の会話。
「私には右近殿の真似はできません。
殿下に面と向かって信心を貫くとは言えなかった。
信心ゆえに全てを捨て去ることはできない。
私は弱いのです。」
「官兵衛殿。人にはそれぞれデウスから与えられた使命がある
それを全うして下さい。」
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秀吉の禁教令に真っ向から対峙し、一点の妥協も許さなかった右近。
それに対して信心を捨てるわけではないが、
迫害を受けるほどに公のものとせず
自己保身に比重を置く官兵衛。
一方が強く、他方が弱いとは断じられない。
一方が信仰者としての理想であり、
他方がまがい物であるとも単純に即断できないであろう。
この辺りの、棄教か死かの二者択一せざるを得なかった
当時のキリシタンの迷いと苦悩、
双方に主イエスはどう評価されるのか
という重いテーマを扱っているのが遠藤周作の「沈黙」であろう。
私の高校時代の国語教科書に掲載されているのを読んで、
激しく揺さぶられた当時のことを思い出す。
それにしても右近が官兵衛に言った言葉が深い。
ー 「人にはそれぞれデウスから与えられた使命がある
それを全うして下さい。」ー
これは信仰の真髄とも言っていい領域の言葉ではないか!
あのNHKが、このレベルにまでキリシタン信仰を調べ上げ
正確に描写しているのに驚かざるを得ない。
先回の大河ドラマ「八重の桜」でも
明治のキリスト教がほぼ正しく描かれていた。
Good Job NHK
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